16.準備
ユーフェミアへのプレゼントを作る為の探索に出て、戻ってから加工などに立ち合い、指輪の形が出来上がった。ジャンやマリウス、ローザヒルといった一流の魔法使いたちが加工を請け負ってくれたから、驚くほど早く美しく仕上がり、何だかトーリ自身の心も沸き立つ様だった。
それで元通りの日常に戻って来たのだが、心持は決めたし、贈り物はあるし、やっている事はいつもの家事だけれど、何だか違う様にも感ぜられて、トーリは片付かない気分だった。
ユーフェミアは張り切って矢継ぎ早にこなしていた仕事が一段落したらしく、またごろごろして過ごしていた。トーリと結婚すると宣言していたが、ユーフェミアの方からは動く気配がない。トーリが何かして来るのを待っているのだろう。
それがトーリにもわかるので、何となく気が逸るのと、どう動いたものかと悩むのとで、そわそわしていた。
しかし自分の中で思いが煮詰まった事もあって、少し前までのどっちつかずな不安定さはない。いつ、どんな風に切り出そうかという部分が悩みどころである。
そもそもまだプロポーズさえしていないのだ。指輪もある事だし、どこかでトーリはそれをちゃんと伝えようと決めているのだが、中々いいタイミングがつかめないのである。
昼食を終えて、銘々の時間を過ごしている。
シノヅキとシシリアが食卓で向き合ってチェッカーをやっており、スバルがそれを見ている。セニノマは食事が終わるや、別宅の建築現場に飛び出して行った。外からは作業の音がすでに聞こえている。キュクロプス族は建築が何よりの楽しみの様だ。
ソファでまどろんでいるユーフェミアを横目で見ながら、トーリは空いた食器を重ねた。そうして台所で洗っていると、暇を持て余しているらしいスバルがやって来て背中をつついた。
「ねー、トーリ」
「なんだよ。デザートは食っただろ」
「違うよう、いつユーフェと結婚すんの?」
トーリは思わず手を止めた。スバルは気にせず続ける。
「ユーフェがさー、今度の仕事が終わったらトーリと結婚するって言ってたんだけど、ずっとごろごろしてるじゃん? どうすんのって聞いたらトーリ次第って言うから」
「くっ……」
やはりユーフェミアはトーリを待っている様だ。いつまでもぐずぐずと家事にばかりかまけている場合ではない。こうやって日常のあれこれに逃避して、行動を先延ばしにするのは悪い癖である。
ではどうする?
明日?
しかし決めた所で間が空けばまたうじうじ考え出すに決まっている。思い立ったが吉日である。トーリは手早く洗い物を済まして、濡れた手を拭き拭き居間に踏み込んだ。
ユーフェミアはソファにだらしなく転がっていた。仰向けになって、手足を伸ばして、幸せそうにごろごろ言っている。
「ユーフェ!」
「うにゃ」
急に突っ立ったトーリに、ユーフェミアは薄目を開けて体を起こした。
「なぁに?」
「結婚するぞ!」
「うん、結婚する」
ユーフェミアはあっけらかんと頷いてトーリを見返している。
「……あっ、これ、プレゼント」
妙な間が開いてから、トーリはハッとした様にポケットから小箱を出してユーフェミアに手渡した。ユーフェミアは目をぱちくりさせた。
食卓からこの様子を眺めていたシノヅキとシシリアが幻滅した様な顔をしている。
「ひどすぎる……」
「トーリちゃん、いくらなんでも情緒もへったくれもなさすぎよぉ」
「う、うるさいな! 洒落たレストランでワイングラス片手になんて俺にできるわけないだろ!」
「おぬし、そんなもんを想像しとったんか……」
「あー……トーリちゃんがずっと煮え切らなかった理由、わかった気がするわぁ」
馬鹿を憐れむ様な視線に、トーリは何も言い返せずに口ごもった。
そんな騒ぎに頓着せず、ユーフェミアは嬉しそうに小箱を開けて、中に収められた指輪をためつすがめつ見ている。シンプルな装飾が施された台に、美しくカットされた緑色の宝石がきらりと光った。
「緑燐石だ。きれい」
「お、おう。その色がお前に似合うと思って……」
「えへ」
ユーフェミアはのそのそと立ち上がってトーリに抱き付いた。
「ありがと。嬉しい」
「そ、そうか……」
トーリはホッとした心持で、ユーフェミアの頭を撫でた。
シノヅキとシシリアは呆れ顔を見合わせて肩をすくめている。
頭の後ろで手を組んだスバルが、面白そうな顔をしながら言った。
「これで結婚したって事?」
「いや、そういうわけじゃ……」
どうなんだろう? とトーリは首を傾げた。
「地上じゃ一応婚姻届けってのがあるんだけど……魔界じゃ結婚ってどういう風になってるんだ?」
と聞くと、シシリアが考える様に頬に指を当てた。
「んー、別に制度があるわけじゃないわねぇ。婚姻届けなんかないし……」
「互いにその気がありゃつがいじゃ。人にどうこう言われたり証を立てたりせんわい。人間は面倒くせえのう」
魔界は個々の種族の独立性が強いせいで、共通の婚姻制度が整っているわけではないらしい。結婚式も神に愛を誓うなどという事はなく、単に夫婦になるという報告とその祝いの席としての側面しかない様だ。
トーリはユーフェミアを見た。
「お前はどうしたいの?」
「わたしはトーリと一緒にいられるなら何でもいい」
とユーフェミアは大きなクッションを抱きながら言った。彼女にとってはそれが一番大事な事らしく、婚姻制度云々には欠片も興味がない様である。トーリは頭を掻いた。
「まあ、一応手続きとかは俺がやっとくか……結婚式とかしたいか?」
「わかんない」
「その……指輪を作るのにさ、アンドレアたちが色々手助けしてくれたんだよ。あいつらも俺たちの事を祝いたいって言ってくれてるし、お前さえよければ簡単な集まりくらいしてもいいと思ってるんだけど。あ、お前の両親も呼べれば呼んでさ」
「うん、いいよ」
ユーフェミアはのほほんと頷いた。何となく嬉しそうである。結婚式が嬉しいというよりは、そういう事にトーリが前向きになってくれている事が嬉しい、という風だ。
「つけて」
「お、おう」
トーリは緊張気味に、ユーフェミアの指に指輪をはめた。サイズも丁度良い。
つけた途端に、緑燐石が淡く輝く。ユーフェミアの魔力に反応したのだろう。その輝きを見ながら、ユーフェミアは嬉しそうにはにかんだ。
「アンドレアたちが手伝ってくれたんだ」
「ああ、加工はジャンとマリウスとローザヒルと……魔法使いたちがやってくれて。材料を取りに行くのはロビンとかガスパールとか……どこから聞きつけたんだか手を貸してくれたよ」
「そうなんだ。じゃあ、ロビンたちも呼んであげなきゃね」
トーリはおやおやと思った。
「いいのか?」
「うん。友達だもん」
「でも、“白の魔女”の正体とか……」
「そう言わなきゃいいだけ。お婆ちゃんは忙しくて来てないって事にする。お祝いなら、賑やかな方が嬉しい」
少し意外だったが、ユーフェミアがそれでいいならばトーリにも異存はない。
スバルがわくわくした様に腕をぱたぱた振った。
「お祝いって事は、豪華なご飯が出るって事だよね? 楽しみだなー」
「じゃろうな。トーリも張り切って腕を振るうんじゃろ?」
「……え? 俺が飯作るの?」
「他に誰が作るんじゃい」
言われてみればそうである。トーリも漠然とこの家に皆を招くつもりでいたのだが、ただ人だけ集めてもどうしようもない。お祝いなのだから、食事を共にするのが筋というものだ。
そうなると、食事を支度しなくてはならないのだが、トーリ以外に料理できる者が誰もいないのである。
シシリアがにやにやしながら言った。
「トーリちゃん、どうするつもりだったのぉ?」
「いや、そこまで考えてたわけじゃなかったんだけど……まあ、でも、俺にとっちゃ両親に挨拶する機会でもあるわけだし、手料理振舞うのは悪くないよな?」
「エルネスティーネには会ってるじゃん」
とスバルが言った。
「いや、そうだけど、結婚決めたんだから、ちゃんと挨拶しないと。そもそもお義父さんには初めて会うわけだし」
「人間は面倒くせえのう」
シノヅキが呆れた様に椅子の背にもたれた。魔界の住民はそういうところは割と適当であるらしい。
ともかく、そうと決まれば色々と準備が必要である。来客の数を考えるに、居間では少々狭い。天気がいい事を祈って庭でテーブルを囲う形にするとして、せっかくだから少し綺麗に飾り付けたい。
セニノマに相談すると、大いに張り切った。
「任せておくだよ! おら、装飾なんかも大得意だでよ!」
と胸を叩いた。こういう時にキュクロプス族は実に頼もしい。
飾り付けの際の力仕事はシノヅキやスバルに手伝わせるとして、トーリは家事の合間合間に式の段取りやら料理の献立やらを考えた。
あまり小洒落た料理は性に合わない。それに無暗に食う連中が大勢いるから、結局量を作らなくてはならないだろう。家庭料理の延長になるだろうが、レストランをやっているわけではないし、それで十分だと判断した。
とはいえ、祝いの席にふさわしい華やかさくらいは演出したいし、普段よりも手の込んだものは作ってみたい。どうせだからユーフェミアにも手を貸して貰って、サモトックで新鮮な魚介類を仕入れて来るのもよかろうと思った。
新郎がそうやって肝胆を砕いている間、新婦の方は相変わらずのほほんとしている。たまに魔法薬の調合をしたり、材料集めに出かけたりする以外は家でのんびりしている。
そうして時折思い出した様に寄り添って頬ずりしたり、後ろから抱きしめてトーリの頭をよしよしと撫でてみたりした。
そんな事をされると、トーリはくすぐったそうに体をよじる。
「なんだよ」
「頑張ってるから、ごほうび」
「……おう」
トーリも方もまんざらでもなさそうである。少しずつ気持ちも大胆になっているらしく、時にはユーフェミアを抱き返して撫でてやったりもして、そうするとユーフェミアなどは嬉しくて、トーリの方から放さない限り、いつまでも抱き付いている。傍から見ていると完全にバカップルと化した。
色々な段取りの方向が何となく決まって来た頃、夏は盛りを過ぎて、まだ暑いけれど、ふとした瞬間に秋の気配を感じる様になって来た。青々とした深緑が、何となく色あせて来た様に見えるし、太陽の感じが少し重たくなった様だ。
「……じゃあ、来れるんだな?」
「うん。母様が転移陣をさらに改良したって」
本来、魔界と地上の行き来は半魔族でもない限り、召喚アストラルゲートか、現在は閉鎖されている大門を通るしかないという難しいものなのだが、エルネスティーネが先日組み上げた転移陣はマイナーチェンジを繰り返しているらしく、魔族である父親も安全に通れるだろうという事である。
まだ会わぬ義理の父の事を考えると、トーリは何だか緊張した。お前なんぞに娘はやらんと言われてはおしまいである。
身震いしているトーリを見て、ユーフェミアが首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……お前のお父さんに反対されないかと思って……」
「父様が反対したって関係ないよ」
「お前はそうかも知れないけど……」
「母様が、父様がトーリに会うの楽しみにしてるって言ってたよ」
それはそれで緊張するのだが、今更どうこう言ったところで仕方がない。トーリは腹を決めて深呼吸した。魔界の住人の様に腕っぷしで力を示す事はできないが、せめて食事で満足してもらえれば招く甲斐もある。
ともかく、式の日取りを決めて、それに向けてもてなしの食卓を準備する段である。
トーリはユーフェミアと、荷物持ちにシノヅキとスバルを引き連れてサモトックへと飛んだ。海辺の町は、旅行に行った時と変わらぬ様に見えたが、海水浴客は少し減った様に思われた。
「何を買うんじゃ」
「いっぱい買うんだよね?」
「まあな。その為にお前らも呼んだわけだし」
「ふふん、うまい飯の為じゃ。任せておくがよい」
「さかなー」
シノヅキもスバルも張り切っている。サモトックの魚介の味は、この連中も気に入っているらしい。
片手に買い物のメモ、もう片方の腕はユーフェミアが抱くままにして、トーリは市場の中を歩き回った。大小の魚や貝、海老蟹の類やイカタコの類が、所狭しと並んでいる。干物や塩漬けなどの加工品も多い。肉類や野菜もあるから、買い物はここですべて済ましてしまっていいくらいだ。
「そっちの丸ごとのやつと……それは頭と腹落としたやつ頂戴」
「あいよう」
「あの海老おいしそう」
とユーフェミアが指さした。箱いっぱいに大きな海老が詰まっている。
「あの箱の海老も」
「まいど!」
買うと決めて来たものに加え、目についたものなども買いながら、気が付くと随分多くなっていた。箱だの袋だの、持ち重りがするくらいなのだが、シノヅキもスバルも軽々と担いで顔色一つ変えていない。
「大量じゃの」
「これが全部ご馳走になるのかぁ。楽しみー」
(……買い過ぎたかな)
流石に調子に乗り過ぎた気がしないでもないが、一応献立は考えていて、そこから逸脱し過ぎない様にはしてある。筈だ。ともかく買ってしまったものは仕方がない。
屋敷に戻って、早速仕込みを始めた。
とはいえ、式は明後日の予定である。魚介のアラからスープを取り、肉や魚をマリネして、当日の本調理に向けてあれこれと準備をしておかねばならない。
買って来たものを整理して、すぐに処理するものとそうでないものを分ける。魚介は新鮮なうちに処理をしておきたいので、丸ごとの魚や海老などは出しておき、野菜や肉、貝類などは冷蔵魔法庫にしまった。
流石に量が多い。トーリは海老をボウルに入れて居間に出た。食卓に突っ伏す様にシノヅキとスバルがだらけている。
「ちょっと手伝ってくんない?」
「何をじゃ」
「海老の背ワタ取り」
「どうやんのー?」
「こう、海老を曲げて、ここに串を刺して……」
「ははあ、スッと抜けるもんじゃな」
「面白そう! やるやるー」
「力込めるなよ? 取った背ワタはこっち、海老の身はこっち」
それで三人でちまちまと背ワタを取る。
「どうじゃ。わしのおててさばきも上手いもんじゃろ」
不器用を以て自らを任じていたシノヅキも、この程度の事はできる様になったらしい。スバルがふんと鼻を鳴らす。
「ボクだってそれくらい簡単だよ、ほら」
「わしのが速い」
「変に張り合うなって、どっちもできてるから」
競争なぞ始めて雑にやられたのではたまったものではない。この連中の膂力では海老なぞ指先で簡単にくしゃくしゃに潰れてしまう。
トーリは警戒しつつも作業を進め、何とか背ワタを取り終えた。それから頭を外し、殻を剥く。頭と殻は出汁に使うから、捨てずに取っておく。
手のにおいをくんくんと嗅ぎながら、シノヅキとスバルが変な顔をしている。
「おててが海老くさいのじゃ」
「うまそう」
「ありがとさん。ちゃんと手ぇ洗っとけよ」
海老の頭と殻を炒めて、香りが立ったところで鍋に移し、香草と水を加えて潰しながら煮込む。台所じゅうが海老のいいにおいに満ちた。
(魚捌いて、アラも出汁に入れて……魚介はスープとパスタにして、肉はロースト。挽肉でソース作って……茄子と芋あるし、ベシャメル作ってムサカにしよう。パンは明日朝に町で買って来るとして)
トーリはあれこれ考えながら手を動かす。式のご馳走の下ごしらえもするけれど、当然普段の食事もこしらえるし、風呂を焚いたり洗濯をしたりもする。畑に水もまくし、鶏やアヒルに餌もやる。すっかり慣れたものである。
トーリがそんな風に忙しくしている一方、相変わらずだらけているユーフェミアの前に、シシリアがにこにこしながら大量の服を抱えて立った。
「さあ、おめかししましょうねぇ、ユーフェちゃん」
「なんで?」
「花嫁は可愛くしないとねぇ。さ、お着替えお着替え」
「んー」
ユーフェミアは脱がされるままにすっぽんぽんにされ、あれこれと服を着せ替えられた。
大量の服の出所はどこだかさっぱりわからないが、実に色々な服があって、どれもユーフェミアによく似合う。暇を持て余しているシノヅキとスバルも一緒になって、着せ替えは大いに盛り上がった。
「悩むわねぇ。これとかどうかしらぁ?」
「そんなスケスケは駄目じゃろ」
「こっちのはー?」
とスバルがフリルのついた服を取り上げた。
「ちと子供っぽすぎやせんか?」
「まあ、ものは試しよ。さ、ユーフェちゃん、次はこっちよぉ」
「ん」
ユーフェミアは両腕を上げた。