4.スバル
翌日になると、また掃除が始まった。
一番早く起きたトーリは、朝食の仕込みだけ鍋にやっておき、そのまま掃除にかかる。床がかなり見えて来て、紙屑などは大体燃やして片が付いた。
ともかく膨大な量の本を何とかしたいのだが、取捨選択はユーフェミアに任せる他ないだろう。
起き出して来たユーフェミアとシノヅキに朝食を食わして、それから一度本を家の外に出した。虫干しも兼ねているが、単純に邪魔なのである。
「はい、シノさんこれ持ってって」
「おう、任せろ。軽い軽い」
力持ちのシノヅキが手伝ってくれるから、本はどんどん外に運ばれて行く。ようやく粗方の本がなくなって、もうすっかり床が見える様になった。ソファと食卓なども全部外に一旦出す。ともかく、あれもこれも一度は日光に当てた方がいいだろう。
そこまで床周りを片付けてから、天井の煤や蜘蛛の巣を払い落す段になった。
「一度外出ててもらえます? めっちゃ埃舞うんで……」
「わたし大丈夫だよ?」
「わしも大丈夫じゃよ?」
「いいから出て出て!」
ついでに要る本と要らない本を選り分けといてください、とユーフェミアとシノヅキを追い出す。
トーリが煤払いで天井を撫で繰り回す度に窓から埃が噴き出して来て、外に追い出されたユーフェミアは、木の柵に腰かけて足をぶらぶらさせながら、面白そうにそれを眺めていた。
隣に腰かけたシノヅキがあくびをした。
「飽きもせずようやるわい。面白い男じゃのう」
「助かる」
天井を綺麗にし、床に落ちた汚れを掃き出して、家具や床を拭き上げる。
脚立に上って、照明器具のガラスも磨くと、何となく薄暗かった部屋がようやく明るくなった様に思われた。
「あー……ちょっと小休止だな、こりゃ」
トーリは頭に巻いたタオルを取って、汗をぬぐった。
ぽてぽてと家の中に入ったユーフェミアが「おお」と言った。
「見違える様……」
「こんなんじゃったんか、この家は」
「いやあ、苦戦しました。昼挟んで本を中に入れるけど、選り分けてくれた?」
「ううん。全部要る」
「なんと」
ではすべて運び込まねばなるまい。
ふと、トーリは思いついて顔を上げた。
「あのさ、ユーフェの魔法でちょちょいと動かしたりできない?」
「できない」
即答である。
「何でだよ。めちゃ凄い魔法使いなんだろ?」
「大火力でモンスターを吹っ飛ばしたりするのは得意だけど、そういう細かいのは苦手。やろうとしたら本が燃えちゃう」
「でも冷蔵魔法庫をすぐに作ったりはできたじゃんよ」
「あれは公式を貼り付ければいいだけ。細かい操作とか要らない」
「そもそも、そんな器用な事ができとったら、こんなに家が散らかっとらんわい」
とシノヅキが言った。確かにそうである。トーリは肩を落とした。
「世の中そう上手くはいかないって事ね……」
「ファイト」
ユーフェミアがそう言って、ぐっと拳を握った。トーリは嘆息した。
「はいはい……シノさん、手伝ってね?」
「ええぞ! 代わりにわしの飯に肉を増やしておくれな!」
「あ、はい」
何だか犬を餌付けしている気分になったトーリである。
ひとまず天井から落ちた埃や煤などを改めて綺麗にして、それから本を運び込む。簡単に昼食を取って、午後の陽がすっかり傾く頃には、本をすべて家の中に収める事が出来た。
それから空の瓶やよくわからないものに占拠されていた本棚に仕舞い込む。薬瓶の棚だと思っていたら本棚だったので、トーリは呆れた。
「何で本棚なのに本が全然入ってないのよ……」
「読んでね、その辺に置いて、で、そのまま」
「片付ける癖をつけなさい!」
「だから代わりに瓶をね」
「本棚本来の役目を果たさせてあげなさい!」
どたどたしながらも何とか切りのいい所まで片を付け、夕飯の支度に入った。
粉に卵と油、水を加えてこね上げ、それを寝かしているうちに細かく刻んだ肉と野菜を炒め、そこに牛乳を注いで煮込んだ。塩と香辛料で味を調える。
ユーフェミアは今日は寝る気配はなく、料理をしているトーリを見つめている。何だか面白そうである。代わりという様にシノヅキがソファに寝転がってぐうぐう寝息を立てていた。
「その練ったやつ、どうするの?」
「延ばして切って茹でて麵にする。んでこっちのソースかけて食う。あとは昨日から酢漬けにしといた野菜とゆで卵と……シノさん用に多めに肉をソテーする、と」
「おいしそう。トーリのお料理、好きだよ」
「……そいつはどうも」
何だか、こんな風に素直に称賛されるとむず痒い。トーリは表情が緩むのを感じて、わざとユーフェミアの方には顔を向けなかった。
その日の夕飯時、ユーフェミアはトーリの隣に座っていた。いつもは食卓の三方に一人ずつ座るのだが、今日はトーリとユーフェミアが並び、向かいにシノヅキが座っている状態である。
「……近くない?」
「近くないよ」
「食べづらくない?」
「食べづらくないよ」
「そう……」
なぜだかユーフェミアは満足げである。トーリは諦めて、茹でた麺にソースをたっぷりとかけ、チーズを削った。
夕飯を終えて、ユーフェミアとシノヅキが寝てしまってからも、トーリはほそぼそと本を仕舞い、床を掃き清めて、細かな整理をした。その甲斐もあって、翌朝にはとうとう居間がすっかり綺麗になった。本はすっかり本棚に収められ、窓際の作業台も整頓された。片付いてみれば中々広い。
ユーフェミアがソファにころんと寝ころんで、干してふかふかになったクッションに嬉しそうに顔をうずめた。
「綺麗。ここでお昼寝できる」
「大したもんじゃわい。まさか本当に片付くとは」
シノヅキも感心した様に部屋の中を見回している。
朝食のスープをよそいながら、トーリは大きく息をついた。
「居間は終わりました、が。次は寝室。それから風呂場だな」
「なぬ? 風呂があるのか?」
「はい。でもひどい状態なんですよ。何とか使える様にしますけど」
「お風呂はいい。お風呂嫌い」
とユーフェミアはソファの上で仰向けになった。トーリの眉が吊り上がる。
「駄目! お前は不潔すぎる!」
「魔法で何とかなるもん。体洗ったり、髪の毛洗ったりするの、面倒くさい」
「お黙り! 湯船に浸かる幸せを忘れたのか、この自堕落魔女め。絶対風呂も直すからな」
ユーフェミアはムスッとした顔をしていたが、それ以上口答えはせずに、クッションを抱きしめて目を閉じた。
トーリはふんと鼻を鳴らし、こんがり焼いたパンを皿の上に載せた。
ともかく、今日からは寝室の掃除にかかる事にしよう。
しかし、その前に食料を少し買い足さねばならない。シノヅキまで残って毎食たっぷり食べるものだから、想定外に食料の減りが早い。
そう言うと、スープをすすっていたユーフェミアは顔を上げた。
「じゃあ、お買い物と、あとシノを魔界に強制送還」
「なんでじゃー! もっといっぱい食材がありゃええんじゃろうが、ユーフェばっかりうまい飯食うのはずるいぞ! ずるいずるい! 帰りたくなーい!」
とシノヅキは子どもの様に駄々をこねた。トーリはやれやれと頭を振った。
「シノさんが荷物持ちしてくれるならいいですよ」
「するぞ! 任せておけ、わははは!」
誇り高きフェンリル族とは、とトーリは思った。
しかしその時、手紙を咥えた黒い鳥が入って来た。手紙に目を通したユーフェミアは、つまらなそうに眉をひそめる。
「……お仕事、入っちゃった。ちょっと長そう」
「なんじゃ、内容は」
「廃坑道に巣くった大蜘蛛のせん滅、だって」
曰く、北の廃坑道の中にいつの間にか巨大蜘蛛が巣を張り巡らせていて、物凄い数に膨れ上がっているらしい。それが外に溢れて近隣に被害を出し始めたので、坑道の中も一掃して欲しいという事らしい。
「他の冒険者もいるみたいだけど……坑道の中はわたしにやって欲しいって」
「わははは、他の連中は外に出たのを潰す役割か。まあ、雑魚どもには丁度いい割り当てじゃろうて」
ユーフェミアが言うには、モンスター自体は強くない(ユーフェミア基準)のだが、数が多い上、坑道は入り組んでいてすべて見つけるには時間がかかるだろうという事である。
そうなると、買い物には行けそうもないか、とトーリは腕組みした。まあ、ユーフェミアもシノヅキもいないならば、わざわざ手の込んだ食事をこしらえる必要もあるまい。
朝食を終え、ユーフェミアは装いを整えて、杖を握り締めた。
「多分、明後日には帰って来る」
「わかった。気を付けてな」
「……おいしいご飯、期待してるよ」
「まあ、あるもんで何とかするよ。肉類は全部使っちゃったけど」
「燻製も?」
「うん。シノさんがめっちゃ食うから」
「シノ……」
「わしのせいじゃないもん! 出してくれたら食うじゃろ、そりゃ!」
ユーフェミアはむうと黙っていたが、やにわに思いついた様に杖を振った。魔法陣が展開し、ぎらぎらと光ったと思うや、そこから巨大な真っ赤な鳥が飛び出して来た。トーリは驚いて後ずさる。
「うおおっ、なんだ!? フェニックスか!?」
火を司る魔界の怪鳥である。フェニックスは上空を一回りして、ユーフェミアの前に降り立った。
『久しぶりに呼んでくれたね、ユーフェ! ボクの力が必要なんでしょ?』
「そう」
『あははっ、このスバルちゃんに任せといてよ! それで、敵はどこ? 全部燃やし尽くしてあげちゃうよ!』
「違う。敵はいない。トーリを町に連れて行ってあげて欲しいの」
『はあ? トーリって誰よ』
とフェニックスのスバルはきょろきょろして、トーリを見た。
『この冴えない男がそうだっていうわけ?』
「こりゃスバル。見た目で侮るでない。こやつは只者ではないぞ」
とシノヅキが口を挟んだ。
『あれっ、シノじゃん。あんたも呼ばれてたんだ。てか人の姿で何やってんの?』
「色々事情があるんじゃ。まあ、わしはこれからユーフェと一緒にモンスター退治じゃがなあ、わはは」
『えーっ! なんでシノが一緒に行ってボクが行けないの!? やだやだ!』
「文句言うなら今度から呼んであげない」
『うえっ!? そ、それはやだよう。ユーフェ以外に呼んでくれる魔法使い、もういないんだもん……』
急にしゅんとするスバルである。ユーフェミアはむんと胸を張った。
「暴れる機会もあげる。トーリを送って、連れ帰って来てくれたら、わたしたちに合流すればいい。魔力を辿れば、わたしの場所はわかるでしょ?」
『むう……わかったよ。おい、トーリ、だっけ? 何だか知らないけど、さっさとしてよね!』
「あ、はい」
当事者なのに蚊帳の外だったトーリは我に返った。
「トーリ、お願いね。これ、お財布」
ずっしり持ち重りのするくらいの財布を渡されて、トーリは目を白黒させた。
フェンリルに続いてフェニックスまで使役するとは、やはりユーフェミアは尋常の魔法使いではない。流石は“白の魔女”である。
『じゃ、乗って。ほらほら、はーやーく』
トーリは慌ててスバルの背中によじ登る。熱いのではないかと思ったがそんな事はなく、羽根の表面はつやつやしていたが、何だか不思議と柔らかかった。
スバルは翼を羽ばたかせて舞い上がり、一気に加速した。