13.冒険者トーリ
もうしばらく手に取っていない愛用の剣を持ち、冒険に必要な道具を携えて、トーリは緊張気味に居間に突っ立った。セニノマが「おおー」と言った。
「トーリさん、剣なんか持ってただか」
「一応冒険者だったんで……こんなに重かったっけ?」
トーリは剣を引き抜いて顔をしかめた。包丁や鉈ばかり握っていたから、こういう大きな刃物は久しぶりである。こんなものを振り回していたのが、今となっては信じられない。
繋げっぱなしにしている通信装置からは、やかましい声がずっと聞こえている。
『あーいこでしょ! あーいこでょ! あーいこでしょ!』
「まだ決まらねえのかよ……」
『三人とも全然譲らないの』
とユーフェミアののほほんとした声が聞こえた。
魔界産コンゴウヨコバサミの討伐に端を発する、白金級クラン行方不明事件は、“白の魔女”であるユーフェミアが行けないという事で、なぜかトーリが行く羽目になった。行って、ものを見て、ペンダントで逐一報告してユーフェミアに判断を仰ぎ、解決の糸口をつかもうというのである。
しかし転移装置はアズラクにしか行けない。それに危険があっては事である、とシノヅキ、スバル、シシリアの三人のうち、誰か一人が護衛兼移動役として地上に送られる事になった。
当然三人とも行きたがり、壮絶なるジャンケン合戦が開幕して、勝負のつかぬまま、まだ終わっていない。
『後出しだよ! 今の絶対後出し! ずるっこだぞ!』
『ええい、やかましいわい! 後出しなんぞするわけないじゃろ! わしゃ誇り高きフェンリル族一の戦士じゃぞ!』
『もー、第一シノとスバルが行くよりも、魔法の専門家のシシリアお姉さんが行った方が絶対確実じゃないのぉ』
『知るか、そんなもん!』
『そーだそーだ!』
「何でもいいから早くしてくれ……」
どうにもこの連中が絡んで来ると緊張感がなくなるなあ、とトーリは嘆息した。やがてユーフェミアが通信装置を切ったらしく、音がぶつんと切れてしまった。
誰が来るにせよ、戦闘面では頼もしい事この上ない。正直、白金級の連中がトラブルに巻き込まれた現場に行く緊張感は勿論あるが、仲間であるアンドレアとスザンナを心配する心の方が先に立つ。トーリは深呼吸した。
「あの、トーリさん……?」
「え? なに?」
セニノマは頬を染めながらもじもじした。
「えっと、そそ、その……おらのお昼ご飯、どうすればいいだべか?」
トーリはかくんと脱力した。確かに気になるだろうけども、入れた気合が抜けてしまうから困ったものである。
トーリは荷物を置き、台所に入った。肉と野菜を小さめに切って炒め、同じく小さめに切ったパンと一緒に深めの耐熱皿に入れる。乳とバター、小麦粉でホワイトソースを作ってかけ、最後に表面を覆う様にチーズをおろしかける。
キッチンストーブは朝の料理で余熱ができている。トーリは中の温度を確かめて、セニノマを呼んだ。
「昼になったらね、暖炉の熾きをいくつか奥に入れて、中が熱くなったらこれ入れて焼いて。全部火が通ってるから、表面のチーズが溶けて軽く焦げ目がついたらもう出して大丈夫だから。むしろ焼き過ぎない様に注意ね」
「ひょええ、すげえだ。こんなのさらっと作っちまうんだなぁ」
セニノマは耐熱皿のグラタンもどきを見て目を輝かしている。
そういえば、行方不明になった連中も腹が減っているかも知れない。戦闘の最中に転移したとなれば、食料品などは携帯していないだろう。野営地があったのならば尚更だ。
トーリは持って行くつもりだった荷物を見直して、ビスケットや干し肉、干し果物などを多めに入れた。それから大きめの水筒に水をたっぷり入れたものを三本に、梁から吊るして干してあった水の木の根も鞄に入れる。この根をしゃぶると水を飲んだ様に喉の渇きが癒えるのだ。
そんな風に準備しているうちに、唐突に床に魔法陣が広がってスバルが飛び出して来た。
「やっほう、地上だ! トーリ、ご飯ご飯!」
「来て最初にそれかよ。朝飯は食って来たんだろ」
「食べてないし! それにトーリのご飯が食べたいんだよう。ねー、お願いおにいちゃーん。可愛いスバルちゃんのお願い、聞いてぇ。おにいちゃんの料理、この世で一番おいしいよー」
あからさまな阿諛佞弁でスバルがすり寄って来る。
結局スバルが勝ったのかと思っていると、今度はシノヅキが出て来た。
「飯じゃ!」
「えっ、なんでシノさんまで……」
出し抜けにシシリアの姿まで現れる。
「あー、なんだかここの方が落ち着く様になっちゃったわぁ。うふふ、トーリちゃん、寂しかったぁ? あ、セニノマじゃないの、トーリちゃんと二人っきりで、いい思いしてたんでしょ、このこのぉ」
「や、やめるだっ! おらは何にもしてねえしされてねえだよ!」
「ふぅーん? わたし、お料理の意味で言ったんだけどぉ? 何をしようとしてたのぉ?」
「ひいいっ! 妄想だけだぁ! 勘弁してけろーっ!」
「いや、ちょっと待て。なんで三人とも来てんだ?」
「全然決着がつかんかったんじゃ。それじゃったら、いっそ三人で行ってさっさと解決してしまった方がいいっちゅう事になってな」
「どのみち、あの結界はユーフェじゃないとどうにもならないしねー」
「そういう事なのよ、トーリちゃん。ところでわたしたち朝ご飯まだなんだけど?」
「腹が減ったぞ!」
「おにいちゃーん!」
こりゃ食わしてからじゃねえと行けないな、とトーリは手早くオムレツと炙り肉をこしらえてやった。それにパンを添えて出すと、三人は大喜びでぱくついた。結局グラタンもどきと焼いてしまう羽目になり、ちゃっかりセニノマもご相伴に与っていた。
しかし、考えてみれば使い魔三人全員いるならば、探索にトーリが行く必要もないのではあるまいか。使い魔たちはユーフェミアと交信もできるのであるし、トーリがいる意味がない様に思われる。
飯をかっ食らう使い魔どもを横目に、トーリは通信装置を起動した。
「おいユーフェ」
『なぁに?』
「三人とも来たけど、大丈夫か?」
『うん。こっちは他にも手伝いいるから』
「なあ、三人ともいるなら、俺行かなくてよくない? みんな通信もできるだろ?」
『それじゃ駄目なの』
「なんでだよ」
曰く、使い魔は基本的に主の傍にいるものである。ユーフェミアの場合は力が強いので、どちらも地上にいる場合は別行動も可能なのだが、流石に魔界と地上という次元を超えた差があるとそれも難しくなるそうだ。
魔界は使い魔たちが元々いる場所だから問題ないにせよ、ユーフェミアが魔界にいるのに、地上に使い魔だけがいる、というのは契約上厳しいらしい。
「でも今は……」
『お屋敷はね、契約の時に特別に設定した場所だから、わたしが魔界にいても、シノたちだけでも大丈夫なの。セニノマだって残っていられたでしょ?』
「ああ、確かに……いやでも、それと俺が一緒に行くのと何の関係があるんだ?」
『ペンダントが必要なの』
「これが?」
とトーリは胸にかけた転移装置をつまんだ。
『そう。それを通じて、わたしの魔力がトーリ周辺につながる様になってるの。そうなると、トーリのいる所が疑似的にこのお屋敷と同じ様な状態になるの。だからトーリが一緒じゃないと駄目なの』
「……ペンダントだけ渡すとか」
『あのね、この前通信装置をつけた時に、トーリ以外の人が持つと機能停止する様にしたの。変な人が転移装置でうちまで来ちゃったら嫌だし、悪用されたら困るから』
「なるほど……わかったよ。まあ、気をつけて行くよ」
『うん』
トーリは観念して、通信装置を切った。
それで出発する段になった。セニノマを留守番に残し、シシリアの転移魔法で一気にアズラクまで飛ぶ。まずギルドに行って、代理で現場に向かう事を知らせておかねばならない。
町は相変わらずの賑わいだが、その中でひときわ大きく人々が言い交しているのが、白金級クランの行方不明だ。ギルド側は隠そうとしていた様だが、こういう話はどこからか漏れ出すものである。
トーリがギルドに入ると、中は人でいっぱいだった。野次馬も多い様だ。行方不明事件の続報を待ち望んでいる連中が詰めかけているのだろう。
「あら、すごい人ねぇ」
「混んでるな……ちょっと俺だけ行って来るから外で待ってて」
それで使い魔たちを待たして、人の間を縫う様にしてカウンターまで行き着いた。
白金級専用のカウンターには受付嬢のアイシャがいて、瓦版の記者らしいのを追い返していた。朝からずっとそうらしく、大変面倒くさそうな顔をしている。
「もう、だからしつこいですよ! あんまりしつこいと出禁にしますよ! 冒険者の皆さんの邪魔なんですから帰って帰って!」
しっしっと追い払われた記者の後ろからトーリは顔を出した。
「あのー」
「ああ、もう、だから……ふええっ、トーリさん!」
アイシャは素っ頓狂な声を上げた。カウンターから身を乗り出す。
「どうされたんですか? あっ、ギルドから“白の魔女”さん宛てに手紙を出したんですが」
「ああ、うん、その事で来たんだ。ユ――じゃなくてガートルードは忙しくて来れないから、俺が代理で見に行く事になって……」
トーリが言うと、アイシャは目を輝かした。
「なぁんだ! やっぱりトーリさんって凄い冒険者なんじゃないですか!」
「いやいやいや、違うって。護衛に使い魔三人もついてるし、俺はおまけみたいなもんだよ」
「またまたぁ」
アイシャはちっとも信じていない様子である。面倒くさいけれど、ここで時間を食っているのは惜しい。
「ともかく、俺らが代理で行くから、そう言っといて」
「わかりました! よろしくお願いしますね!」
アイシャは安心しきった顔で手を振った。
何だかあらぬ期待を掛けられている様な気がして、トーリはうすら寒いものを感じつつも、急ぎ足でギルドを出た。
出ると、シシリアが騒いでいた。何かを捕まえているらしく、声に喜色が溢れんばかりである。
「もー、こんな所で会えるなんて、もうこれは運命よぉ。運命としか言えないわぁ。お姉さんとーっても嬉しい!」
トーリは急ぎ足で近寄った。
「おいコラ、シシリアさん、何やってんだ。一般人に迷惑かけるんじゃねえ……あれっ?」
「ト、トーリ君?」
「ジャンじゃねえか! 何やってんだ、こんなトコで!」
シシリアの胸元に抱きすくめられてじたばたしているのは、元『蒼の懐剣』の魔法使い、ジャンであった。相変わらず見た目は子どもである。冒険者装束のローブではなく、小奇麗な、いかにも宮仕えといった風なローブを着ていた。
ようやく解放されたジャンは、乱れた服を整えながら息をついた。
「ふう……お久しぶりですトーリ君。お元気そうで」
「ああ、お前も……どうしたんだ? プデモットの顧問魔法使いになったんじゃ?」
「ええ、そうなんです。ようやくあちらでの生活も落ち着きまして、少し時間ができたから皆の様子が気になって来てみたんですが……何やら大変な事になっている様ですね」
ジャンも既に行方不明事件の事は知っている様だ。それでギルドに詳細を聞きに来たところ、入口でシシリアに捕まったという事である。
「俺たち、今からその現場に行くんだよ」
「僕もご一緒させていただいていいですか? 手をこまねいているのも落ち着かないので」
「いいよ、ジャンなら心強いし。いいよな?」
「もちろんよぉ」
「あー、いいと思うぞ」
「いいよー」
異論はない様だ。シシリアは目に見えて嬉しそうである。ジャンにぴったりと身を寄せてにこにこしている。ジャンは片付かない顔で苦笑いを浮かべているが。
それで路地裏に移動してからシシリアの転移魔法で飛んだ。
現場にはコンゴウヨコバサミの巨大な殻が、岩山の様に鎮座していた。まだ瘴気があちこちに残っていて、油断すると息が苦しくなる。
流石に白金級クランがトラブルに遭った場所だから、他の冒険者たちもまだ警戒して近づいていないらしく、周囲に人の気配はない。だが数日もすれば目ざとい連中が我先にとお宝を求めて集まって来るだろう。
コンゴウヨコバサミの殻は大きく、出入り口が巨大な洞窟の様にぽっかりと口を開けていた。
中身は討伐の際に破壊された様で、そこいらに残骸が転がっている。甲殻類独特のにおいが漂っていて、それが少し傷み始めているせいで鼻をつく。シノヅキが嫌そうに鼻を押さえている。
「ぐうう、くっせえのう」
「シノさん鼻が利くからなあ……」
「わし、あっちにおる。何かあったら呼べ」
そう言って遠くに歩いて行った。
トーリは辺りを見回した。確かに誰もいない。不気味なほどしんとしているが、殻の洞が風を吸い込む様に鳴っていて、それが何だか遠くからうめき声の様に聞こえるのが不気味である。
「この中が怪しいですが……」
と洞の中を指さしてジャンが言った。
「だな。でもまあ、不用意に踏み込むのもなあ……こいつらがいるから大丈夫だろうけど」
「……何だか、昔を思い出しますね」
「え?」
「まだ銀級くらいの頃、一緒に依頼に行ったなあ、と」
「ああ、そっか……」
トーリも裏方に回る前は、『泥濘の四本角』のメンバーとして剣を握っていた頃もあるのである。何だか遠い昔の事の様に思えた。
「顧問魔法使いってどうなんだ? 忙しいのか?」
「ええ。でも充実しているとも言えますね。故郷の為に力を尽くせるというのは幸せなものですよ」
「その為に冒険者やってたんだもんなあ……」
「トーリ君は、あれからアンドレアとスザンナには会いましたか?」
「おう、この前ちょっと会ったよ。二人とも元気そうだった」
「そうですか。僕もすぐに会えると思って来たんですが……」
「まあ、冒険者ってそういう事もあるよな」
その時、殻の上の方から声がした。
「ジャン君、トーリちゃん、ちょっと来てくれるぅ?」
「あ、はい。今行きます」
「何かあったんかな」
上に行くと、シシリアとスバルがいた。殻には幾種類もの魔石や鉱石が突き出しており、戦いのせいで砕けているものもあった。
それを指さしながらシシリアが言った。
「これ、どう思う?」
「竜眼石に黄線透石、それに縞水晶ですか……磁場を狂わすものが集まっていますね」
「そうなのよ。しかもあっちには赤青のザクロ石がまぜこぜになってるの。瞬間的に魔力が高まっちゃうわね」
「これだけ沢山の魔石が集まっていると、予想できない現象が起きそうですね……」
トーリは通信装置のつまみをひねった。
「ユーフェ? 聞こえるか?」
少しして、ぢぢと何かが震える音と共にユーフェミアの声が返って来た。
『聞こえるよ』
「今は大丈夫か? 俺ら、現場に来てるんだが」
『いいよ』
それでシシリアとジャンが魔石などの事を説明した。
「多分、戦闘で周辺の魔力が乱気流状態になったんでしょうねえ。それに多種類の魔石が反応して、空間に穴を開けちゃったのよ」
『そうだね。だとすると、多分殻の中が異空間につながってる筈』
「じゃあ、みんな自分から入って行ったって事か?」
とトーリが言った。
『それはわかんない。もしくは次元がつながった時に吸い込まれちゃったのかも』
「その可能性が高いと思いますよ。ほら、殻の大きさの割に、散らばっているヤドカリの中身がかなり少ないでしょう? おそらくヤドカリ本体も別次元に引っ張り込まれたのではないでしょうか。それだけ強力な吸い込みが発生したわけですから、みんなが吸い込まれたのも頷ける話だと思いますが」
とジャンが言った。スバルが頭の後ろで手を組みながら言った。
「じゃあ、あの中に捜しに行くって事?」
「そうなるわねぇ。シノはどうしたの?」
「においがきついからって少し離れてるよ」
「おーい、シノ、行くよー! 置いてっちゃうぞー!」
とスバルが大声を出した。遠くから「おーう」と返事があった。すぐに来るだろう。
殻から降りたトーリは、黒々とした穴を見やった。確かに風を吸い込んでいる。今も微弱ながら吸い込みが起こっているという事なのだろう。
冒険だなあ、とトーリは荷物を背負い直した。