3.男どもの午餐
市場は埃っぽく、人々が往来する分だけ余計に土埃が舞う。石造りの家々が日差しを照り返して、汗を掻くのにぱさぱさしている様な妙な感覚である。
「あっついな……」
トーリはぼやきながら荷物を持ち直した。
アズラクで冒険者をやっていた頃は、夏が来る度にこうなっていたから慣れたものだったが、ユーフェミアの所で暮らす様になってからは、夏は緑に囲まれて湿気があるから、この埃っぽさが何となく気に障る様である。快適さに慣れてしまうと、こういう時に不便だ。
それでも夏は食材も多い。ぴかぴかした夏野菜が山と積まれている。肉と魚は若干不安だが、基本的には新鮮なものばかりだから、すぐに持ち帰って処理すれば大丈夫だろう。
米や乾燥品を買い、生鮮品を仕入れる前に、どこかで軽く何か食べようかとトーリがきょろきょろしていると、「あれえ、トーリさんじゃないですか」と声がした。
見ると白金級クラン『落月と白光』の団長、マリウスが立っていた。
「マリウスじゃねえか。久しぶりだな」
「ですねえ。最近どうしてるんですか? あんまり会えないと寂しいじゃないですか、気軽に遊びに来てくださいよ」
「いや、そっちも忙しいだろうよ、白金級なんだし」
「まあ、そうなんですけどね。今日はユーフェちゃんは一緒じゃないんですね」
「あいつは腹いっぱいで昼寝してるよ」
「可愛い彼女がいて羨ましいなあー」
マリウスはへらへらと笑いながら頭の後ろで手を組んだ。もうアズラクのギルドでは、トーリとユーフェミアが恋人同士であるというのは周知の事となっている。トーリとしては否定したいのだけれど、説明が難しい上に話がこじれると面倒なので、結局そのままになっている。
マリウスがぽんとトーリの肩を叩いた。
「俺、飯行くんですけど、一緒にどうですか? ガスパチョさんとクリスも一緒ですよ。ポート・オトバル料理の店で、多分トーリさんも行った事ない店だと思いますけど」
「マジか。じゃあ行こうかな。でも俺昼済ましたし、あんま食えないぜ?」
「いいですよ、店の場所教える様なもんですし」
それで連れ立って歩き出す。
「この前案内してくれた店、うまかったな。ユーフェも連れて行ったけど、結構気に入ってたぜ」
「でしょ? あそこの店主、俺と同じでポート・オトバル出身らしいんですよ。まあ、魚は生鮮品とはいきませんけどね」
「そりゃ港町とは比べらんねえよ」
「ふっふっふ、それが今回の店は中々いいですよ。楽しみにしてくださいよ」
「へえ」
広場に行くと、ガスパールとクリストフがいた。二人ともトーリを見るとおやおやという顔をした。
「トーリではないか! 久しぶりだな」
「ああ、ガスパールも元気そうで……クリスはこの前ちょっと会ったな?」
「デートの最中だったね、君は! 今日は一人なのかい?」
「今日は買い物。この前も別にデートじゃねえけど……まあいいや」
アズラクは広い。今でも拡張が続いているらしく、長年暮らしていたトーリでも行った事のない店は多い。
マリウスの案内で路地裏をくねくねと抜けて、辿り着いた。店の前に日傘をいくつも立て、下にイスとテーブルを置いている店だ。開き戸は開け放され、中はカウンターがある。食堂というよりは酒場といった佇まいである。
外の四人掛けに座る。荷物を置きながら、トーリは口を開いた。
「この前、マウカイラ料理食べに行ったよ。うまかった」
「そうだろう! 包み焼は食べたか?」
とガスパールが自慢げに言った。トーリは頷いた。
「食った。確かにうまかったよ。肉汁が染みた生地がよかった」
「流石、よくわかっているな! 香草の利かせ方が重要なのだ!」
「ちょっとちょっと、雑談は注文の後にしてくださいよ。それとも俺が頼んじゃっていいんですか?」
とマリウスが言った。トーリは頷く。
「俺は量少な目で。がっつり系はやめとく」
「私は麦酒をもらおう。あと辛みのある料理を所望する」
「僕はワインがいいな! 串焼きなんかはあるのかい!?」
「はいはい、お望みのままに。すいませーん、注文よろしくー」
小一時間後に、魚介を中心にした料理が次々と運ばれて来た。何でも冷蔵魔法庫付きの輸送車で海から運んで来ているらしく、塩漬けなどの加工品ではなく、きちんと生鮮品の海の幸が使われている様だ。
「何だこれ、ムースなのに魚の味がする……」
「うまいでしょ? 魚のケーキですよ。ポート・オトバルじゃ定番の前菜です」
「面白過ぎる……これ食わしたら驚くだろうなあ。でもどうやって作るんだろ」
銘々に麦酒やワインを傾ける中、トーリだけは冷やした花茶を飲んだ。
「トーリさんは、酒は飲まないんですか」
「下戸なんだよ。飲むと記憶が飛んじまう」
「なんだ、冒険者の癖に情けない」
「もう冒険者じゃねえよ、俺は」
「この海老うまいねえ! やっぱり海のものは味が違うね!」
「それ川海老ですよ」
「な!」
「わははは、馬鹿め! 見栄を張るからそうなるのだ……げっほげっほ! 辛っ!」
「なんだい君、この程度の辛さで驚いているのかい? 見た目ほどタフじゃないね、はははは!」
「何だと!」
不毛なやり取りをしている連中を横目に、トーリは料理に舌鼓を打ちつつ、作り方を考察していた。今食べているのは魚の煮込みだが、煮込まれたソースが普通と違う様に思われた。
「これオリーブオイルか? 乳化させてんのか……だとすりゃ低温で煮込む様な感じか……皮付きの魚だからここまで乳化すんのかなあ。これ、タラ?」
「あー、多分そうですね。俺も詳しくは知らないですけど」
ポート・オトバル直送の魚介類あってこその料理なのは間違いないが、それでも調理法などから得られるものはありそうだ。アズラクで手に入る食材でどうアレンジするか、とトーリは考えながら、からりと揚がったすり身のコロッケを頬張った。
「しかしアズラクも日に日に賑やかになっているね! 僕らが来た頃も相当だったが、まだ治まりそうもないじゃないか!」
とクリストフが言った。トーリは花茶をすすった。
「やっぱそうか。お前ら、休んでて大丈夫なのか?」
「いつも休んでるわけじゃないですよぉ。休む時は休むし、働く時は働く。そういうもんでしょ? 一流はあくせくしないもんですよ」
「その通りだ。それに我ら『覇道剣団』に追い付けるクランはそういないからな」
「白金級クランもだいぶ増えましたけどねえ。それでもダンジョンやモンスターの奪い合いになってない辺り、アズラクは凄い所ですよ」
クランも冒険者も増えているとはいえ、辺境の奥の奥、魔境にまで足を延ばせるクランはそう多くない。飛竜を持つ『破邪の光竜団』は、その点では他のクランより一歩先を行っているらしい。
しかし、『覇道剣団』と『落月と白光』も、積極的に高難易度のダンジョンなどに向かい、着実にアズラクでの地盤を固めている様だ。
デザートとお茶を頼んだマリウスが口を開いた。
「ローザヒルさんは最近大人しいみたいですけどねえ。飢え死にしかけて、ちょっと臆病になっちゃったんですかね?」
「小娘だからな。仕方あるまい」
「こらこらガスパチョ君、レディには優しくするものだよ!」
「ガスパールだと何度言ったら!」
「じゃあ『憂愁の編み手』は静かなのか」
とトーリが言った。クリストフが肩をすくめる。
「休んでいるわけではなさそうだけどねえ」
「その点、“白の魔女”さんは安泰でいいですよねえ。他に冒険者がどんだけ入って来ようがあの地位は揺るがなさそうだし」
「流石に僕たちもあの人に喧嘩を売るほど愚かではないよ、ははは!」
「ふん、志の低い連中だ。同じ白金級とは思えんな」
「じゃあガスパチョさん、あの人と張り合うつもりですか?」
「……ま、まあ、それはともかくトーリよ、孫娘とはよろしくやっているのか?」
「あん? ああ、相変わらずだよ」
「そういえば、“白の魔女”も一緒に住んでいるのかい? ユーフェミアちゃんと使い魔たちが一緒なのは知ってるけど」
何と言ったものかトーリは少し考えた。
「まあ、家はあの人の家だけど……基本的に自分の工房に籠ってるか、どっか出かけてるからそんなに会わないよ」
「へえ、忙しいんだねえ」
「あの方お婆様なんですよね? ユーフェちゃんのご両親はどうしてるんです?」
「あー……俺は会った事ないや。別で暮らしてるから」
「ふむ。しかしいずれ婚姻を結ぶのであれば、両親に挨拶に行かねばらならぬのだな」
とガスパールが言った。トーリは口をもごもごさせた。
それは確かにそうなのである。あまり考えない様にしていたのだが、考えない様にしていても、現実問題それは遅かれ早かれやって来るだろう。
しかしながら、ユーフェミア以上の魔法使いであるという母と、上位魔族であるという父に会うというのは、会う前から緊張するには十分過ぎる相手である。自分はクランを首になるくらいの実力しかない男だから、どうしても気後れする。
騒がしい午餐を終えて、トーリは帰路に就いた。
久々の男ばかりの食卓も悪くはなかったし、時間が許せばもう少し遊んでいてもよかったのだが、あまりゆっくりして日が落ちてしまえば洗濯物は取り込めないし、風呂も焚けないし、夕飯の支度もできない。ある意味トーリは冒険者よりも忙しい。
それで家に帰るとセニノマが来ていて、食卓を挟んでシシリアと向き合っていた。卓にはチェス盤が置かれている。
「あらぁ、トーリちゃん、お帰りぃ」
「あっ、おお、お帰りなさいだよ!」
セニノマは大慌てで立ち上がろうとして、椅子の足に自分の足を引っかけた。椅子がセニノマの足をもつれさして盛大に転倒する。
「ふぎゃっ!」
「ちょ、何してんの……」
「相変わらずそそっかしいわねぇ」
とシシリアはけらけら笑っている。セニノマは椅子を戻しながらえへへと笑った。
「お、お恥ずかしいだよ……」
「まったく……セニノマさん、来てたんだ」
「ユーフェが呼んでくれただよ。ふ、ふひひ……今は急ぎの仕事もねえし……鳥小屋を増築するんだべか?」
「ああ、そうそう。アヒル小屋は新築しようと思ってるんだ。ヒヨコも増えるし、早い方がいいと思って」
「んだな。さっきちょっと見て来ただよ。設計を相談しようと思って待ってただ」
「そういう事ね。でもちょっと待って。やる事片付けちゃうから。晩飯の後とかでもいい?」
「もちろんだぁよ」
「ユーフェは?」
「お昼寝しに行ってそのままよぉ」
「なるほど」
トーリは手早く食材をしまい、外に出る。もう日は傾いて、洗濯物に当たる陽光も斜めになっている。
餌を桶に入れると、外で地面を引っ掻いていた鶏や、池で遊んでいたアヒルたちが一斉に小屋へと駆け戻って来る。餌をやって、小屋を閉めて、それから菜園に水をまく。それで洗濯物を入れて畳む。畳み終えたら風呂に水を溜め、炉に火を入れて焚く。
「晩飯はリゾットと……キッシュでも焼くか。あとは豆でポタージュ作って、豚肉まだ残ってたから炙り肉と芋サラダ……セニノマさんもいるからちょっと多めに……もう一品足すか?」
ぶつぶつ言いながら台所に入ると、シノヅキとスバルが食材を見ていた。
「うーむ、これがあんな料理になるとは、にわかに信じがたいぞい」
「ねー。魔法みたい」
「ほら、ちょっとどいて。晩飯の支度するから」
「肉はあるんじゃろうな?」
「あるよ。ほら、どいてどいて」
フェンリルとフェニックスをどかして、トーリはあれこれと食材を取り出す。二人は台所の入り口辺りからそれを見ている。使い魔たちは退屈な時に、こうやってトーリのやっている事を漫然と眺めている事がある。
パイ生地をこねながらトーリは口を開いた。
「シノさん、今度狩りに行こうぜ。シノさんが仕留めりゃ、俺が捌くからさ。ささっとやりゃ、飯づくりにも影響ないから」
「おう、そいつは有りじゃの。どうせ暇を持て余し取るんじゃ、丁度いい」
暇なのに地上に入り浸っていて大丈夫なんだろうか、とトーリは思った。
とはいえ、シノヅキたち使い魔も長々と暇を持て余しているわけではない。魔法薬の納品は大体十日前後の感覚で定期的に行われており、数が増した分だけ支払額も上がるので、時にはユーフェミアが使い魔たちを率いて大規模に素材を集めに出かける事もあるのだ。
完成した納屋には、そういった素材が既に沢山並ぶ様になった。以前は製薬の際に素材集めも並行して行われていたが、今は加工した素材を保管しておけるので、一度の素材集めで大量の素材を揃えて、そうして煮たり干したり瓶詰めにしたりして保管する。そうしてその都度調合してギルドに卸しているわけだ。
だから素材集めに出かける時と、それを加工する時は忙しいけれど、それ以外の時は相変わらずのんびりしている。
「魔界からの呼び出しとかないのか?」
「さあのう。そもそも呼び出しを突っぱねる為に通信を遮断しておるから、しばらく呼び出されようがないんじゃがな!」
わはははと笑うシノヅキを見て、トーリは呆れた様に息をついた。
「それ、大丈夫なのか?」
「平気じゃい。そもそもわしらに頼り切りなのがいかんのじゃ。のう、スバル?」
「そうそう。別にボクたちじゃなくてもいい事でも、幹部だからって一々呼び出すからうざいよね、エセルバート」
そうらしい。この連中が幹部の組織は、何だか碌でもなさそうだなとトーリは思った。
パイ生地を寝かしている間に、トーリは小鍋で芋と人参を茹で、フライパンで玉ねぎ、燻製肉、葉野菜を炒めて皿に取り分けた。茹で上がった芋と人参は小さなサイコロ状に切り分けて、塩とスパイス、オリーブオイルであえて、冷蔵魔法庫に入れて冷やしておく。
「あっつい……」
夏の台所は暑い。まだ夏本番ではないにせよ、炉にもオーブンにも火が入っていれば当然熱気は上がり、春の頃よりもじりじりと肌に迫って来る。
トーリは額の汗をぬぐい、風呂の様子を見に行ってから、小鍋で豆を煮始めた。
ずっと見ているシノヅキとスバルが、何だか感心した様な顔をしていた。
「やるのう」
「あっちやって、次こっちやって……うひー、大変だあ。ボク、やっぱ無理ー」
二人して両手の指をわきわき動かしている。魔界の幻獣は相変わらず人間の手であれこれやるのが想像しづらいらしい。
ちょっと前にユーフェミアと使い魔たちだけで夕飯をこしらえた事があったが、やはり出来はよくなかった。味付けもそうだし、調理の手際も悪かったから、食えない事はないけれどうまくないという、なんとも扱いに困る代物ができ上がってしまったのだった。
トーリはパイ生地を延ばして型に入れ、そこに炒めた具と溶き卵、クリームを混ぜたものを注いでオーブンに押し込んだ。豚肉も油を塗ってその隣に入れる。豆の小鍋には乳を注ぎ、塩コショウで味を整え、木べらで豆を荒く潰した後に裏ごしして滑らかにする。
「いいにおい」
ユーフェミアがひょこっと顔を出した。
「起きたか。もう風呂沸くぞ、入っちまえ」
「やだ。暑いもん」
「暑いから入るんだよ」
トーリはフライパンにバターを落とし、米を炒めた。米が油を吸って透明になって来たら、温めたスープストックを注ぎ、くつくつと煮込む。ユーフェミアが手元を覗き込んだ。
「リゾットだ」
「そうだよ」
「オーブンでも何か焼いてるの?」
「ああ、肉と……キッシュ」
「ん」
ユーフェミアは目を閉じてトーリの方に顔を近づけた。唇を尖らしている。
トーリは首を傾げた。
「なにしてんだ、お前」
「……? キッスって」
「キッシュ!」
トーリは呆れながら、米がくっつかない様に木べらでフライパンをこそいだ。
ユーフェミアはトーリの背中を撫でながら面白そうな顔をしている。
「汗でびっちょり」
「くっつくなよ、ただでさえ暑いんだから……」
「汗かいたらお風呂。一緒にはいろ」
「嫌だっつーの。大体まだ飯作ってんだから……おいシノさん、暇ならユーフェと風呂入れ」
「風呂かー。気乗りせんのう……水浴びならええんじゃが」
「熱い風呂の後の冷たい飲み物はうまいぞ」
「なるほど。よし、入るか。ユーフェ来い」
「うにゃ」
ユーフェミアはシノヅキに引っ張られる様に連れて行かれた。
これで料理に集中できる、とトーリはリゾットにスープを注ぎ足した。
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