表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ハウツー婚約破棄

作者: あさばっかり

『これを読めば丸わかり!【図解】婚約破棄』

『婚約破棄読本 〜経験者がレベル毎に解説します!〜』

『マルっと理解♪必見・婚約を破棄するための本』

 本の背表紙を指でなぞり、幾度目かの溜息を吐き出す。振り返った勢いのまま、椅子にどかりと腰を下ろし、重いドレスの裾を、むんずと掴みあげて、中に空気を通した。

「あっつーい」

「おい、マリー。おまえ、結婚を控えた娘が、相手の前でそんな、はしたない格好をしていいと思ってるのか」

「なぁにが婚前よ、なにが。で?ジェール、アンタのほうはどうなの?」

 気難しげな顔が、私が座った椅子の向かいから覗く。ジェールは手に持っていた『専門家が解説する婚約の破棄事例とその手順について』を、テーブルに伏せた。

「さっぱりだな。馬鹿だからわからん」

「ハァ〜、使えないわねぇ全く」

「おまえにだけは、言われたくない」

 学年首席と次席、下から数えた時だ。私たちは馬鹿同士の婚約者同士である。心はひとつ。婚約を破棄したい。相手有責で。

「つってもねぇ、むりよ。むり。私たちのアタマでなんとかなる難しさじゃないわ。おまけに暑いし。そう思わない?」

 この国の法では、原則、離婚ができない。なぜなら、結婚とは神に誓う儀式であるから。二人とも、こんな馬鹿との結婚生活は嫌だ、と思っている。まあ、問題はそこではなく、シンプルに立ち行かないのだ。領地経営が。

「じゃあ、婚約破棄を僕に告げたまえよ。そうしたら書類が整うまでに、君の無礼な婚約破棄を理由に、こっちから破棄してやれる」

「そこまで馬鹿じゃあないわよ」

「そうなんだよ、だから困ってる」

 お互い、両親が能天気であった。ほんの幼い頃に婚約を決められ、うちの子はちょっと馬鹿だけれど、お相手がカバーしてくれるよね、という気持ちでここまできてしまった。馬鹿は親のほうだ。さっさと解消しておかないから、長い婚約期間を以て、解消という手段がゆっくり使えなくなって、勝手に外堀が埋まっている。相手になんとか瑕疵を見つけ出して、婚約破棄するしかない。

「婚約破棄、このままできなかったらどうなるのかしら」

「あー……えぇ、どうなるんだっけ?」

「だめね、これは」

「だめとはなんだ、だめとは。そんな分かりきったこと言うな」

 おつむの弱い二人が自分からこのままではまずいと気付くまでに、他の優良物件はだいたい売れ切れた。売れ残りは、経済または政治的理由、もしくは、親が家から出したがらないか、本人の性格に難があるか、はたまた、私たちのように頭脳面で大変か、だ。その全ての理由において、今から対策を考えるのでは遅すぎる。私は十六歳、ジェールは十八歳。結婚適齢期も真っ只中だからだ。

「んー、疲れちゃったわ。ねえ、仕方ないから破棄したあとのことを考えたいわ。相手が決まっていない人のこと、検証していきましょ!」

「はぁ……窘めないといけないんだろうが、僕も疲れたんだよな」

 まず最初に、ルーアン様はどうか。この国の第三王子様だ。性格は、真面目で実直。少々、皇太子である兄君の顔色を伺いすぎるきらいがあるが、合わせようとする気さえこちらにあるなら、かなり良い相手と言えるだろう。

「あのなぁ、王族と子爵家だぞ、もっと考えて言えよ、不敬だ」

 では、次に。カルデラ子爵令息。隣の領地であるし、身分も同じ子爵位の子どもということで、十分に納得できる。難点は、少し遊び人が過ぎるというところ。生まれる子の透明性が重要な貴族社会において、だいぶ致命的だが、尻に敷いてひっぱたき続けていれば、まあ、いつか治るのではないだろうか。

「ダメに決まってるだろ、夜遊び相手の子が既に二人いるって噂だ。もし認知していたら、おまえが急に二人も子育てしなくちゃいけないんだぞ?」

 貞操観念がしっかりしているといえば、リング=ノベル侯爵令息は?年下で可愛いし、教会に足繁く通うところも好感が持てる。夜会の後は、社交辞令で声を掛けた子も含め、全員に、君に気は無いから勘違いしないように、という手紙を送っているらしい。私も、何回か貰ったことがあるほどだ。ある意味、これほど鉄壁の守りを見せるのは、近年稀に見る貞淑さだと思う。

「あんなマザコン野郎が、子爵令嬢ごときを相手にするとでも?しかも侯爵家だ、よりどりみどりのはず。まず馬鹿なのが一番だめだ。馬鹿をうまく隠せても、そのうちバレて縁談を断られるのがオチだな」

 スニック男爵はどうだろう。中々社交の場に来ないが、たまに来るとその美貌で人妻までももれなく虜になってしまう、中年キラー。ギャンブル好きなのが玉に瑕。のめり込みすぎて領地の運営が傾いていると噂だが、逆に考えると、資金だけはそこそこあるうちからの縁談は断れないだろう。

「おい、おまえ。俺が馬鹿だから離れるんじゃないのか?馬鹿を捨てたあと、馬鹿を拾ってどうするんだ。考えてもみろよ、そいつと結婚した未来をな。確実に、金庫を食い荒らされてパアだろう」

 ならば。老齢だけど、キンプラー伯爵。とっても優しいご老人で、寄付などの慈善活動にも積極的だから、孤児院によく行く私と馬が合いそう。しかも莫大な遺産が手に入る。鋼鉄の名産地で、発掘から加工、売却まで領地内で行えるらしい。馬鹿ということはない。むしろ賢く、領地を盛り立てるという視点で見れば、豊富に経験のある方だ。

「却下だ、老齢すぎる。度重なる寄付は、自分の死を見据えての、資産整理の一環でもあるらしい。第一、子が望めないぞ、そんなんでおまえの両親は納得するのか。しないだろうな、俺には分かる」

 長年の婚約者の馬鹿加減に愛想が尽きて、試行錯誤して捨てた暁には、青春濃度高めでおっぱじまる、めくるめく恋の一体験……なんて、私にはないようだ。尽く否定を返されて、すっかり撃つ弾が尽きた私は、半分べそをかきながら机に突っ伏した。

「なぁによー!ぜーんっぜん、マトモなのがいないじゃない!これじゃあ、無事に婚約破棄できても意味ないわよお〜!」

「その前に、婚約破棄をするのは僕のほうなんだからな」

「いーいえ、私よ」

 両者、一歩も譲らず睨み合う。寸刻、膠着状態が続いたが、先に瞬きをしたのはジェールだった。あぶなかった、そろそろ目が痛かったところなのだ。

 やっと目を閉じられて安心した私が、ふう、と一息ついたところで、ジェールの口が、開いて、閉じて、また開いた。

「婚約破棄、できなかったら」

 ジェールは、新しい本を開いて、その目次に目を滑らせながら声を出した。実際、目が滑って読めていないのだろう。文字多いのよね、その『今の婚約が不安なあなたへ☆婚約破棄のすゝめ』って。

「できなかったら?」

 私も、新たに『婚約破棄大全 上』を開きながら、返事をする。

「爵位、返すことになるかな」

「なるでしょうねえ」

 私のお兄様が継ぐ実家の領地は、ジェールが継ぐはずの領地とかけ離れていて、合併は難しい。頑張ろうにも、能力値を見れば、私たち二人で治めていけるわけがない。では領地を王家に返還して、自分たちは文官や騎士にでもなって身を立てるか?この世には領地を持たぬ貴族も多々居て、そんな彼らへの救済措置があり、王都で暮らしながら貴族で居ることは可能だ。しかし、答えは否。付け焼き刃で詰め込める技能ではないし、私たちの頭の容量的にも、働いて稼ぐ王都貴族は無理だ。

 パラ、パラ、とページを捲る音がする。

 とさっ、と本が置かれる。次の本を手に取る。

 また、ページを捲る音が続く。パラ、パラ。べろん、と本の一部分が伸びたかと思ったら、どうやら私が今持っているこれは、仕掛け絵本らしい。

 次の本を手に取る。

 その次の本を手に取る。

 そのまた次の本を取ろうとして、一度手に取った本だったと気づく。中身を真剣に読んでいないから、本を替えるのが速いのだ。静かな部屋だ。鳥が見ている。私は、窓に向かって手を振る。

 パラ、パラ、パラリ。ジェールの動きが止まったので、顔をふっと上げる。

「…………ッハァ〜〜〜〜」

「ちょ、なによ。重いわよ!」

 無言も集中力も、私たちにしてみれば常に風前の灯。決壊するまで、紅茶一杯分ともたなかった。

「あー、うぅ、あーあ」

 ふらふら立ち上がったジェールが、私の膝目掛けて倒れ込んできた。お疲れのところ申し訳ないが、ミミズより覚えの悪い大脳をやたらと働かせて消耗しているのは、私も同じだ。

「ちょっと。重いってば」

「うぁー」

「えぇ?遂におかしくなっちゃったの?」

 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれども、ここまでになったか。暑さで頭がやられたのかもしれない。元々そんなに内容物が無い脳みそなのに可哀想に、と呻き始めたジェールを撫でていると、がば、と急に身を起こした。うわ。びっくりした。

 ジェールは悔しそうに、でも少し赤くなりながら、私を睨みつけた。

 あぁ、まただ。また何か言いかけて。

「マリー。マリエッタ・フリーリア子爵令嬢」

 聞き馴染みすぎているほど、聞き馴染んでいる自分の名前。ぽつんと部屋に落ちて、風がそよいで私の頬まで赤くなった。なぜか、生まれて初めて呼ばれたような響きをしている、不思議な心地。

「おまえ、俺と平民になってくれるか」

 私は心底驚いて、持っていた『よいこのこんやくはき 二歳からのえほんシリーズ』を放り投げた。それは、綺麗な曲線を描いて、吸い込まれるように、付いてきていた侍女の右手に収まった。驚いたあと、私は笑った。とってもおかしかったから。

「アハハハッ!あなた、そんなことを今朝からずっと言いあぐねていたの!?何か言いたそうにしていると思ったら!アハハハハ!」

「おい、笑うな……!」

「そんなのね、もちろんよ。ジェーンハイル・ルビー男爵令息!」

 私があまりにも大笑いするものだから、ジェールはすっかり顔を伏せてしまった。そんな様子も愛らしくて好きだ。

「最高ね!」

 だって、なんてプロポーズなんでしょう。馬鹿らしくて、涙が出そうだわ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ