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第2話 ―失われた章を守る者―

書庫の空気は、どこか冷たかった。


 まるで千年も前から閉ざされていた廟に足を踏み入れたかのような——

 そんな“沈黙の重さ”がある。


 アルガスは感情的になっていた自分を抑え、落ち着いてゆっくりと周囲を見回した。


 天井は見えない。

 棚の高さは巨木のよう。

 そこに収められた本一冊一冊が、別の世界の歴史そのものを抱えている。


「……ここが、物語を管理する場所か」


 彼がつぶやくと、その声が棚の間で反響し、遠くまで飛んでいった。


 白い外套の“編集者”は背を向けたまま歩き出した。

 そして巨きな机の前で立ち止まる。


「英雄アルガス。あなたの叙事詩は、ここで“修正”されます」

 編集者は、机に置かれた羽ペンを持ち上げた。

 先端には黒く濁ったインク。


「あなたの物語から、まずは——“レダの存在”を削除しましょう」


「……っ!」


 アルガスの胸に、激烈な痛みが走った。

 懐かしい笑顔。

 共に戦った時間。

 そして、死に際に自分を庇った瞬間。


 それが、ゆっくりと消えてゆく感覚。


「やめろ!」


 叫んで走り出した瞬間、棚の影から黒い影が飛び出した。


 人型。しかし顔はなく、輪郭があいまいで、インクを垂らしたように黒い。


「《塗り潰し(イレイサー)》……編集者の手先か!」

 剣を抜く。

 影の伸びた腕が、まるで鞭のように襲いかかる。


 アルガスは身を沈め、その影をかわし、勢いをつけて斬り上げた。


 黒い身体が裂け、インクのような液体が飛び散る。


 だが影はすぐに形を戻し、数を増やしてゆく。


「英雄よ。物語を守るあなたの力は、ここでは“本来の半分”も出ませんよ」


 編集者が静かに言う。


「なぜなら、ここは現実ではなく、物語の外……

 あなたの強さを定義する“叙事詩そのもの”が書き換えられている最中なのですから」

 「……そんな理屈で、俺の仲間を消せると思うな!」


 影の群れが一斉に襲いかかる。


 アルガスは剣を振るい、足場を蹴り、数体をまとめて弾き飛ばす。


 だが、影は次々と湧いてきた。

 まるでこの図書館そのものが敵意を持っているようだった。


 そのとき——


「下がれ、英雄」


 棚の上から声がした。


 影が見上げる間に、銀色の光が落ちてきた。

 放物線を描き、一閃。


 数体の影が一度に切り伏せられ、インクとなって散った。


 アルガスは反射的に構えをとった。

 

棚の上から軽やかに降り立った人物——

 長い黒髪を三つ編みにし、腰まで届くほど。

 外套に似た装束を身にまといながらも、どこか旅人のような雰囲気をまとっている。


 その瞳は深い紫。その奥に、静かな怒りを宿していた。


「……誰だ?」


「“詩章守ししょうもり”のリィナ。

 あなたと同じ、物語を書き換えられた者よ」


 編集者が羽ペンを振った。

 空気が歪み、影の群れがさらに増えてゆく。


「リィナ……貴女も、戦う理由が?」


 アルガスが訊くと、リィナは首を縦にも横にも振らず、ただ一言呟いた。

 「——私の恋人が叙事詩から消された」


 その声音には、押し殺した悲しみがあった。


「編集者に書き換えられ、“最初から存在しない人物”にされたの」


 握っていた銀の刃が、淡く震える。


「記憶は辛うじて残っている。でも、この世界では誰も覚えていない。

 その痕跡を取り戻すため、私はここに来た。

 ……あなたも同じでしょう?」


「……ああ。俺の仲間を消された」


 二人は背中合わせになった。

 影の群れが、互いの間を断つように動き出す。


「英雄アルガス。あなたの物語は“痛みと敗北”の方が格好がつくのですよ」


 編集者が淡々と言う。


「人々は完璧な英雄を求めません。

苦しむ姿、絶望する姿、裏切られる姿……

 そういう“感情の起伏”が人気を呼ぶのです」


「貴様の都合で俺の人生を選ぶな!」


「人生……?

 英雄よ、忘れていますね。

 私はあなたを“登場人物”としてしか認識していませんよ」


 アルガスの胸に、怒りが燃え上がった。


「リィナ。突破するぞ」


「了解」


 二人は息を合わせて駆け出した。


 影が伸びて道を塞ぐ。

 アルガスが正面を斬り裂き、リィナは影の腕をすり抜け、急所を貫く。


 連携は、言葉を交わさずとも自然に噛み合った。


「……やるじゃない、英雄」


 「そっちこそ」


 だが——影は尽きない。

 編集者は微動だにせず、淡々とページを書き換え続ける。


 そのたびに影が増え、本棚が軋み、図書館が“物語の海”へと変貌していく。


 アルガスの体力はじわりと削られていく。


 リィナも息を荒げ始めていた。


「……これじゃ埒が明かない」


「ええ。あいつを止めないと」


 二人は息を合わせ、編集者のもとへ駆ける。


 だが、その前に立ちはだかったのは——

 巨大な影だった。

 まるで巨人を黒く塗り潰したような、異形の存在。


「《大塗り潰し(グランド・イレイサー)》……!」


 リィナの顔が強張る。


「これは私たちの手には負えない!」


 編集者が、羽ペンで空を撫でる。

 巨影が咆哮し、空間が歪む。


「さあ、“無かったこと”になりなさい」


「……まだだ!」


 アルガスは剣を握り直す。


「書き換えられた物語を、元に戻す方法……

 どこにある!?」


 リィナが短く答える。


「——“原初のオリジナル・ページ”。

 叙事詩が最初に書かれた、最も古い一枚。

 そこに触れれば、改変された物語を上書きできる」


「どこにある!?」


「編集者の奥、“禁書の間”よ。

 でも、彼に近づけなければ——」


 「なら行くしかないだろ!」


 巨影が拳を振り上げた瞬間——


 リィナが叫ぶ。


「英雄、左へ!」


 アルガスは反射的に跳び、拳が床を抉る。

 破片と紙片が舞い上がった。


 リィナが手を伸ばす。


「アルガス! あなたの叙事詩の“ある一節”、思い出せ!」


「え?」


「あなたの剣はただの武器じゃない。

 英雄を英雄たらしめた“言葉”があるはず!」


 アルガスは歯を食いしばり、心の奥を探る。

 叙事詩の一節。

 吟遊詩人たちに語られた言葉。


 そして——思い出した。


『英雄の剣は、物語すら貫く』


 その瞬間、彼の剣が淡い光を帯びた。


「……行くぞ!」


 アルガスは大きく踏み込み、剣を構え――


「俺の物語は、俺が決めるッ!!」


 巨影の胸部を一気に貫いた。


 光が奔り、影が裂ける。

 図書館の空気が震え、編集者の羽ペンが一瞬止まった。


 リィナが叫ぶ。


「今よ、英雄! 禁書の間へ行くチャンス!!」


 アルガスは一気に駆け出した。


 書庫の奥へ——

 物語を取り戻すための“原初の章”へと向かって。

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