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17.結婚式(?)


 かくしてどたどたしているうちに結婚式、というか祝いの食事会の様なものの当日になった。

 当日になってもどたどたしている。

 トーリは朝から窯に火を入れ、パスタの生地を練り、出す料理の本調理にかかりきりである。しかしあまりする事がないらしいシノヅキやスバルが、冷やかしがてらに台所に顔を出して、並んでいるソース類を勝手に味見したりしていた。

 鍋でベシャメルを掻き回しているトーリは手が放せず、怒鳴り声で威嚇した。


「コラァ! つまみ食いするんじゃねえ!」

「してないやい!」

「そうじゃそうじゃ!」

「嘘こけ! じゃあ何でミートソースが減ってるんだよ!」

「味見だよ!」

「そうじゃ! うまいのじゃ!」

「味見は俺がしてるっつーの! 飾りつけの手伝いに行け!」


 狼と鳥はのそのそと出て行った。トーリはふんと鼻を鳴らして鍋に向き直る。


「トーリ」

「あん?」


 怒り顔をやったトーリは、花嫁の姿にたちまち頬を染めた。

 涼し気な薄青のドレスを身にまとったユーフェミアは、髪の毛には花飾りをつけて、銀のネックレスを下げていた。薄く化粧もしたのか、いつもより何となく表情がはっきりしていて、とても可愛らしい。


「ドレス、これにした。どう?」

「めちゃくちゃ可愛い……」

「えへ」


 ユーフェミアは満足そうにスカートの裾を持ってくるりと回った。そうして軽い足取りで台所を出て行く。

 見惚れてボーっとしていたトーリは、鍋がぶつぶつ言い出したのにハッとして、慌てて木べらでかき混ぜた。


 屋敷の外に出たユーフェミアは、機嫌よさげに庭先を見やった。追い出されたシノヅキとスバルが、セニノマの指示で木組みの装飾を持ち上げたり組み上げたりしている。

 着工された別宅は既に骨組みが出来上がり、屋根が貼られ、壁を造る工程に入っている。セニノマはさすがに手際が良い。


 そんな別宅と本宅の間の庭を綺麗に掃除して、木陰になった所にテーブルを並べる。

 テーブルには白いクロスをかけて花瓶を飾り、食卓を囲う様に木組みの装飾に花屋で買って来た花だの、野に咲いていた花や蔦、手作りの木工細工などを飾りつけ、中々華やかな様相を呈している。

 いいお天気である。夏の盛りから日差しは少し弱まっており、日なたに立つと汗ばむけれど、木漏れ日の下にいれば涼風も相まって心地よい。

 セニノマが満足そうに額の汗をぬぐった。


「こんなもんだべ! うへへ、我ながら中々ええ感じにできただ」

「物々しくなったのう。まあ、華やかでええわいな」

「お腹空いたー。まだ始まんないのー?」


 その時、庭先に大きな魔法陣が広がった。シシリアが姿を現したと思うや、その後からがやがやと人影が出て来る。


「はーい、こちらにどうぞぉ」


 シシリアはアズラクまで招待客を迎えに行っていたらしい。アンドレア、スザンナ、ジャンに加え、『破邪の光竜団』のロビンとクリストフ、『覇道剣団』のガスパール、『落月と白光』のマリウス、『憂愁の編み手』のローザヒル、スザンナの弟のシリルや、アンドレアの恋人イヴリスの姿もある。


「おう、来たか。また、随分賑やかじゃの」


 とシノヅキが笑った。ユーフェミアが嬉しそうにお客たちに駆け寄った。


「いらっしゃい……」


「ああ、お招きありがとう。詰まらんものだが、結婚祝いだ」


 アンドレアが祝いの品を差し出すのを皮切りに、銘々に祝いの品と言葉を差し出した。


「わーっ、ユーフェ凄い可愛い!」


 スザンナがはしゃぎながらユーフェミアを抱きしめた。ユーフェミアはむきゅむきゅ言った。


「本当によくお似合いですよ」

「元々可愛いのが更に、って感じっすね……自分の洒落っ気のなさが嫌になるっす」

「団長もたまのおめかし可愛いですよ! よっ! 馬子にも衣装!」

「クリス、黙れ」

「いやぁー、トーリさん、ますます羨ましいなァ。ねえ、ガスパチョさん?」

「ガスパールだと何度言ったらわかる。トーリはどうしたのだ?」

「そういえば姿が見えませんね」


 とジャンが辺りを見回した。


「台所にいるよ。ご飯作ってる」


 とスバルが言った。マリウスが目を丸くした。


「え? 新郎が料理してるんですか?」

「うちじゃあやつ以外料理ができんのじゃ」

「いや、だからって……」


 外の騒ぎを聞きつけたのか、トーリがひょこっと顔を出した。


「お、みんな来てくれたのか。いらっしゃい」

「トーリさん、なんで料理なんかしてるんすか?」


 とロビンが言った。トーリは首を傾げた。


「いや、俺以外料理できないから……」

「お嫁さんを放って何をしているんですか。料理なんか別に店に頼むでも」


 とローザヒルが呆れた様に言った。トーリは頭を掻く。


「この近所に店ないんだよ。それに今日はあんまり堅苦しい席じゃなくてさ、みんなで食って飲んで、祝ってくれ、てな感じで考えてるんだ。あとユーフェの両親も来るんだけど、俺お父さんとは初対面で……だから手料理を振舞おうかなって」

「な、なるほど……トーリ君らしいといえばらしいですが」

「というかユーフェはおめかししてるのに、なんでトーリは普段着なの!」


 とスザンナが言った。トーリは肩をすくめた。


「おしゃれして料理するわけにいかねえだろ。見ろ、この汗」

「そうだけどさあ……」

「ははは、なんだかお前元気になったな」


 とアンドレアが笑った。トーリも笑う。


「まあな。ともかく、来たからには腹いっぱいになって帰ってもらうぜ」

「何か手伝いましょうか、トーリさん」


 とシリルが言った。イヴリスもおずおずと歩み出る。


「よければわたしも。多少は料理もできますから」

「お、マジか。助かるぜ。量が多くてさ」


 その時、再び魔法陣が広がった。地面に広がった所から、空中に立体的に光る陣が組み上がり、それがまるで扉の様になって、蒸気と共に開いた。

 呆気に取られる面々の前に、既に一杯機嫌のエルネスティーネが大股で現れた。


「やっほー! ユーフェ、トーリ君、来たわよーっ!」

「な、なんだこの酔っ払いは……」


 面食らったガスパールが呟いた。

 エルネスティーネはまったく頓着せずに、片手に持った酒瓶をぐいとあおった。


「あら、何だか賑やかねえ。もしかしてユーフェたちのお友達かしら? 娘がいつもお世話になってまーす」

「え? 娘?」

「ま、まさかユーフェミアさんのお母様っすか……?」

「って事は“白の魔女”さんの娘さんって事ですか?」

「ず、随分と豪快な……」

「というかこの魔法陣、滅茶苦茶高度なんじゃ……」

「若い……」


 予想外の御母堂の登場に、来客の面々はやや引き気味である。

 ユーフェミアが頬を膨らましてずんずんとエルネスティーネに詰め寄った。


「母様、どうしてもう酔ってるの」

「だって母様お酒大好きなんだもん。あっ、可愛い! おめかししちゃって、気合入ってるわね、このこのー」

「うにゃにゃ」


 ぐりぐりと頭を撫でられてユーフェミアはよろめいた。シシリアが呆れた様にエルネスティーネの腕を掴んだ。


「髪飾りが崩れるからやめなさぁい」

「あら、これは失礼」

「エルネスティーネさん、お久しぶりです。よく来てくださいました」


 とトーリが改まって言うと、エルネスティーネは口を尖らせた。


「なによう、他人行儀ね。もっと気軽にお義母さんって呼んで頂戴よう」

「そ、それはその……また追々……」

「もう、照れ屋さん!」

「あのー」


 魔法陣の扉の向こうから遠慮がちな声がした。


「その、私もそっち行っていいかい?」

「なによ、さっさと来ればいいじゃない」

「君がどいてくれないから……」

「ああ、そっか。ほら、どうぞ」


 とエルネスティーネはようやく魔法陣の扉の前からどく。

 向こうからハンサムな顔立ちの男が現れた。髪の毛は真っ白だ。一応正装に身を包んでいるのだが、出入り業者の様に酒瓶が大量に入った大きな箱を抱えているのが可笑しい。

 男が出ると魔法陣は淡く光って消えた。男は空を見上げて眩しそうに目を細めた。


「おお……久しぶりの地上だ。太陽がまぶしい……」

「アーヴァル、しゃきっとしなさいよ、まったく」

「ご、ごめんよ」

「父様だ」


 とユーフェミアが言った。ユーフェミアを見たアーヴァルは、嬉しい様な照れた様な、何だかわたわたした態度で笑った。


「ユ、ユーフェ! 父様だよ! 元気だったかい!?」

「うん」


 来客の面々は顔を見合わせてどよめいた。


「父様……?」

「久しぶりの地上って……え? まさか魔界から?」

「さ、さすが“白の魔女”さんの血縁……」

「……ご家族揃ってただもんじゃないっすね」

「若い……」


 トーリは緊張気味に歩み出た。


「は、初めまして。トーリといいます」

「え、あ、お、おお……どどど、どうも! き、君がユーフェのお婿さんだね? 私はユーフェの父様でアーヴァルっていうんだ、よろしく!」


 両者ともガチガチである。見ている方が不安になる。

 シノヅキとスバルが呆れた様に嘆息した。


「トーリはともかく、なんでアーヴァルまで緊張しとるんじゃ」

「相変わらずダメダメだなー。ざーこ」

「ちょっと、一応威厳を保とうと努力してるんだから、水差さないで!」


 アーヴァルはふんすと鼻を穴を膨らますと、トーリに向き直った。


「トーリ君」

「は、はいっ!」

「……うちの娘、超可愛いでしょ?」

「……はい。超可愛いです」

「好きなんだよね?」

「大好きです」

「うん……それでよし! ユーフェの事、頼んだよ!」


 ようやく空気がゆるんだ。ユーフェミアが嬉しそうにトーリの腕に抱き付く。


「わたしもトーリの事、大好き」

「……おう」


 トーリは照れ臭そうに頭を掻いた。アーヴァルはふふふと寂し気に微笑んだ。


「いずれ父親は娘の一番から転落するものなんだね……悲しいけど、これも親の道だな」

「父様が一番だった事ないよ」

「えー……」

「……ユーフェ。もうちょっとお父さんに優しくしてやれよ」

「父様は優しくするとすぐ調子に乗るからやだ」


 ユーフェミアはぺろりと舌を出した。アーヴァルは何とも言えない表情をしている。

 どうしたもんかと思っていたトーリだが、不意に台所の事を思い出した。


「やべっ、ムサカ焼いてたとこだった! ユーフェ、ちょっと放せ!」

「ん」


 トーリはばたばたと屋敷に駆け込む。その後をシリルとイヴリスが付いて行った。エルネスティーネがからからと笑う。


「まったく、忙しないお婿さんねえ。セニノマ、グラス持って来なさい」

「ふえっ!? ど、どこから?」

「台所に決まってるでしょ、ほら早く行く」

「ひょわわ!」


 せっつかれたセニノマは大慌てで屋敷に駆け出し、盛大に転倒した。



  ○



 粉をはたいた海老を揚げながら、イヴリスが困惑した様な感心した様な、曖昧な風に呟いた。


「ほ、本当に凄い量ですね」

「トーリさん、これ全部一人で?」


 と芋を潰しながらシリルが言った。


「まあ、簡単な事は手伝わしたけど、あいつら不器用なんだよ」

「へえ……あ、お芋潰せました」

「おお、ありがと。じゃあチーズ削ってくれるか」

「はい」


 シリルは意外な手際の良さで手伝ってくれる。何でもスザンナが不在がちな家では、料理をする事も多いそうだ。この少年に嫉妬していたとは、随分狭量なもんだったな、とトーリは何となく気恥ずかしい気分になる。


「イヴリスすまん、冷蔵魔法庫(フリッジ)からマスタード出してくれる? 悪いな、手伝ってもらって」

「いえ、これくらい……大きな冷蔵魔法庫(フリッジ)、いいなあ……」


 イヴリスは食材の詰まった冷蔵魔法庫(フリッジ)を開けてしきりに感心している。このアンドレアの婚約者は自分たちの新婚生活の事も少し考えているらしく、家財道具をどうしようかと悩んでいるらしい。冷蔵魔法庫(フリッジ)ならユーフェミアに頼めば作ってくれると思うぞ、と言うと嬉しそうにしていた。


 今日の献立はサモトックの魚介のブイヤベースに、海鮮のパスタ、豆のニョッキ、ローストビーフとローストチキンにミートローフ、モツのトマト煮、茹で豚の香草ソース、冷肉、山鳥のパイ包み焼き、焼き野菜、海老、イカ、小魚のフリット、魚の香草焼き、マッシュポテトに肉汁ソース、ムサカ、タコとウイキョウのマリネ、根菜のピクルスとチーズの盛り合わせ、茹でた腸詰のマスタード添え、茸のオイル煮、魚介出汁のリゾット、ブルーベリー・パイ、桃とリンゴのコンポート、買って来たパンなどである。

 無論、一度に全部出るわけではないから、できたものから順に食卓に並ぶ事になるが、それにしたって凄い量だ。


 シリルがチーズを削りながら言った。


「凄くおいしそうですけど、こんなに食べきれるんですか?」

「シノさんとかスバルとか……シシリアさんも結構食うんだよ、これが」

「へぇー」

「これでフリット全部です」

「ありがと。肉もムサカも焼けたし、そろそろ出すかな。みんな腹減ってるだろうし」

「これ運びます?」

「うん、あとこれと……」


 それでいよいよ料理が並ぶ段である。もう太陽は天頂を過ぎていた。

 トーリたちが料理を片手に外に出ると、会の段取りなぞ知った事ではないとばかりにエルネスティーネがグラスを客にくばり、持参した酒を注いで回っている。ワインらしい。


「さあさあ、娘のお祝いに飲んで頂戴。遠慮しないでねぇ」

「ど、どうも」

「ちょっとエルネスティーネさん! 展開が早いですって!」

「あっ、トーリ君来た! ほらほら、主役はあっちに座りなさいってば」


 見ると上座の並んだ椅子の片方にユーフェミアがちょこんと座っている。


「いや、俺はまだやる事が」

「トーリ、忙しいのはわかるが、誰かが挨拶しないと何も始まらんぞ」


 とアンドレアが呆れた様に言った。言われてみればそうである。トーリは頭を掻いた。


「確かに……えーと、ユーフェ、何か言うか?」


 駆け寄って来たユーフェミアはトーリの背中に隠れる様にして首を横に振った。だろうな、とトーリはため息をついた。


「トーリ、早くー」

「腹が減ったのじゃ。はよせい、はよ!」


 湯気を立てるご馳走を前に、シノヅキたちが地団太を踏んでいる。トーリはひとまず手渡されたグラスを掲げた。


「あー、その……来てくれてありがとう! 俺たち結婚します!」


 ヤケクソ気味に言うと、たちまち喝采が起きた。


「ヒュー!」

「おめでとう!」


 後ろに隠れていたユーフェミアが、嬉しそうにトーリの後ろから抱きついた。


「えーと、なんだ。ともかく、今後とも夫婦そろって色々お世話になります! 今日は沢山飲み食いして、楽しんで行ってくれ! 乾杯!」


 乾杯の声があちこちで上がり、グラスが掲げられた。

 トーリは飲まずにグラスをテーブルに置いて、やれやれと頭を振った。ホスト役は色々と大変である。

 待ちかねていた、という風な使い魔たちが、早速料理に飛びつく。


「うひょひょ、肉じゃ! でっかい肉じゃ!」

「うーん、ご馳走ねえ。何から食べようか迷っちゃうわぁ」

「はわわ、目移りしちゃうだよ」

「よっしゃ! ついにこの料理にお酒が合わせられるわ! アーヴァル、お代わり持って来なさい、早く!」

「はいはい……くっ、凄い。負けられないな……」


 とアーヴァルが料理を見ながらなぜか悔しそうにしている。

 フリットの海老をつまみ上げて、スバルが偉そうな顔をしている。


「この海老ね、ボクが背ワタ取ったんだぞ」

「へえ、背ワタを取ったんすか」

「団長、背ワタを取った事ありましたっけ?」

「ない」

「えー、背ワタ取った事もないのぉ? 白金級も大した事ないねー」

「まったくですよ! 団長、背ワタくらい取らねば!」

「そうっすね」

「何言ってんの、君たち」


 とマリウスが呆れた様に言った。


 宴は始まった。並んだ料理は一口で来客の心をわしづかみにし、トーリに対する称賛の言葉が飛んだ。それを聞いてユーフェミアが自分の事の様に自慢げにしている。

 そのユーフェミアはスザンナやローザヒル、ロビンら女子たちに囲まれてきゃっきゃと楽しんでいる。

 エルネスティーネはシシリアと一緒にジャンやマリウスら魔法使い相手に色々しゃべくっており、アンドレアとガスパールはアーヴァルと話をしていた。クリストフは使い魔どもに交じって食べるのに夢中である。

 台所に戻ったトーリは、着いて来たシリルとイヴリスを見返って、言った。


「シリル、イヴリス、お前らも食べなよ」

「運ぶものだけ運んじゃいましょうよ、トーリさん」

「それからゆっくりいただきますから」


 少し気は引けたけれども、そう言ってくれるならば断わるのも忍びない。

 トーリはパスタを茹でて手早くソースと絡めて仕上げ、大皿に盛った。粗熱の取れたミートローフも切り分ける。


「これよろしく。持ってったらホントに食べてくれ。あとはリゾットだけだから」


 火を使うものさえ片付いてしまえば、後はどうとでもなる。冷たいまま食べるものは昨日のうちに作ってしまっているし、窯で焼くものは窯の温度さえ安定していればさほど手はかからない。パスタやリゾットなどが一番手がかかる。

 リゾットを作っていると、ユーフェミアがやって来た。


「あ、リゾットだ」

「おう、これで今日作る分は全部だ」

「お疲れ様。一緒に食べよ」

「そうだな。後はチーズ削って……」


 フライパンを持つトーリの後ろから、ユーフェミアがむぎゅと抱き付いた。ぐりぐりと背中に頬ずりして来る。


「なんだよ」

「なんか嬉しい。楽しい」


 いつものんびりしているユーフェミアの口調が、心なしか弾んでいる。

 考えてみれば、ユーフェミアはずっと一人で過ごしていたのである。家は散らかり放題で、使い魔たちも仕事が終わればさっさと魔界に帰ってしまう。“白の魔女”の威容ゆえに地上に友人もいなかった。

 それが、今は屋敷に友人たちを招くほどになった。

 何よりも隣にトーリがいる。それをみんなが祝福してくれるのが素直に嬉しいらしい。

 そんなユーフェミアの喜びを感じると、トーリの方も嬉しくなった。


「できた。持ってくの手伝ってくれるか」

「うん」


 手早くリゾットを仕上げて皿に盛り、外に出た。随分賑やかである。料理も減っている。空いた皿を重ねて、そこにリゾットの皿を置く。


「よーし、料理終わり!」

「おっ、ようやく主役の手が空いたのだね! まあ飲もうじゃないかトーリ君!」


 とクリストフが言った。トーリは苦笑した。


「いや、あんま得意じゃねえんだ……」

「一杯も駄目なんですか?」


 とマリウスが言った。


「駄目なんだよ、記憶が飛んじまって」

「無理強いするもんじゃねえっす。ユーフェミアさんは飲むっすか?」

「いらない。お酒嫌い」

「ははあ、似た者夫婦という奴だな」


 とガスパールがにやにやしながら言った。トーリは照れ臭そうに頭を掻き、ユーフェミアは嬉しそうにトーリの腕を抱いた。


「それにしてもトーリさん、本当に料理がお上手ですね。驚きました」


 とローザヒルが言った。マリウスが頷く。


「ですねえ。この魚介料理なんか最高ですよ。俺が保証します。レストランなんかやってくれたら毎日通うのになぁ」

「はは、そりゃ嬉しいけど……俺はこいつに飯作ってやるのが仕事だからさ」


 と、トーリはユーフェミアの頭にぽんと手を置いた。ユーフェミアはくすぐったそうに身じろぎする。男どもがひゅうひゅうと冷やかす様にトーリの肩や頭を叩いた。

 そこにアーヴァルがぬっと現れた。


「トーリ君……」

「うわっ! ア、アーヴァルさん、どうしました?」

「気軽にお義父さんと……あ、いや、それはいいとして、このムサカ、ソースどうやって作ってるの?」

「ああ、ベシャメルは普通に小麦粉とバターと牛乳で……ナツメグ少し入れて、伸ばすのに白ワインと生クリームですね。ミートソースは肉炒めてソフリットと香草で煮てます」

「うーん、この風味がちょっと独特だよね」

「あ、多分赤ワインを強火で一気に煮詰めてるからだと思いますよ」

「そうか、それだ。それで少し大人っぽい風味になってるんだな……」

「……アーヴァルさんも料理するって聞きましたけど」

「するする。いやあ、こういう話ができるの嬉しいなあ。でも私だって地上の材料さえ使えばおいしいものが作れるんだからね!」

「は、はあ」

「地上の材料使っても、トーリのご飯の方がおいしい」


 とユーフェミアが言った。


「なにおう! だってユーフェは食べ比べてみた事ないだろう!」

「食べ比べるまでもないもん。父様邪魔。あっち行って」


 娘にしっしっと追い払われ、アーヴァルはすごすごと引き下がった。


「い、いいのか?」

「いいの。トーリ、食べよ。あーんしてあげる」

「う……お、おう」


 照れ臭いながらも、もうそういう事に遠慮する間柄ではない。二人は並んで、来客に冷やかされたりしながら、料理に舌鼓を打った。

 こうして自分の料理をきちんと食べる機会は珍しいと思いつつ、きちんと食べてみると中々うまいとトーリは思った。

 『泥濘の四本角』時代にも料理はしていたが、その頃に比べて明らかに腕が上がっている。

 食材が潤沢に使えるというのもあるし、何よりも食べる者の事を想像して、相手が喜ぶ様に意識して作っている。冒険者時代は自分自身の精神的な問題もあって、そこに気持ちが向かっていなかった様に思われる。


 ちらと横を見た。

 ユーフェミアはうまそうにリゾットを頬張っている。この娘の為に自分はいつも張り切って料理をこしらえていた。なるべくユーフェミアにおいしいものを食べさせたくて試行錯誤していたのだ。そう考えると、自分の気持ちなどにはとっくに答えが出ていたのだと思う。


 腹がくちくなって、少しみんなと話でもしようかと思ったが、気づくとそこいらが妙に陽気になっている。

 見ると、エルネスティーネが持参の酒をどんどん振舞って回っていた。

 ガスパールやマリウス、クリストフがすっかりいい機嫌でげらげら笑っているし、ロビンは眠そうに欠伸ばかりしている。スザンナとローザヒルはお代わりを注がれない様にちびちびと飲んでいるらしいが、それでも随分陽気になっている様に見える。

 向こうではシノヅキとスバルが元の獣姿に戻って喚きながら駆け回っている。普段飲みつけていないせいか、酔っ払って無暗に動き回りたくなっているらしい。

 イヴリスの肩を抱いたアンドレアと、その横に立ったシリルがそれを面白そうな顔で眺めている。

 ジャンは、ほろ酔い気分で奇妙に色気の増したシシリアに執拗に絡まれていた。セニノマは地面にひっくり返っている。


 エルネスティーネ自身も既にほろ酔いの域を通り越して足取りが怪しい。目が据わっている。

 歯止めをかける役目の筈のアーヴァルは、エルネスティーネに抱えられる様に首を絞められて手足をばたばたさせていた。


「早いって! くそ、少し目を離した隙に……」

「母様照れ屋だから、飲んで誤魔化してるんだと思う」


 それはそうかも知れない。素面のエルネスティーネにああいう豪快さはない。しかし迷惑な事に変わりはないので、トーリはじれったかった。

 エルネスティーネがにこにこしながらやって来た。アーヴァルは地面に転がってもぞもぞしている。


「よっ、御両人! 飲んでるかー?」

「エルネスティーネさん、飲み過ぎ飲ませ過ぎ! ちょっと自重してくださいよ!」

「なによー、お祝いの席なんだから盛大にやらなきゃ。ほらほら、二人ともグラス持って。乾杯よ、乾杯。おめでとーうって乾杯しなきゃ!」

「いや、俺は」

「お義母さまの酒が飲めぬと申すかー。まあまあ、一杯だけ。契りの盃っていうのはあるのよ、真面目な話」


 こんな状況で真面目な話も何もあったものではないが、ユーフェミアは目をぱちくりさせている。トーリを見上げた。


「そうなの?」

「いや、知らないけど……一杯だけですよ、本当に」

「そうそう、お祝いさせてー」


 エルネスティーネはにこにこしながら、手に持った酒瓶から真っ赤なワインをどぼどぼと注いだ。


「うわっ、こぼれるこぼれる!」

「はい、かんぱーい」


 ユーフェミアは口をすぼめて、顔をしかめながらワインをすすっている。あまりうまいと思わないらしい。

 トーリは手のグラスで揺れる液体を見た。酒なぞ飲むのはいつぶりだろうと思う。飲んだ時の感じはまったく覚えていない。

 意を決してひと口含んだ。

 ブドウの渋みが舌の上を撫でて、それからつんとした酒精が鼻に抜ける。酸味の中にほのかな甘みがあり、後になって香りが抜けて来た。

 悪くない。むしろうまい様な気がする。トーリはそのままなみなみと注がれていたワインを飲んでしまった。


「おっ、なんだいけるクチじゃないのトーリ君。もっとどう?」

「いただきます」


 もう一杯含む。うまい。

 なんだ、飲めるではないかと思った矢先、急にぐらりと来た。何となく目の焦点が定まらない。頭が痺れた風なのに、どこか一点だけ妙にはっきりとしている様で、そのちぐはぐさが奇妙である。

 ユーフェミアが心配そうにトーリの顔を覗き込んだ。


「トーリ、大丈夫?」

「うん」


 ユーフェミアの顔が妙にはっきり映った。酒のせいかほのかに赤らんだ頬と、潤んだ目が可愛らしい。

 その可愛らしいという思いがぐんぐん膨らんで行く。

 トーリがいつも持っていて歯止めをかける照れ臭さや恥ずかしさの声がしない。

 ただユーフェミアが可愛い。そうして愛おしい。


「トーリ?」


 両腕を伸ばした。顔の両脇にそっと手を当てて、こちらに引き寄せる。

 こちらも顔を寄せる。

 ユーフェミアの目が近くなる。瞳の中に映る自分の姿が見える。


「んっ……」


 柔らかな感触が唇を覆った。しっとりと、ほのかに湿っていて、今飲んだばかりのワインの味がほのかにした。目に映っていた自分の姿が瞼に遮られた。

 ユーフェミアの腕が自分の背中に回ったのを感じた。ぐいと体を寄せて来た。自分も抱き返した。

 周りからわあっとはやす様な声が聞こえたが、段々それが遠くなって、トーリはぼんやりしたまま目を閉じ、体から力が抜けて行くのを感じた。


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