1.秋の終わり、冬の訪れ
完結詐欺になっちゃった、ごめんなさい!
「気に喰わねえ!」って人は遠慮なく評価もブクマも外してね!
夏は盛りを過ぎて秋はたちまち去り、既に冬の入り口に差し掛かっていた。
風は既に冷たく、肌を晒せば容赦なくひやりと撫でて行く。木々の葉は舞い落ちて枝ばかりになり、見上げる空はのっぺりとして、しかし不思議と高く見える。朝方は吐く息も白く漂う。
かける布団の数も増して、朝起きるのが少し面倒になって来る季節だが、トーリは同じ様に朝早く目を覚まし、暖炉の火を起こし、畑を見回り、鶏たちに餌をやったり水を取り替えたりして、それから朝食の支度をする。もはやそれらは日課になっていて、自然に目が覚めて起き出すといった風だ。
“白の魔女”ユーフェミアとその使い魔たちは中々起きて来ないが、トーリは起こそうとしない。起きて来るまで待っている。
快適な温度に保たれた寝室の中では、広々としたベッドに四人が詰まって寝ているのだが、ユーフェミアは服を着ていると眠れないとのたまい、シノヅキはフェンリル、スバルはフェニックスで、裸が普通だから、特に寝る時は服を着たくないらしくすっ裸だ。アークリッチのシシリアは肌着こそ着ているが、薄く透ける様な代物で、彼女の肉感的な体がそれをまとうと裸よりも扇情的で危ない。だからトーリは決して朝の寝室には入らない。
それでいつ起きて来るかというと、トーリが朝食の支度をして、いいにおいが家じゅうに漂い出す頃である。
その頃になると、寝ぼけ眼をこすりながら銘々に起き出して来て、食卓についたり、ソファに座ったりして、朝食が出来るのを待つ。
その日は魚の干物と野菜で作ったシチューに、昨晩から生地を練っておいた焼き立てのパン、焼いた腸詰と大きなオムレツが食卓に並んだ。
「おいユーフェ、もう一枚なんか羽織れ」
「うゆ……」
「なんじゃい、肉が少ないではないか。詰まらんのう」
「じゃあシノさん食わないのね?」
「食うに決まっとるじゃろ!」
「おにーちゃん、ボク、オムレツもっと欲しい!」
「……スバル、お前卵食うのに抵抗ねえの?」
「え? ないよ?」
「トーリちゃん、シチューおかわりぃ。あとお塩ちょうだぁい」
「へいへい……シシリアさん、ニンジン残すんじゃないよ」
「やぁん、もう」
「トーリ、パンもういっこ。バターいっぱい塗って」
「あいよ。ジャム要るひとー」
「はーい」
朝食を終える頃には、もう辺りはすっかり明るくなる。また一日が始まる。
冬は薪の消費量も増える。
とはいえ、ユーフェミアの魔法で、家の中は基本的には快適な温度に保たれている。しかし暖炉に火が入っていないと、特に夜間などは底冷えがする様な心持になる。
朝食の片づけを終え、家事をひと段落させたトーリは、頭にタオルを巻き直して、風呂場で洗った洗濯物を抱えて外に出た。
庭先で鶏たちが地面をつついている。草の種や虫などをついばみ、足で地面を引っ掻いて何かを掘り出そうとしているらしい。
手の平にのるくらいだったヒヨコだったのも今は昔、鶏もアヒルもすっかり大きくなって、ぴいぴい声から大人のがらがら声に変わっていた。
畑も夏野菜の姿は消え、まかれた冬野菜の芽や苗が育っていた。
根菜類が葉を伸ばし、結球する葉物が、まだ巻こうとせずに広々と葉を広げている。間引きしたニンジンやカブの小さいものは、スープやシチューに使える。トーリの仕事はなくならない。
『これでええんか』
とフェンリル姿のシノヅキが言った。庭先に前足で大きな穴を掘っていたのである。
トーリは穴の深さと広さを見て頷いた。
「よさそうだな。ありがと、シノさん」
『ふははは、フェンリル族一の戦士じゃぞ、わしは。昼飯には肉を増やすのじゃぞ』
「へいへい」
フェンリルというか、もはや飼い犬の様な感じがするな、とトーリは思った。
庭先の柵に腰かけていたユーフェミアが、ぽんと地面に降り立った。
「穴、空ける?」
「おう、頼む」
ユーフェミアは杖を振り上げて、シノヅキの掘った穴の真ん中あたりに突き立てた。そうして二言三言何か唱える。すると杖が光って、地面がずしんと揺れた。少しして、杖の突き立った辺りからごぼごぼと音を立てて水が湧き出して来た。
「おー、マジで出た。すげえな」
「えっへん」
ユーフェミアはドヤ顔である。
“白の魔女”ユーフェミアの家に雇われて早半年以上。『泥濘の四本角』のしがらみも解けたトーリはすっかりこの新しい生活に順応し、あれこれと周辺のものに手を付けるだけの余裕が出来始めていた。
鳥小屋の改築が済み、アヒルが大きくなった今、池が欲しいと思ったのだ。
この家はやや高台にあり、そこから下って行った先には川が流れているのだが、そこまで行くのは少しかかるし、川だとアヒルが流されては手が付けられない。
だから池を掘って、その水を川へ逃がす様にしたのである。地下の水脈はユーフェミアが魔法を使って見つけ出し、穴掘りと水路掘りはシノヅキの大きな前足が実に役に立った。
湧いて来た泥水にアヒルたちは大はしゃぎで、もう冬が近いにもかかわらず、平べったいくちばしでちゃぶちゃぶと水と土とを一緒についばみ、羽根を震わして水を浴びた。
「お腹空いた」
とユーフェミアが言った。見上げれば太陽は天頂に近い。トーリは頭のタオルを巻き直した。
「支度するわ。ちょっと待ってて」
それで台所に入る。
夏の間はいるだけで汗を掻くほどだった台所も、この季節になればむしろちょうどいいくらいだ。肌寒い外からここまで来ると、汗ばむくらいでも不思議と心地よい。
トーリは汗を拭って、茹で上がった菜っ葉を細かく刻んだ。水を混ぜてすり潰し、それを使って生地を練る。薄緑色の生地が出来上がり、後は寝かした後に切って成形する。
基本的に肉好きの魔界の住人たちは、野菜をそのまま出しても、最終的には食べるものの中々口を付けないので、トーリはこうやって食べやすい様に工夫する様になっていた。気分は好き嫌いの多い子どもを持つ母親である。
居間でのんびりしていたらしいユーフェミアがひょいと顔を出した。
「まだ?」
「もうちょっと」
「いいにおい」
「食器出しといてくれ」
「うん」
風呂場では水音がしている。穴掘りで汚れたシノヅキが風呂に浸かってぼんやりしているらしい。スバルはソファの上で伸びたり縮んだりしていた。シシリアはユーフェミアの作業部屋に籠っている。何かやっているらしい。
トーリは麺を茹で上げて、じっくりと煮こまれたソースを絡めた。焼いた燻製肉と野菜を添える。それをユーフェミアに渡した。
「持ってって」
「うん」
「あー、お昼ー?」
ソファでぐだぐだしていたスバルが体を起こす。
「こら怠け者。お前もこれ持ってけ」
「はーい」
食事の事に関しては、魔界の住人たちは素直に言う事を聞く。他の事では何かと文句を言う。最終的に飯の事をちらつかせれば渋々ながら言う事は聞くのだが。
トーリは寝室に顔を突っ込んで怒鳴った。
「シシリアさん、めしー!」
奥の作業場から「はーい」と声がした。トーリは食卓に戻る。ユーフェミアはもう席について出来上がった食事を眺めている。
「最近はお前あんまし仕事してないな」
「うん。最近は前みたいに沢山依頼が来ない。『蒼の懐剣』を鍛えたせいで、あっちが大抵の事を解決できる様になったみたいで、あんまりわたしまで仕事が回って来ないの」
「マジか。大丈夫なのか?」
「平気。モンスター退治はともかく、魔法薬とかはまだまだ需要ありだから。それにする事ないなら、その方がいいもん」
とユーフェミアはトマトソースを指に付けて舐めた。
「おいしい」
「こら、つまみ食いすんな」
「味見」
「ったく……てか、仕事してないのにシノさんもスバルもシシリアさんも帰らねえな。いいのか?」
「多分、いい。それにシシリアはちょっと手伝ってもらってる」
「ふーん……作業部屋で何やってんの?」
「魔法の開発」
「ははあ」
それは魔女らしいな、とトーリは納得した。
「はー、さっぱりさっぱりじゃ。腹が減ったわい。お、珍しい色じゃな」
シノヅキがほこほこ湯気を漂わせながら風呂から出て来た。何度も素っ裸で出て来て怒られているからか、胸元からタオルを巻いている。お洒落をする様になって来たとはいえ、羞恥心が著しく欠如しているから、未だにトーリは気が抜けない。肌色に慣れて来てしまった自分が何だか嫌だなあ、と常々思っている。
シシリアも来て、昼食と相成った。菜っ葉を練り込んだパスタにトマトソース、燻製肉とサラダ、それにスープである。
「トーリ、パン頂戴」
「あいよ」
「ボク、チーズもっと欲しい」
「はいはい」
「トーリちゃん、辛いのあるぅ?」
「ほい、かけすぎ注意な」
「相変わらずうまいのー。トーリ、その肉食わんならもらうぞ」
「だからこれは俺のぉ! ったく……てか買い物行かねーと材料がないぞ」
最近は全員が仕事に行かず、三食家で食べるものだから食材の消費が早いのである。スバルが手を上げた。
「ボクが連れてってあげるよー。最近暇だし」
「暇なら魔界に帰れよ」
「やだよう、そんなつれない事言うなー」
スバルは手に持ったフォークで皿をこんこん叩いた。シノヅキが肉をもぐもぐと頬張る。
「にゃんいしへほ、ひっへんもじょ、んぐ」
「食ってから喋れ」
「もぐ……なんにしても、近々いっぺん戻らねばなるまいな。エセルバートがうるせえでのう」
「あー……確かに。石頭だもんねえ」
スバルもうんざりした様に頭を振る。トーリは首を傾げた。
「上司か何か?」
「まあの。口うるせえで、面倒なんじゃ」
シノヅキは肉をすっかり平らげて、満足そうに腹をぽんぽんと叩いた。
「はー、食った食った。満足じゃ」
「相変わらずすげえ勢いだな……」
シノヅキはこの中で一番食べるのが早い。犬食いとはよく言ったものだとトーリは思った。もはや彼の中でシノヅキはよく食べるでかい犬扱いである。フェンリルという事は半ば忘れかけている。
「食べたら買い物?」
「だな。しっかし、もうちょい町に気軽に行けりゃいいんだがなあ。一々誰かの手を借りなきゃ買い物に行けないのはちと面倒だよ」
シシリアが思い出した様に身を乗り出した。
「そうそう、その事なのよ」
「なにが?」
「今ユーフェちゃんと一緒に転移装置の研究をしてて、トーリちゃんが一人でも町に行き来できる様にできたらなーって思ってるの」
「へえ」
それは便利である。
正直、買い物の度に誰かの世話にならねばならないというのは意外に大変で、手間も時間もかかる。また買い忘れなどがあった場合が非常に面倒くさい。
それが簡単に町に行き来出来るのであれば、もっと気軽に買い物ができるし、何なら外食と言う選択肢も出て来るだろう。
冒険者稼業をやめてユーフェミアの所に来てからというもの、トーリは元々好きだった料理にさらにのめり込んでいた。ユーフェミア初め、使い魔たちも毎回うまいうまいと平らげてくれるから作り甲斐もある。
(クビになる直前は飯ヘの反応なんかなかったもんなあ)
『泥濘の四本角』の解散直前は仕事が忙しかった事や、それぞれの事情が切迫していた事もあって、料理に舌鼓を打つ余裕もなかった様に思う。前に三人が来た時にはうまそうに食べてくれたし、今では笑い話として思い出せるけれど、あの頃は必死だったなあとトーリは思った。
しかし毎日三食、あれこれ作っていると次第にレパートリーが減って来る。
色々と工夫はしているものの、元々料理人というわけではないからやはり限界はある。だから勉強も兼ねて、トーリは少し外食にも行きたいと思っていた所なのだ。
「最近研究してる魔法ってのは、それか」
「うん」
とユーフェミアは口をもぐもぐさせながら頷いた。口周りはトマトソースで真っ赤だ。トーリはタオルを持った手を伸ばしてその口元を拭う。
「んむにゅ……」
「もうちょっと落ち着いて食え。で、その転移装置はできそうなの?」
「理論は構築できてるからねぇ。あとは微調整ってところかしらぁ。それから色々と素材が必要になるから、それを集めないとねえ」
とシシリアはあっけらかんと言う。魔法に関しては門外漢であるトーリだが、かなり高度な事をやろうとしているのは察せられた。
すげえなあ、とトーリは素直に感心した。どうしようもないところも多分にある連中だが、専門分野に関してはやはり群を抜いている。魔界の賢者と称されるアークリッチと、それを使役する“白の魔女”のタッグならば、作れない魔法などなさそうに思われる。
食事を終え、片づけをしていると、ユーフェミアがぽふんと後ろから抱き付いて来た。
「なんだよ」
「んー」
「やりづらいから離れろって」
「ん」
ユーフェミアはしばらくトーリの背中に顔を埋めてぐりぐりと押し付けていたが、やがて手を放してぽてぽてと寝室に入って行った。食後の昼寝でもするのだろうか。
トーリはふうと息をついた。ああいう風に突発的に甘えて来るから油断ならない。背中に柔らかな感触が残っている様な気がした。
それで出かける段になった。外に出たスバルがむくむくと膨らんでフェニックスの姿になる。翼を広げて何だか伸びでもする様な格好をした。
『あー、落ち着く! よーし、行くぞ。ほらほら、乗って。はーやーくー』
「ちょっと屈んでくれよ、乗れねえだろ」
スバルはトーリを乗せるとたちまち空へと舞い上がった。そうして翼を羽ばたかしてぐんぐんと加速し、アズラクを目指す。その背中にしがみついているトーリは、下を見る余裕なぞない。そんな事をすればたちまち真っ逆さまに落っこちるのが関の山だ。
ユーフェミアやシシリアの転移魔法だとほとんど一瞬で着くのだが、物理移動であるスバルの場合は小一時間かかる。それでも十分に早いのだが。
フェニックスであるスバルの背中は温かいから、冬の寒風を和らげてくれる。だから上空をすっ飛ばしてもトーリが凍える事はない。
いつもの様に郊外に降りて、人化したスバルと一緒に町に入る。相変わらずの賑わいで、あちこちに大勢の人々が行き交ってざわざわしている。
「何買うのー?」
「食材色々。主食系はまだいいとして……まあ肉だな」
「にくー」
スバルは嬉しそうに両腕を上げた。そういえばフェニックスって猛禽類なのだろうか、とトーリは思った。
夏野菜はもう終わってしまったものの、菜っ葉や根菜などが畑で採れているから、それなりに買い物の量が減ったけれど、それでもやはり買わねば賄えない。四人とも食欲旺盛だから止むを得まい。
露店の焼き菓子を頬張っているスバルは、まだあちこち目移りしているらしく、トーリが気を付けていないとはぐれそうだった。
「よそ見するんじゃないぞ。迷子になるぞ」
「トーリこそ前見て歩けー」
「お前が変な方に行ったりするからだろ!」
大きな塊肉や燻製肉、干した魚、塩漬けなどを買い込んで、すっかり持ち重りのする荷物を二人で持ち分けて帰る段になった。街中でフェニックスになるわけにもいかないから、町の外までえっちらおっちら歩いて行かねばならない。荷物が増えると人の間を縫って行くのも一苦労である。
「トーリ、お菓子お菓子! お菓子買おう、お菓子!」
「うるせー、これ以上持てるか! しかもさっき買ってやっただろ!」
「お土産だよ! おじさん、それ頂戴! 大袋で三つ! お金はおにいちゃんが払いまーす」
「こらーッ!」
どたどたしながら何とか家まで帰るという頃には、トーリはすっかりくたびれていた。スバルは元気である。郊外でフェニックス姿になって翼をばたばたさせた。
『お菓子お菓子!』
「うるせえ、さっさと乗せろ」
『あ、なんだよその態度! 燃やすぞ!』
「おうおう、やってみろ。二度と飯作ってやんねーぞ」
『うぐぅ……さっさと乗れよー』
屈んだスバルの背によじ登る。フェニックスの背中は羽毛で柔らかいが、身をかがめていないと風をまともに受ける羽目になる。スバルの上にいれば温かいものの、寒風はあまりまともに受けたくはない。トーリは荷物を押さえながら、背中に張り付く様に身をかがめた。
『行っくよぉー』
翼をはばたかしてスバルが宙に舞い上がる。風が巻き起こってトーリの髪の毛をばさばさと暴れさせた。お菓子を買い込んだからか、スバルはさっさと帰りたい様で、来る時にも増して速度を上げた。トーリは必死になってしがみついて、周囲を見る余裕もない。
それで家に帰り着く頃には、トーリはへろへろになっていた。何だか頭がくらくらする。
「お前よぉ、荷物が多いんだから、無暗に飛ばすのやめろよ、荷物が吹っ飛ぶかと思ったぞ」
『吹っ飛んでないからいいんだよ! お菓子頂戴、お菓子!』
「荷物を片付けてから!」
買って来た食材を台所に片づけて、やれやれと息をつく。誰と行っても買い物の度に騒動になるから、もしも転移ゲートが出来たならありがたい限りだ。
大きな肉の塊を見て、シノヅキが目を輝かしている。
「見事な肉の塊じゃ! わしのか!?」
「みんなで食うの。てかシノさん、たまには狩りにでも行って来いよ」
「別にええが、狩った獲物をさばいたりできんぞ、わしは。おぬしはできるのか?」
「できなくはないけど……」
フェンリル姿のシノヅキが狩りをするとなれば、血抜きも何もなしに持って帰って来るだろう。その頃には身に血が回って、すっかり臭くなっているに違いない。肉にはなっても血なまぐさいのではどうしようもない。
「俺が一緒に行って……」
「えー、わし、帰って来た時に飯が出来とる方がええんじゃが」
確かに、トーリが出かけてしまうと、家事をする者が誰もいなくなるだろう。
それでも、一頭分の肉というのは魅力的だ。せめて血抜きだけでも現場で行えれば、持って帰って来て解体すればよいので、現実味はある。
その事は追々考えるとして、ひとまず今日の夕飯の支度をせねばなるまい。その前に風呂の湯を沸かし直して、とあれこれ考えながら、トーリは食材を冷蔵魔法庫に押し込んだ。