9.死蟲の薬
アズラクの町には日々冒険者が流入し、それに伴って物資が入り、商人や職人なども集まる流れができている。現在最も賑やかな都市であり、発展を続けている。
人類の脅威であるはずのモンスターは良質な素材の原料であり、周辺にあるダンジョンからも多くの資源を得る事が出来る。戦えるだけの力があれば、脅威も資源へと変わるのだ。
実力さえあれば冒険者として食っていくのに支障はなく、加えて一攫千金も夢ではない。
だが実力を見誤れば、そこには死や半身不随が待っている。ハイリスクハイリターン。冒険者は人生そのものが冒険である。
『蒼の懐剣』前衛のエースである双剣士のスザンナは、大金を包んでアズラクの療養院へと向かっていた。毎月払っている弟シリルの薬代である。
薬の在庫がないとかで、最近はまた値上がりした。白金級の冒険者であるスザンナの収入でも、かなりかつかつだ。それでもたった一人の肉親の為、スザンナは双剣を振るい、その収入の大部分を治療費に充てていた。
仕事が忙しいから、中々お見舞いにも行けていない。弟が自分の顔を見たがっているのはわかっているのだが、仕事が滞っては治療費が払えなくなってしまう。
加えて、自分のいる場所を狙っている冒険者は多い。『蒼の懐剣』は少しずつメンバーも増えていて、一軍と二軍ができるほどだ。成績が落ちれば、地位を保つのも難しい。だから仕事をこなしつづけなくてはいけないのだ。
病室に通されると、青白い顔をしたシリルの表情がほころんだ。十三歳になるのに、線が細いせいで二、三才は年下に見える。
「お姉ちゃん」
「シリル、ごめんね。しばらく来られなくて」
スザンナは買って来た果物やお菓子などをベッドの傍らのテーブルに置いた。
「ぼく、今日は調子がいいんだ。朝は散歩にも出たんだよ」
「わあ、よかった! その調子なら、きっと治るよ!」
スザンナは笑いながら、果物を手に取って皮を剥く。シリルは窓の外を見た。
「風があったかくなって来たねえ。お姉ちゃん、お仕事、忙しいの?」
「うん……でもお姉ちゃん、白金級なんだよ! だからなーんにも心配要らない! はい、食べて食べて。甘くておいしいぞう」
スザンナは努めて明るく振舞っていたが、今にも涙がこぼれそうな心持だった。
さっき治療費を渡す際に医者と面談したのだが、シリルに巣くう死蟲はじわじわと大きくなっており、あとふた月ほどの命だという。現在の薬では、死蟲の勢いを抑える事はできても除く事はできない。
自分がしている事は無駄な事なのだろうか。必死に延命をして来たが、ついに終わりが見えて来てしまった。
仕事の時間を減らして弟と過ごす時間を増やすのか、それとも今まで通り治療費を稼いで、少しでも弟を生き永らえさせるのか。しかしどちらの道も、行きつく先は悲しみしかない様に思われた。
シリルが驚いた様に手を伸ばし、スザンナの頬に手を当てた。
「お姉ちゃん、大丈夫? どこか痛いの?」
「え?」
涙がこぼれていた。
そうと気づくともう止まらない。溢れて来る涙で表情がくしゃくしゃとなり、スザンナはそのまま両手で顔を覆って嗚咽した。
「ごっ、ごめんねぇ、シリル……わたし、駄目なお姉ちゃん、だねぇ……」
「お姉ちゃん、大丈夫。いい子いい子」
弟に頭を撫でられながら、スザンナは泣いた。クランの仲間を切り捨ててまで収入を増やす道を選んだのに、シリルが死んでしまったらどうしよう。
その時、後ろから重厚な声が響いた。
『邪魔するぞ』
びくり、と体を震わして振り向き、仰天した。“白の魔女”が立っていた。頭が天井に着くかと思うくらいでかい。
「あ、あ、あ……」
「うわあ、凄く大きい……! こんにちは、お姉さん!」
怖気づくスザンナと違って、シリルは無邪気に挨拶する。
(お、お姉さん?)
スザンナはおろおろした。どう見ても老婆なのだが、シリルは時折こういう不思議な事を言う。
“白の魔女”はわずかに口端を緩めた。しかし表情が柔らかくなったとは到底思えない。
『よい挨拶だ小僧。スザンナ。うぬとは前に一度戦場にて邂逅したな』
「そ、そ、その節は……」
『弟が死蟲に侵されているそうだな』
その言葉に、スザンナは息を呑んだ。
「な、なんでその事を……」
『トーリから聞いたのだ。奴はうぬらを心配している』
トーリが、とスザンナは呆けた。自分たちはあんなにひどい仕打ちをしたのに、弟の事を覚えていて心配までしてくれていたんだ。
「え、あ、う……そ、それで、“白の魔女”さんは、どういうご用事で……?」
『うぬにくれてやろうと思って持って来た』
そう言って“白の魔女”は懐から小瓶を取り出した。しかし小瓶に見えたのはその巨大な体躯ゆえで、スザンナが受け取るとボトル位の大きさがあった。
「これは……」
『死蟲に効く薬の試作品だ。我と従魔で魔界や辺境で材料を集め、試行錯誤の末作り上げた。毎食後コップ半分の量を服用すれば、七日の後に死蟲は消える筈』
スザンナは目を見開いた。
「な、な、治るんですか!? あっ、で、でもこんな貴重なもの、ただじゃ……」
『あくまでまだ試作品だ。我はうぬらを実験台にしたいと言っている様なもの。金なぞ要らぬ。だが、おいそれと手に入らぬ素材を使っているが故、効果がないとは思えぬ。試すか、試さぬか。返答や如何に?』
考えるまでもなかった。ぼろぼろと涙がこぼれて来る。
「ありがとう、ございます……もう、もう、駄目だとばっかり……」
『礼は治ってから言えばよい。我は失礼するぞ』
「ありがとう、お姉さん! また来てね!」
とシリルは無邪気に手を振った。
“白の魔女”が出て行って、シリルはくすくす笑った。
「凄いお姉さんだったねえ、スザンナお姉ちゃん。ぼく、驚いちゃった」
シリルの言葉が終わる前に、スザンナはシリルに抱き付いた。
「んぐ、お姉ちゃん、苦しいよ」
「シリルぅ……よかったぁ、よかったよぉ……」
スザンナはぼろぼろと涙をこぼした。しかし、今の涙は不思議と温かかった。
〇
鶏小屋を直していたトーリは、畑に奇妙な植物が生えているのを見つけて顔をしかめていた。妙に刺々しく、先端についたつぼみは毒々しい色をしている。
「なんじゃこりゃ」
「あらぁ、もうこんなに育ったのねえ。地上だと生育具合が違うのかしらぁ?」
シシリアがトーリの脇に屈みこんで言った。無暗に距離が近い。トーリは肌が粟立つのを感じて、慌てて立ち上がる。
「あんまり近づかないでもらえますかね!」
「あぁん、もう。怖がらなくていいのにぃ」
シシリアはくすくすと笑ってばかりいる。トーリは嘆息し、再び植物の方に目をやった。
「それで、なんですか、これ。魔界の植物なの?」
「そうよぉ。ユーフェちゃんが薬の材料にしたいからって集めたのを、ついでだから一株持って来てみたの」
「魔界じゅうを探して見つけて来たのはボクだけどね!」
とスバルが偉そうに胸を張った。トーリはふむと首を傾げる。
「魔法薬の仕事なんか入ってたっけ?」
「なんぞ別件らしいぞ。わしも詳しい事は知らぬが、魔界であちこち素材を探し回ったわい」
とシノヅキが言った。
魔界での所用を済ます為に戻っていたこの三人も、用事が済むとすぐに召喚され直された。ユーフェミアは別に呼び出す用事なぞなかったのだが、魔界側からユーフェミアに呼べ呼べと再三催促があったので、不承不承に呼び出した形である。召喚されての第一声が「飯!」だった。すっかり餌付けされているらしい。
そうして、それから今度はユーフェミアの方が毎日魔界に出向いていた。何かを集めているらしく、そうして帰って来る度にシシリアと二人で作業部屋に籠っていた。
その間トーリは一人で留守番をしていたのだが、畑の手入れに鶏小屋の修理と、邪魔者がいない方が捗る作業をしていたので、結果的にはよかったのである。
(ま、ユーフェの仕事には俺は口出しできねえからな)
と、トーリがもう完成直前の鶏小屋の修理に再度取り掛かり出すと、そこにユーフェミアが戻って来た。“白の魔女”の姿がほどけてユーフェミアの姿へと変わる。
「おう、お帰り。仕事?」
「ううん。お薬、渡して来た」
「誰に?」
「スザンナ」
「は?」
「死蟲に効く奴」
トーリはぽかんとして、ユーフェミアを見ていたが、ハッとして歩み寄った。
「えっ、お前……最近ずっと作ってたやつって、もしかして?」
「うん。新しい調合を試せたから、ちょうどいいと思って。ね、シシリア」
「そうねえ。死蟲対策の薬って、あんまりなかったものねえ」
「しっかし、材料集めに難儀したぞい。そう易々と量産できる代物ではないじゃろうな」
「ボク、魔界をあっちからこっちまで飛び回ったよぉ」
銘々に喋っている。トーリは妙に脱力してしまった。
「じゃ、じゃあ、スザンナの弟の病気、治るのか……?」
「理論的には。試作品だから絶対とは言えないけど、九割九分九厘治る筈だよ」
「は、ははっ……そっか。治るのか……よかったなあ」
トーリは頭を掻いて笑った。自分の事ではないし、もう決別したと思った元仲間の事なのに、こういう話を聞くと素直に嬉しい。
ふと見ると、ユーフェミアが期待する様な目でトーリを見ながら立っていた。トーリは苦笑しながら、ユーフェミアの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ありがとな」
「違う」
「え?」
「ん!」
と言って両腕を突き出す。トーリはやれやれと頭を振って、ユーフェミアを抱き寄せた。そうしてぽんぽんと背中を撫でる。
「よくやった! 偉い! 流石は“白の魔女”! ありがとう!」
「ん!」
ユーフェミアは嬉しそうにトーリを抱き返して、胸に顔を擦り付けた。
「トーリちゃーん。お姉さんの事はよしよししてくれないのぉ?」
「ボクも凄く頑張ったんだぞー。よしよししてよ、おにいちゃーん」
とシシリアとスバルがすり寄って来る。ユーフェミアは顔をしかめて、二人を小突いた。
「駄目。トーリのよしよしはわたしのもの」
「えー、ユーフェちゃん、それはずるいわよう」
「そうだよー。別に減るもんじゃないし、いいじゃん!」
「だーめ!」
そう言ってユーフェミアはトーリの後ろに回り、そのまま背中に飛びついた。
「うおおっ、突然乗るなっ!」
「あ、前がら空き! 隙ありっ!」
と言ってスバルが前から飛びつく。
「だああっ!」
「あらあら、出遅れちゃった……」
とシシリアが残念そうに頬に手を当てる。
「スバル、だめー! 離れてー!」
とユーフェミアはトーリの背中でじたばたと暴れる。それはむしろトーリをよろめかせる結果に終わった。
「やめろぉ!」
「飯、まだかのー」
と我関せずを貫いていたシノヅキが、あくびしながら言った。トーリの眉が吊り上がる。
「何知らん顔してんだシノさんコノヤロー! 俺が捕まったままだと飯もないぞ!」
「ぬう、それは困る。おぬしら、いい加減にトーリを解放するのじゃ。飯が食えんではないか!」
どたどたしていると、空から何か落っこちて来た。小包である。それがトーリの頭に直撃した。トーリは屈んで悶絶する。
「ぐおお……」
「お届け物?」
とスバルがそれを拾い上げる。紙の束だった。似顔絵、名前、数字が書かれている。
「手配書の様じゃの」
「あら、こんなにいっぱい。ユーフェちゃん、取り寄せたのぉ?」
ユーフェミアはトーリの背中から降りて、手配書をまじまじと見た。
「うん。今回のお薬で結構お金も使ったから、手っ取り早く賞金首でも狩ろうと思って、ギルドに手配書を集めてもらう様に頼んでたの」
「お前、そんな大金まで使ってくれたのか……悪かったな」
とトーリが言うと、「いいよ」とユーフェミアは朗らかに言った。
「だって今までトーリにお給料もあげてないし」
「あ」
そういえばそうだった、とトーリは思った。しかしずっとここにいて、町に出る時は買い出しばかりである。自分の食費も家賃もかからないし、風呂にも入れる。町は遠いから娯楽に金を使い様もない。給金がなくてもなんらの不便を感じなかったゆえに、今まで気づかなかった。
トーリは頭を掻いた。
「まあ、いいよ。今んとこ、金あっても使い道ないしな」
「どいつをぶっ殺すの? ボク、手ごたえない相手は嫌だなー」
「人間の賞金首では大して面白くもなかろうな。犯罪魔族はおらんか」
「あ、この子可愛いわねえ。お姉さん、この子がいいわぁ」
トーリの事なぞ放って、魔界の住人たちは手配書を見てきゃっきゃとはしゃいでいる。女子会の様なノリだが話の内容が物騒である。
ユーフェミアが一枚取ってひらひらと示した。
「今のところ、一番額が高いのはこれ。大悪魔レーナルド」
ぴくっとトーリの眉が動いた。
「なんじゃ、こやつまだ生きとったんか」
「なになに、大量虐殺、村落破壊。あー、人間殺して悦にひたるタイプ? ボク、こういうのきらーい」
「何年か前に魔界から逃げ出した犯罪魔族だったわねぇ。ユーフェちゃん、こいつ狙うのぉ?」
「そうしよっかな。でもここ数年はあんまり動きがなくて、どこかに潜伏してるみたい……トーリ、どうしたの?」
手配書を睨んでいたトーリに気づき、ユーフェミアは首を傾げた。
「……こいつはさ、俺の仲間の両親の仇なんだ」