第5話 書庫守(リブラリアン)
光の奔流が収まり、アルガスは重い石床の上に膝をついていた。
──白峰での編集者との対峙は不意に途切れ、
耳を引き裂くような“ページの崩落音”に飲み込まれたのだ。
起き上がると、そこは見たことのない空間だった。
壁も天井も、**無数の巨大な紙片が重なり合って形成された白い洞窟**。
まるで世界そのものが“書物の断片”でできている。
「……ここはどこだ。編集者の結界か?」
アルガスが剣を握り直すと、低い声が響いた。
「ここは“下位図層”。
叙事詩や神話の“削除された行”が落ちてくる場所だ」
声の主は、白い外套の人物──
だが、あの編集者とは違った。
背丈は子どもほど。
髪は淡い金、瞳は古い羊皮紙のような茶色。
手には巨大な栞のような杖を持っていた。
「お前は誰だ?」
「私は書庫守。
“叙事詩の外側”で、編集者の落としたものを拾う役目の……
廃棄された英雄だよ」
最後の一言が、アルガスの胸を刺した。
「……英雄、だと?」
「昔の話だ。
私の叙事詩は、読者に『地味』『冗長』と言われて“消去”された。
今では役職だけが残り、本来の名前も……消された」
リブラリアンは笑うでもなく、泣くでもなく、ただ言葉を並べた。
「君が戦った編集者がいたろう?
彼らは“英雄譚を最適化し続ける”存在だ。
必要ないものは削り、都合の良いものは付け足す」
「レダを殺し、俺の真実を塗り替えた……あいつらか」
「そう。
そして君は“削除対象”に指定された」
アルガスは息を呑んだ。
リブラリアンはさらに続ける。
「君の叙事譜はもう書き換えられている。
十数刻のうちに、君の存在は全書架から消えるだろう」
沈黙。
重い、耳を圧する沈黙。
「……俺はまだ消えん。
レダを取り戻す。
俺の仲間も、俺の叙事詩も──全部だ」
アルガスの声は震えていなかった。
リブラリアンは少しだけ視線を上げた。
そして、ゆっくりとうなずく。
「君の“真実”は強い。
だから編集者は焦っている。
物語の“外へ踏み出した英雄”など、管理体系が想定していないからね」
「なら教えてくれ。
編集者の中枢はどこだ?」
リブラリアンは杖を石床に突いた。
瞬間、床の紙片が波紋のように広がり、“地図”が描き出される。
──それは、巨大な書庫都市の見取り図だった。
「中央書架。
そこに“主編集者”がいる。
全英雄譚の改変権限を持つ、唯一の存在だ」
「……そこへ行けば、すべてを戻せるのか?」
「戻せる保障はない。
だが、“奪われた真実”を取り戻した英雄譚は、数ある叙事詩の中でただ一つ……
君が初めてだ」
リブラリアンはアルガスを見つめる。その目は、どこか羨望を帯びていた。
「だから手伝おう。
君の叙事譜はまだ完全には書き換えられていない。
ここ、“下位図層”に来られたのがその証拠だ」
「どういう意味だ?」
「削除直前の英雄は、必ずここへ落ちてくる。
だが君は……“抗って落ちてきた”。
運命の軌道が乱れている」
リブラリアンは、杖の先で地図の中央を指した。
「君は“中央書架”へ向かえ。
私は別の層でデータを回収する。
レダの断片がまだ残っているかもしれない」
「レダの……?」
アルガスの胸で、熱いものが膨らんだ。
「助かる。
絶対に取り戻す。
レダも、俺の物語も!」
立ち上がるアルガスに、リブラリアンは小さく笑う。
「英雄が“自分の物語を取り戻す”なんて、
叙事詩の神々も想定していない展開だ。
そのまま突き破れ、アルガス」
白い紙片の洞窟が震え、奥に“書棚の門”が開いた。
「行け! 編集者の支配する書架を越えて!」
「任せろ!」
アルガスは剣を抜き、
紙片の旋風が渦巻く門へと駆け込んだ。
## ***
門の向こうで待っているのは、
改変された戦士、虚構の怪物、
そして──英雄譚の因果を書き換える者たち。
だがアルガスは止まらない。
**奪われた真実を取り戻すために。
“物語を操る者”に抗うために。**
その足取りは、誰よりも確かだった。




