2.短い留守番
日は段々と短くなり、風も冷たくなる。紅葉していた葉が冬風に吹き散らされて、辺りの景色が何だか寒々しくなって来た。もう冬真っ盛りである。
家事や畑、鳥の世話をする合間にも、トーリは少しずつ家の周りを片付けていた。
伸び放題の草の間から成長の早い雑木が高く伸び、それに蔦が絡んでとんでもない事になっているのを切り開き、埋もれていた古い壺やレンガなどを片付ける。
元々はもっと庭も広かったと見えて、埋もれているものの中には、もう腐ってボロボロになったテーブルや椅子もあった。かつてはこれらに腰かけて庭先でお茶でも飲んでいたのかも知れない。
茂みに覆われてわからなかったが、取り払って見るとリンゴやレモンの樹があった。雑草に覆われていたせいで元気はなかったが枯れてはおらず、トーリは幹についたカビや苔をこそぎ落として綺麗にし、鶏小屋から出た鶏糞や刈った草で作った肥しを根元に敷いてやった。それなりに樹齢を経た木らしく、持ち直せばすぐにでも実を付けてくれそうだ。
冬が近づくと草の勢いは落ちる。だから夏よりもよほど作業はしやすく、また外で火を燃やしても汗まみれになる心配もない。むしろ気持ちがいいくらいだ。
焚火に埋めておいた芋を掘り出して二つに割ると、黄金色の身から湯気が立ち上った。それにバターを塗って頬張ると、ほくほくした甘みとバターの塩気が相まって大変うまい。
「楽だなー」
と呟いた。今日は久しぶりにユーフェミアも仕事が入り、従魔たちも連れて出かけている。
一人きりの時は、トーリは特に食事に手をかける事はしない。こんな風に焼いた芋とお茶だけで簡単に済まして平気な顔をしている。
使い魔たちはしばらく魔界に帰っていたが、今回の仕事でまた呼び戻された。これでしばらく帰らずに済むぞ、と三人とも何だか嬉しそうだった。魔界はそんなにつまらない場所なのかしらん? とトーリは思った。
庭先では相変わらず鶏たちが地面を引っ掻いて、飛び出して来た虫などをついばんでいる。
アヒルたちは水辺を歩き回っている。池の水はもう澄んで、もしかしたらいずれは水路を辿って川から魚などが上がって来るかも知れない。そうならなければ、いっそ魚を捕まえて来てここに放すのもいいだろう。養魚池にもなるなら、それはそれで便利だ。
ユーフェミアたちは久しぶりのモンスター退治らしい。ユーフェミアとその仲間たちに鍛えられた『蒼の懐剣』の活躍によってしばらく出番がなかった様だが、今回はやや大物らしく声がかかった。シノヅキやスバルは久々に暴れられると張り切っていた。
今日の夜に帰って来られるのかは謎だが、ひとまず夜でも明日の朝になっても大丈夫な様に支度はしてある。昼を作らないでいい分、夜の仕込みに手をかけられるので、トーリとしてはそっちの方が楽しい。三食毎回だと量的な問題もあって忙しさの方が先に立つのだ。
芋を頬張り、温かいお茶をすすりながら、トーリは庭を見回した。来た頃は草にまみれていた庭も、今ではそれなりに整理されて形がよくわかる。
冬の間にもっと片付けて、樹木の苗などを植え足したい。柑橘類ももっとあっていいし、ベリー類などもあればジャムや砂糖漬けにして保存しておけるだろう。棚を作ってブドウを育てるのも楽しそうだ。
あれこれと将来の妄想をして楽しんでいると、どうして自分は冒険者などやっていたのだろうと思う。若さゆえの血気のせいだろうか。今となってはどうでもいい事なのであるが。
焚火の勢いを緩めてから家に入る。
午前中から油と香草でマリネしておいた肉の様子を見る。いい具合に漬かっている。味は薄めにしてあるから、翌日まで漬けておいても大丈夫だし、夜に帰って来たならば焼く時に味付けを足せばいい。
家の中の掃除は今となってはさほど手がかからなくなった。
服や本は、ユーフェミアが放り出したそばからトーリが片付けるので、物は基本的に整頓されている。
トーリは居間を掃いて、暖炉周りの細かい灰などを片付けた。それから外に出て薪を割る。
これからの季節は燃料がなければ大変だ。夏は暖房の用途はなく、調理や風呂焚きに使うばかりだが、冬は火を焚き続けなければならないだろう。
だからトーリは毎日森を歩いて薪を拾い集め、立ち枯れした木は倒して持ち帰った。そうして扱いやすい様に庭先で割って、棚にしまっておくのである。
「よいせっ」
振り下ろした斧が薪を真二つにした。
薪は一撃で割れると大変気分がいい。しかし素直に割れてくれる薪ばかりではない。節などがあると斧が止められて、何度も叩き付ける羽目になってくたびれる。
斧が抜けずに二進も三進もいかなくなった場合によっては、くさびを持って来て割れ目に押し込み、ハンマーでぶっ叩く事もある。これがまたひと手間でくたびれる。
それでも、薪割りは意外に夢中になるもので、いつの間にか割った薪が山になる。
夏場の薪割りはきついけれど、この季節の薪割りはむしろ気持ちいいくらいだ。
日が落ちかける頃になっても、ユーフェミアたちが帰って来る気配はない。
「今日は帰って来ないかな」
食事の支度に時間を取られなかった分、薪割りに精を出してしまったので、いつもより肉体的疲労が大きい様に思われた。家事も肉体労働ではあるのだが、斧を振るうのはやはりわかりやすい疲労感として体に来る。
トーリはゆっくりと風呂に浸かり、簡単な夕飯を済まして、居間の片隅に設えてある寝床に入った。
あの四人がいないだけで驚くくらい静かだ。ちょっと寂しいくらいだが、たまにはこういうのも気楽でいい。薪割りの疲れもあって、泥の様に眠りに落ちた。
それで朝方になって目が覚めると、何だか寝床が狭い。というより重い。何かが上に乗っているらしい。
柔らかい感触がして、寝ぼけた頭で目をやると、白い髪の毛が見えた。
「……んん!?」
ギョッとして布団をめくると、ユーフェミアが同じ布団に潜り込んで、トーリの胸に顔を埋める様にしてくうくうと寝息を立てていた。
寝ている時に無意識にトーリの方もユーフェミアに腕を回していたのだが、手に当たる感触はすべすべした素肌のものである。寝る時はいつもそうである様に素っ裸らしい。
「おい、ユーフェ起きろ。おい!」
「みゅう……」
ゆすぶるとユーフェミアはもそもそと身じろぎして、寝ぼけ眼でトーリを見た。それからまたぐりぐりとトーリの胸元に顔を擦り付けて、そのまま捲れた布団をかぶろうとする。
「……んゅ」
「寝るな!」
トーリはユーフェミアを体の上からどかした。ユーフェミアはころんと横向けになって、もそもそと布団の中で丸くなる。
トーリはそのまま寝床から這い出した。傍らにはユーフェミアの服が脱ぎ捨ててあった。
一気に目が覚めて、トーリは目をこすった。
ユーフェミアはトーリの抜け出した寝床の中で、そのまま気持ちよさそうに目を閉じている。
「……帰ってたのかよ」
と言うと、ユーフェミアは片目だけ開けてトーリを見た。
「夜遅くにね。ご飯は食べて来たよ」
「起こしてもよかったのに……」
「トーリの寝顔、レアだから」
いつもトーリはユーフェミアたちが寝るまで寝ないし、朝は誰よりも早く起きる。確かに寝顔はレアかも知れないが、裸で寝床に潜り込まれるのは心臓に悪い。
「お前よぉ、だからってよぉ……」
ぐったりしているトーリをよそに、ユーフェミアは「トーリのにおい」と枕に顔を埋めている。
本気で誘惑しようというにはのほほんとし過ぎだし、かといってからかっているという風でもない。ユーフェミア自身がトーリを好きなのに嘘はないだろうけれど、行動一つ一つが突拍子もない。
ユーフェミアが本気でトーリとくっつきたいと思っている事はよくわかっているし、トーリ自身もやぶさかではないのだが、この年になるまで色恋沙汰と無縁だった事もあって、どうしても気恥ずかしさが先に立つ。
また、今の付かず離れずの関係が心地よい事もあって、一線を超えるとそれが壊れる様にも思われ、どうにも及び腰になるのである。
(冒険者なり立ての頃は、安定なんてクソくらえって思ってたけどなあ)
裏方生活を続けるうちに、随分安定志向になったものである。慎重と言えば聞こえはいいかも知れないが、要するに優柔不断で思い切りがないのだ。ヘタレである。
トーリは諦めて踵を返し、くすぶっている暖炉の埋火に薪を放り込んだ。鍋に水を張ってその上にかけ、干し肉、干し茸、香草、芋、根菜を入れておく。
外に出るとひんやりした朝の空気が顔を撫で、色々と火照った体に気持ちがいい。
井戸の水で顔を洗い、口をゆすぐ。
それから小屋で騒いでいる鶏たちを外に出した。野菜くずを小屋に放り込み、水桶に新しい水をたっぷりと入れておく。畑を見回って、採れる野菜を採る。うっすらと霜が降りていて、葉野菜を触ると指にしゃりしゃりした。
家に戻ると、ユーフェミアは寝息を立てている。昨夜はいつ帰って来たのかわからないが、実によく寝る娘だと思う。
トーリはユーフェミアの寝顔を見て、やれやれと頭を振った。脱ぎ捨ててある服を拾って洗濯籠に放り込む。
炉に薪を足し、台所のキッチンストーブにも火を入れ、朝食づくりに取り掛かる。
昨日から漬けておいた肉を出しておき、その間にスープを仕上げてしまう。火にかけておいた鍋はいい具合に煮立ち、野菜も柔らかくなっている。そこにトマトの水煮や塩、香辛料で味付けをし、最後に刻んだ菜っ葉を加えて余熱で火を通す。
肉を焼き始める頃にシノヅキが起き出して来た。フェンリルだから鼻が利くので、食べ物のにおいに一番敏感に反応するのが彼女である。鼻をひくつかしながら、ひょっこりと台所に顔を出した。
「肉の焼けるにおいじゃ」
「鼻が利くね」
そう言いながら、トーリは肉をひっくり返した。
「昨日はぐっすりおねむじゃったのう」
「あー……起こしてくれりゃよかったのに」
「わしらはそうしようかと思ったんじゃが、ユーフェが駄目じゃと言うんでな」
「ああ、そ……」
まあ、そんな事だろうと思った、とトーリは肉を皿にあける。
「持ってって。つまみ食いするなよ」
「誇り高きフェンリル族がそんな事しやせんわい!」
嘘こけ、とトーリは心の中で毒づいた。
皿を持ったシノヅキと入れ替わりにスバルが入って来た。まだ寝ぼけた様子でぽてぽてやって来て、トーリの背中をつつく。
「お腹すいたー」
「ちょっと待って。スバル、皿持ってけ。もうちょいでできるから」
「はーい」
少し硬くなったパンを霧吹きで湿らせ、グリルパンで炙る。これで少しは食べやすくなるだろう。
パンを焼いていると、後ろからシシリアがそっと腕を回して来た。ドでかい胸が背中に押し当てられる。
「おはよぉ、トーリちゃん」
「ちょ! やめろやめろ!」
「うふふ、照れちゃって、かーわいい」
「今更シシリアさん相手に照れるわけねーだろ、焦げるっつーの! 邪魔邪魔!」
「もう、段々耐性つけて来ちゃって、お姉さん寂しいわぁ」
「はいはい。ほら、パン焼けたから持ってって」
「はぁい」
どたどたしながら朝食になった。寝癖やらなんやらがそのままの連中ばかりだ。家にいる限り、身だしなみというものを考えようとしない。シシリアだけはきっちりしているが。
「昨日の晩飯はどうしたんよ」
「アズラクのお店。朝までやってる所があるから」
とユーフェミアがバターを塗ったパンをかじりながら言った。シノヅキが肉を手づかみする。
「量はあったが味はイマイチじゃったわ! おぬしの作る飯の方がうまい!」
「そ、そう」
何となく照れる。トーリは誤魔化す様にシチューを口に運んだ。
朝食を終えて皿を洗い、洗濯物を籠に入れて風呂場に運ぶ。まだ温かい昨夜の残り湯と石鹸でまず洗い、それから井戸水ですすぐ。このやり方だと、冬でも指がかじかむ事がない。
今日は雲がかかっていて外干しでは乾きそうもないので、暖炉の傍で部屋干しをする。
トーリが洗濯物をぶら下げていると、薄手の部屋着に着替えたユーフェミアが、ソファでだらけている使い魔たちに言った。
「明日はダンジョンに行く。転移装置の触媒になる魔道具か魔鉱石を見つける予定」
「お、そりゃええな。体を動かした方が飯がうめぇでのう」
「どこのダンジョンに行くのー?」
とスバルが言った。
「廃都アルデバラン」
七尖塔や大魔宮と並ぶ超高難易度ダンジョンである。白金級のクランが入念な準備をしていく様な場所なのだが、ユーフェミアは準備らしい準備はしない。服を着て、杖を持って、変身するだけだ。近所に遊びにでも行く様な気軽さである。
洗濯物を干し終えてお茶の支度をしていたトーリは、ふと口を開いた。
「地上のダンジョンと魔界って、どっちが危ないとかあるの?」
「魔界にもモンスターいっぱいいるよ。危ない植物も多いし」
とユーフェミアが言った。
「地上にしかおらんモンスターもおるからの、どっちがどうとは言えんが、魔界の方が凶暴なのは多いかも知れんのう」
とシノヅキがソファにぐてっとしながら言った。同じく隣に腰を下ろすスバルが頷く。
「でもどっちも大した事ないよね。ドラゴンとかになれば、ちょっとは歯ごたえあるけど」
「魔界は魔力が濃いものねぇ。その影響で地上より強いモンスターは多いけど、どっちにしても関係ないわねえ」
とシシリアが言った。
(こいつらじゃ魔界も地上も一緒かよ)
どちらが強かろうが、同じ様に倒してしまうのだろう。そのせいで違いもイマイチわかっていないのかも知れない。トーリは何となく諦めた様な気分でやれやれと頭を振った。
いずれにせよ、転移装置が出来ればアズラクとの行き来が楽になる。思い立った時に出かけられるのはやはり気分が違う。
苗木を仕入れに行かなきゃなあ、と考えながらお茶を淹れていると、ユーフェミアがじーっとこちらを見ているのに気づいた。
「なんだよ」
「あのね」
「おう」
「お買い物、行かない?」
「何だ、欲しいものでもあるのか?」
「冬服、見に行きたい……」
「ああ……いや、それ俺要る? 荷物持ちか?」
「トーリが見て可愛いって服、欲しいもん」
ちょっと上目遣いでそんな事を言う。ユーフェミアの性格からして狙っているわけではないだろうけれど、大変あざとい。そうして可愛い。
(くそ、こいつめ……落ち着け俺。平常心、平常心……)
「トーリ、こぼれとるぞ」
シノヅキに言われてハッとすると、カップからお茶が溢れていた。スバルとシシリアがにやにやしながらトーリを見ている。