5.魔女とクラン
変身したユーフェミアは狼になったシノヅキにまたがり、トーリはスバルに乗っかって、別々の方へと出かけた。
流石にフェニックスは速い。トーリは背中にしがみつく様にして、飛ばされない様に必死だった。
「あのっ、スバルさん!?」
『は? なに?』
「町の外に降りてもらっていいですかね! 街中にフェニックスが降りて来たら、大混乱起こるんで!」
『ふーん。まあ、いいけど』
それで小一時間後にアズラクの外の平原に降り立った。
何だか今までの速度のせいで体の感覚がちぐはぐになりそうだったが、トーリは頭をぶるぶると振って、深呼吸した。スバルは退屈そうにあくびをした。
『んじゃ、ここで待ってりゃいいわけ? ユーフェのトコ行きたいんだから、早くしてよね』
「あー……できたら、荷物持ちしてもらえると……」
『はあー? このスバルちゃんに荷物持ちしろってえ? ばっかじゃないの、アンタ。大体、町にフェニックスが行ったら大騒ぎになるって言ったのはアンタじゃん』
「シノさんは人化して手伝ってくれましたけど」
『そんなの知らないよーだ』
「そうすか。手伝ってくれた方が早いんだけど……まあ、できないなら仕方ないですね」
トーリが何気なく言うと、スバルは怒った様にくちばしをかちかちいわした。
『誰ができないって言ったんだよ! 見てろ!』
そう言うや、全身の羽根が逆立つ。そうしてぶわっと舞い散って渦を巻き、収縮したと思うや、そこには十歳くらいの燃え立つ様な赤毛の女の子が立っていた。
スバルはふふんと自慢げに胸を張る。
「どうだ!」
「ちっさ!」
「んなっ!? ちっさいって言うな!」
「というか服!」
例によって素っ裸である。トーリは慌てて自分の上着を着せて前を閉めた。これはこれで却って危ない様にも見えるが、裸よりはいいだろう。最初に服屋に行った方がよさそうだ。
スバルはだぼだぼの袖を振りながら顔をしかめている。
「でっかいし、ごわごわしてるし」
「すんませんね。服屋に行くまで我慢してください」
「あと変なにおいするし」
「しません!」
それでトーリとスバルは町に入った。目についた服屋に入って、服を見繕って欲しいと頼むと、変な顔をされた。
「……失礼ですが、どういったご関係で?」
「う……い、妹です。兄妹です。な、スバル?」
「は? ……そ、そうでーす。スバルとトーリおにいちゃんは仲良し兄妹!」
スバルは、きゃるん☆とポーズをとった。店員はまだ怪訝な顔をしていたが、何も言わずに服を持って来てくれた。白いチュニックに紺のキュロットスカートである。
それで店を出た。トーリはかくんと肩を落とした。
「今のだけで超疲れた……」
「元気出しておにいちゃん☆」
「……それ、もういいんですけど」
「えー、なんか楽しいじゃん。にしし、ほらほら、買い物してさっさと帰ろっ」
それでようやく本来の用事に入った。トーリが色々と買い込むのに、スバルはいちいちこれは何にするのかとか、あれは買わないでいいのかとか、あれこれ口を出す。
「これは焼くんですよ」
「こっちは?」
「これも焼くんですよ」
「焼くばっかじゃん!」
「調理法にそんなに種類はないんですぅ!」
「ボクの炎で焼いてあげようか? 高火力だよぉ?」
「それはモンスター相手にしてください」
「……ねえ、敬語とか要らないよ。おにいちゃんなんでしょ? もっと気楽に付き合おうよー」
「え、そう? まあ、そう言うなら……」
シノヅキといいスバルといい、魔界の住人は意外にフランクである。
もたもたしながらも買い物を続けるうちに、荷物が増えて来た。スバルは見た目は十歳程度の少女だが、フェニックスなので力は強いらしく、食材が満載になった木箱を担いで平然としていた。
「すげえな。流石はフェニックス」
「にしし、そうでしょー。あれー? トーリおにいちゃんは大人の癖に力がないんだー。やーい、ざこざーこ」
「……雑魚だって一生懸命生きてるんだよ……」
「えっ……あ、ごめん……」
重そうな木箱を子どもが引っ担いでいるから、道行く人々の視線が少し痛い。ひとまず必要なものは揃ったので、トーリは町を出て、フェニックスの姿に戻ったスバルに乗って帰った。
帰って、家で食材をしまい込んでいると、再び少女の姿になって家に入って来たスバルが素っ頓狂な声を上げた。
「なんじゃこりゃーっ!」
「なんだよ、驚くだろ」
「えっ? ここユーフェの家だよね?」
「そうだよ。めっちゃ掃除したんだよ」
「やっば! アンタがやったの!? うひゃー!」
スバルはソファに飛び込んでごろりと仰向けになった。ぱたぱたと足を動かす。
「あの掃き溜めがこんなくつろげる空間になるなんて、おにいちゃんすごーい!」
「はいはい、どーも。てかスバル、お前ユーフェのトコ行くんじゃないの? 遅れるぞ」
「あの食材がどうなるか気になるんだもーん。何か作ってみてよ、ほらほらー」
偉そうである。トーリは肩をすくめて、冷蔵魔法庫に肉の塊をしまい込んだ。
明後日まではそこまで手の込んだ料理をする予定はなかったのだが、スバルがいるのでは少しはうまいものを作ってやった方がいいだろう、と魚を一尾ぶつ切りにして軽く塩を振り、小麦粉をまぶす。
「それ焼くの?」
「いや、揚げる」
多めの油で揚げ焼きにし、別の小鍋で塩漬けの小魚と香味野菜、水煮のトマトなどでソースを作って、揚げた魚にからめた。皿に盛って、蒸かした芋とパンを添えて出す。
「わー、何これ?」
「何だろう……名前はないけど、飯だ」
「どれどれ。あちちっ!」
とスバルは手づかみで食おうと魚に触り、驚いて手を引っ込めた。
(フェニックスが熱がっている……)
火を司る魔鳥ではなかったのだろうか。
まあいいや、とトーリはフォークを手渡した。
スバルはシノヅキと同様に食器の扱いに慣れていないらしく、握る様な持ち方でおっかなびっくり揚げた魚を刺し、大口でかぶりついた。
「あふっ! んんっ、ふっ、はっはふ! んまっ!」
「一度にそんな頬張る奴があるか! ああ、こぼれてるこぼれてる!」
トマトソースが顎から垂れて、白いチュニックを汚す。トーリは大慌てでタオルを持って来た。
スバルは気にせずむしゃむしゃ咀嚼している。目がきらきらしている。
「めちゃうま! もっとちょうだい! これもらうね!」
「それ俺のぉ!」
「いいじゃん、お願いおにいちゃーん。いいなあ、ユーフェもシノも、こんなん食べてるんだー。もぐもぐ」
とスバルは嬉しそうにソースの乗ったパンをかじっている。
しまった、下手にうまい飯なんぞ食わせず、ふかした芋だけ食わして行かせればよかった、とトーリは後悔した。これではシノヅキだけでなく、スバルまでここに居座って毎食食う事になるではないか。
『泥濘の四本角』時代に、くたびれて帰って来る仲間の為にと、料理を作るとなるといつも気合を入れていた事を思い出す。
自分一人の為ならばいくらでも手を抜いていたが、食わせる相手がいるとなると、トーリはどうにも手抜きが出来ない。
これも因果と諦めて、トーリは著しく減った自分の食事を口に運んだ。
〇
北坑道はアズラクがまだ規模の小さい炭鉱町だった頃に全盛期を迎えていたが、次第に鉱石の出が悪くなり、貿易の要とモンスター討伐の拠点となる頃にはその役目を終えて廃坑となっていた。
入口は長く封鎖されていたのだが、その間に中にモンスターが住み着いたらしく、それが今回外に溢れ始めた事によって異常がわかったという事だ。
坑道近くの平原では、溢れて来た大蜘蛛がぞろぞろとうごめいており、それに相対する冒険者たちが、クラン単位で蜘蛛たちと戦っていた。
その中心部で前に押しているのが白金級クラン、『蒼の懐剣』である。
いくつかの白金級クランのメンバーが統合されたそのクランは明らかに他のクランと一線を画す戦力を保持しているらしく、大蜘蛛もものともせずに攻め立てた。
ギルド主導で複数のクランが統合され、戦力に隙がない新生クラン『蒼の懐剣』は、アズラクでも一、二を争う実力派のクランになっている。
会計から道具の管理まで、冒険者ギルドから専門の人員が派遣されており、その為冒険者たちは後顧の憂いなくモンスターと戦い、ダンジョンを探索した。それが結果的にアズラクのギルドを利する事になるので、支援に手を抜かない。
「押せ! 入口を確保するぞ!」
元『泥濘の四本角』のリーダーで、『蒼の懐剣』でも中心メンバーを務めているアンドレアが長剣を振りかざして叫ぶ。彼はタンク役が主だが、常に冷静さを崩さない為、指揮役を任される場面も多かった。
他のメンバーはそれに呼応し、鬨の声を上げてモンスターを蹴散らす。スザンナの双剣が素早く動いて蜘蛛の足を寸断し、ジャンの魔法が空中から降り注いで胴体を焼き尽くした。
「アンドレア、右翼組が押され気味っぽいぞ!」
とメンバーが叫ぶ。アンドレアは舌を打った。
「チッ、背後を取られると厄介だな……前進中止! スザンナ! 二班を率いて右翼組の援護に向かえ! 他はここで敵を食い止めるぞ! 右翼が持ち直したら前進を再開する!」
戦況は膠着状態であった。冒険者たちも腕利きが揃ってはいるが、大蜘蛛も数が多く、一匹一匹がタフだ。しかも子蜘蛛も混じっていて、予期せぬところから牙を剥いて飛びかかって来たりする。
その時、空から影が差した。次いで、白い光弾が雨あられと降って来る。それは正確に蜘蛛ばかりを撃ち抜き、坑道から攻め寄せていた蜘蛛の数を瞬く間に減らした。
「こ、これは……」
「来た! “白の魔女”だ!」
誰かがそう言って空を指さす。目をやれば、宙を駆けるフェンリルにまたがった大柄な魔女が、赤い瞳で眼下を睥睨していた。
アズラク最強の冒険者“白の魔女”。『蒼の懐剣』のメンバーたちも、その実力に呆気に取られて思わず動きを止める。
フェンリルは地響きと共に着地した。そうして恐ろしい吠え声を上げて、蜘蛛たちに襲い掛かる。魔界の戦士の恐ろしさに、大蜘蛛たちも泡を食ってわらわらと逃げている。
「……戦況が一気に変わったな」
「ええ。彼女が来ただけなのに」
アンドレアもジャンも、半ば諦めのこもった声で呟いた。自分たちも白金級という最上級の格付けのクランである自負はあるが、“白の魔女”だけは別格だ。
フェンリルは蜘蛛をたちまち蹴散らし、坑道の入り口までの道が開けた。魔界の幻獣を、中でもフェンリル族の様な上位種を使役できる魔法使いは、片手で数えられるだけしかいない。
坑道の中の蜘蛛は“白の魔女”に任せるというのがギルドの方針だ。そうして外に出て来た蜘蛛を他の冒険者が仕留める。
アンドレアは長剣を鞘に収めた。
「まったく、出る幕がない。あとは消化試合だな」
「規格外にもほどがありますね」
ジャンも苦笑する。
ふと、“白の魔女”が振り向いた。恐ろしい形相をしている。視線がアンドレアたちに向き、『泥濘の四本角』は思わず凍り付いた。
こちらを見たのはただの気まぐれと思ったが、そうではなかった。“白の魔女”が大股で近づいて来ると、アンドレアでさえ息を呑んだ。比較的大柄な戦士であるアンドレアよりも、魔女は縦にも横にも大きい。
間近で見ると、魔女の威圧感は半端ではなかった。全身から魔力が溢れている様だ。
白い髪に、純白のローブと三角帽子と全身白いのだが、雰囲気は恐ろしい。実力者揃いの『蒼の懐剣』のメンバーだが、誰もが恐怖に震えて黙っていた。
「……な、何か?」
アンドレアは勇気を奮い、小さく震えた声でそう言った。
『うぬらが『泥濘の四本角』、か。いや、今は元、であったな』
声は低く、重厚で恐ろし気に響いた。腹の底を掴まれる様な声だった。
アンドレアは青ざめながらも頷く。向こうに認知されていたというのが、喜んでいいのか悲しむべきなのかもわからない。
「そ、そうだが……」
『トーリは、我が預かった』
トーリを知るメンバーたちはギョッと表情をこわばらせた。スザンナが緊張気味に前に出て口を開く。
「あ、あの、それって、どういう事?」
『そのままの意味である。元仲間のうぬらには、伝えておくのが礼儀だと思ったのでな』
「と、トーリをどうしてるんですか!? む、無理やりに連れて行ったわけじゃないですよね!?」
スザンナは怯えながらも言葉を紡ぐ。他のメンバーが慌てている。“白の魔女”は「ふむ」と言って顎を撫でた。
『初めは強引だったかも知れぬ……しかし、今では奴もすっかり慣れた。我も頼りにしている次第だ。あの男は只者ではない。魔窟と呼ばれた我が家の管理は奴にしかできぬ』
『蒼の懐剣』のメンバーは息を呑む。あの“白の魔女”をして、そこまで言わせるとは、トーリとはいったい何者なのだろう、とトーリの事を知らぬメンバーは囁き合った。
『……我は坑道の中を任されている。失礼するぞ』
それだけ言って、“白の魔女”は踵を返した。既に蜘蛛をせん滅していたフェンリルと共に、坑道の中へ入って行く。
立ち尽くしていた元『泥濘の四本角』の三人は、困惑気味に顔を見合わせた。
「トーリ……まさかそんな事になっていたなんて」
「どういう事なんだ? あいつ、そんなに強かったか?」
「ううん……悪いけど、やっぱりトーリは弱かった、と思う……」
そこに『蒼の懐剣』のメンバーがわっと詰め寄せて来た。
「おい、どういう事だよ!」
「“白の魔女”があそこまで信頼を置く奴が、お前らの仲間だったのか!?」
「なんでここにいないんだよ!」
質問攻めに、元『泥濘の四本角』のメンバーはうろたえた。アンドレアが困惑しながらも説明する。
「い、いや……クラン統合の際に、実力不足でこっちに参加できなかったんだ。それはギルドの意向でもあった」
「ウッソだろ、お前! “白の魔女”の家を守ってるって今言ってたよな!?」
「“白の魔女”は魔界に住んでるって噂があるぞ」
「そうでなくても、きっと周囲にやべえモンスターが溢れてる場所に間違いねえよ!」
「大体、今あいつ自身が魔窟って言ってたよな?」
「まさか、家そのものが高難易度のダンジョンみたいなもんなんじゃ……」
「そんな所の守りを任される奴が実力不足とか絶対嘘だろ!」
“白の魔女”はそのプロフィールのほぼすべてが非公開であるゆえに、様々な憶測が飛び交っていた。
住んでいる場所にしても、魔界、魔境の奥の奥、モンスターと貴重な素材の溢れている地、霊峰の頂上、大鉱脈の最深部、失われた秘境の廃神殿など、人々は勝手に想像して噂し合った。
また正体に関しても、脈々と継がれて来た魔法の大家の末裔だとか、両親が魔界の住民だとか、魔王が親類にいるとか、果ては彼女自身が魔王だとか、色々言われている。
ともかく、正体不明でプライベートが一切わからないが故に、畏怖され続けているのである。
その“白の魔女”が頼りにしている。自らが『魔窟』と称した家の管理まで任されている。そんな男が只者である筈がない。
アンドレアはジャンとスザンナを見た。
「……信じられない、が」
「ぼ、僕もです。けれど“白の魔女”がわざわざ嘘を言うでしょうか?」
「トーリ……ホントはすごく強かった、とか……?」
実力を隠し、裏方に徹していたとしたら? しかしそんな事をする理由がわからない。偉そうにしていた自分たちを腹の底で馬鹿にして楽しむ為? しかしそんな風には思えない。
少なくとも、トーリは嫌な奴ではなかった。戦闘では役立たずだったが、他の事は一生懸命にやってくれていた。
だから三人はトーリの事を嫌っていたわけではなかった。ただ実力不足だけは抗い様のない事実として受け入れる他なかった。それだけだ。
だが、その実力不足が事実ではなかったら?
「……俺らの事、馬鹿にしてたんだろうか」
「そ、そんな筈ないよ! シリルの……弟の事、本当に心配してくれてたんだよ!? お見舞いにやってくれ、って焼き菓子とかおもちゃとか用意してくれたし……」
「でも……“白の魔女”に認められるだけの実力を、どうして『泥濘の四本角』では発揮してくれなかったんでしょう?」
「それは……」
「……今更言っても詮無い事だがな。俺たちはここでやって行くしかねえ」
坑道から、“白の魔女”に追い立てられて逃げ出して来た蜘蛛が何匹も這い出して来た。
考えるのは後だ。ともかく仕事を完遂せねば。
『蒼の懐剣』は陣形を整え、大蜘蛛に向かって行った。