10.町にて
台所で料理ができない間は、居間の暖炉が調理場になる。足つきの鍋や五徳、ダッチオーブンの出番だ。いつもはスープやシチューを煮込むだけの場所になっていたが、しばらくはここで様々な料理を作らねばならない。
トーリは暖炉の灰を片付けながら、工事中の台所に目をやった。
セニノマがキッチンストーブを解体している。
ハンマーで壊すのではなく、器用にレンガの継ぎ目にナイフの様なものを入れ、レンガ一つ一つを割らない様に剥がして、表面についたモルタルも綺麗に取り除いている。再利用する心づもりらしい。
「それ、まだ使えそう?」
「使えるだよ。でもせっかく魔界のレンガもあるし、足部分をこいつで組んで、火の当たる部分を魔界レンガにするだ」
作業をしているセニノマは楽しそうだ。キュクロプス族だからなのかはわからないが、こういった事が心底好きという風な顔をしている。煤汚れがついてもちっとも気にしていない。
ユーフェミアたちは朝から出かけている。
ギルドから再び大口の回復薬の納品希望があり、その後も薬を定期的に納めて欲しいという事で、その材料を集めに出かけているのである。唐突に多く納品するのもいいが、月にいくつと数を決めて納めてしまう方が収入も安定するからと快諾した形だ。
最近は“白の魔女”として冒険者の依頼を受ける事も減っている様に思われる。アズラクのバブル状態によって冒険者の数は足りているのだ。“白の魔女”に頼らざるを得ない状況が生まれづらくなっている様である。
冒険者は仕事を受けなければ当然無給である。
前の回復薬の代金でかなり余裕はあるものの、仕事のないユーフェミアはどうするのかなと心配していたトーリは、この安定した収入源の発生にホッと胸を撫で下ろした。
逃がしておいた種火に薪を重ねて火を起こす。もう昼が近いから昼食を作らねばならない。ユーフェミアたちには弁当を持たしたから、二人分作ればいいだろう。
生地に肉と野菜を炒めた具を包んで、ダッチオーブンに入れて暖炉に置く。ふたの上にも熾火を載せる。その間に別の鍋にスープを作った。干し肉と茸と香草を使ったシンプルなものだ。
焼き上がった具包みパンを切って、トーリはうむと頷いた。
「セニノマさん、飯できたよ」
「おー、今行くだー」
少しして、台所から埃だらけのセニノマが出て来た。頬や額には煤汚れが目立つ。
「ひゃー、今日の飯もうまそうだぁ」
「その前に、手を洗って来なさい。あと外で服の埃はたいて来て」
「はわわっ、しっ、失礼しましただよ」
セニノマはわたわたと家の外に出て行った。傍若無人な使い魔どもとやり合って来たトーリとしては、素直に言う事を聞くセニノマは随分扱いが楽である。声を荒げる機会も全然ない。
手と顔とを洗ってさっぱりしたセニノマと、食卓を挟んで向き合った。
「ふえぇ、いただきますだ。たた、食べちゃっていいだか?」
「どうぞ、好きなだけ」
「ふひっ……ふひひ……」
セニノマは背中を丸める様にして具包みパンにかぶりつき、幸せそうに表情を緩めている。
このキュクロプスも実によく食べる。魔界の住人は健啖家ばかりである。作り甲斐はあるけれど、どんどん作る量が増えて行くので、トーリは何となく気が気でなかった。
「んふふふ、うめえだぁ……こんなのばっか食っとったら、ビスケットとお茶だけの生活には戻れなくなっちまうだよ」
「いや、それは戻らない方がいいのでは?」
正直、心配になる食生活である。セニノマはスープをすすってにへらと笑った。
「だけんども、おら、料理できねえだよ」
「手先器用なのに?」
「味付けのセンスがねえだよ……色々工夫する様にしてたんだけどなぁ」
「……もしかして、最初からアレンジしようとしてない?」
「そりゃ、レシピそのまんまはキュクロプス族の名が廃るべさ」
トーリは額に手をやった。基本ができる様になる前からアレンジを加えようとするのは料理下手の典型である。工作と料理は違うらしい。
腹いっぱいになったらしいセニノマは、両手でお腹をぽんぽんと叩いた。
「ふはー、満足だぁ……お昼寝したくなっちゃうだよ」
「まあ寝てもいいけど……今日も帰るの? 泊って行ってもいいんだけど」
「ととと、とんでもねえ! おら、枕が変わると安眠できねえべさ! 寝不足だと仕事に差し支えちゃうし、帰るのが一番だぁよ!」
工事に取り掛かり始めて二日ばかり経つが、セニノマは毎晩魔界に帰っている。
神経質な側面があるせいか、それとも他の使い魔どもに弄られるのが嫌なのか、いずれにせよ夜帰って、また朝に来る。通勤の様な感じである。
夕飯を食って、風呂まで入って、それで帰るのだから、中々好待遇な職場ではなかろうか。
皿を片付けたトーリは、椅子に座って幸せそうにふにゃふにゃ言っているセニノマを見た。
「セニノマさん、俺ちょっと買い物に出て来るけど、いい?」
「ふえっ!? え、ええけど……お客さんとか来ねえべか?」
「来ないよ、こんな所に。テーブルのお菓子は食べていいからね」
それでリュックサックを背負い、転移装置でアズラクに飛んだ。
いいお天気である。陽気もぽかぽかしていて、満腹の体は容易に睡魔に負けそうだ。
表通りに出ると、急に辺りが賑やかになった。アズラクの町の賑わいが日に日に増しているのをひしひしと感じる様だ。トーリは人ごみに迷わない様にしながら、市場に向けて歩き出した。
市場も人でごった返していた。
最近また新しいダンジョンが近場に見つかったとかで、冒険者たちはそちらの探索に精を出している様だ。
持ち帰られたアーティファクトや素材が既に市場には出回り始めているらしく、目ざとい行商人が仲買人と交渉している光景があちこちに見られた。
香辛料などを扱っている露店の前は、それらの入り交じったにおいが漂っている。
形もにおいも様々な香辛料の、粒と粉とがそれぞれ大小の袋に入れられて並んでいる。香草の類はどれもからからに干して砕かれたものがあった。
トーリは店先で体をかがめて、それらをゆっくりと確認した。指でつまんで軽くひねって香りを嗅ぎ、それから店主の方を見る。
「ちょっと味見てもいい?」
「いいよ。直接口付けるのはやめろよ」
「しねーよ、そんな事。する奴いんのか?」
「いるんだよそれが、たまに」
「マジかよ」
トーリは手の甲に香辛料を載せて、ぺろりと舐めた。舌にひりりと刺激があったが、後味にほんのりと甘みのある不思議な味わいである。どちらかというと香りの方が強い。
「これとこれと……あとこっちは粒でもらおうかな。辛みのあるのはどれ?」
「これだ。あとこれ。かなり辛いから気をつけろよ」
使った事のない香辛料や香草を買い、どんな料理に合わせようかと思案する。
家事も単なる繰り返しと化すとマンネリになって嫌気が差すけれど、試行錯誤をして楽しみを見出すと飽きが来ない。特に料理にはすっかりのめり込んでいる。
普段は足を止めないけれど気になっていた店などを覗き、こまごまと調味料や瓶詰の保存食、乾物、いくつかの生鮮品を買った。土産にと甘いお菓子なども買っていたら、いつの間にか持ち重りがするくらいになっている。
「しまった、調子に乗り過ぎた……」
籠もリュックもパンパンである。持って帰れないわけではないが、人ごみの中を通って行くのに少々骨が折れそうだ。
どうも視野が狭くなるのがいかんなあ、とトーリは頭を掻いた。『泥濘の四本角』の時代にも、こんな風に大荷物で人ごみに行き当たって難儀した記憶がある。
広場の一角である。ここも露店が並び、人が行き交っているが、隅の方は立ち止まって腰を落ち着けられる場所もある。
そこで荷物を降ろして、露店で買ったケバブをかじった。甘辛いタレがたっぷりかかっていて、うまい。
「このタレは……今日買ったスパイスでできるかなあ?」
頭の中で香辛料の配合を考えながら、指についたタレをぺろりと舐めた。町に出た時は買い食いするのが楽しみである。他人の味付けは参考になるし、気持ちが盛り上がるのだ。
買う時は食えそうに思って、違う味付けのものを一つずつ、計三つ買ったのだが、昼食をちゃんと食べていた事もあって、二つ目の中盤でもう沢山という気になった。
日は長くなりつつあるが、もう日差しが傾いている。高い建物が影を長く伸ばし、通りはもう日陰になっていた。
帰って夕飯の支度をしなけりゃと思いながらも、目の前を行き交う人の波を見ていると、一歩目をどう踏み出したものか悩む。そして、余ったケバブをどうしようかと思う。
まごまごしていると、小さい人影がひょっこり現れた。
「ああ、くそ、クリスめ。またあたしを見失いやがって……」
女の子だ。フードをかぶって、黒髪が覗いている。
人ごみから抜け出して来た少女は、トーリの横に来てふうと息をついた。
「ここ、大丈夫っすか?」
「え? ああ、どうぞ」
「どもっす」
少女は壁に寄り掛かった。十歳かそこらにしか見えないが、何となく佇まいが大人びている様に見えた。
不意に、きゅうという音がした。見ると、少女が腹に手をやって顔をしかめていた。
「失礼したっす……」
「……大丈夫? 腹でも減ってるの?」
「いや、まあ……この辺、いいにおいがするもんっすから。でもお金持ってないんで」
と少女はバツが悪そうに視線を泳がした。トーリは持ったままだったケバブを差し出した。
「よかったら食べる? 口はつけてないから」
「え、マジすか。いただくっす」
躊躇なく受け取って、少女はケバブにかじりついた。口の周りがソースで汚れるのもお構いなしである。
「んぐ、うめえっす」
「そりゃよかった……」
これでケバブが片付いた、とトーリはホッとした。シノヅキやスバルがいればこういう問題は起こらないのだが。
たちまちケバブを平らげた少女は、口の周りについたソースを舐めた。
「ごちそうさまっす。うまかったっす」
「どういたしまして。まあ、露店で買った余りだけどね」
「でも助かったっす。腹減ってて……人ごみは苦手っす。周りが全然見えねえっす」
「ああ、そうだろうなあ……」
十歳かそこらの背丈しかない彼女には、人ごみの中は大変だろう。
少女は鼻をひくつかして、それからトーリの荷物を見た。
「超スパイスくさいっすね。お買い物っすか」
「まあね。あんたも?」
「あたしは冒険者ギルドの帰りっす。でも仲間とはぐれちまって、迷子っす。アズラクは人が多くて大変っすね」
「ギルド? もしかして冒険者やってんの?」
「あ、そうっす。あたしロビンっす。よろしく」
「ああ、俺トーリね。よろしく」
また会うかはわからないが、名乗られたからには名乗り返さねばなるまい。
ロビンはふあと欠伸をした。
「トーリさん、お礼と言っちゃなんすけど、困った事があれば相談してくださいっす。『破邪の光竜団』が力になるっすよ」
「『破邪の光竜団』? ……え、白金級の? セリセヴニアの?」
「あら、御存じっすか。あたしらも有名になったもんすね」
とロビンは笑った。
『破邪の光竜団』の名前はトーリも知っている。セリセヴニアでは並ぶ者のない一流クランだ。他地域の白金級クランが増えているとは聞いていたが、まさか彼らまでアズラクにいるとは思わなかった。
ユーフェミアと競り合う様な事になるのだろうか、と思ったが、それでもやはりユーフェミアとその使い魔たちが負ける様な事態が想像できない。しかし冒険者は荒事を生業にしているから、上を目指す者同士は競い合いからつぶし合いに発展する事もある。ロビンは天辺を取るなどと言っていたから、『破邪の光竜団』はアズラクでも一番を目指しているのだろう。
(……まあ、ユーフェはそういう事はしなさそうだが)
ユーフェミアは規格外に強い存在ではあるが、そういった競争事には無頓着そうな印象がある。そんな事をするよりもごろごろしていた方がいい、と言いそうだ。
「あー、この中を帰るのが憂鬱っす……アズラク、賑やかっすねえ」
「セリセヴニアはそうでもないの?」
「人は多いっすけど、こっちのが凄いっす。来たばっかで土地勘ないし、困ったもんすよ」
セリセヴニアはアズラクよりも南東に位置する都市で、貿易の要所として栄えている。近場にダンジョンも多く、冒険者の数も多い。しかしアズラクよりも落ち着いた雰囲気で、ごちゃごちゃしているわけではないらしい。
「セリセヴニアじゃ安泰だったんじゃないの? なんでアズラクに?」
とトーリが言うと、ロビンは頬を掻いた。
「安定って退屈なんす。強い連中とやり合うのが楽しいっすよ」
「ふぅん?」
つまり、競争相手がいなければつまらないという事だろうか。ある意味では冒険者らしい考えとも言える。
「団長!」
そこに金髪の男が人ごみを掻き分けてやって来た。両手に串焼きを沢山持っている。
「また迷子になって! 小児性愛者に連れ去られでもしたらどうするんですか、このオタンコナス!」
「うるさい腐れビョウタン。お前があたしを見失うのが悪い」
「なんですと! よそ見していなくなるのはいつもそっちの癖に何を言いますか!」
「あ、そっちの串焼き寄越せ。ソースのかかってる方」
「話を聞きなさい! 豚の方でいいですか」
目の前で急に妙なやり取りを始めた凸凹コンビに、トーリが目を丸くしていると、串焼きを咥えたロビンが思い出した様に顔を向けた。
「トーリさん、このアホがクリストフっす。うちの副団長っす。もぐもぐ」
「ん? 誰だね、君は! どうしてうちの団長と一緒にいるんだい!? 僕はクリストフだよ、よろしくね! もぐもぐ!」
「あ、どうも、トーリです……いや、偶然ここで会っただけで……というか団長? なの? 『破邪の光竜団』の?」
とロビンを見ると、屈託なく頷いた。
「そうっすよ」
「マジかよ……なのに飯買う金もなかったの?」
「あたし、無駄遣い嫌いなんす」
「ドケチなのだよ、このちびっ子は! 団長の癖に、団員に酒の一杯も奢った事がないんだから!」
「ちび言うな」
「は、はあ」
何だかご機嫌な連中だな、とトーリが呆れていると、ロビンが出し抜けに言った。
「そういえばトーリさんは、“白の魔女”っていう冒険者を知ってるっすか?」
出し抜けにそんな事を言われて、トーリは面食らった。
「知ってるけど……」
「ふむ……やっぱり有名なんすね。何でもアズラク最強とか聞いてるっす。フェンリル、フェニックス、アークリッチ……なんか魔界のやべー連中を使い魔にしてるとか」
「まあ、そうらしいね」
トーリはやや警戒しつつ、言った。
ロビンたち『破邪の光竜団』が競争好きかつ喧嘩好きであれば、アズラク最強などといわれている冒険者は格好の標的だろう。
しかし危険である。ユーフェミアに負けるという意味で。
「……“白の魔女”にも勝とうって思ってる?」
「そりゃ天辺取りたいっすからね。それに、この前あたしらが飛竜で飛んでる時、背中に人が乗ったフェニックスが突っ込んで来た事があるんす。地上に野生のフェニックスなんかいないし、アズラク周辺じゃ、“白の魔女”しか使役してないらしいし、喧嘩を売られた以上、やり返さないとこっちの面子も立たねえっす」
(スバルーッ!)
トーリは目を伏せた。あのバカ野郎と思ったが、その突っ込んだ時に他でもない自分が背中に乗っかっていた事はちっとも知らない。
ロビンはうんと伸びをした。
「まあ、今は他の事で忙しいんで……それに他の白金級連中を下してからじゃないと、アズラク最強に挑むのは早いっすよね」
「それに最近はその魔女もギルドに現れないからね! 中々お目にかかる機会がないのだよ! それにほら、僕らも忙しいものだから!」
「でも薬の納品はしてるらしいっすよ。なんか、元白金級クラン出身の仲間がいるとか」
「“白の魔女”が全面信頼している男らしいね! トーリ君、きみ知ってるかい?」
「……い、いや。よくわからん」
「まあ、シャバの人は冒険者の事はわからんすよね」
「しかしその男に会えれば、魔女にも会えるでしょう。そっちが手っ取り早そうですよ、団長」
「まあ、そうかも知んないけど」
なんだかまずそうだぞとトーリが冷や汗をかいていると、またしても人影が差した。
見ると鎧を着てバスターソードを携えた偉丈夫が立っていた。こげ茶色の短髪には白髪が混じっているが、顔立ちはまだ若い。三十を過ぎたくらいだろうか。具を挟んだパンを持っている。
「ふん、騒がしいと思ったら『破邪の光竜団』か」
「ああ、『覇道剣団』の……ガスパチョさん?」
「ガスパールだ。物覚えが悪い奴だな」
「興味ない人の名前は覚えないんす」
ロビンが言うと、ガスパールは顔をしかめ、後ろをちらと見た。彼と同じく重装備に身を固めた一団が後ろに見えた。
「精々吠えておくんだな。アズラクのトップに立つのは我ら『覇道剣団』だ」
「あら、まだそんな寝言を仰っているんですね」
別の声がした。見るとふわふわしたプラチナブロンドの髪の毛を肩辺りで整えた美女がいた。二十代前半というくらいの涼し気な顔立ちだ。薄青のローブに身を包み、飾りのついた杖を携え、焼き菓子の入っているらしい袋を持っていた。魔法使いらしい。後ろには部下らしい連中が控えている。
ガスパールはふんと鼻を鳴らした。
「ローザヒル……女狐め」
「なんか用すか?」
「いえ、通りがかっただけです。ガスパチョさん、ロビンさん、アズラク最強はわたしたち『憂愁の編み手』です。あなた方ではとても無理ですよ」
「貴様らの様なモヤシには尚更無理だな。大人しく家で本でも読んでいろ。あとガスパチョではなくガスパールだ」
とガスパールが毒づいた。ローザヒルはふふんと笑った。
「本さえ読めなさそうな方がよく仰いますこと」
「やあやあ、皆さんお揃いでぇ」
また別の声がした。明るい色の服を着てタコスを持った若い男がいた。肩にはローブを羽織り、青みがかった黒髪を束ねている。優男風の顔立ちだが、それが却って女好きのしそうな雰囲気を漂わせていた。ロビンが嫌そうに舌を打った。
「マリウス……うざいのが来やがったっす」
「白金級の団長さん方が顔つき合わして、どうしたんですかぁ? 俺ら『落月と白光』も交ぜてくださいよー」
マリウスはへらへらしながら言ったが、目は油断なく辺りを見据えていた。後ろにいた仲間らしい連中もけらけらと笑う。
ガスパールがふんと鼻を鳴らし、手に持ったパンをかじった。
「軽薄な連中だ。貴様らの様な者にアズラク最強は似合わん。もぐもぐ」
「それを言うなら、あなたの様な野卑な方々にも似合いませんね。もぐもぐ」
とローザヒルが焼き菓子を頬張りながら言った。マリウスが笑いながらタコスを口に運んだ。
「もー、仲良くしましょうよぉ。そんなつんけんしたって、俺らが一番なのは変わらないんですから。もぐもぐ」
「どいつもこいつも身の程を知らねえっすね。天辺取るのはあたしら『破邪の光竜団』っすよ。もぐもぐ」
「おっ、ロビンちゃん、その串焼きうまそうじゃん。一口ちょうだい、タコス一口あげるから。もぐもぐ」
「近寄るんじゃねーっす。ドタマ撃ち抜くっすよ。もぐもぐ」
(……食べるのやめてくんねえかなぁ)
『覇道剣団』、『憂愁の編み手』、『落月と白光』、そして『破邪の光竜団』。どれも音に聞こえた白金級の実力派クランだ。他地方で活躍していたのが、バブル状態のアズラクで更なる飛躍を狙って来たのだろう。
その団長同士でバチバチと火花を散らしているから、迫力のある光景の筈なのだが、全員何か食べているので、どうにも緊張感に欠ける。
間の抜けた様な気分でトーリがげんなりしていると、ローザヒルが窺う様な目で他のクランの面々を見回した。
「さて……あなた方もギルドから話を貰った様ですが?」
「無論だ。我の他に声をかける必要なぞないというのにな」
とガスパールが言うと、マリウスがにやりと笑った。
「弱い犬ほどよく吠えるっていいますよねぇ」
「なにぃ?」
「喧嘩するんじゃねーっす、めんどくさい。おたくら全員揃ってあたしらの前で膝つく羽目になるんすから、デカい口叩くんじゃねーっす。もぐもぐ」
「えへへへ、ロビンちゃんになら跪いてもいいけどねえ。もぐもぐ」
「幼女趣味の変態めが、勝手に跪いていればいい。もぐもぐ」
「ふふ、数日もすればあなた方の悔し気な顔が並ぶわけですね。楽しみですわ。もぐもぐ」
何の話だかさっぱりわからないが、聞いてみる勇気はないし、考えてみればトーリがこの場にいる必要はない。さっきの話の流れも危なかったし、逃げねばなるまい。
トーリは荷物を持ち直した。団長どもはまだ火花を飛ばし合っているし、特に挨拶も要らんだろう、と隣に立っていたクリストフにだけ声をかけた。
「行くわ。じゃあね」
「君、まだいたのかい。こんな騒ぎに付き合ってないで帰ればよかったのに」
言われてみればそうである。しかし、そもそもトーリのいた所にこの連中が集まって来ただけなのだが、もう行こうと思う。トーリはやれやれと頭を振って帰路に就く。
『破邪の光竜団』に目をつけられているのは厄介だが、ユーフェミアたちが負ける光景は想像できない。自分が取っ捕まるかも知れないが、冒険者といえどならず者ではない。ひどい目に会う事はないだろうし、怖がって買い物を控えるわけにもいかない。
悩んだところで仕方がないし、そのうち自然に解決するだろう、とトーリは考えるのをやめた。
それにしても、あの団長たちは何の勝負をするつもりなのだろう。
ギルドから云々と言っていたから、彼らに特別な依頼が持ち込まれたのかも知れない。それに関して競い合っているというわけなのだろうか。ともなれば『蒼の懐剣』も巻き込まれている可能性は大いにあり得る。
(……まあ、いいか)
ともかく路地裏に入って、転移装置を使って帰った。
まだユーフェミアたちは戻っていなかった。食卓の上のお菓子の皿は空っぽである。
セニノマはもうキッチンストーブを分解し終わっていた。その跡の床を平らにして、そこに新しく設えるキッチンストーブの大きさが、炭を使って書いてある。そこに合わせてレンガが並べられ始めていた。まだモルタルを塗ってはいないから、構造とサイズの確認であろう。
セニノマは夢中になっているらしく、トーリに気づいていない。
「ただいま」
「ひょわあっ! おっ、おおお、お帰りなさいだよ!」
セニノマはわたわたしながら立ち上がり、その拍子に積んであったレンガを盛大に崩した。足の甲に一つ落っこちて来て、セニノマは足を押さえて跳び上がった。
「あぎゃーっ!」
「ちょ、落ち着いて……」
キッチンストーブ周りは片付いているとはいえ、台所にはまだ食材やら調理道具やらが置いてある。二次被害が出る前に、トーリは混乱気味に右往左往するセニノマを居間に引っ張り出した。引っ込み思案なのかそそっかしいのか、イマイチ判然としない。
「ふぐぅ……」
「大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫だべ……キュクロプス族は丈夫なんだ」
セニノマは足の甲をさすりながら言った。まあ、魔界の住人ならば、レンガごときで怪我をする事もあるまい。痛い事は痛い様だが。
「お菓子全部食べたのね」
「あっ、い、いただいただよ。えっ、あ、な、何かまずかったべか?」
「いやいや、食欲あるなと思って」
「ふ、ふへへ……地上は食いもんがうめえだよ」
とセニノマは照れ臭そうに言った。他の使い魔たちも皆そう言う。
(……もしかして、魔界の住人って簡単に飼いならせるのでは……?)
何だか変な考えがよぎり、トーリはぶるぶると頭を振った。
「で、もう作り始める?」
「んだ。でも壁をぶち抜く必要があるだよ。でももう日が暮れそうだし、夜風はつめてえし、明日にするだ」
確かに、夜に台所の壁に穴が開いていたのでは困る。
「作り出して、どれくらいで完成しそう?」
「キッチンストーブだけで考えれば、三日あればできるだよ」
「え、早……」
「そりゃもう構造は決まっとるし、材料も揃っとるもん。まあ、モルタルの乾燥も考えると、使えるのはあと一日かかるだな。それに下屋を延長して壁も作らにゃなんねえし、その分の木材の削り出しも必要だけんど……まあ、十日あれば余裕だぁ」
「すげえなあ……」
「尤もおらは未熟だで、そんだけかかるけんど、もっと熟練のキュクロプス族の職人だったら七日のうちには全部片づけまで終わらしちまってるだが……」
「もっと早いのかよ……」
魔界の職人恐るべしである。
風呂に火を入れつつ、夕飯の支度をしていると、ユーフェミアたちが帰って来た。大量の素材が居間に運び込まれた。
「うわ、またすげえ量だな」
「定期納品もあるし、材料いっぱい集めといた方が楽だから」
とユーフェミアが言った。それはそうだろう。
しかし前回の時と違って、今回はこの材料を一度に使うわけではないだろう。定期納品であるから、その時その時に使う必要性が出て来る。その間この材料をどこにしまっておくのだろうか。
トーリがそう言うと、シシリアが言った。
「加工と精製までしちゃえば場所は取らないから、明日には何とかなるわよぉ」
「ああ、そっか。このままずっと置いとくわけじゃないもんな」
魔法薬も古いものよりも新しいものの方が効き目があるという。だから材料の精製までを済ましておいて、調合は必要に応じて行う様だ。
前回もそうだったけれど、こういう風になってしまうのであれば、外の納屋の修復を真剣に考えねばなるまい。居間にはトーリの寝床もあるし、妙なにおいを漂わせる生モノがあるのは落ち着かない。
ユーフェミアがいそいそとすり寄って来た。
「晩御飯、なに?」
「煮込みと、炙り肉と、芋」
「リゾットは?」
「なんだ、食いたいのか?」
「うん」
「じゃあ作るか……」
「トーリちゃん、お風呂沸いてるのぉ?」
「あー、火は入れてある。湯加減見てくれる? 丁度よければそのまま入っちゃっていいから」
「りょうかーい。セニノマ、一緒に入りましょお。背中流してあげるわぁ」
腕を掴まれたセニノマはじたばたと暴れた。
「嫌だあ! またおらの事くすぐるつもりだあ!」
「いいからいいから。うふふ、工事は疲れるでしょお? シシリアお姉さんのスペシャルマッサージもサービスしちゃうわよぉ」
「はぎゃーっ! た、助けてくれぇ!」
抵抗もむなしく、セニノマはシシリアに引きずられて風呂場へと消えた。シシリアの方がパワーがあるらしい。
「……なんでシシリアさんはセニノマさんに絡むわけ?」
「反応が面白いんじゃろ」
とシノヅキが言った。スバルがけらけら笑う。
「だよねー。しかもシシリアは女の子もいけるし」
(聞かなきゃよかった)
トーリは嘆息し、それから思い出してスバルを見た。
「スバルさぁ、最近飛竜の群れに突っ込んだ事、覚えてるか?」
「え? ああ、そういえばあったね、そんな事。今まで忘れてたけど」
「ったく……」
「それがどうかした?」
「その飛竜たち、『破邪の光竜団』っていう白金級クランの連中だったんだよ。おかげで向こうは喧嘩売られたと思って怒ってるみたいだぞ」
「ふーん。飛竜なんか百匹来ても怖くないけどね。あ、もしかしておにいちゃん怖いのかなー? 相変わらずのざこざこっぷりですねぇ、にししし」
「うるせえ。それにユーフェ、お前乗ってたならそれくらい注意してくれよ。無駄にトラブル起きるだろ」
「乗ってないよ」
とユーフェミアが言った。トーリは顔をしかめる。
「お前以外に誰が乗るんだよ」
「トーリ」
「は?」
「そうそう、その時はアズラクからの帰りだったよー。串焼きとか食べた日。ねえ、シノ?」
「あん? ああ、そうじゃったかの。おぬしはスバルの背中にしがみつくのに必死で周りが見えておらんかった様じゃが」
回復薬を納品しに行った日の事である。
「……俺かぁ」
トーリは頭を抱えた。
また餌付けしてる……。