第3話 喪失の棚で待つ者
光の爆ぜる音とともに、編集者の姿が霞のように消えた。
広大な叙事詩図書館の禁書の間中央にひとり立ち尽くしたアルガスは、剣を握り直す。
至るところに漂う紙の匂いと、わずかなインクの刺激臭。
だが、その奥底に混じるものがあった。
とても懐かしく、かすかに胸が痛む匂い——
「……レダの匂いだ」
アルガスは歩き出した。
編集者の目的は“改訂版の完成”。
それを止める為には、消された仲間たちの痕跡を取り戻す必要がある。
歩みを進めて間もなく、広間に出た。
中央に巨大な看板が立てられている。
喪失の棚(The Lost Shelf)
「喪失……か。俺から奪われたものが、ここにあるってことか」
棚には分厚い書物がずらりと並び、その一冊一冊の背表紙には、
『削除された章』『不採用プロット』『無効化された登場人物』
そんな不穏なラベルが貼られていた。
そして奥にひときわ大きな本が置かれている。
アルガスは吸い寄せられるように近づいた。
金に縁取られた黒革の表紙。
タイトルは……
『アルガス英雄譚・原典(失われた真実)』
「原典……? 俺が知ってる物語は“編集された後”だったってことか?」
ページをめくる指先が震えた。
そこには、仲間レダが死んだ夜——
アルガスの記憶そのままの情景が書かれていた。
レダの剣が折れ、アルガスを庇い、
巨大な魔狼の牙が彼の胸を貫く瞬間。
最後に残した笑顔。
「……やっぱり、あの日は嘘じゃなかった」
胸に熱がこみ上げる。
レダが裏切り者として処刑されたなんて、許せるわけがない。
その時だった。
ページの奥から、白い靄が流れ出る。
靄は人の形を作り、淡い光を帯びた姿となった。
「お前は……誰だ?」
靄は、掠れた声で名乗った。
「……レダ、だ。
正確には《物語から削除されたレダの残滓》だがな」
靄のレダは、霞の体でひざまずいた。
「やっと……アルガスに会えた。
ずっと、ここに囚われていた」
「囚われて?
お前、死んだはずじゃ——」
「死んだ後、“物語からも消された”んだ。
私の死は読者に重すぎる、と編集者が判断してな……」
アルガスは奥歯を噛み締める。
誰かの感情の“都合”で仲間の死が書き換えられる。
その理不尽に血が沸いた。
「許さない。
お前の死は、お前自身が決めたものだ。
勝手に編集されていいもんか」
レダの靄が微かに揺れた。
「ありがとう。
……だが、忠告しなければならない。
編集者は、“真実を取り戻そうとする者”を放っておかない」
その瞬間、図書館全体が震えた。
本棚の影が揺れ、闇が滲み出す。
闇が形作るのは、無数の黒い人型。
「これは……何だ?」
「《消去者》だ。
編集者の手先……“不要と判断された真実”を完全に消すための存在だ」
イレイサーズが一斉に飛びかかる。
動きは速い。
だがアルガスの剣は、それを上回った。
「どけぇっ!」
黒い影を斬るたび、紙が破れる音がした。
斬撃が光を纏い、影を裂き、書棚に叩きつける。
しかし、イレイサーズは倒しても倒しても立ち上がる。
「くそっ、きりがない!」
その時、レダの靄がアルガスの剣に触れた。
「アルガス……私の“最後の力”を使ってくれ。
この剣は、お前の真実でできている。
嘘を斬る力がある。
だが、それだけでは足りない。
“私の死”の記憶を重ねてこそ、真実は形になる」
靄が剣に吸い込まれるように絡みつく。
刀身が青白く輝き、炎のような光を帯びた。
「行け。
このままじゃ、私は完全に消える。
だが、お前が戦うなら……まだ終わらせたくない」
「レダ……!」
アルガスは剣を握り、中央に立ちはだかる巨大な影へと飛び込んだ。
「うおおおおお!!」
剣が闇を裂き、その中心にあった“編集の印章”を斬り砕く。
印章が砕ける音とともに、イレイサーズの全身が紙片となり崩れ落ちた。
静寂が戻る。
しかし次の瞬間、レダの靄は揺らぎ始めた。
「……アルガス。
もう時間だ。私はもう自力で現界することはできない」
「レダ!」
「安心しろ、ほんの少しの断片だけだがお前の剣に宿っていつでも会える。
私の死は……お前が背負う重荷なんかじゃない。
誇れ。
お前を守って死ねたことを、私は誇りに思っている」
そう言い残し、靄は光となり、剣に吸い込まれた。
静けさの戻った「喪失の棚」。
アルガスは剣を見つめた。
青白い光は消えたが、刀身には確かに新たな紋が刻まれている。
「レダ……お前の真実、必ず取り戻す。
そして、編集者。
お前の都合で俺の物語を弄んだことを、絶対に許さない」




