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7.シシリア


 家の掃除が大体済んだので、今度は家の周りを片付けようとトーリは計画を立てた。

 ユーフェミアの家は、元々周りに畑もあり、納屋の様なものもある。鳥小屋らしきものもある事から、ある程度は自給をしていたのだろうと察せられた。

 しかし、現在はどの建物も荒れ果てて、畑だった所も草で茫々である。


 いいお天気である。雨上がりの朝、朝食も終えてすっかり日の光が差し、葉の上の水滴がきらきらと光る庭先に仁王立ちして、トーリは隣に立つユーフェミアに言った。


「いつからこうなんだ?」

「わかんない。来た時にはこうだった……ふあ」


 ユーフェミアは眠そうである。

 元々、ここは誰も住んでいない所だったらしい。風呂まで設えるくらいだから、ある程度は裕福な者が住んでいた様だが、いつからだか誰もいなくなり、住む者がいなくなった所に、ユーフェミアが来たという事だ。

 廃屋状態ではなかったというから、前の持ち主からさほど間を置かずにユーフェミアが入ったのだろう。


 そういえば、この辺りは地図上ではどの辺りになるのか、トーリは知らなかった。

 アズラクに出向くくらいだから近隣である事は間違いないが、詳しい事がわからない。まあ、わからなくとも当面は問題あるまい。

 トーリはひとまず畑の草取りに取り掛かった。何年も放置された畑の草は太く、根もしっかり張っていたが、枯れた草が堆積していたせいで、却って土は肥えている様に思われた。


 抜いて、どけて、一か所に集める。先日振りまいた暖炉の灰が雨に濡れて溶けかけている。

 中には野生化したハーブの大株もあったりして、そういうものは抜かずに残して、きっちりと料理に使う事にする。

 小一時間で、猫の額ほどの広さの畑が姿を見せた。まだ全体の十分の一も終わっていない。トーリは息をついて汗をぬぐった。


「まだまだ先は長いな……」


 しかしここで野菜が採れる様になれば、町へ買い出しに行く頻度も減って来るだろう。また、鶏を飼えば卵や肉も採れる。何だかんだいって買い物は時間を取られるし、行くのに一々誰かの手を借りなければいけないから、自給できるに越した事はない。


 今日も朝食をたっぷり平らげたシノヅキは、フェンリルの姿に戻って日なたで寝そべっていた。

 同じく腹がくちくなったらしいスバルは、人間の姿でそれに寄り掛かってのんびりしている。シノヅキのふかふかの毛が気持ちいいのか、表情が実にだらしない。

 ユーフェミアは家の中でソファに寝転がって目を閉じていた。又寝をしているらしい。

 働いているのは俺だけか、とトーリは思った。しかし雇われているのは自分だけであるからさもありなんとも思う。幻獣どもはどうなのかはわからないが。


 黙々と草を取る。こういった作業は嫌いではない。

 『泥濘の四本角』にいた頃も、道具の整理だとか掃除だとか料理だとか、黙々と行う作業は何度もやった。慣れもあるが、トーリの元々の性格がそうなのだろう。


(結局冒険者向いてなかったって事か……)


 十年目にして気づくとは間抜けにもほどがある、とトーリは嘆息したが、気づかぬまま無意味に冒険者を続けていても腐って行く一方だったのかも知れない。

 解雇された事自体にはやはり釈然としない思いもあるが、こうなってみるとそれも仕方がなかったのかとも思い、トーリは何となく片付かない気分だった。


 午前中いっぱい使って、結構な広さの草が取れた。まだ根だけ残っている所もあるが、後々鍬を入れれば大丈夫だろう。

 何を育てようかとトーリは畑を眺めながら考えた。

 穀類は量が必要だから、こんな狭い畑で作っても意味がない。芋は狭い面積でも収量が見込める。葉物と実物は作った方がいい。根菜も必要だ。ハーブの類も隅の方に植えておけば、ちょっとした味のアクセントに重宝するだろう。

 シノヅキが大きくあくびをして起き上った。


『ふあー、よお寝たわい。そろそろ昼飯かの?』

「食って寝て、いいご身分だなオイ、シノさんよ」

『フェンリルじゃぞ、わしは。草取りなんぞやれるかい』


 都合のいい所でフェンリル設定を持ち出しやがって、とトーリは心の中で毒づいた。

 家に入って昼の支度をしていると、またしても手紙を咥えた鳥が入って来た。手紙を開いたユーフェミアは眉をひそめる。


「また仕事か」


 と人間の姿になったシノヅキが言った。


「うん。でもモンスター退治じゃない。魔法薬を作って欲しいって」

「薬づくり? 何を作るの?」


 とスバルが言う。ユーフェミアは手紙を投げ出してふうと息をついた。


「回復の魔法薬。討伐の仕事が多くて、在庫が減ってるんだって」

「やれやれ、回復薬頼みの戦い方ばっかりしとるんか。仕様のない連中じゃな」

「ぶー、でもそれじゃボクたちの出番ないじゃん。つまんなーい」

「この前出番があったのに来なかった癖に、そんな事よく言えるねスバル」


 ユーフェミアが冷たく言い放つと、スバルは凍り付いた。えへへと取り繕う様に笑う。


「あ、あれはそのう……だ、だって、トーリのご飯がおいしいんだもん! 悪いのはトーリだよ!」

「……それはそうかも知れないけど」

「納得するな」


 とトーリは出来上がった昼食をよそいながら言った。


「しかし薬の材料はあるんかい?」


 シノヅキが言うと、ユーフェミアは首を横に振った。


「いくつかはある。でも種類が足りない。買ったり、採って来たりしないと」


 ユーフェミアは紙を一枚取って、さらさらと材料の一覧をしたためた。


「この辺は森で集められる。これはモンスターの素材だから、倒して来なきゃ。この辺りは町で買う」


 リストは紙一枚を埋め尽くしている。結構な種類と量が必要らしい。

 クリームソースのパスタを食べながら、ユーフェミアは言った。


「結果的にモンスター退治も必要。シノとスバルはわたしと一緒に来て」

「ええぞ」

「はーい。今回はいっぱい働くぞう!」


 ソースを拭う用のパンを焼きながら、トーリは口を開いた。


「じゃあ、午後から動くのか?」

「うん。緊急依頼で納期が早いの」

「忙しいなあ。というかお前、また口の周りが……袖で拭くな!」


 トーリはパンを置き、タオルを手に取ってユーフェミアの口元を拭いてやった。ユーフェミアは目を閉じて大人しく拭かれる。

 素材のリストを見ながら、トーリは眉をひそめた。


「多いな……集めきれるのか?」

「手分けして集める。シノとスバルにはわたしを手伝ってもらうから……」


 ユーフェミアが手を掲げると、寝室から杖が飛んで来て手に収まった。そのまま何か詠唱すると魔法陣が広がって輝く。そうしてまた何かが出て来た。


 女だった。青黒い癖のある長髪の上から、ユーフェミアと同じ様な大きな三角帽子をかぶり、ローブをまとっていた。そのローブも無暗に露出が多く、特に胸元などはほとんど開いていて、シノヅキ以上にボリュームのある胸が尋常ではなく存在を主張している。

 そうして肌の色は青白く、目の白と黒が反転していた。つまり白目が黒く、黒目が白いのである。その特徴から、一目見て魔族だとわかる。

 女はすとんと床に降り立つと、両腕を広げて満面の笑みを浮かべた。


「ユーフェちゃん、久しぶりに呼んでくれたわねえ。シシリアお姉さんに何か御用ぉ?」

「回復の魔法薬を頼まれたの。だから手伝って欲しい」

「あらあら、そんな事ぉ? いいわよぉ、アークリッチのお姉さんには朝飯前。どーんと任せてちょうだぁい」


 シシリアはドヤ顔で胸を張った。たゆんと揺れた。


(アークリッチ……マジかよ)


 悪魔族に属し、例外なく強力な魔力を持ち、行使する魔法の数は千を下らぬという、魔界の賢者と呼ばれる一族である。そんなものまで使役するとは、やはりユーフェミアはちょっと只者ではない。


「シノとスバルも久しぶりねぇ。元気ぃ?」

「おう、変わりないぞ。魔界でもおぬしとはちっとも会わんな」

「もぐもぐ!」


 スバルは口いっぱいに食べ物を頬張っていて喋れていない。シシリアは部屋の中を見回し、テーブルの上の昼食を見て、おやおやという顔をした。


「ユーフェちゃん、とうとう引っ越したのぉ? ご飯も随分おいしそうなの用意しちゃってぇ」

「ううん。同じおうちだよ」


 ユーフェミアが言うと、シシリアはからからと笑った。


「もー、ユーフェちゃんったら、お姉さんをからかっちゃやーよぉ」

「からかっとらんぞ。マジで片付いたんじゃ」

「トーリおにいちゃんのおかげでね。にしし」

「その設定まだ続いてんの?」


 ここでようやくシシリアの目がトーリに向いた。「わあ」と言って口元に手を当てる。


「かーわいい! どうしたのぉ、この子?」

「か、かわいい……?」


 初めて言われた言葉にトーリは困惑した。

 シシリアはにこにこしながらトーリの顔を覗き込む。背はトーリよりも少し高い。そのせいか、年上の女性に見下ろされている様な気分になる。

 ユーフェミアは皿のソースをパンでぬぐった。


「この人はトーリ。わたしに雇われた。トーリ、こっちはシシリア。わたしと契約してるアークリッチ」

「初めましてぇ、シシリアでぇす。仲良くしてねぇ」


 とシシリアは両手の人差し指を頬に当てて、きゃぴっ☆とポーズを取った。


「ど、どうも、トーリです……え、じゃあ、この人が素材集めを?」


 ユーフェミアは頷いた。


「そう……それでね、町で買える素材もあるから、シシリアに送ってもらって、トーリには買い物をして欲しいの」

「ああ、そういう事か……まあ、それくらいはいいよ」

「わあ、若い男の子とデートできるなんて、お姉さん嬉しいわぁ」

「……手を出したらもう二度と呼んであげないからね」


 ユーフェミアの一言に、シシリアは冷や汗をかきながら苦笑いを浮かべた。


「だ、出さないわよぉ……」

「それにおぬしは素材集めじゃろうが。トーリと町をぶらつく暇なぞなかろう」

「そんなぁ。それじゃあ何にもならないじゃないのぉ」


 と、シシリアが身をくねらせると、スバルがはいはいと手を上げた。


「シシリアの代わりにボクが送ってあげてもいいよ! それからユーフェたちに合流すればいいじゃん!」

「スバルは前科持ちだから駄目。どうせトーリのご飯につられる」

「あうう」


 スバルはもじもじと手を揉み合わした。返す言葉がないらしい。

 シシリアがひょいと手を伸ばして、スバルの皿のソースを指でぬぐって口に運んだ。


「あら、おいしい。これトーリちゃんが作ったのぉ?」

「はあ、まあ……」


 シシリアは嬉しそうにトーリの手を取った。


「嬉しいわぁ、魔界の食事って味気ないのよぉ。お夕飯、期待してるわねぇ」

「は、はあ……」

「シシリアもめっちゃ食うからな。気合入れて作るのじゃぞ」

「マジで?」

「マジよぉ。このわがままボディを維持する為なのよぉ?」


 シシリアは前かがみになって、むっちんむっちんの胸を寄せる様なポーズをした。

 また作る飯の量が増えるのか、とトーリは引きつった笑みを浮かべた。


 昼食の片づけを終え、銘々に支度を整えて家の外に出た。シノヅキとスバルがむくむくと大きくなって、本来のフェンリルとフェニックスの姿に戻る。


『よーし、行くぞ! わははは、腕が鳴るわい!』

『あー、やっぱこの恰好の方が落ち着くー』


 スバルは大きな翼を広げて伸ばしている。

 いつもの“白の魔女”と化したユーフェミアが、スバルの背に乗る。


『トーリ、シシリア、こちらは任せたぞ。ややもすれば明日にずれ込むやも知れぬが、心配は要らぬ』

「え。じゃあ晩飯どうする?」

『……うぬの努力に期待する』

「おい!」


 飛んで行ってしまった。こうなれば、明日まで置いておけるメニューを考えておかねばなるまい、とトーリは腕組みした。


「まあ、煮込みかな……」

「うふふ、やっと二人きりになれたわねぇ」


 とシシリアがトーリの肩に手を置く。トーリはギョッとしてそれとなく離れた。シシリアはくすくす笑う。


「そんな怖がらないでぇ? そりゃ、人間の男の子はだーい好きだけど、ユーフェちゃんのお気に入りに手を出すほど短慮じゃないわぁ」

「は、はあ……」

「あ、でもトーリちゃんの方から手を出して来るなら、拒む理由はないわよねぇ?」


 とシシリアは体を抱く様にして妖艶な笑みを浮かべる。胸の谷間やくびれた腰、ボリューミーな尻などに視線が吸い寄せられるが、負けてたまるか! とトーリは却って決意を固くした。


 シシリアの転移魔法は、ユーフェミアのものと遜色がない。一瞬でアズラクに辿り着く。


「ありがとうございます。そんじゃ、買い物して来るんで、夕方頃に迎えに来てもらえたら……」

「あらぁ、そんな面倒な事しないで、二人でさっさと済ましちゃいましょうよぉ。そんなに種類も量もないんだから」

「でもシシリアさんは他に集めるものがあるんでしょ?」

「お姉さんにかかればすぐすぐ。ね、いいでしょ、トーリちゃん? おねがぁい」


 と腕にしなだれる様に抱き付いて来る。意識しなくとも胸の感触が伝わって来て、トーリは泡を食ってシシリアを押しのけた。


「わわわ、わかりました! でももうちょっと離れて!」

「んもう、いけずぅ」


 とシシリアはくすくす笑っている。からかわれているのか何なのか、手玉に取られている様で釈然としない。しかし彼女に手玉に取られない男なぞいるのだろうか、とトーリは自分に対して弁明した。

 しかし、一緒に町を行くには、シシリアの肌色と目は特徴的過ぎる。魔族は地上においそれと現れないから、ほいほい現れれば大騒ぎになるだろう。そんな風に注目を集めたってどうしようもない。


「シシリアさん、その目と肌色、何とかなりません?」

「あっ、そうだったわねぇ。ちょちょいのちょい、っとぉ」


 とシシリアが指を振ると、死人の様に青白かった肌には血色が出て赤みが差し、白目は白く、瞳は綺麗な緑色になった。アークリッチの時も美人だったが、こうしてその特徴がなくなってみると、人間としてもとんでもない美人である。一緒に歩くのが気が引ける様に思われ、トーリは思わず自分を見て顔をしかめた。


「それじゃあ、行くわよぉ」

「は……」


 楽しそうに歩き出すシシリアの後を、トーリはのそのそとついて行った。何だか貴族のお嬢様と使用人といった風である。

 薬草屋、魔道具店、魔法素材取扱店、鉱石屋など、あちこちを回って材料を買い集めた。シシリアは流石に詳しく、質の良し悪しを即座に見抜いて、良いものばかりを買い揃えた様だ。


 シシリアの端麗な容姿と肉感的な体、それを包む扇情的な服装は嫌でも目を引き、店では勿論、町を歩くだけで視線を感じた。一緒に歩いているせいで勘違いされたのか、ひそひそ声で釣り合わないだの、男の方は冴えないだのと聞こえた。

 歩くだけでここまで色香を漂わせるとは、シシリア恐るべしである。


 ともかく、これ以上一緒に街を歩いていては妙な噂が広まりそうだ。既に手遅れかも知れないが、買い物が済んだ以上是非帰らねばならない。

 路地裏に逃げ込んだトーリは、シシリアの転移魔法で家へと戻った。


 戻るとどっと疲れが出た。


「どうしたのぉ、トーリちゃん?」

「いや、別に……」


 日は傾き出して、日差しが重い。買って来た荷物をユーフェミアの作業室の前に置いておく。もう食事の支度をしてしまって、風呂でも沸かそうかと思う。

 野菜を刻んでいると、後ろでシシリアがにこにこしながら見ているのに気づいた。


「シシリアさん、素材集めに行かないでいいんですか」

「まだ平気よぉ。それにしても手際がいいわねえ、うふふ」

「ちょ、包丁持ってるから!」


 怪しげな手つきで肩を撫でて来るシシリアに、トーリは慌てた。


「……一々エロい雰囲気出さないでくださいよ。なんかシシリアさん、アークリッチというよりサキュバスみたいですよ」

「あらぁ、よくわかったわねえ」

「は?」

「わたしのお母様は夢魔族の出なのよぉ」


 とシシリアは唇に手をやって、うふふと笑った。こんな劇薬と二人きりにしやがって! とトーリは頭を抱えた。

 散々トーリをからかって満足したらしいシシリアは、ようやく素材集めに出かけて行った。やっと気が楽になったぞ、とトーリは清々しい気分で料理を続ける。


 ユーフェミアたちが帰って来るのが今夜なのか明日にずれ込むのか判然としないので、どちらでも対応できる様にしておく。

 細かく刻んだ野菜と茸を色づくまで炒め、それを鍋に移す。何回か炒めて鍋半分くらいになったら水を入れて、ハーブを何種類か加えて火にかける。

 その間にフライパンで大きめに切り分けた肉の表面をこんがりと焼き、それも鍋に移す。フライパンに酒を入れて旨味をこそぐのも忘れない。灰汁を取りながら煮込み、トマトの水煮を潰して加え、ぐつぐつと煮詰める。

 そうして小麦粉で生地を練って寝かしておく。あとは帰って来たタイミングで生地を切って茹でて、煮込みをかけて食べればよい。


 風呂に水を張って焚き口に火を入れ、乾いた洗濯物を畳んでいるうちに外が暗くなり出した。

 まだユーフェミアが帰って来る気配はない。

 これは明日になるのか、と思っていると扉が開いて、シシリアが入って来た。


「ただいまぁ、トーリちゃん」

「お帰りなさい。あれ、素材は?」


 シシリアは手ぶらである。


「ちゃあんと採って来てるわよぉ? いらっしゃい」


 シシリアがそう言うと、外から四本足の骸骨が何匹も列をなして入って来た。犬か何かの骨らしい。それが籠を背負っていて、中には薬草や木の皮、茸などが満載されている。


「すげ……死霊魔術って奴ですか」

「うふふ、アークリッチの得意技よぉ。あ、とってもいいにおいしてるぅ」


 シシリアは鍋の前に立ってふんふんと鼻を鳴らした。


「先に飯食っちゃいますか。ユーフェたちはいつ帰って来るかわかんないし」

「あら、いいのぉ? 嬉しいわぁ」


 とシシリアは帽子を脱いで、食卓の椅子に腰を下ろす。

 そういえば、食卓の椅子が四脚しかない。今はいいけれど、全員が揃うとトーリも含めて五人だから座り切れない。

 椅子がもう一脚必要だな、と思いながら、トーリは寝かした生地を切り分けて麺にし、さっと湯がいて煮込みをかけた。

 シシリアは早速一口頬張って、ぱあっと表情を輝かした。


「おいしーい!」

「そりゃ何より」

「ユーフェちゃんに呼ばれる様になってから、こんなにおいしいもの初めて食べたわぁ」


 あいつ、どういう食生活してたんだ? とトーリは少し心配になった。こうなっては、今後も腕によりをかけてやらねばなるまい。

 大きめに切った肉だが、煮込まれた事で外側は溶けかけてほろほろだ。それをほぐして麺と一緒に食べると実にうまい。シシリアは大食いの前評判通り五杯もお代わりをし、皿に残ったソースもパンでぬぐってすっかり綺麗に平らげた。

 ぽんとお腹を両手で叩いて、シシリアは幸せそうに息をついた。


「はー、幸せぇ……」

「マジでよく食うな、シシリアさん」

「うふふ、だっておいしかったんだものぉ。ユーフェちゃん、いい人見つけたわぁ」


 トーリは頬を掻いた。料理を褒められるのは素直に嬉しい。

 ふと、『泥濘の四本角』で、最後に料理を褒めてもらったのはいつだったろうか、と思い出した。

 昔は仲間たちもうまいうまいと喜んで食べてくれていたのだが、白金級に上がってからはいつもかき込む様に食べて、泥の様に眠っていた。味について云々された覚えはあまりない。


「どうしたのぉ?」


 シシリアが顔を覗き込んで来た。トーリはびくっとして、取り繕う様に笑う。


「いや、ちょっとね」

「ふぅん?」

「……ユーフェ、今日は帰って来ないですかね」

「そうかもねぇ。うふふ、あの子が気になるのぉ?」

「まあ、一応……あいつ、やっぱりシシリアさんから見ても凄いですか? 魔法とか」

「そりゃそうよ~。そうじゃなかったら使役なんてされてあげないものねぇ。間違いなく天才だし、魔界でも絶対に評価されるだけの実力はあるわよぉ」


 やはりそうらしい。まあ、フェンリル、フェニックス、アークリッチと、魔界でも上から数えた方が早い強さの一族を従えているのだから当然だろう。その中に自分も入っているのだろうか、などと考えるとトーリは何だか可笑しかった。

 シシリアはいたずら気に笑う。


「それにとーっても可愛いものねぇ。トーリちゃんも、あの可愛さに釣られちゃったのかしらぁ?」

「いや、そういうわけでも……」


 とはいえ、あの巨大な老婆ではなく、可愛らしい少女だとわかったから雇われた側面もあるから、完全に否定はできない。トーリは誤魔化す様に風呂場を見た。


「あ、シシリアさん、風呂沸いてますよ。入ったら?」

「わお、お風呂まであるのぉ? あ、そうだわぁ、おいしい夕飯のお礼に背中流してあげるから、一緒に入りましょぉ?」

「ははは、こやつめ。丁重にお断り申し上げる次第でござりまする」

「まあ、つれない。そんな事言わずに入りましょうよぉ」


 そう言って腕を取った。見た目は華奢な女性なのだが、魔界の住人だから膂力が人間離れしている。


「うおお、マジかッ!」


 必死に抵抗するも抵抗にならず、トーリはずるずると引きずられて、ぽんと風呂場に放り込まれた。風呂場に入って来たシシリアは鼻歌交じりにするするとローブを脱いでいる。


「嫌よ嫌よも好きのうち~♪」

「嫌なものは嫌という言葉もありますけどおッ!?」

「まあまあ。据え膳食わぬは何とやらよぉ?」

「背中流すだけじゃなかったんですかねえッ!?」

「ええ、そうよぉ。さー、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ♪」

「いやーっ!」


 その時、「ただいまー」と声がしてユーフェミアたちが帰って来た。シシリアの動きが止まる。

 トーリはその脇をすり抜ける様にして、風呂場から転がり出た。

 シシリアはくすりと笑って、口元に指を当てた。


「ふふっ。ちょーっと、からかい過ぎちゃったかしらぁ?」


 風呂場から逃げ出したトーリは這う這うの体で、後ろ手に風呂場の扉を閉めた。中からお湯を使う音と鼻歌が聞こえて来る。

 ユーフェミアが怪訝そうに眉をひそめて立っている。


「……何やってるの?」

「俺も何と答えていいのかわかんない」


 トーリは扉に寄り掛かる様にして大きく息をついた。ユーフェミアはむうと口を尖らして、トーリにぽふんと抱き付いた。上目遣いで見上げて来る。


「シシリアに何かされた?」

「される直前だったというか何というか……いや、俺は抵抗したぞ!?」

「うん。シシリアには後でおしおきしとく……むぎゅむぎゅ」


 そう言ってユーフェミアは満足げにトーリの胸に顔を擦り付けた。なんでこいつ俺にこんなに甘えるんだろう? とトーリは首を傾げながらも、さらさらしたユーフェミアの髪の毛を撫でてやった。

 シノヅキとスバルは食卓について騒いでいる。


「あー、働いた働いた! トーリ、飯じゃ飯! 大盛りで頼むぞ!」

「ボクもー! わ、赤いシチューだ! おいしそー」

「はいはいはい。ユーフェ、飯食うだろ?」

「うん。お腹空いた」



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― 新着の感想 ―
[一言] 今作はお色気描写が多いんですね。ユーフェかわいいです。
[良い点] シシリアさんがいるとノクターンの匂いがしてきますな?w [一言] 門司先生の料理と自然の描写本当に好き。
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