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3.シノヅキ


 ユーフェミアは首を横に振った。


「違う、敵はいない」

『なにぃ? ではなぜわしを呼んだ』

「お買い物の荷物を持って欲しいの」


 ユーフェミアが言うとシノヅキはあからさまに嫌そうな顔をした。


『誇り高きフェンリル族を荷物持ちに使う奴があるか! お断りじゃ!』

「つべこべ言わない。文句言うならこれからは呼んであげない」


 ユーフェミアが言うと、シノヅキは急にしゅんとした様に耳を垂れた。


『そ、それは困る。おぬしが呼んでくれねば、今地上でわしを呼べる者は誰もおらぬ』

「じゃあ言う事聞いて」

『ぐう……仕方あるまい』


 シノヅキは不承不承といった風に頷いた。それでユーフェミアと一緒に表通りに出て行こうとする。

 今まで呆然としていたトーリはハッとして、大慌てでユーフェミアたちを呼び止めた。


「ちょちょ、駄目ですよ」

『む? なんじゃ、この若造は』

「トーリ。わたしのお世話をしてくれる人」

『なんじゃと? ふぅん、随分冴えないのを引っ掛けたもんじゃのう。こんなのに何ができると言うんじゃ?』


 とシノヅキはせせら笑った。確かにそうだよなあ、とトーリは肩を落とす。

 しかしユーフェミアが怒った様にシノヅキの尻を杖でひっぱたいた。シノヅキは「きゃん!」と鳴いた。


『な、なにをするかっ!』

「トーリは凄い人。シノのできない事ができる」

『何を言うか! 人間にできてフェンリル族に出来ぬ事なぞないわ!』

「お料理」


 シノヅキの勢いが止まった。


「洗濯」

『そ、それは……だってわし、フェンリルじゃし……見ろ、このおてて。炊事洗濯なぞできると思うてか?』

「それだけじゃない。あとお掃除。わたしの家の」

『な!? あの魔の巣窟の!?』


 ああ、フェンリル族から見てもそうなんだ、とトーリは何だか安心してしまった。


『……わかった。それは確かに只者ではあるまい。名は何といったか?』

「あ、トーリです」

『トーリよ、なにゆえ呼び止めたのじゃ。買い物に行くのではないのか?』

「そうですけど、街中をフェンリルが闊歩してたら大騒ぎになりますよ」

『なんじゃ、そんな事か。ならばこうすればよい』


 言うが早いか、シノヅキの体毛がぶわっと逆立った。そうして渦を巻く様に巻き上がり、収縮したと思うや、そこにはすらりと背の高い妙齢の美女が一人立っていた。体毛と同じ銀の長髪がさらりと揺れる。トーリは呆気にとられた。


「シノヅキさん、女性だったんですか……というか服! 服着てください!」


 すらりとくびれた腰つきと不釣り合いに、存在を主張するどでかい胸の双丘が揺れている。素っ裸である。隠そうともしない。

 トーリは大慌てで目を閉じたが、瞼の裏に映像が焼き付いた様に離れない。

 シノヅキは「ふむ」と言って自分の体をまじまじと見た。


「この姿も久しぶりじゃ。まったく、毛皮もないとは、人間とは不便な体じゃのう。ユーフェ、服」


 ユーフェミアは面倒くさそうに杖を振った。たちまちシノヅキの体をぱりっとした服が覆う。シノヅキはうむと満足げに頷きながら長い髪の毛をポニーテールに束ねている。


「これでよかろう。何を赤くなっておる」

「いや、だって……」


 俯いて頬を掻くトーリの腕を、何となくむくれた様子のユーフェミアが取った。


「買い物。行こう」

「え、あ、はい」

「ほほう……」


 引っ張る様に連れて行かれるトーリを見て、シノヅキはにやにやと笑った。


 それで買い物を再開した。人間の姿になったとはいえシノヅキの力はフェンリルの時と遜色なく、沢山の荷物を事もなげに担いで平然としている。

 それで大体買い物を終え、満載の荷物と共に帰って来た。


「随分買い込んだもんじゃなあ」


 とシノヅキが呆れた様な感心した様な声で言った。


「しばらく掃除とか修理とか、あれこれやりたいので。買い物に行くと時間取られちゃいますからね」

「おお、確かに片付いておる! トーリ、おぬしやるではないか」

「いや、まだまだですよ」


 トーリは買って来たものをごそごそと整理しつつ、寝室に逃げて行こうとしているユーフェミアを捕まえた。


「寝るのはまだです」

「ご飯できたら呼んで」

「その前に冷蔵魔法庫(フリッジ)をください」

「ん」


 ユーフェミアは台所に行くと、トーリが調理器具を引っ張り出して空になった物入れの前に立った。杖を向けてぽそぽそと何か唱える。魔法陣が展開し、それが棚の戸や壁に張り付いて行く。やがてそれが治まると、開いた戸の中から冷たい空気が漏れ出していた。


「ここ使って」

「すご」


 あんまりあっさりしているから、却って嘘じゃないかと思う。しかし物入れの中は確かにひんやりと冷たい。

 ひとまず肉や野菜、卵などを入れ、粉や穀類は袋のまま籠に入れて置いておく。

 暖炉に鍋をかけて湯を沸かし、種々の野菜と豆とを煮込む。熾火を取り分け、足つきの五徳の上にフライパンを置き、燻製肉と卵を入れて焼く。町で買って来たパンも切り分けた。シノヅキが鼻をくんくんさせている。


「うまそうじゃのう」

「まあ、口に合えばいいですけど。というかシノヅキさん、人の姿になれるんなら掃除とか料理とかできないんですか?」

「この家を片付けろと言われて引き受けるわけないじゃろうが、面倒くさい」

「……それもそうっすね」

「それにわし、ぶきっちょじゃもん。人間のおててには慣れとらん。細々と道具を使うとか、やりたくないわい。包丁使ったら指を怪我したし、洗濯畳もうとしたらちぎっちゃったし」


 とシノヅキは手をわきわきと動かした。確かに、普段が狼の姿では人間の道具を使う様な機会はないだろう。それにしたって不器用すぎる気もするが。


「シノヅキさん、いつもどうやって暮らしてるんです」

「そりゃおぬし、魔界で狩り暮らしよ。フェンリル族一の戦士じゃぞ、わしは」

「あー、そうですよね。シノヅキさんすげえ強そうだったもん」


 召喚された時の巨大な体躯の威容を思い出し、トーリは身震いした。シノヅキは機嫌よさげにからからと笑う。


「そうじゃろそうじゃろ! わははは。おいトーリ。シノヅキじゃ呼びにくかろう、気軽にシノとでも呼べ」

「はあ。ユーフェミアさん、飯ですよ!」


 トーリが怒鳴ると、寝室でごそごそいう音がして、ユーフェミアが出て来た。薄手のワンピースを着ている。


「いいにおい」

「はい、座って座って! というか何か羽織ってくれませんかね!?」


 ワンピースが薄すぎて、何だか色々と透けて見えている。ユーフェミアは恥ずかしがるでもなく、自分の体に目を落とし、はてと首を傾げ、それでも部屋に戻ってカーディガンを羽織って来た。


「ユーフェが素直に言う事を聞くとは面白いのう、くくく」


 たっぷりのベーコンエッグにパン、具だくさんのシチューと豪華な食卓である。ユーフェミアは「おお」と目を輝かし、シノヅキもよだれを垂らしている。

 トーリは皿にシチューをよそい、ユーフェミアに差し出した。


「はい、ユーフェミアさん。シノさん、シチュー、結構熱いけど大丈夫ですか?」

「猫舌じゃねえで平気じゃ! 大盛りくれ、大盛り!」

「へいへい」


 それでシチューをよそっていると、何だかジトっとした視線を感じた。

 トーリが目をやると、ユーフェミアが不機嫌そうな顔でトーリを見ていた。


「な、なにか?」

「シノの事、シノって呼んでる……」

「え? はあ、まあ。そう呼べって言われたんで」

「……わたしの事もユーフェって呼んで」

「はあ。ユーフェさん、でいいですか?」

「さん要らない。敬語もなし」

「はあ……まあ、そう言うならそうするよ」


 トーリは元が田舎者で学がないので、そもそも敬語が完ぺきではなく、砕けた言葉が混じっていた。ユーフェミアは見た目も年下だから、別段砕けた口調にするのは苦にならない。


 ユーフェミアはむふーっと満足そうに頷くと、シチューに向き直った。何だか小動物というか妹の様だというか、やっぱり可愛い。巨大で威圧感のある“白の魔女”のあの恐ろしい姿なぞ忘れてしまう。シノヅキはにやにやしている。


 半熟の目玉焼きの黄身でユーフェミアの口の周りが汚れている。


「ユーフェ、口の周り。べったべただぞ」

「ん」


 カーディガンの袖で拭こうとするので、トーリは慌ててタオルを手に取った。


「袖で拭かない! ほら、こっち向いて」

「ん……」


 ぐいぐいと口の周りを拭いてやる。ユーフェミアはくすぐったそうに目を閉じて大人しく拭かれている。


「まるで赤ん坊じゃの」


 とシノヅキはユーフェミアを馬鹿にした顔をしつつ、自分も慣れぬスプーンでシチューと格闘している。テーブルに汁がびちゃびちゃこぼれる。ついには業を煮やしたと見えて、スプーンを放り出して椀の中身に直接口を付けた。


「うーん、こりゃうまい! 生肉とは違くて、これはこれでええのう!」

「ちょっとシノさん、こぼし過ぎ! あんたも大概だよ! 誰が片付けると思ってんの!」

「おぬしはその為に雇われたのじゃろ! あ、その肉食わんならくれ!」

「それ俺のぉ!」

「トーリ、拭いて」

「なんでまた口の周り真っ黄色かなあ!」


 騒がしい食事を終えて、片づけをする頃には、トーリはすっかりくたびれていた。どうして飯を食うだけでこんなにくたびれねばならぬのだ、と思った。

 ユーフェミアはうとうとと舟を漕いでいる。シノヅキはその頬をつついて遊んでいた。トーリは掃除を再開しようと掃除道具を手に取る。


 その時、開け放した玄関から何か飛び込んで来た。鳥である。手紙を咥えている。鳥はユーフェミアの肩にとまり、ちっちっと鳴いた。


「なんだ、その鳥」

「ん……わたしの使い魔。ギルドにポストがあって、そこに入った手紙を持って来てくれるの」


 ユーフェミアは目を開けて、鳥が持って来た手紙を開く。それから立ち上がった。


「お仕事」

「おっ、モンスター退治か! わははは、それを待っとったわ!」


 ユーフェミアが杖を振ると、寝室から宝石飾りの沢山ついたローブと三角帽子が飛んで来て、ユーフェミアの体を包む。その後で三角帽子もすっぽりと頭に着地した。

 家の外に出ると、ユーフェミアの周囲を奇妙な光の渦が取り巻き、姿がぐんぐんと膨らんで“白の魔女”へと変わる。デカい、怖い、強いの三拍子揃ったアズラク最強の冒険者である。

 シノヅキも人からフェンリルへと姿を変えて、空に向かって吠えた。


『やっぱりこの姿が一番じゃ! ユーフェ、相手はなんじゃ?』

『甲殻竜だ。中々の実力だと聞き及んでいる。事の次第によってはスバルとシシリアも召喚せねばなるまい』

『ふん、あいつらに頼らずともわしがいれば十分じゃ。行くぞ、乗れいっ!』


 ユーフェミアは巨体に似合わぬ身軽さでシノヅキにひらりと跨った。そうして呆然としているトーリに目を向けた。魔女の鋭い視線にトーリは凍り付いた。


『トーリ、つつがなく留守番の役目を果たすのだぞ。夜までには帰る』

「あ、はい。いってらっしゃいませ」


 声色が怖い。口調も古強者といった風で、いくら敬語はナシと言われても、あの姿では自然と敬語が口をついて出る。


『シノ、参るぞ』

『おう!』


 シノヅキは遠吠え一声、そのまますごい勢いで駆け出した。途中から地面ではなく空中を踏んで駆け、たちまち姿が見えなくなる。

 ぽかんとそれを見送っていたトーリは、ハッとして頭を振った。


「……まあ、これで掃除に集中できる」


 そういえば、『泥濘の四本角』にいた時も、こうやってクランメンバーを見送って、掃除や料理、買い物をしていたっけと思い出す。自分の仕事をしていたと思っていたが、戦っていたメンバーは、もう自分を仲間だとは見られなくなっていたらしい。


(バカ、あの時とはもう違うっての)


 トーリは気合を入れようと頬をぱんと両手で叩いた。思ったより痛かったのでちょっと後悔した。


 それで部屋の中の掃除を再開する。本をまとめ、ゴミを出して燃やす。服があれば洗濯籠に放り込んでおく。後でまとめて洗ってしまう予定だ。


「しかし、どうやったらここまで散らかせるのやら……何年分だよ」


 ぶつぶつ言いながら、次々に出て来るものを選り分けて行く。


「……パンツ」


 薄青いレースのパンツが落ちていた。くしゃくしゃしているから洗濯したものではないだろうし、ここで脱いだという事だろうか。家の中ならどこでも服を脱ぎ捨てて平気な顔をしているに違いない。だからこんなに服が散乱しているのだ。


(……というか、寝る時全裸なんじゃねえかな、あいつ)


 いつも下着すらつけない上に薄着で出て来るのを思い出し、まんざらあり得ない話ではないと思う。

 トーリはパンツも洗濯籠に放り込み、嘆息した。


「こう汚いと、変な気ももよおさねえな」


 ともかく綺麗にしようという気の方が先に立つ。パンツにムラつく気分ではない。

 もうスライムも大ネズミも出て来ないし、片づけは順調である。積み上がった本を一か所にまとめているうちに、本に隠れていた扉が発掘された。

 恐る恐る開けて中を覗き込むと、カビっぽい空気がトーリを取り巻いた。


「……風呂あんのかい」


 風呂場だった。しかし長年使われていないらしく、あちこちカビだらけで、隙間の空いた窓からは蔦性の植物まで侵入している始末だ。苔まで生えている所もある。

 ここも掃除する様だな、とトーリは頭に手をやった。いや待て、しかし風呂がこの状態では、ユーフェミアは全然風呂にも入っていなかったという事だろうか。


(……でも臭くはなかったな)


 むしろちょっと甘い様ないいにおいがした様な気がする。魔女恐るべし、とトーリは変な所でユーフェミアを尊敬し直した。

 空き瓶の類を片付けると結構スペースが空いたので、本類はそこに積み上げておく。とうとうトーリの寝床であるソファも、その姿を完全に現した。


 そうしているうちに夜が近づいたので、夕飯の支度である。台所と暖炉の間が片付いたので、種火が移動できそうだ。トーリは暖炉の熾火をキッチンストーブに移し、そちらでも火を焚き始めた。暖炉と違って腰をかがめて調理する必要がなくなった。


 生米を油で炒めて透き通った所に、野菜と肉のスープを少しずつ入れてリゾットに炊き上げ、仕上げに削ったチーズをたっぷりかける。

 大きな魚は塩とハーブを振って暖炉の熾火の上で焼く。芋は鍋で茹でて皮を剥き、塩とハーブ、オイルで和えた。


(もっとでかいオーブンが欲しくなるなあ)


 トーリは料理が好きだ。どうせならおいしいものを作りたいといつも思う。キッチンストーブに小さなオーブンはあるが、もっと大きなものがあれば焼き菓子なども作れそうだ。

 魚がじゅうじゅうといい音を立てて焼き上がる頃、ユーフェミアとシノヅキが帰って来た。もうユーフェミアは変身を解いて可愛らしい少女の姿になっている。


「あ、おかえり。飯もうちょっと待って」


 ぽふんと、ユーフェミアがトーリに抱き付く。ちょうど頭がトーリの胸の所に来るくらい身長差があったのに気づき、それから急に混乱した。


「なになになに」

「疲れた……褒めて。よしよしして」

「あ、はい。お疲れ様……」


 何だかよくわからないままに、トーリはユーフェミアをよしよしと撫でてやった。背中もさすってやると、満足げに目を細めて、ぐりぐりとトーリの胸に顔を擦り付ける。


(やっぱりこいつ距離感バグってんなあ!)

「腹が減った! トーリ、飯じゃ、飯! ええにおいがしとるなあ!」


 シノヅキは何だか楽しそうに食卓についている。トーリは呆れた様に口を開いた。


「シノさん、魔界に帰らなくていいの?」

「ユーフェだけの時は残っても碌な事にならんから帰ったがな! こんな風にうまい飯にありつけるんなら、帰る意味なぞありゃせんわい」


 フェンリル族一の戦士とは……とトーリは肩をすくめた。

 ユーフェミアもシノヅキも、目をきらきらさせて夕餉を頬張った。


「このお米おいしい……チーズの味、好き」

「そいつはよかった。お代わりあるぞ」

「欲しい」

「わしも! あ! トーリ、その魚食わんならくれ!」

「だからこれ俺のぉ!」



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[良い点] みんな可愛いw [気になる点] スバルとシシリア… ( ゜д゜)ハーレムの匂いがするっ!!w
[良い点] このおてて、とか可愛らしく言った直後に人に変身してるから やっぱり炊事洗濯出来ないんじゃん、という突っ込みを自分もしてしまった。
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