5.もやもや
魔力は魔法の才能の有無にかかわらず生物に宿っている。それを扱うすべに長けた者を魔法使いと呼ぶが、体内の魔力の量や質には個人差があり、それが才能の優劣を決める。
スザンナの家の一室、椅子に腰かけたシリルとテーブルを挟んで、ユーフェミアとシシリアが同じ様に腰を下ろしていた。スザンナはやや緊張した面持ちで別の席に座り、この様子を見守っている。
「じゃあ、これ」
とユーフェミアがテーブルに置かれた水晶玉に手をかざした。
それを見つめるシリルは目を細める。
「……青色」
「ん。次は?」
「紫……いや、ピンクになった」
「中々の精度ねぇ。うふふ、それじゃあこれはどうかしらぁ?」
「濃い……緑? いや、でも少しぼやけていて……」
「二重構造までは見えないみたいだね」
「そうねぇ。でもうっすらとはわかるみたいだから、訓練すれば十分見える様になるでしょ」
「?」
スザンナは不思議そうな顔をして首をかしげている。彼女の目には何も変わったところがない様に見えるらしい。
これは魔眼による魔力感知のテストである。魔力量や質、術式の種類などによって色を分け、シリルがどの様に見えるかによって、現在彼が持つ魔眼の精度を推し量っている。
何度かのテストで、ユーフェミアはうむうむと頷いた。
「大体わかった。とりあえず、魔眼で見えてるものと、普通に見えてるものを区別できる様にするのが先決。それが意識できる様になったら、本格的に魔眼を制御できる様に特訓する」
「区別、ですか?」
とシリルが言った。シシリアがにこにこしながら頷く。
「そうよぉ。そうじゃないと、今までみたいに魔道具を起動させちゃったり、逆に止めちゃったり、人とそうでないものとが見分けがつかなくなっちゃったりするの。シリル君くらい強力な魔眼だと猶更ねえ」
「魔眼は視線で魔力を送ったり、逆にせき止めたりするから、あんまりのべつまくなしに見続けてると、無意識にどんどん強力になっちゃう。早めに制御できる様にした方がいいよ」
シリルはこくこくと頷いた。
「どういう風にすればいいですか?」
「まずは見え方を意識するの。漫然と見てると同じに見えるかもだけど、目に力を込めて、見えるもの一つ一つを意識してみて。そうしたら魔眼でしか見えないものがわかるから」
「ちょっとやってみましょうねえ」
シシリアが言って、両手の平を上にして前に出した。
「はい、どう?」
「手の平の上にガラスの球体が浮いて……」
「ちゃんと視線を意識して」
「……右手の方に、何か違和感があります。どうと詳しくは言えないんですけど」
「うふふ、せいかーい。右は魔眼でしか見えなくて、左は普通に見えるのよぉ。スザンナちゃんには左のしか見えてないんじゃないかしらぁ?」
「う、うん。右手の上には何も……皆には見えてるんだ」
最上級の魔法使いと魔眼持ちだから仕方ないとはいえ、スザンナはちょっと疎外感があるのか消沈気味である。
「最初のうちは、とにかく見ていて違和感のあるものとそうでないものを区別できる様に意識して。それが無意識に区別できる様になったら次の段階に行く」
「わかりました」
「うふふ、困ったらいつでも相談してねぇ? お姉さん、シリル君の為なら頑張っちゃうわよぉ」
「ありがとうございます、シシリアさん」
シリルはあくまでシシリアの好意を下心もなしに素直に受け止めている。それが新鮮で嬉しいのか、シシリアはにまにまと相好を崩している。
ユーフェミアはふあと欠伸をして立ち上がった。
「また何日かしたら来るね。それまで練習してね」
○
「こんなもんでどうだべか?」
「おお、いいね。いい感じ」
池のほとりに建てられたアヒル小屋は、戸を開くとすぐに池に入って行ける様になっていた。アヒルたちは池で泳いだり、陸に上がって歩き回ったりして、何だか楽しそうである。
鶏小屋を改築したセニノマは、すぐにアヒル小屋の新築にかかった。人の家と違ってそれほど大変ではないらしく、材料を揃えてからはほんの三日ほどで仕上げまで終わらせてしまった。キュクロプス族の面目躍如である。
「こっちも開く様になってるだよ。掃除の時はここから床の汚れを出せばええだ」
「なるほどね」
アヒルの出入り口と別に、掃除用の入り口もある。屋根は池に向かって傾斜をつけていて、雨や雪などは池に落ちる様になっている。
セニノマは満足そうに腰に手を当てた。
「ふへへ、中々いい仕事ができただよ。まだ何か作る予定があるだか?」
「いや、今のところは……ま、まあ、そのうちまた何か頼むからさ」
目に見えて落胆した様子のセニノマを見て、トーリは慌てて付け加えた。
そうはいっても、納屋はできたし、鶏小屋もアヒル小屋もできてしまった。屋敷は改築の予定はないし、牛などを飼う予定もない。要するにトーリからセニノマに頼む事はないのである。
「んじゃ、おら、またしばらく地上には来られねぇだべな……まあ、魔界でも仕事は待ってるから、どのみち帰らにゃならんだが」
最初は行きたくないと大抵抗をしていたのに、今ではこれである。トーリは苦笑いを浮かべた。
「いや、飯くらい食いに来なよ。流石に水とビスケットだけって聞いてほっとけないぜ」
「はうぅ……」
とセニノマはもじもじした。
用事もないのに居座っている他の使い魔どもを見れば、仕事がないけれどセニノマがいるという事をそう窮屈に考えなくてもよさそうなものだが、このキュクロプス族はそれがどうにも居心地が悪いらしい。だから仕事をやった方が、却って落ち着いて地上にもいられる様だが、その仕事が早いせいで地上にいられなくなるのだから皮肉である。
それはともかくとして工事が終わり、スバルが勝手に魔界の土をやった果樹はむくむくと枝葉を膨らまして、木陰を地面に投げかけている。
「暑いなあ……家に入ろうか。かき氷でも作るけど、食べる?」
「ふ、ふへへ、いただくだぁよ」
もうすっかり夏本番である。外にいても暑いし、台所にいても暑い。居間と寝室だけはユーフェミアの魔法で居心地よく整えられているものの、台所だの外の畑だの、トーリの主戦場はいつも温度が高いらしい。
ユーフェミアとシシリアはシリルに魔法を教えに出かけている。既に数度行われたこの訓練で、どうやらシリルには魔法の才能があるらしい事がわかった。魔眼を制御できる様になるのも時間の問題だろうという事である。
シノヅキとスバルは下の川まで泳ぎに行っている。獣姿で川の水に悠々と浸かるのが面白いらしい。そのせいで最近は風呂に入ろうとしないが、一応水浴びをしているという事だから、トーリはそううるさく言わない事にした。
かき氷が気に入ったらしいユーフェミアは、冷蔵魔法庫のより強力なものを一つ作り、そこに氷を貯蔵する様になっていた。だから気が向いた時にいつも氷を使う事ができる。かき氷だけでなく、お茶などを急冷できるから中々便利である。
鉋で氷を削り、果物のシロップをかける。それだけで滅法うまい。
「はー、これうめえなあ……ひんやりするだよ」
「あんまり急いで食べると頭痛くなるよ」
うるさいのが皆いないので、何となくのどかな昼下がりである。セニノマは揺り椅子に深くもたれてまどろんでいる。
洗濯物を片付けたら食品棚を整理しちゃおうかなと、トーリはかき氷の食器を片付けて外に出た。夏の日差しに照らされた洗濯物は、もうすっかり乾いて風にはためいていた。
それをトーリが取り込んでいると、シノヅキとスバルがやって来た。どちらも獣姿で、毛も羽もしっとりと濡れている。川でしこたま泳いで来たらしい。
『はー、気持ちよかったあ!』
『さっぱりしたわい、夏は風呂より水浴びじゃの。おいトーリ、飯はまだか?』
「まだそんな時間じゃねえだろ、日も暮れてねえのに。かき氷でも作ろうか?」
『お! あの冷たいやつか!』
『わーい、食べる!』
「じゃあ人間姿になって、服着て家の中で待ってろ」
それでまた氷を削り、シロップをかける。こうやって夏の間はかき氷のリクエストが増えたから、冷蔵魔法庫の中には種々の果物の砂糖煮やシロップ漬けの瓶が並ぶ様になった。ジャムを水でのばして使う事もある。
「アンズ味おいしいー、いてて」
「わしゃイチゴのが好きじゃ。いてて」
掻っ込めば頭が痛いとわかっているのに、いつも一気に食べてこめかみを押さえている。トーリは呆れながら、畳んだ洗濯物を重ねた。
「急いで食うなってのに」
騒いでいると、むにゃむにゃ言いながらセニノマが薄目を開けた。そのままうんと伸びをする。
「はー、いかんいかん、寝ちまったべさ。ありゃ、シノたち帰ってただか」
「おう、いっぱい泳いで来たのじゃ。おぬしはお昼寝か」
「んだ。ついつい居心地がよくて……ふあ……」
と欠伸をして、再びとろとろと目を閉じる。
「ボクもお昼寝しよっかなー。泳ぐと眠くなるよね」
「そうじゃの。どうせ晩飯までする事もねえしな」
いいご身分だなこいつらは、とトーリは洗濯物を抱えた。
それでセニノマはまた揺り椅子に寄り掛かり、シノヅキとスバルはソファに転がった。日が少し傾いて、窓から差し込む光の雰囲気が少しばかり変わった様に思われた。
洗濯物をしまい、雑多なものが並んだ棚をごそごそと整理しつつ、夕飯をどうしようかと考えていると、不意に扉が開いてユーフェミアが戻って来た。
「お、ユーフェ、おかえり。今日は終わりか?」
「ううん、ちょっと」
と言って入って来たユーフェミアの後ろからシリルがひょっこりと顔を出した。
「お邪魔します」
「ああ、シリル。いらっしゃい。どうしたんだ?」
「本を貸して貰おうと思って……せっかくなのでトーリさんにもお会いしようかと」
とシリルははにかんだ。何だか嬉しい事を言ってくれるなあ、とトーリは笑った。
曰く、魔法の訓練は非常に面白く、一人の時も自主練習を繰り返しているが、ふとわからなくなった時に何かしら参考になるものが手元に欲しいと思ったらしい。それでユーフェミアの蔵書をいくらか貸してやろうと話になって、気分転換がてら一緒に連れて来た様だ。
「そりゃ熱心だなあ……お茶でも淹れようか?」
「うん。ちょっと休憩」
と本棚を漁りながらユーフェミアが言った。
同じく一緒に戻って来たシシリアが隣に立っている。
「ユーフェちゃん、『エルハザードの眼』はまだ早いと思うわよぉ? ひとまず『一般魔法論』あたりからにしてあげなさいな」
「あれどこ行ったかわかんない……」
「あらら。こっちの本棚じゃないんじゃない?」
それで二人は本を探しに寝室の方に入って行った。セニノマは寝ている。シノヅキとスバルもぐうぐう寝息を立てている。
トーリは肩をすくめて、お茶を淹れた。
「どう、魔法は。順調か? シシリアさんにセクハラされてないか?」
「とってもよくしてもらってます。おかげで魔眼の扱い方が少しずつわかって来ました」
とシリルは笑った。笑うとどことなくスザンナに似ている。女顔だというのもあるだろう。美少年である。
「体はもうすっかりいいのか?」
「はい、おかげさまで。死蟲に冒されていた頃は、多分それに色々な力を取られていたせいで、頭の方も靄がかかったみたいだったんですが、最近ははっきりしていますよ」
確かに、もう無邪気な少年といった風ではない。目はきらきらしているし、利発そうな顔立ちだ。声変わりの時期を迎えているのか、やや喋りづらそうではあるが。
「ユーフェさんは、家ではどんな感じなんです?」
「ユーフェ? だらだら怠けて、大体寝てるよ」
「そうなんだ……トーリさんはそのお世話をしてるんですね?」
とシリルは笑った。トーリも笑う。
「まあな。まあ、元々その為に雇われた感じだからさ」
「あれ? 恋人同士なんじゃ……」
「別にそういうわけじゃないんだがな」
「でもユーフェさんは」
「ユーフェは、まあ、そうしたいみたいだけど」
「トーリさんはそうでもないんですか?」
「いや、まあ、その……」
その時寝室からユーフェミアとシシリアが戻って来た。本を三、四冊抱えている。
「はい、シリル君。これがお勧めの参考書よ。自主練の時の参考にしてねぇ」
「わあ、ありがとうございます。お借りします」
「トーリ、お茶頂戴」
「あいよ。かき氷もできるけど」
「あ、それならかき氷がいい」
それでは、と早速氷を出して鉋で削る。
「シノさんたちは……寝てるな。要らねえか」
それで四人分。トーリはシロップの瓶を出して食卓に並べた。
「アンズ、イチゴ、レモン、何がいい?」
「レモン」
「イチゴがいいわぁ」
「じゃあ、アンズを……」
それぞれにシロップをかけてやる。外はまだまだ暑い。氷菓がうまい。
シリルは何だか感動した面持ちで匙を動かしていた。
「おいしいですね、これ。初めて食べました」
「お、マジか。まあ、俺も最近作る様になったんだけどな」
「器用なんですね。ぼく、こういうのはやった事ないです」
「これからやればいいんじゃないか? 病気も治ったんだし、やりたい事はやった方がいいと思うぞ」
トーリが言うと、シリルは「そうですね」とはにかんだ。
ユーフェミアがそのまま食卓に顎をつけて溶けてしまったので、シリルはシシリアが送って行った。ようやく起きたシノヅキが大きく伸びをする。
「んー、よう寝たわい」
「寝過ぎだよ。夜寝れるのか?」
「寝れなけりゃその辺をひとっ走りして来るわい」
「夜の散歩もいいよねー」
同じく起き出して来たスバルも体をひねっている。セニノマも起きて、むにゃむにゃ言いながら椅子の上で手足を動かしている。気楽な連中だなあ、とトーリは思った。
いつもの様に夕飯を終え、銘々に風呂に入った。
セニノマは帰り、シノヅキとスバルはやはり昼寝が尾を引いているのか元気で、獣姿に戻って外に飛び出して行った。その辺りを駆け回ったり飛び回ったりして遊んで来るのだろう。
一方、シリルの家庭教師に出かけていたユーフェミアは眠そうで、風呂上りにソファに腰かけてとろんとした目で左右に揺れている。シシリアはまだ風呂に入っていた。最近彼女は最後のぬるくなった湯に入って、湯船でゆっくり本を読んでいる事が多い。
トーリはユーフェミアの頬をむにっとつまんだ。
「お前、眠いならベッドに行けよ。ここで寝ちゃ湯冷めするぞ」
「んー……」
ユーフェミアはトーリに向かって両腕を伸ばした。
「だっこ」
「はいよ。ほら、行くぞ」
もうこうする事にトーリも何の抵抗もない。ユーフェミアを抱き上げる様に立たして、支えてやる。
「ちゃんと立てって」
「んにゃ」
ユーフェミアはトーリに縋り付く様に体重をかけた。
「まったく……どうだ、家庭教師は。順調か?」
「うん……人に教えると、自分も復習になるから」
そうらしい。
ユーフェミアは他の事ならいざ知らず、魔法に関しては実に真面目だ。本も読むし、時折作業場に籠って何か実験をしている。“白の魔女”として恐れられる立場になっているのに、向上心は忘れていない。
代わりに他の事のほとんどが著しく彼女の埒外にある。ユーフェミアの脳内を覗いて診れば、大体魔法とトーリの二つに分けられるであろう。
「シリルは、やっぱり筋はいいのか?」
「うん。真面目だし、吸収が早いから教えてて楽しい。新しい事ができる様になる度にとっても喜ぶから、こっちも嬉しくなるの」
とユーフェミアは実際楽しそうに言った。悪い事ではない、むしろいい事の筈なのだが、なぜだかトーリは少しムッとして、ムッとした自分に驚いた。
(何だ俺、嫉妬してるのか?)
何とも片付かない気分である。だからといってシリルに教えるのを止めろなどとは言わないし、思いも寄らない。小さく頭を振って、湧いて来た妙な感情を振り払った。
寝室に入って、ベッドに寝かした。ユーフェミアはトーリに抱き付いたままむきゅむきゅ言った。
「放せって」
「んー」
ユーフェミアはぎゅうとトーリに抱き付いて頬ずりした。そうして満足したのかもそもそと服を脱ぎ出す。トーリは慌てて寝室を出た。
風呂からはまだ水音がしている。シノヅキとスバルも戻って来ない。
トーリは椅子に腰を下ろして、何とももやもやした気分でしばらく座っていた。