7.苗木
アルパンはトーリの前で深々と頭を下げた。
「その節は大変失礼な事をしてしまい、まことに申し訳ありませんでした……」
「い、いや……いやいやいや、いいんだって、別に」
トーリは慌てて手を振った。解雇された時には、にこにこ笑っていたこの男に苛立ったのは確かだが、今となっては特に思うところはない。こんな風に謝られては、却って居心地が悪くて困る。
「しかし、あなたの実力を完全に見誤っていて……」
「違う違う、それは勘違いだって! 俺は弱いの! 白金級のクランで戦うなんて無理なの!」
「いや、しかし“白の魔女”ガートルードさんはあなたを信頼していると」
「それはそうなんだけど、それはちょっと事情が違ってて……」
「事情といいますと?」
「えーと……」
トーリは何と言ったものか困って、口をもごもごさせた。正直に、“白の魔女”は私生活が壊滅的で、その世話をしているから信用されているのだと言えばいいのだろうか。だが、そこにユーフェミアの影をにおわせてはいけない。余計な事を言わず、さっさと済ましてしまえばいいのだ。
「いや、あいつ――じゃなくて、あの人、私生活が駄目駄目でさ、本当に家事手伝いとして俺を雇ったわけ。だから俺がいなくなると、屋敷は散らかるし、飯はできないし、って事で信頼されてるわけ。強いからとか、そういう事じゃないんだよ、本当に」
「はあ……」
アルパンは半信半疑といった風である。というよりもあまり信じていない様な顔をしている。
アイシャがはてと首を傾げた。
「でも、“白の魔女”の家は魔窟だとか何とか……」
「えーと、それはね、あくまで比喩的な意味であって、実際にダンジョンみたいになってるわけじゃなくて」
「物凄く散らかってるとか、そういう意味合いですか?」
「そう! エミリさん、流石!」
とトーリは全力で肯定するも、言った当人のエミリはやや怪訝そうである。
「あの強面の魔女さんがねえ……魔法でちょいちょいっとやっちゃいそうなもんですけど」
「いやいや、案外実験とか魔術式開発とかですっごく忙しいかもですよ! だから家事がおろそかになっちゃうのかも!」
とアイシャが言った。アルパンが成る程と頷く。
「確かに、それならば考えられますね。あれほどの実力をお持ちなのですから、きっと研究熱心なのでしょう」
「カッコいいですねえ! 勤勉で努力家で、研究熱心で……私生活が駄目なのなんて、チャームポイントみたいなもんですよ!」
「いや、ははは……」
何だか盛り上がっているアイシャたちを見て、トーリは背筋に変な汗が伝うのを感じた。ユーフェミアはそういうのとは正反対なのだが、だからこそ否定するのも変な話になってしまう。
こうなれば、もう「ガートルード」は勤勉で努力家で研究熱心な人物になってもらうしかあるまい。トーリは何でか音が大きくなった心臓を押さえる様に、胸に手を置いた。
アルパンが嘆息する。
「しかし、残念です。まだトーリさんはライセンスが残っておりますし、その気があるならば『蒼の懐剣』に来ていただけないかと期待していたのですが……」
「いやいやいや、だから俺はクソ弱いんだって言ってるだろ……あれ、俺のライセンス、残ってるんだ?」
そういえばギルドの退会手続きなどをした覚えがない。『泥濘の四本角』が解散になった時に解雇された様な気分だったから、もう冒険者ではなくなっているかと思っていたが、冒険者のライセンスとクランの解散は別物である。
「残っていますよ。白金級のままですが……」
「あー……その、身分証明になるから籍だけは残しておいて欲しいんだけど、ランクだけ適正なのにしてくれないかな? 銀でも銅でもいいからさ」
トーリ自身は、もう自分が冒険者として活動するつもりはないから、ランクなぞ何だって構わないのである。実力もないのに白金級に居座っているのは何となく居心地が悪い。
アルパンは「そうですか……」と残念そうに言った。
「しかし、“白の魔女”さんの元にいらっしゃるのであれば、白金級のままでも誰も文句は言わないと思いますが……」
「だから、俺は別に冒険者を続けたいわけじゃなくて……ただまあ、こういう風にあいつ――あの人の仕事の手伝いをしたりはするから、低級でいいから籍だけ残して欲しいんだよ」
「それは構いませんが……勿体ないですよ、トーリさん。いざという時に白金級のライセンスがあれば、こちらに復帰していただく事も可能ですし」
「いや、俺はいいんだって」
話が堂々巡りになりそうだと思っていると、そこにスバルを肩に担いだシノヅキがやって来た。
「納品は終わったんか? 屋台に行くぞ、屋台に」
「肉まんじゅうー!」
とスバルは手足をばたばたさせている。トーリは助かった、と思いながら口を開いた。
「お前ら食う事しか考えてねぇのか」
「他に何をせいちゅうんじゃ」
「お菓子ー!」
トーリはそれとなく依頼料を鞄の中に隠した。エミリとアイシャが目を丸くしている。
「うわわ、確か『蒼の懐剣』に稽古をつけてらした……えっと、シノヅキさんと、スバルさん、でしたっけ?」
「あん? なんじゃ、わしらも有名になったもんじゃのう、がはは!」
「あのあの、『蒼の懐剣』の皆さんが仰ってたんですが、シノヅキさん、本当はフェンリルだとか?」
とアイシャが何だか目をキラキラさせながら言う。シノヅキは偉そうにふんぞり返った。
「そうじゃ。フェンリル族一の戦士シノヅキとはわしの事じゃ。ちなみにこのちっこいのはフェニックスじゃい」
「うわあ、本当だったんだ……すごい」
「おーろーせー!」
担がれたままのスバルがじたばたと暴れているが、シノヅキは意に介さずにからからと笑っている。
アルパンが進み出た。
「お二人とも、その節は大変お世話になりまして」
「ん? なんじゃい、おぬしは。誰じゃったかの?」
「アルパンと申します。『蒼の懐剣』のマネージャーでして……」
「マネージャー、ちゅうのはなんじゃ?」
「剣士とか魔法使いと違うのー? 弱そうだなー」
と肩に担がれたままのスバルが言った。アルパンは苦笑した。
「いえ、クランの人事や会計、スケジュール管理などをしておりまして……要するにクランの皆さんの裏方のお手伝いをしている様なもので」
「おお、つまりトーリみたいなもんか。おぬしも飯を作るのか?」
「あ、いや、私はそういうわけでは……」
「なんじゃ、つまらんのう」
「あ! まさかそれでトーリをぶち抜こうってつもりじゃないだろうな!」
「スバル、引き抜くだ。ぶち抜くんじゃねえ」とトーリが言った。
「なぬ!? それは困る! トーリはわしらになくてはならぬ男じゃ! 絶対に手放すわけにはいかぬ! おぬし、妙な事をしよったら、頭から丸飲みにするぞ!」
とシノヅキがうなった。人間の姿なのに、何だか物凄い迫力と威圧感があって、アルパンは勿論、カウンター向こうの受付嬢たちやトーリまでもが総毛立つ様な心持ちにさせられた。
「ももも、勿論、そんな事をしようなどとは、微塵も考えておりません!」
「なんじゃそうか。それならばよいよい。はっはっは」
剣呑な空気は消え去ったが、今のやり取りでギルド中の注目が集中した様に思われた。『蒼の懐剣』の稽古の現場を見ていた者もいるらしく、シノヅキやスバルの事をひそひそと噂している様な連中も見受けられる。
アルパンは顔色が蒼白になっており、エミリはぶるぶると震え、アイシャなどは腰が抜けたのか、カウンターの向こうにへたり込んでしまって姿が見えない。
(やばい、これ以上目立つと収拾つかなくなる)
トーリは荷物を持ち直した。
「じゃ、じゃあ、悪いけど失礼するよ。ライセンスの件だけよろしくな。おい、シノさん、スバル、行くぞ」
「よし待ちかねたぞ。串焼き串焼き」
「ケバブー!」
ようやく震えが止まったらしいエミリが、ふうと息をついて口を開いた。
「何はともあれ、お元気そうでよかったです。頑張ってくださいね、トーリさん」
「ありがと。アンドレアたちにもよろしく言っといて」
それでギルドを出た。シノヅキが両腕をぶんぶん振っている。
「さて、お待ちかねじゃ! 串焼きじゃ! 二十本は食ったるぞ!」
「ボクも!」
「食いすぎだっつーの! 晩飯もあるんだから、二、三本で我慢しとけ!」
厳しい事を言っている様で、買ってやらないという選択肢がない辺り、トーリも甘いものである。いずれにせよ、買ってやらねば収まる事はないだろうけども。
それで屋台に行って串焼きを頼んだが、本数を、という段になってシノヅキとスバルが割り込んで「二十!」と大声で言ったので、収拾がつかなくなった。結局串焼きを十本ずつ持ったシノヅキとスバルが、口の周りをタレだらけにしながらついて来る。
「甘辛だねー。普段うちじゃ食べない味付けだー」
「うまいうまい。この味付けうまいぞトーリ。食って学習して今度作るのじゃ」
「はいはいはい。押し付けるんじゃねえよ、タレがつくだろ」
しかし食ってみると確かにうまい。冒険者時代は買い食いもよくしていたので、何だか懐かしい気分である。
ギルドには行ったし、町には来たし、ついでだから買い物をしようかと思う。もう春めいて来た事もあるし、庭に植える苗木を見繕いたい。
食材の買い物は軽く済まし、トーリたちは路地を辿って、アズラクの外れの方まで出た。
トーリが行くと、掘立の様な小屋の後ろに、大小の苗木が植わっている所があった。苗木屋である。
小屋には老人が一人、煙草をふかしながら椅子に座っており、その奥の畑には大小の鉢植えが所狭しと並べられ、地植えにされているものもあるらしい。若者が二人ばかり、苗木の手入れをしているのが見えた。
アズラクの周囲は原野が広がっているが、一部に田園が広がるエリアがある。アズラクが炭鉱町だった時代には、その辺りの農民たちが野菜や麦を作り、それを町に売りに来ていたのだ。外から行商人が多く入って物資が溢れる様になった今でも、そうやってほそぼそと暮らしている者たちがいる。
その農民の中で、苗木を専門に育てて町に小さな店を構えている者がある。それがこの店なのである。田園地帯で苗木を育て、ある程度の大きさになったものをこちらで鉢植えにして並べているのだ。
「こんちは」
とトーリが声をかけると、老人は顔を上げた。
「いらっしゃい。苗木がご入用かね」
「そうなんだ。庭に植えたくて……実のなる木がいいんだけど」
「そりゃいい。うちの木はどれも元気だよ。好きなのを選んでおくれ」
と老人は口から煙を吐きながら言った。
では、とトーリは畑に入る。シノヅキとスバルもついて来た。
「ちっこい木がいっぱいあるのう」
「どうすんの、これ?」
「だから庭に植えるんだって。リンゴとかブドウとか桃とか、採れる様になったら嬉しいだろ?」
「うれしい!」
「そりゃええのう。ところで肉のなる木はないんか?」
「ねえよ」
柑橘類やリンゴ、スモモなどを見繕って、掘り出したものをこもに巻いてもらった。それをシノヅキが軽々と担ぎ上げたので、店の若者は目を丸くした。
まだまだ植えたいものは多いが、一度には持って帰れそうもない。今日買った分を植え付けたら、また来る事にする。庭は広い、というより、そもそも屋敷の周囲に他に人がいないから、どこまでが庭なのだかはっきりしない。だから植えられる場所は沢山ある。
それでトーリたちは町を出て、人気のない郊外まで出てから、フェニックスになったスバルに乗っかって帰った。
買い込んだお菓子などがあるせいか、町に行く時よりもスバルの速度が速い。シノヅキは平然としているが、向かい風も強いし、トーリは背中にしがみつくのに必死で、周囲を見るなぞ思いもよらない。だから、途中で何か飛ぶものの群れに突っ込んで大騒ぎになっていたのもわからなかった。
ともかく、それで家に帰った。日が傾いて、屋敷にはもう影がかかりつつあった。
「やれやれ、ちょっと長尻したな。ただいま」
「帰ったぞーい」
「ただいまー」
騒がしく屋敷に入ると、中はしんとしていた。シシリアが一人、ソファに寝転がっていた。急な闖入者にも起きる気配はなく、「うぅん」と言って小さく身じろぎしただけだった。何だかんだ言ってアークリッチもくたびれるんだなあ、とトーリはなぜか感心しながら、予備の毛布を引っ張り出してかけてやった。彼女にしては珍しく、なんだか無防備な寝顔である。こうして見るとやはりとんでもない美人だな、とトーリは思った。
「スバル、暖炉に火ぃ点けて」
「はーい。ユーフェいないね」
「寝床じゃろ。おねむの様じゃったしの。トーリ、買って来た燻製、味見するがええか?」
「それは使うから駄目。こっちのお菓子にしとけ」
買い物の荷物をごそごそと整理していると、寝室の扉が開いて、ユーフェミアが出て来た。
「ん……」
ユーフェミアはぽてぽてと早足でやって来て、かがんで荷物を開けているトーリの背中から、むぎゅうと抱きついた。
「薬、持ってってくれたの?」
「まあな。起こしたくなかったからさ」
「ありがと」
と言って嬉しそうにトーリの背中に顔を擦り付けた。
「ユーフェ、お菓子あるよ、お菓子」
とスバルが言った。ユーフェミアは顔を上げて立ち上がった。トーリはふと思い出して、鞄から金の入った袋を出す。
「あ、ユーフェこれ、薬の代金」
「ううん、トーリが持ってて。買い出しに使っていいから」
「あ、そう」
確かに、たまに二人で街歩きをしたり、薬の材料を買ったりする以外に、ユーフェミアが率先して金を使う光景を見た事がない。今は生活雑貨や食材はすべてトーリが管理して買い出しも行っている。財政管理を任されるのも当然の成り行きである。
雇われてから給料を払ってもらった覚えは一度としてないけれど、“白の魔女”の全財産を預かっていると考えると、それはそれで凄い。
「じゃあ、預かっとく。事後報告だけど、果物の苗木とか買っちゃったけど、よかったか?」
「うん。好きに使っていいよ」
とユーフェミアは卵をたっぷり使っているらしいふかふかの焼き菓子を頬張っている。
「……俺が無駄遣いするとか考えないのか?」
「無駄遣いするの?」
「いや、しないけど」
「でしょ」
泰然としたものである。完全に信頼されているらしい。こんな風では、仮にそういう思いがよぎってもユーフェミアを裏切る気持ちになれまい。
トーリは肩をすくめ、お茶でも淹れようと立ち上がった。
○
「団長、大丈夫ですか!」
「……なんだったんだ、あれ」
ロビンはフェニックスの飛び去った方を眺めながら呟いた。
『破邪の光竜団』の面々は、郊外の荒れ地にいた。飛竜たちは興奮気味に右往左往して、それを竜騎士たちがなだめている。
いつもの様に辺境探索とモンスター退治の為の移動をしていた『破邪の光竜団』の面々だったが、不意に後方からフェニックスが飛んで来て、その翼の風圧に飛竜たちがたちまちバランスを崩して不時着を余儀なくされたのである。
フェニックスの速度は尋常ではなく、飛竜では到底追い付けなかった。そうしてあっという間に見えなくなった。しかもフェニックスという最上級の幻獣に、飛竜たちがパニックになってしまい、なだめるのに四苦八苦している。
ロビンはまだ落ち着かない目の色をしている自分の飛竜の首を撫でて、ふうと息をついた。
「……誰か乗ってたって?」
「はい、背中に誰かがしがみついていたと」
とクリストフが言った。ロビンは顔をしかめる。
乗っていたのが人間ならば、そのフェニックスは誰かに使役されているのだろう。幻獣使いであるならば、冒険者である可能性は高く、またこの付近にいるならばアズラクを拠点にしている筈だ。
「フェニックスを使役するほどの者がいるのでしょうか?」
「いるんだろうね。アズラクの冒険者のレベルは高いっていうし……ふん、飛竜乗りになってから、空中であそこまで馬鹿にされたのは初めてだね」
ロビンは弓の弦をはじいた。屈辱的、というよりは何だか面白そうな顔をしている。
「けどまあ……舐められたままじゃいられないね」
「そうですとも! 不届き者に目にもの見せてやりましょう!」
とクリストフは発奮している。ロビンはふんと鼻を鳴らした。
「飛竜が落ち着いたら動くよ。今回の仕事を終わらして、アズラクで情報収集だ。フェニックスを使役している奴を探す」
「はい、団長!」
とメンバーたちが大声で返事をした。