14.腹が減っては何とやら
殻の内部はまさしく洞窟であった。幅は広く、天井も高い。ごつごつした岩肌から、種々の淡い光を放つ魔石などが突き出して、歩くのに支障がないくらいには明るい。
空間がねじれているのは確かな様で、既に殻の大きさを超えるくらいに歩いたにもかかわらず、洞窟に終わりが見えない。それだけでなく、次第に横道が増え、迷宮もかくやという様相を呈して来た。
「どっせーい!」
スバルの蹴りが、人間サイズのコンゴウヨコバサミを粉砕した。
「遅すぎじゃわい」
シノヅキの手刀が大きなカニの甲羅を叩き割る。
「……障害がなさすぎる」
とトーリは呟いた。
殻の洞窟に入ってしばらくして、こういったモンスターが現れる様になった。硬い甲殻を持ったものが多く、普通の冒険者であれば手こずる筈なのだが、魔界の住人たちは羽虫でも払う様に鎧袖一触にしてしまう。
安全なのはいい事だとわかってはいるのだが、気合を入れて来た手前、あんまりすんなり行き過ぎていると、それはそれで何となく片付かない気分になる。
とはいえ、大荷物を担いでいるトーリが前に出て戦うというのは現実的ではない。シノヅキもスバルも暴れる機会があれば暴れたがるから、丁度いいと言えば丁度いいのだろう。
「やれやれ、雑魚ばっかしじゃ。面白くも何ともねえのう」
「ねー。もっと手ごたえのあるやつ、出て来ないかなー」
「おい馬鹿やめろ。そういう事を言うと本当に出て来そうだろうが」
果たして巨大なフナムシが出て来た。多脚がぞろぞろと動き、見ていると背中や首筋がぞわぞわする。トーリは思わず体を抱く様にして腕をさすった。
「気持ち悪っ!」
「なんじゃい、たかが虫ではないか」
しかし生理的嫌悪もフェンリルには通用しなかった様で、フナムシは即座に叩き殺されてしまった。シノヅキはふふんと自慢げに鼻を鳴らして振り向いた。
「これでわしが十三。スバル、わしの勝ち越しじゃぞ」
「ふーんだ、ボクは十二だよ。まだわかんないもんねー」
とスバルが言った。倒したモンスターの数で競い合っているらしい。
競争に参加していないシシリアは何をしているかといえば、後ろでジャンの手をしっかと握ってにこにこしている。ジャンは歩きにくそうである。折角一緒に来てくれたのに、シシリアに捕まりっぱなしでちっとも活躍できそうにない。
「ジャン君、手を放しちゃ駄目よぉ? はぐれちゃったら大変だものねぇ」
「は、はあ……」
「おいジャン、嫌なら嫌ってはっきり言えよ。シシリアさんはしつこいぞ」
「まあ、トーリちゃんったらひどいんだから。ねえ、ジャン君?」
「い、いえ……は、まあ、その……」
人の好いジャンは真っ向から拒否する事もできないらしく、もじもじと視線を逸らすばかりである。駄目だこりゃ、とトーリは肩をすくめて、もう放っておく事に決めた。
進むにつれて洞窟は狭くなる様に思われた。分かれ道も増えて来て、どちらに行ったものかとトーリは思うのだが、先頭を行くシノヅキがずんずん歩いて行くので、有無を言わずにそれに着いて行く形になっている。
「シノさん、どんどん行ってるけど、大丈夫なの?」
「あん? ああ、大丈夫じゃ。においがするからのう」
「におい? 冒険者連中のか?」
「ちゃうわい、ヤドカリじゃ。あのひどいにおいがぷんぷんしよる」
「えー……そんなの辿ってどうすんだよ……」
「まとめて吸い込まれたんじゃろ? そんならヤドカリの中身も同じ場所にあるじゃろうが」
「あ、そうか……」
考えてみればそうである。
「風もこの先に向かってるしね。合ってるんじゃない?」
とスバルも言った。フェニックスは風に乗って飛ぶから、微弱な空気の流れも感じ取る事ができるらしかった。確かに、微かに後ろから風が吹いている様に思われた。
アホだと思っていた二匹も、何も考えていなかったわけではないらしい。むしろ考えなしだったのは自分の方だと気づかされて、トーリは何となく気恥ずかしかった。
(やばいなあ。現場離れ過ぎて勘が鈍りまくってる……)
ユーフェミアの所に来る前も、裏方に回って探索や討伐に出る事はなくなっていたのだ。こうやってダンジョンの様な所に来ること自体が数年ぶりである。しっかりしなけりゃ、とトーリは頭を振って、ふうと息をついた。荷物を担ぎ直すと、リュックサックにぶら下げた大鍋がかちゃんと音を立てた。
「トーリ君、どうして鍋なんか?」
とジャンが言った。
「え? いや、みんな腹減ってるかもと思って……」
飯をぱくつく魔界の住人たちを見て、ここに吸い込まれた冒険者たちもさぞ空腹だろうと思い、冒険道具よりも食材を多めに詰め直したのである。
水も持てるだけ持った。果ては現場で何か作るかも知れないとさえ考えて鍋まで持った。
あまりに重くなり過ぎたので少し分けて、動くのに支障がない程度にシノヅキとスバルにも持ち分けてもらっている。
(我ながらちょっとアホだったかな……)
とはいえ、トーリができるのは飯をこしらえるくらいなのだ。
この判断が吉と出るか凶と出るか、それはまだわからないが、来てしまったのだからもうどうしようもない。
トーリはリュックを背負い直した。鍋がかちゃかちゃ鳴った。
○
体中の痛みに、アンドレアは朦朧とした意識を覚醒させた。仰向けに倒れていた様だ。上体を起こし、周囲を見回す。
薄暗い場所だった。目が慣れて来るにつれ、ここはごつごつとした岩の窟である事がわかった。
天井は高く、広い部屋の様になっている様だったが、そこここに石柱が屹立して視界を遮っている。壁面や柱から魔石や鉱石が突き出して、そのいくつかは淡い光を放っていた。それが照明になって、辺りはよく見える様だ。
次いで覚えたのは鼻をつく悪臭である。生臭みにいくらかの腐臭が混じり、息をするのもためらわれる様だった。
「……どうなった?」
アンドレアは顔をしかめ、近くで無残に転がっているコンゴウヨコバサミの死骸を見た。殻は強力な斬撃や打撃、大魔法によって砕かれて、中の柔らかな肉が溶けた様にでろんとこぼれだしている。においの元はこれの様だ。
手の平でこめかみを数度叩き、記憶を呼び起こそうとする。
夜間の戦いだった事は覚えている。コンゴウヨコバサミに寄生して来たモンスターが攻撃を仕掛けて来て、それを迎撃する流れで、どこかのクランがそのままコンゴウヨコバサミに反転攻勢をかけたのである。
遅れてはならぬと『蒼の懐剣』を含めた他のクランも攻め寄せて、白金級の実力者の放つ攻撃が、一斉にコンゴウヨコバサミを襲った。
大魔法がいくつも放たれ、魔力がこもった武器が振り下ろされた。周辺の魔力がぶつかり合って、嵐の様な風がごうごうと吹き荒れた。コンゴウヨコバサミの殻のあちこちに、色々な光が見えた様に思われた。魔石が光っていた様だ。
殻に引っ込む暇もなく、敵は穿たれ、砕かれ、潰されて、方々に甲殻や肉の破片をまき散らして沈黙した。
どの攻撃が決め手だったのかは判然としない。だが仕留めたと思う間もなく、不意に死骸が動いた。そうして殻の中に物凄い勢いで引っ込んだ。
そうして背後から突風が吹いた。いや、今思えば突風ではなかった。引き込まれたという方が正確である。殻の中に吸い込まれたのだ。
わけもわからぬまま引き込まれるうちに気が遠くなり、気づいたらここに転がっていたのである。
「怪我は……していないな」
アンドレアは手足を動かして、大きく痛む箇所がない事を確かめた。吸い込まれた時にあちこちに体をぶつけたらしく、打撲的な痛みはあるものの、骨や筋を痛めている様子はない。洞の中だからか、それとも瘴気の影響があるからか、少し息苦しさを感じる。
立ち上がって、改めてそこいらを見回すと、同じ様に目を回して倒れている連中が見て取れた。小さなうめき声も聞こえる。
「スザンナ。おい」
近くに倒れていたスザンナの肩を叩く。スザンナは「ううん」と呻いて身をよじらせ、薄目を開けた。顔をしかめながら体を起こす。
「……あれ、アンドレア? 何が……」
「俺にもわからん。殻に吸い込まれたのは覚えてるか?」
「そうだ、確か……他のみんなは?」
「あちこちに倒れている。ひとまず起こして回ろうか」
それで二人は倒れている連中を起こした。『蒼の懐剣』もいるし、他のクランの者もいた。
「……うちの面子は揃ってるか?」
「うん。野営地の護衛に残った人たち以外はいるね」
どうやら攻撃に出た主力チームは残らずここに引っ張り込まれた様だ。他のクランも同様だろう。
「あら、皆さんご無事だったっすか」
声がした。見ると、石柱の向こうから『破邪の光竜団』団長のロビンの姿が現れた。副団長のクリストフが呵々と笑った。
「やあやあ、アンドレア君! 無事で何よりだよ! こっちはひどくくさいな! 場所を変えないかい?」
「ふむ?」
とアンドレアは傍らを見やった。近くにあるコンゴウヨコバサミの死骸は相変わらずひどいにおいを漂わしている。
ロビンはふうと息をついた。
「どうすか? 向こうも広いスペースがあったっす。においもここよりはマシっすよ」
ではそうしよう、と一同は冒険者たちを助け起こしつつ、死骸から距離を取った。
そこには『破邪の光竜団』の面々と、飛竜が数匹、うずくまる様にしていた。スザンナが目を丸くする。
「飛竜も吸い込まれちゃったんだ」
「そうっす。可哀想に、すっかり怯えちゃってるっすよ」
とロビンは嘆息して、飛竜の頸を優しく撫でた。
人が起きた事でざわめきが起こり、それを聞き付けてあちこちから他の冒険者たちも集まって来た。やがて吸い込まれたと思しき冒険者たちは全員が揃い、顔を突き合わした。
『覇道剣団』団長のガスパールがいらだたし気に言った。
「どうなっているのだ? ここは一体?」
「引きずり込まれたんですよ、ヤドカリの殻に。まったく、死んだ後にこんな隠し玉を持ってたなんてねえ」
と『落月と白光』の団長マリウスが言った。
「想定外でしたね……さて、どうしましょうか」
と言ったのは『憂愁の編み手』の団長ローザヒルである。綺麗なプラチナブロンドの髪が汚れて乱れている。足を痛めたのか杖にすがる様にして、時折痛みに顔をしかめる。
「ともかく出口を探そうぜ。こんなトコ、いる意味ねえしよ」
とジェフリーが言った。冒険者たちは顔を見合わせる。
「そんな簡単に見つかるかね? 出口が」
「でもここにずっといるわけにもいかねえだろ」
「下手に動いたら却って迷わないかね?」
「というか腹減った……」
ざわざわし始めた。そのうち、周辺を探索しに行くという連中が出て、クランごとに三人ばかりまとまって、あちこちに散らばった。団長や居残り組は広間で今後の対策を話し合う事になったが、中々有効な手立てが出ない。
考え込んでいたアンドレアが顔を上げる。
「吸い込まれて、どれくらい経ったのかわかるか?」
近くにいたローザヒルが怪訝な顔をした。
「いえ……しかしそう経っていないのでは?」
「腹が減っているだろう。しかも、あのヤドカリの死骸が既に腐臭を漂わせている。もし吸い込まれてすぐならば、少しおかしくはないか?」
「言われてみれば……そんなに長く気を失ってたって事ですかね?」
とマリウスが言った。アンドレアは頷く。
「息苦しさがあるだろう。最初は空気が薄いのかと思っていたが、どうも微弱な瘴気が充満している様だ。そのせいで目覚めるのが遅くなったんじゃないだろうか」
「だとしても……死骸が腐るにはやや早い様な」
とローザヒルはうろたえた様に呟く。魔法使いのロッテンが眉をひそめた。
「いや、ああいう水分の多いやつは腐り出すのも早いよ。元々生臭いけど……多分二日か三日かそこらじゃないかな?」
「もしそうなら、外でも異変に気付いてるよね? 救助隊が編成されてないかな?」
とスザンナが言った。野営地を守っていた連中は、主力が戻って来なければ不審に思うだろう。ロビンがふむふむと頷いた。
「だとすれば、下手に動かないで助けを待った方がいいかもって事っすね」
「なにぃ? 誇り高き『覇道剣団』が手をこまねいて助けを待てと言うのか?」
とガスパールが言うと、ローザヒルがふふんと嘲る様に鼻を鳴らした。
「あら、それでしたら勝手にうろついて干からびればいいですわ。競争相手が減ってこちらには好都合ですもの」
「ぐっ……口の減らない小娘が……」
「喧嘩するんじゃない。どのみち、食料も水もほとんど持ち合わせがないんだ。無駄に動くのは命取りだぞ」
と重装剣士のカーチスが言った。マリウスが嘆息する。
「そこですよねえ。野営張ってたせいで物資は全部そっちに置いちゃってんだから」
「そりゃ、あれと戦うのにわざわざ食料持つ必要なんかないからね!」
とクリストフが言った。
その時、向うの方から声がして、探索に出た冒険者たちが駆け戻って来るのが見えた。
「やばいやばい! 応援頼む!」
「なんだぁ?」
見ると、青黒い殻を持った大きな蟹が、何匹も群れてやって来る所だった。
「い、岩が塞いでる穴があったからよ! 出口になるかと思ってどけたらあいつらが出て来やがって……」
「ふん! 蟹如き、恐るるに足らんわ! 戦える者は続け!」
とガスパールがおっとり刀で駆け出す。後には『覇道剣団』のメンバーをはじめ、冒険者数人が続いた。アンドレアは武器を持ってスザンナを見た。
「俺も行って来る。ここは頼むぞ」
「了解。気を付けてね!」
そうしてアンドレアやガスパールたちが蟹と戦っていると、また別の方から冒険者たちが逃げ戻って来た。その後ろから海獣に似た大きなモンスターが這いずる様に追っかけて来る。
「何か出た、何か出た!」
「ああ、もう、次から次へと!」
とローザヒルが立ち上がる。しかし痛そうに右足を押さえて、顔をしかめた。それでも杖を構える。
「前衛を固めてください! 魔法で一掃します!」
「ほいほい、俺たちも手伝いますよー」
とマリウスたち『落月と白光』のメンバーも杖や魔導書を構える。
しかしそれを制する様にロビンが前に出た。
「こんな所であんたたちみたいな大魔法使いが一斉に魔法使ったら、何が起こるかわかったんもんじゃないっすよ。ここは任せるっす」
と言うが早いか矢をつがえ、大きく引き絞って、放った。矢じりだけでなく柄にも術式が刻んであるらしく、矢がモンスターの眉間に突き立つや、まるで内側からはじける様にして頭部が爆発した。
巨体が地響きを立てて倒れ伏す。クリストフが手を叩いた。
「流石は団長! 日頃無駄に生意気な口を叩いているだけの事はある!」
「殴るぞ」
ローザヒルがホッとした様に腰を下ろした。
「助かりましたよ、ロビンさん」
「ま、今はいがみ合ってる場合じゃないっすからね。あんた、足治療した方がいいんじゃないっすか?」
「なんですかローザヒルさん、捻挫ですか? 俺が診ましょうか」
とマリウスがローザヒルの足に手を伸ばす。ローザヒルは慌てて後ずさった。
「ちょっと! レディの体に軽々しく触らないでもらえます!?」
「おっとっと、こいつは失礼。それだけ元気なら治療も要らなさそうですねえ」
マリウスはやや皮肉気に言った。ローザヒルはむうと頬を膨らましてマリウスを睨む。スザンナがその間に割って入った。
「まあまあ、落ち着いて。わたし、簡易の治療道具があるけど、わたしでも駄目かな、ローザヒルさん?」
「う……い、いいでしょう。お願いします」
ローザヒルはおずおずとそう言い、遠慮がちにドレスローブの裾をまくり上げる。白く艶やかな足があらわになり、そこが紫色に腫れあがっていた。周囲にいた男どもが「おお~」と歓声を上げる。
「おら、見るんじゃねーっす。目ん玉撃ち抜くっすよ」
とロビンが弓を振って、白い足に目を引かれていた男どもを追い払った。
ロッテンが呆れた様に肩掛け鞄を降ろした。
「なんで男ってこう馬鹿ばっかなんだろうね。スザンナ、わたし一応ギルドの薬あるよ。使ったら?」
「うん、ありがと、ロッテン」
ロッテンはふんと鼻を鳴らし、杖を担ぐ様に肩に載せた。
「あとローザヒルだっけ? あんた、あんましお高く留まるのやめた方がいいよ? どこ出身か知らないけど、どうせ冒険者なんか同じ穴のムジナなんだしさ」
「うぐ……」
「それは同意っすね。ましてあたしら全員白金級っすよ。威張れる相手じゃねーっす」
とロビンも頷く。ローザヒルはむうと口を尖らして俯いた。スザンナが苦笑する。
「まあまあ二人とも、怪我人をそう責めないの」
不意にぐうと誰かの腹が鳴った。ロビンが顔をしかめて腹をさする。
「……失礼したっす」
「はは……いや、笑えないね。わたしもお腹空いた」
とロッテンは嘆息した。
小一時間の戦闘で、攻め寄せて来たモンスターは駆逐された様だ。それほど苦戦した様子でもないが、戻って来た連中は軒並みげっそりしていた。
「腹が減って……力が出ねえ」
とジェフリーがぼやいた。クリストフが向こうに転がる蟹の死骸を見た。
「あの蟹、食べられないものかねえ?」
「やめといた方がいいですよ。あれ毒蟹。甲羅の模様に見覚えがありますもん」
とマリウスが言った。蟹をどうやって食おうかと思案していたらしい連中は、ギョッとした様に蟹の死骸を見やり、残念そうに嘆声を漏らした。
気絶から起き出してからしばらくは、興奮状態だったのもあってあまり実感がなかったが、戦闘で激しい動きなどをしてしまうと、空腹感がありありと鎌首をもたげて来た。喉の渇きも感じる。
「……却って、しばらく気絶していたのはよかったかも知れんな。起きたまま三日もここにいたのでは、正直持っていなかったかも知れん」
とアンドレアが言った。カーチスが嘆息した。
「不幸中の幸いとみるか、それとも悲劇を先延ばしにしただけと見るか、だな」
ガスパールが偉そうに腕組みした。
「軟弱者どもめ。一流は空腹に不平なぞ言わんものだ」
「はいはい、脳筋は空腹感じる頭もなくていいっすねー」
とロビンが面倒くさそうに言った。ガスパールはくわっと眉を吊り上げる。
「なんだとこのチビ助め!」
「喧嘩するんじゃねえよ、余計に体力食うだけだぞ」
とジェフリーが言った。
それからも何度かモンスターの襲撃があった。
撃退はしたものの、戦闘の度に体力は消費するし、喉は渇くし空腹感は増すしで、流石の白金級冒険者たちも次第に疲弊して来た。しかもごく薄い瘴気が漂い続けているせいで、疲労が加速するのである。
半日か一日か、時間の感覚すら曖昧になって来るが、ともかく彼らの力を奪うだけの時間は経った様だ。
マリウスが虚ろな目で、うずくまっている飛竜を見た。
「……飛竜って食えますかね?」
「何て事言うんだい! 食える筈がないだろう!」
とクリストフがいきり立った様に言った。膝を抱えたローザヒルが口を開く。
「でも、このままじゃ全員飢え死にですよ……」
「だからといって可愛い飛竜を食うなんて! ねえ団長!?」
ロビンは目を伏せていたが、やがて開いた。
「……いざとなったらあたしの飛竜を食えばいいっす」
「ちょ、団長!?」
「優先順位がある。飛竜可愛さに自分が死んだら元も子もないだろ……でもまだ待って欲しいっす。助けが間に合うかも知れないし」
そう言って、ロビンはもぞもぞと膝を抱えた。きゅるると腹が鳴る。
「……セリセヴニアの腸詰シチューが恋しいっす」
「ああ、あれはうまいですねえ! ザワークラウトを入れてるからちょっと酸味があって、麦酒と合わせると最高ですからね!」
とクリストフが大声を出した。冒険者たちがごくりと唾を飲む。
マリウスがぼんやりした顔で笑った。
「へへっ、肉もいいけど魚もいいですよねえ。ポート・オトバルの魚介煮込み、海老とかイカの出汁が濃く出ててうまいんだよなあ。辛口の葡萄酒と合わせると、そりゃもう……」
ポート・オトバルは南西の港町である。マリウスたち『落月と白光』はそこからやって来た様だ。
港町らしく魚介が豊富で、海路の要所であるからスパイスや香草なども各地から集まって来る。そこの料理はうまいと評判だ。あちこちからため息が漏れた。
「……ウーシモリアのヘラジカのステーキもおいしいんですよ。干したチムシー草の煙でいぶして香りをつけて、甘いワインを煮詰めたソースをかけて」
とローザヒルが思い出す様に言う。
ウーシモリアは北西に位置する寒冷な気候の国である。『憂愁の編み手』の出身地だ。一年の大半が雪だが、大河とそれに育まれた広大な森林がある豊かな土地だ。
ヘラジカは他の肉と違う独特の味わいがあるが、慣れれば病みつきになるという。あちこちから腹の音が鳴った。
ガスパールが立ち上がる。
「何を言う! マウカイラの包み焼きこそが至高だ! 窯から出したばかりの、生地がさくさくとし、中から肉汁が溢れるあの包み焼きこそ……」
と言いながら、ガスパールは天を仰ぐ様に顔を上げ、ぐっと口を真一文字に結んだ。よだれが垂れない様にでもしているらしい。
マウカイラはアズラクの西に位置する大都市で、山岳地帯に位置している。『覇道剣団』のかつての拠点だ。起伏に富んだ厳しい土地柄ながら、そこで発展した野趣溢れる味わいの料理の数々は好む者も多い。
「ええい、やめろやめろ! 腹が鳴って仕方がねえ!」
とジェフリーが怒鳴った。
ロッテンが俯きながらぼやいた。
「こんなとこで死ぬの、やだなあ……」
「誰だよ、ここで助けを持とうって言ったのはよ!」
いよいよ限界を迎えたらしい冒険者が怒鳴った。たちまち捨て鉢な雰囲気が伝染し、ぼやきや愚痴、罵り声が飛び交う。
誰もが大なり小なり限界を迎えつつあるから、努めて止めようという者もいない。スザンナはおろおろするばかりだし、アンドレアすら目を伏せたまま耐える様に押し黙っている。
その時、またモンスターが近づく気配がした。あの青黒い甲殻の蟹と、大きなフナムシがぞろぞろと這い寄って来る。アメーバ状のよくわからないモンスターも交じっている様だ。
「鬱陶しい……! たたっ斬ってくれるわ!」
ガスパールはじめ、苛立っている冒険者たちは武器を手に立ち上がった。モンスターに八つ当たりをしようという魂胆らしい。動きはとうに精彩さを欠いているが、それでも互角以上にやり合っている。
この戦いが終わったら、みんな動けなくなりそうだな、とアンドレアは思った。
果たしてその通りで、モンスターは撃退したものの、それで疲労の限界に達した冒険者たちは、銘々に座り込んだり倒れ伏したりして、もう動く気力もないという風であった。動きが荒かったせいで受けなくていい攻撃を受けた怪我人も多い。
だが終わりではなかった。
ひときわ大きな蟹がハサミをがちゃがちゃいわしながら現れた。
今までの蟹とは種類が違うらしく、甲羅の色は鮮やかな赤色だが、殻は今までのものよりも分厚く、足も長い。それが上から目玉をぎょろぎょろさせて冒険者たちを睥睨するのである。
さきほどの襲撃で八つ当たり気味に突っ込んで行った連中は、もう動けそうもない。
「くそっ……」
アンドレアはふらつく足で立ち上がり、剣を構えた。
ちらと後ろを見やる。魔法使いたちは立ってこそいるが、空腹と疲労で集中力が続かないらしく、魔法を撃とうにも撃てないらしい。
甲羅も硬いし、剣が通ればいいのだが、とアンドレアは覚悟を決めて蟹に向き直った。
「あーっ! 抜け駆けずるい!」
「やかましい、早い者勝ちじゃ!」
唐突に何だか聞き覚えのある声がした。
アンドレアがハッとして上を見ると、カニの甲羅が真二つに叩き割られる所だった。蟹がぐしゃりと倒れ伏すのと同時に、束ねた銀髪が揺れた。シノヅキが愉快そうに笑いながら立っていた。
「わははは! これでわしが百と八十六! スバル、これで同点じゃ!」
「くっそー、ボクが勝ち越してたのにぃ!」
「シノさん! スバルちゃん!」
スザンナが喜びの声を上げる。『蒼の懐剣』のメンバーたちが驚いて顔を上げ、喜びと安心感とで破顔した。涙を流している者もいる。
他の冒険者たちはわけがわからないという顔だったが、どうやら助けが来たらしいという事は理解した様だった。
「あれっ、スザンナだ! わ、みんないるじゃん、見ーつけた! トーリ、こっちこっち!」
「なに、トーリ?」
呆気に取られるアンドレアたちの前に、大荷物を担いだトーリが現れた。
「おー、アンドレア! スザンナも、無事だったか!」