3.間の抜けたデート
町に着いたからといって、すぐに目的の店に行くわけではない。カフェでお茶を飲み、軽く昼食をとって、町を当てもなくぶらぶらと歩き、そうしてようやく服屋に入った。
アズラクは魔境に近いながらも交易の中継点でもあり、人の行き来は多い。物流も多く、あちこちの様々な品物が入って来る。服もその例に漏れず、安いものから、多少値の張るものまで、店によって扱うものも様々だ。
それなりの店に入って、ユーフェミアはあれこれと服を試着した。素材がいいせいか、店員が大張り切りである。次から次へと色々な服を持って来て、着せ替え人形の如くユーフェミアに着せている。
「いいですね、お客様! 超可愛いです! この組み合わせですとこちらも如何ですか!」
「……どう?」
「お、い、いいんじゃないか」
「可愛い?」
「お、おう。可愛いぞ」
「……えへへ」
ユーフェミアは嬉しそうにはにかんで、次の服を着ようと試着室のカーテンを閉めた。トーリは頬を掻いた。何だか物凄く照れ臭い。
店員がほくほく顔でトーリに言った。
「いやあ、可愛い彼女さんですねえ。何を着ても似合うなんて、お勧めし甲斐がありますよ」
「はははは……はぁ」
いや彼女じゃないです、と言いかけたが、それも変な話なので笑ってごまかす。
確かに可愛い。凄く可愛いし、どの服でも似合うと思うのだが、可愛すぎるせいで、却ってトーリは緊張していた。普段のユーフェミアと変わらないと頭ではわかっているのだが、装いを変えると美少女であるという事が再確認されて、何だかドキドキする。
冬服だから、全体としてふっくらした素材のものが多いが、それもユーフェミアにはよく似合った。
スカートも合うし、パンツ系のものも合う。コートやマフラーでちょっと着ぶくれてもこもこしている様も、小動物感が増して非常に可愛い。
どれがいいかと尋ねられても甲乙のつけようがないから、トーリはすっかり困ってしまうし、そのせいで結果として量が増えたので、持ち重りがする羽目になった。
「随分買っちまったな……」
「うん、トーリがどれも似合うって言うから」
「いや、俺のせいじゃ……いや、俺のせいか?」
確かに、トーリがきっぱりしていればよかった話ではある。トーリの選択にユーフェミアは異を唱えなかっただろう。こんな所でも優柔不断なのが災いする。トーリはやれやれと頭を振った。
服の量が多いから、他の買い物が出来そうもない。ついでに食材も買おうかと考えていたトーリの目論見は崩壊した。帰ったらある分で献立を考えねばなるまい。
留守番の従魔たちの昼食は準備して来た。だからひとまず夜の事を考えればよい。
明日は確かユーフェミアたちはダンジョンに行くのだし、そうなると献立は……とトーリは眉をひそめた。
「しかめっ面」
と言ってユーフェミアがトーリの眉間を指でつつく。
「そりゃ考え事してりゃこうもなるよ」
「何考えてるの? わたしの事?」
「いや……まあ、確かにそう言えばそうかも知れんが」
「嬉しい。結婚しよ?」
「ははは、唐突にぶち込んで来るな、お前……飯の献立考えてるんだよ、邪魔すんな」
ユーフェミアは頬を膨らまして、トーリの肩を小さな拳でぽすんと殴った。
その時、「あれ、トーリ」と声がした。振り返ると、『蒼の懐剣』の双剣士、スザンナが買い物袋を持って立っていた。
「スザンナじゃねえか、久しぶりだな。買い物か?」
「うん、今日明日はクラン全体で仕事を休みにしてるんだ。ちゃんと休みも入れないといい仕事できないもんね。ユーフェ久しぶり。元気にしてた?」
「うん。スザンナも元気そう」
とユーフェミアはなぜかトーリの後ろに隠れながら、顔だけ出して言った。
スザンナはにひひと笑いながらわざとらしく力こぶを作る様なポーズをした。
「元気いっぱいだよ、わたしは! 二人はデート?」
「うん、そうだよ」
「違うわ! お前の冬服を買いに来たんだろ!」
「トーリ、それってデートだよ……まあ、いいや」
とスザンナは呆れた様に笑った。
スザンナと会うのも久しぶりである。レーナルド討伐の夜に、ユーフェミアの家で会った以来であろう。
「アンドレアとジャンは元気か?」
「アンドレアは相変わらずだよ。ジャンは冒険者やめちゃった。故郷に帰ってね、王宮の顧問魔法使いになるんだって! 凄いよね」
「お、おお、マジか……」
元々、師匠との約束を果たす為に冒険者を続けていたジャンは、その約束を果たした為、故郷のプデモットに帰ったらしかった。王宮顧問魔法使いというのは大躍進である。
「相変わらず忙しいのか、『蒼の懐剣』は?」
「だね。何とかまだトップクランの位置にいるけど、最近アズラクって景気がよくて、周辺に新しいダンジョンもどんどん見つかってるんだ。だから他の地域から実力のあるクランが移って来たりして、うかうかしてられないんだよね」
「マジか。冒険者増えてるって事?」
「そうそう。白金級のクランも結構多いんだ」
「そんな事になってたのか……おいユーフェ、お前ももうちょい仕事しないとやばいんじゃないのか?」
「そう?」
ユーフェミアは泰然としたものである。スザンナがくすくす笑う。
「いやー、どんな冒険者が入って来てもユーフェの立場は揺るがないと思うよ? そっちはどう? シノさん、スバルちゃん、シシリアさんも元気?」
「元気元気。というかあいつらが元気じゃないのは想像できないだろ?」
「あはは、そうだね。何よりだ」
ユーフェミアがこそこそしながら口を開く。
「弟、元気?」
「シリル? うん、おかげでとっても元気だよ。寝たきりだったせいで体力はないけど、手先がとっても器用でさ、最近は家で繕い物の仕事をする様になったんだ」
「へえ、そりゃよかったなあ」
「でもやっぱりたまに不思議な事言うんだよね。何もいない所を見て話しかけてる時もあるし。あ、そんなにしょっちゅうじゃないよ?」
「ふぅん? まあ、実害がないならいいんじゃないか?」
「今度様子見に行くね」
とユーフェミアが言った。トーリは意外そうに目を細めた。
「珍しいな。お前、あんまりそういうのに興味ないと思ってたが」
「ちょっと気になる事があるから」
スザンナがからからと笑う。
「そっか。でもユーフェが見てくれると安心かも。気軽に遊びに来てね」
「いやいや、『蒼の懐剣』が忙しいんだろ? タイミング合わせるから」
「あはは、それもそうか。じゃあスケジュールわかったらギルドに言伝してね」
そんな風にしばし久闊を叙して、そうして家に帰る頃にはもう夕方になっていた。
シノヅキとスバルがソファに寝転がっていて、帰って来たトーリたち見て、手を上げた。
「おー、帰ったか」
「おかえりー。お腹すいたよー」
「……焦げ臭いな」
「それがじゃの、昼飯が足らんかったもんじゃから、わしらで何か作ってみようと思うてな。見事に失敗したわ!」
わははと笑うシノヅキに、トーリは肩を落とした。
「勝手な事を……」
台所には焼け焦げた肉が置いてあった。
あいつら、塊を丸ごと使いやがったのか、とトーリはますます落胆した。
しかし、火力を強くし過ぎたせいで外が焦げただけらしく、焦げた部分を取り除けば、まだ使える部分はありそうだ。これが薄切りだったらこうはいかなかっただろう。
不幸中の幸いだな、とトーリは焦げを取り除き、無事だった肉をスライスした。
そのまま焼くには少し小さいので、細かく刻んで野菜、茸と一緒に炒めて、水とワインで煮込む。
練っておいた生地を伸ばし、パイ皿に敷いた上に煮込んだ具材をたっぷり入れ、生地で蓋をしてオーブンに入れた。
風呂桶に水を張って火を入れてから台所に戻り、買って来た魚に塩を振って網で焼きながら、鍋にスープをこしらえる。
ユーフェミアは歩き疲れたのかソファでくったりしており、居間では買って来た服を広げながら、使い魔たちがきゃっきゃと騒いでいた。
「あら、これなんか可愛いじゃない」
「そうかのう? 動きづらそうで、わしゃ好かんわ」
「この帽子、シノの毛皮っぽくない? ふかふかしてるよ」
「わしはもっとふかふかじゃ」
「今度シノをブラッシングして、抜け毛を集めたら高く売れるかもねえ」
「えー、僕の羽根の方が高く売れるよ、きっと」
「うふふ、フェンリルの毛とフェニックスの羽根じゃ、錬金術師が喜びそうねえ」
「おーい飯だぞ。運ぶの手伝ってくれ」
「はーい」
騒がしい食事を終えて、ユーフェミアたちが銘々に風呂に入っている間に、トーリは食器を片付け、部屋を掃除し、翌日の食事の仕込みをする。パン生地を練って寝かしておき、水を張った鍋に乾燥茸と干した根菜を浸けておく。
洗った食器を拭いて片付け、すっかりひと段落させて台所から出ると、風呂から出て、全身からほこほこ湯気を立ち上らせるユーフェミアがソファに腰かけてぽやぽやと目を閉じていた。薄手のキャミソールを着て、肩からタオルをかけている。
「ユーフェ、ちゃんと着ないと湯冷めするぞ」
「ん……眠い」
ユーフェミアは薄目を開けてトーリを見ると、自分の横をぽふぽふと手の平で叩いた。座れという事らしい。
トーリが怪訝な顔のまま腰を下ろすと、ユーフェミアはトーリの肩に頭を乗せて目を閉じた。
「……え? 寝るの?」
「ん……」
ユーフェミアはもそもそと身じろぎして、トーリに寄り掛かり直す。しっとりと湿った髪の毛が袖をまくった腕に触れて心地よい。甘いシャンプーのにおいが漂う。
「いや、ちょっと待て。ここで寝るんじゃない」
「ん」
ユーフェミアはずり落ちる様にトーリの膝まで頭を落とし、下からトーリの顔を見上げた。
「もうちょっとこうしてていい?」
「むう……」
トーリは照れ臭くなって、指先で頬を掻いた。
風呂場ではシノヅキとスバルが大騒ぎしている。風呂の度に何かして遊んでいるらしい。
一番風呂に入って寝間着に身を包んだシシリアは食卓でお茶を飲みながら本を読んでいる。
ユーフェミアはトーリの膝枕で気持ちよさそうに目を閉じる。
「……ちょっと横向け。耳掃除しちゃる」
「うん」
体を伸ばして耳掻き棒を取り、トーリはユーフェミアの髪の毛をかき上げて耳を出した。風呂に入った後だからか、ほんのり朱に染まっている。
「んっ……」
耳掻き棒を突っ込むと、ユーフェミアはくすぐったそうに身をよじらせた。
「動くなよ、やりづらい」
「んみゅ……もっとゆっくり動かして」
「痛かった?」
「ちょっとだけ……」
「すまん」
「平気……んっ、そこ気持ちいい……ふあぅ……んんっ」
耳掻き棒が耳の壁をこする度にユーフェミアが悩まし気な声を上げるので、トーリは何となく落ち着かない気分になった。
シシリアがにやにやしている。
「驚いたわぁ、こんな所で始めちゃったのかと思った」
「はじっ……」
トーリは口をもごもごさせて、耳かきの方に神経を集中する。
「トーリちゃん、それ、お姉さんにも後でしてくれるぅ?」
「……大人しくしてるって約束できるならな」
「勿論よぉ。なんで暴れるって思うのぉ?」
「いや、暴れるっていうか……まあいいや」
両耳をすっかり綺麗にして、耳垢をちり紙に包んで捨てる頃には、シノヅキとスバルが風呂から出て来た。
「はー、さっぱりさっぱりじゃ。おりょ、何をやっとるんじゃ」
「ユーフェここで寝るのー? トーリの膝じゃ寝づらくない?」
「大丈夫」
「いや、大丈夫じゃねえよ、ベッドで寝ろ、ベッドで」
「一緒に寝ようよ。今朝みたいに」
「やだよ、寝られねえもん」
「なんで?」
「落ち着かねえんだよ、こう……色々と」
柔らかいしいいにおいがするし、とまでは言わなかった。ユーフェミアは不満そうに頬を膨らまし、ごろんと寝返ってトーリの腹の所に顔を埋めた。
後ろからシシリアが肩を叩く。
「トーリちゃん、次お姉さんの番でしょぉ?」
「え? あー、耳かき?」
「そうそう。ユーフェちゃん、交代交代」
「だめ」
とユーフェミアはトーリの膝からどこうとしない。
「いいじゃないのー、ユーフェちゃん、独り占めはずるいずるいー」
「ずるくない。トーリはわたしのだもん」
「もう、意地悪さん! くすぐっちゃうわよぉ」
シシリアはにまにましながらユーフェミアの脇腹に手をのばす。ユーフェミアは抵抗する様にトーリにしがみついた。
「んぎゅう……」
「うふふふ」
「やめろ馬鹿、こんな所で暴れるんじゃねえ!」
じゃれ合いの結果、最も甚大な被害を被っているのはトーリである。しがみつくユーフェミアとのしかかって来るシシリアとに四苦八苦していると、面白がったスバルまで飛び乗って来て、何だかよくわからない事になって来た。
「うりゃうりゃ! どーだ、ボクが一番強いぞ!」
「そういうのじゃねえから!」
「やん、トーリちゃん、どこ触ってるのぉ」
「不可抗力!」
どたどたしながらも、ユーフェミアたちを寝室に押し込み、トーリは息をついた。毎日何かしらで大騒ぎになるから困ったものである。
やれやれと思っていると、一人だけ騒ぎの外にいたシノヅキが、寝室に入り損ねたらしく、ソファでごろごろしていた。風呂上がりの薄着そのままである。
「何やってんの、シノさん」
「見りゃわかるじゃろ。ごろごろしとるんじゃ」
「寝るならベッドに行けよ、風邪引くぞ」
「フェンリルは風邪なぞ引かん」
「じゃあ、そこで寝るの?」
「どーすっかのう。腹がくちくて考えるのが面倒じゃ」
とシノヅキは寝返ってだらーっと手足を伸ばしている。手足が無暗に長い。
「明日はダンジョン行きだろ。ちゃんと寝とかないとだるくなるぞ」
「へいへい。トーリはお母さんより口うるせえのう」
とシノヅキは面倒くさそうに体を起こした。
(お母さんて……まあ、でもシノさんたちにも親はいるんだよなあ)
当然の話であるが、生きている以上誰にでも親は存在する。シノヅキにもスバルにもシシリアにも、それにユーフェミアにも。
もしこのままユーフェミアと夫婦になる様な話になれば、いずれユーフェミアの両親には会う事になりそうだとトーリは思った。要するに挨拶に行かねばならぬのだが、上位魔族だという父親に会うのは何となく恐ろしい気がしないでもない。
ともかく、今考えて悩む事ではない、とトーリは頭を振った。
ふと見ると、シノヅキがトーリの寝床でうつ伏せになっている。
「おい、そこ俺の寝床だぞ」
「ベッドに行けちゅうたんはおぬしじゃろ」
「自分の寝床に行けってんだよ!」
「ええじゃろ、別に。スバルの寝相が悪りぃで、あっちは寝づらいんじゃ」
そう言ってシノヅキはもそもそと枕に顔を埋めた。
「あのなあ、俺はどこで寝りゃいいんだよ」
「別に一緒に寝てもええぞ。抱っこしちゃろうか。わし、もっふもふで評判ええんじゃぞ」
「そりゃ犬の姿の時だろ」
「犬じゃねぇわ! フェンリルじゃ!」
既にシノヅキのフェンリル族としての威厳は地に落ちて久しいが、犬扱いされるとシノヅキは怒る。怒る気持ちもわからないではないが、それならばもう少しだらけずに過ごしてくれればいいものを、とトーリは嘆息した。
機嫌を損ねたらしいシノヅキは、トーリに背を向けて寝床の上で丸くなった。動くつもりはないらしい。
トーリは肩をすくめ、予備の毛布を出してソファの上に広げた。そうして残り湯で体を温めようと風呂場に入った。