8.二人
種や苗が欲しいと思った。畑の草取りがおおむね終わり、納屋から出して来た鍬で粗方耕した。
ここまで来たからには、是非とも野菜を育てねばならない。昼食の片づけを終えたトーリは、ソファに座ってクッションを抱きしめているユーフェミアの前に立って、そう言った。
「だからさ、町に行きたいんだけど」
「今日もお休みしたい。いっぱい薬作ったから疲れちゃった」
と言ってユーフェミアはころんと横になった。トーリは口を尖らす。
先日依頼のあった回復の魔法薬を大量に調合し、無事に納品が終わった。戦闘よりもある意味神経を使う作業らしく、ユーフェミアはすっかりくたびれてしまい、何にもしないと宣言して、その通りに数日の間何もしていない。
「でもな、そろそろ食材も減って来てるんだぞ」
「……誰かに代わりに行ってもらう?」
「昨日から三人とも帰ってるだろうが。そんなすぐに呼び出していいのか?」
シノヅキ、スバル、シシリアの三人は、しばらくここに滞在してのんびり過ごしていたが、魔界でもそれなりの地位にいる連中だから、あまり長く空けてもおけないらしく、一旦、雑務を片付けると言って帰って行った。
ユーフェミアは寝返ってうつ伏せになる。
「でも動きたくないもん」
「あれから四日だぞ。いい加減に動いていい頃だろ」
「んー……」
ユーフェミアはもそもそと輾転反側していたが、やがて仰向けになって、トーリに向かって腕を突き出した。
「ん」
「なんだよ」
「抱っこ」
「なんでだよ」
「立たして」
トーリは呆れながらもユーフェミアを抱き上げる様にして立たしてやった。ユーフェミアはふうと息を吐いて、んーっと伸びをした。
「……んじゃ、行こ」
「おう」
それで二人して家を出た。ユーフェミアの転移魔法でたちまちアズラクまでひとっ飛びだ。
町は相変わらずの賑わいで、人も物も沢山行き交っている。
「さて、何から買うかな」
「トーリ。甘いもの食べたい。食べに行こ」
「そうだな……ちょっと店を一回りして、買う物に目星つけてからな」
それで手をつないで歩き出す。ユーフェミアはトーリとこうするのに何のためらいもない。凄く好かれているのか、それとも何とも思われていないのか、果たしてどちらなのだろうと思いつつ、ほっそりと柔らかな手の感触をトーリは堪能する。
種屋、苗屋を回り、何を買うか当たりを付けてから、目についたカフェに入った。お洒落な店である。
何だか場違いな気がしたが、横に立つユーフェミアを見ると、こういう場所にいても違和感がない。
(場違いなの俺だけかあ……)
トーリは苦笑した。
家では食べられないクリームたっぷりの焼き菓子を前に、ユーフェミアは張り切っている。相変わらずあまり表情に変化はないが、それでも嬉しそうなのはよくわかる。
「……うまい?」
「うん」
「口の周りにクリームが……だから袖で拭くな!」
トーリはナプキンを手に取ってユーフェミアの口を拭う。ユーフェミアは大人しく拭かれて、それからまた焼き菓子をたっぷり頬張り、口端からクリームを垂らした。
向かいに座るユーフェミアはとんでもなく可愛い。家でのだらしなさでつい忘れがちだが、きちんと服を着て、カフェみたいなお洒落な空間にいると実に絵になる。口周りがクリームだらけなのはあれだけれど。
こうやって見ていると、トーリは目の前の少女が“白の魔女”だという事を忘れかけた。実際忘れていた。巨大な老婆と化して、地鳴りの様な声で喋るのは夢の中の出来事の様に思われた。
そんなユーフェミアも、魔法薬を作る時は、シシリアと共に作業部屋に籠って出て来なかった。出て来た時は汚れてくたびれて、何だか萎れて見えたものだ。
「……魔法薬づくりって、やっぱり大変か?」
「効果の高いものを作るのは難しい。ちょっとした量の加減で出来が雲泥の差になっちゃう。だからとっても神経を使う。モンスター退治の方が楽」
「そうか……」
トーリはスザンナの弟の事を思い出した。
シリルというその少年は不治の病と診断され、高価な魔法薬を投与されて生きながらえているという。トーリは会った事はないが、その境遇に同情し、焼き菓子やおもちゃなどをお見舞いに渡して欲しいと、スザンナに預けた事もある。
「……どんな病気でも治る薬がありゃいいのにな」
呟いた。ユーフェミアが首を傾げる。
「どうして?」
「ん、いや、前の仲間のスザンナって奴の弟が死蟲っていう病気でさ、めっちゃ高い魔法薬で症状を抑えてるけど、一生治らないんだと。それが気の毒でさ」
「……ふぅん」
ユーフェミアはお茶をすすった。トーリはふうと息をついて椅子に寄り掛かる。
「考えてみりゃ、あいつらは皆事情があるんだよな……なのに俺は俺の事だけしか考えてなかったわ。あいつらの事情も考えずに俺の事優先して欲しいなんて、身勝手だよなあ」
「事情?」
「ああ」
三人は銘々に事情を抱えていた。
アンドレアは、両親を殺した仇のモンスターを追っている。正体はわかっているが、わかっているぶん、自分の実力不足を知っている。だから力が必要なのだ。
ジャンは亡き師と共に開発していた魔法を完成させる為、高難易度のダンジョンに潜って、必要なアーティファクトを見つけ出す事を目標としている。その為、実力のあるクランに所属している必要がある。
スザンナは、先述の通り弟の治療費を毎月払っている。希少で高価な薬が必要なので治療費はかなり高く、白金級の冒険者であるスザンナであっても、収入の多くは持って行かれるのだ。クランを辞めては治療費が払えなくなってしまう。
「今となってはもう俺の出る幕もないけど……あいつらの目標が叶うといいなあ」
ユーフェミアはふむふむと頷いて聞いていた。
「そうなったら、トーリは嬉しい?」
「ん? まあな」
「他人の事なのに?」
「頑張りを知ってるから、応援したくなるんだよ。ま、俺はちっとも手助けしてやれなかったけどな。世話してやってたなんて自惚れてたけど、考えてみりゃ家事なんか俺じゃなくってもできるんだし」
「わたしはできないよ?」
「お前は……まあ、うん」
トーリは苦笑しながら、残った紅茶を飲み干した。
ユーフェミアに雇われてからしばらく経つが、初めのうちにあった冒険者への未練というのが、次第に薄れているのをトーリは感じていた。おそらく、今の生活がトーリにとっては楽しいものになって来たのもあるだろう。
今となっては、仲間たちの事情を冷静に考える事が出来るし、そうなると、うまくいって欲しいと願う事さえできる。
おやつを済ました二人は、カフェを出て、買い物に行く。
甘いものをたらふく食べたユーフェミアは幸せそうに目を細めている。眠そうだ。トーリの腕を抱く様にして体重をかけ、おぼつかない足取りでぽてぽてと歩いている。
(これじゃ荷物も持たせられんなあ……)
四苦八苦しつつも苗や種を買い、持てるだけの食材も買って家に帰った。帰るやユーフェミアはさっさと寝室に入って行く。
「寝るのか?」
「うん。夕飯できたら教えて」
ぱたん、と扉が閉まった。トーリは肩をすくめて、家の外に出た。
早速畑に苗を植えて行く。ちょうど夏野菜の植え付けに良い時期だ。野菜がたわわに実る様になれば、食事の彩りが増すだろう。
冒険者として村を出て以来、畑なんて久しぶりだとトーリは思う。
こういうのが嫌で村を飛び出したのだが、結局こういう事が自分の性に合っているらしい。何とも片付かない気分だけれど、今の仕事をするしかない。
さほど時間もかからずに苗を植え、水をまいた。葉についた水滴に西日が照ってきらきらする。もう夕飯の支度をする時間だ。
一日の仕事は基本的に繰り返しである。三度の食事を用意し、掃除と洗濯をする。
畑の片づけは済んだし、次は鳥小屋か納屋でも修理しようか、とボロボロの鳥小屋を見た。金網はサビて破れ、柱は腐って折れかけている。そこに草が茫々と生え、蔦が好き放題に絡みついていた。修理というよりも建て直した方が早そうな状態だ。
野菜が採れて、鶏から肉と卵が採れる様になれば、かなり楽だ。
(そういや、俺、いつまでユーフェに雇われるんだろ?)
家の掃除は終わった。そういう意味では仕事は済んだ様にも思われるが、ユーフェミアは世話をして欲しいと言っていた。
「終身雇用……って事なのかなあ」
ここで家事や菜園をこなしながら、ユーフェミアや召喚獣たちの世話をして暮らす。それも悪くはない。意地を張って足掻いた所で冒険者としての道はもう選べそうもない。そもそも、モンスター退治やダンジョン探索などは、体力の面からも気力の面からも、若いうちでなければいけないだろう。
そういう意味でも、ここで暮らすというのは安定している。何となく気持ちが片付かないのは、まだ慣れていないからなのだろうか。
何となく悶々とした気分で家に入り、いつもの様に夕飯の支度を始める。
この家の台所にも慣れて来た。しかし薪が少なくなり出している。風呂の燃料も必要だし、どこかで薪も調達しなくてはならない。
妙に家の中が広い。ユーフェミアは寝室だし、シノヅキもスバルもシシリアもいないから、要するにトーリ一人だ。やかましい連中ばかりだが、いないといないで何となく寂しい。
日が落ちて、じっくりとローストしていた肉が焼き上がる頃、ユーフェミアが出て来た。
「いいにおい」
「お前、いいタイミングで起きるなあ」
豆のスープと炙り肉、それにパンとチーズの夕飯である。
食卓に向き合うと、こうやってユーフェミアと二人きりでこの家にいるのが、何だか不思議に思われた。家が綺麗になってからは、魔界の幻獣たちも一緒にいたので、二人きりは何だか新鮮である。
「おいしい」
ユーフェミアは幸せそうに肉を頬張っている。
「ユーフェはさ、俺が来る前は何食ってたわけ?」
「お芋。あと町に行ってパンとかお菓子も買ってた。それからたまにお料理してた」
「何ぃ? お前料理できたの?」
「うん。切って茹でて、お塩かけて食べる。お肉は炙る」
「ああ、成る程……料理?」
一応台所に食材はあった。まったく料理をしないわけではないだろうと思っていたが、茹でて塩で食べていただけだったらしい。
「そういや、掃除の時にダークマターみたいな物質が鍋に入っていたが……」
「あれは失敗。ちょっと焦がした」
「ちょっとってレベルじゃねーぞ!」
ユーフェミアはなぜかドヤ顔である。勝手にしろ、とトーリは自分の皿に向き直った。
夕飯を終え、トーリは寝室に逃げようとするユーフェミアを捕まえて風呂場に放り込んだ。
「出してー」
「だめ! 洗わないでもいいからせめて湯に浸かって体を温めなさい!」
ユーフェミアは観念したらしく、中からじゃばじゃばと水音が聞こえて来た。やれやれと思いながらトーリが食器を片付けていると、びしょ濡れのユーフェミアが風呂場から出て来た。
「トーリ、タオル。着替えもない」
「うおおっ!」
トーリは大慌てで乾いたタオルを広げ、ユーフェミアを包む。ユーフェミアは包まれただけで動かない。髪の毛からぽたぽたと水が垂れる。
「あーあー、もう」
トーリはユーフェミアに後ろを向かして、髪の毛をわしわしと拭く。その勢いでユーフェミアがよろめいた。
「うにゃにゃ」
「暴れるなって」
「もっと優しく」
「文句言うな」
ユーフェミアは頬を膨らまして、肩越しにトーリを見返った。
「洗ってくれた時はもっと優しかった」
「そりゃお前……というか、あんまし男に軽々しく裸を晒すんじゃねえよ、恥ずかしくないのか?」
「トーリ相手なら恥ずかしくないよ」
「うぐっ」
前も言われた。どういう意味なのかと考えるけれど、まとまらない。
「お、お、お前さ、そういう勘違いしそうな事、言われちゃうと、俺、あれなんだけど?」
「勘違い?」
「そ、そ、そう。お、俺の事、すすす、好きなんじゃないか、とか」
やべえ、言ってしまった、とトーリは青ざめる。ユーフェミアはきょとんとした。
「好きだよ?」
「うおい! なんでだよ! 俺が好かれる要因、あるのか!?」
「お料理上手。お掃除してくれる。お世話してくれる。褒めて撫でてくれる。大好き」
「だ、打算的……! いやでも、間違ってない、のか……?」
唸るトーリに、ユーフェミアは寄り掛かった。服に湯がしみ込んで来る。
「母様がね、言ってたの」
「え?」
〇
「うぐ……ユーフェ、聞きなさい。母様は大事な事をお前に教えておきます」
「はい母様」
「いい事? 魔女というのは基本的に魔法の事以外は駄目なもの。母様もそうだったわ。日々実験と製薬、魔法の鍛錬に打ち込んで、家事は絶望的……家は散らかり放題。手の込んだ食事なんて望むべくもなかった!」
「知ってる」
「だからこそ! そういう事が得意な男を見つけたら、何を置いても自分のものになさい! 知識、財力、魅力、すべてを利用してつなぎ止めるのよ! 母様もそうやって父様をゲットしたんだから!」
「へえー」
「ユーフェ。あなたは母様に似てとっても可愛い……その気になれば男なんてイチコロよ! いざとなれば肉体美を使いなさい、肉体美を。男は既成事実と責任という言葉に弱いんだから。いい事? この母様の言う事を、忘れちゃ、駄目、よ……うぐっ、ぐぅえ。ぐおおお、もう限界!」
「母様!? 駄目! しっかりして!」
〇
トーリは神妙な面持ちで、ユーフェミアの肩にタオルをかけた。
「だいぶひどいが……それが、お母さんの遺言だったのか」
「え? 違うよ? 二日酔いで吐きそうだったの。寝床で吐かれちゃ困るからわたしも大慌て」
「何だよ紛らわしいな! え? じゃあ、お母さんご健在なの?」
「うん。今は父様と一緒に魔界に住んでるよ」
「魔界!? 人間なのに!?」
「母様は人間。父様は上位魔族なの」
「お前半魔族だったの!?」
色々と衝撃の事実が暴露され、トーリは頭がくらくらした。ユーフェミアの規格外の実力も、半魔族だという事ならば確かに納得出来る。
(というより、上位魔族に家事やらせてたんかい、お母さん!)
この母にしてこの娘あり、である。しかし自分もフェンリルやフェニックスに荷物持ちをさせていた事には考えが至らないトーリであった。
ユーフェミアはタオルで顔を拭った。
「トーリが『泥濘の四本角』で、ずっと裏方をやってるって話は、噂で聞いてたの。悪口みたいな風に言われてたけど、わたしはそうは思わなかった。料理とか掃除とか、わたしは全然できないからすごいなーって思った。でも引き抜きみたいな事しちゃうとこじれそうだから、トーリがフリーになったって聞いた時は急いで捜したの」
「そ、そうか……」
そんなに前から目を付けられていたとは、とトーリは頬を掻いた。嬉しい様な照れ臭い様な、ちょっと複雑な気分である。
「だからね、トーリにはずっと一緒にいて欲しい。わたしの事も好きにしていいよ? 肉体美だよ?」
「そういう事を軽々しく言っちゃいけません!」
「……トーリは、わたしと一緒にいるの、いや?」
ユーフェミアは寂しそうにトーリを見た。
「わたしは一緒にいたい。トーリと一緒にいると楽しい」
「……嫌じゃない。でも、それとお前をどうこうするのはイコールでつながらない。そう事を焦るなって。俺は出て行ったりしないから」
「本当? 嬉しい」
ユーフェミアは嬉しそうにトーリに抱き付いた。トーリはユーフェミアの頭をぽんぽんと撫でながら嘆息した。
「だからまず服を着ろ」
「むー」
ユーフェミアは口を尖らした。
何だかすごく重大な告白をされた様な気がするのだが、前後のつながりが唐突だったのと、雰囲気が間延びしているせいで、イマイチ実感が湧かない。とりあえず、しばらくはこのままでいいらしい、という事は何となくわかった。
しかし今はともかく、行く行くはどうなるのか。
最終的に家事担当の男と結婚まで行き着いた母親の言葉をユーフェミアが真に受けているのであれば、トーリは婿入りする事になる可能性がある。
(……バグってると思ってた距離感は意図的だったって事!?)
そこはひとまず考えない方が心の安定にはよさそうだ、とトーリは決め、ユーフェミアに下着を押し付けた。