15.再会、和解
大鍋にぐつぐつとシチューが煮込まれている。今夜はたっぷり食うからたっぷり作っておけとシノヅキに言われたので、トーリはひとまず言われた通りに量を多めで作っておくことにした。おそらく食べ残す事はない筈である。
元があの巨体だから食べる量が多いのはわかるのだが、人間の姿の時は食ったものはどこへ行っているのだろう、とトーリは思ったが、考えてもわからないのでやめた。
生地は練って寝かせておく。卵はオムレツにする予定である。中に具を入れ込む予定なので、挽肉と刻んだ野菜を炒めて置いておく。
マリネしておいた魚は野菜と合わせてサラダにする。塊肉はそのままローストして食べる時に切り分ける様にする。昼間に仕込んだ冷たいスープは冷蔵魔法庫の中だ。
「こんなもんかなあ」
トーリは下ごしらえを済ましたものを眺めて呟いた。
もう外は暗くなり出している。日が長くなったせいで、つい時間感覚が曖昧になるが、冬ならばもう真っ暗になっている時間だ。
風呂も焚いておこうかと風呂釜に水を張る。暖炉から火種を取り、裏に出て焚き口に薪をくべた。
火吹竹でぶうぶう吹いて火を起こしていると、家の中から「ただいまー」と声がして、どやどやと人が入って来る気配がした。ユーフェミアたちが帰って来たらしい。
「あれ、いない?」
「シチューは煮えてるけどなー」
「肉も焼かれておる! おいトーリ! 飯じゃ飯! 腹が減ったぞ!」
勝手気ままに騒いでいる。トーリは薪を一本放り込み、家の中に入った。
「はいはい、お帰り。今飯の支度するから……」
と言って、固まった。
「あ、あんたが“白の魔女”の正体……?」
「うわー、うわー、すっごく可愛い!」
「まさかあなたまで姿を変えていたなんて……驚きました」
ユーフェミアを取り巻く三人が、ハッとした様に顔を上げた。トーリは口をぱくぱくさせて、頭を掻いた。
「お……あ、お、おう……来たのか」
アンドレア、スザンナ、ジャンの三人が、何となくバツの悪そうな顔をして立っていた。シノヅキが食卓に座りながら口を開く。
「トーリに会いたいと言うんじゃ。じゃから連れて来た」
「俺に……か? マジで?」
ユーフェミアがぽてぽてと駆けて来て、トーリに抱き付いた。
「敵討ち、終わり」
「あー、そっか。ユーフェと一緒にレーナルドを……」
「ああ」
アンドレアが一歩踏み出して、深々と頭を下げた。
「トーリ、すまなかった。ひどい事を言って追い出したりして……」
「い、いや、俺もう気にしてないし、というかお前らの言ってた事が正しいし」
「そんな事ないよ! トーリのおかげでシリルも治った……あのね、あのね、トーリがくれたおもちゃ、シリルはまだ大事に持ってるんだ。元気になってからもそれで遊んだりしてるんだよ。ありがとうって、シリルも言ってる」
「ああ、そうかあ……よかったなあ」
「トーリ君、おかげで僕の故郷も救われました。あなたが“白の魔女”との縁を僕たちに運んで来てくれた……本当にありがとうございます」
「いや、まあ、それは……単なる偶然というか」
トーリは照れ臭いやらわけがわからないやらで、むず痒そうに視線を泳がした。
「ま、まあ、あれだ。アンドレア、お前仇が討てたんだろ? ジャンは魔法を完成できたし、スザンナは弟が治った。めでたいじゃんか。そんな辛気臭い顔してないでさ、喜ぼうぜ、な? やったーってさ」
しどろもどろにそう言うトーリを見て、三人は笑った。アンドレアが言った。
「だが、本当に感謝しているんだ。ありがとう、トーリ」
「お、おう……あー、むず痒い! 慣れねえよ、こういうのは! 大体、俺なんもしてないって! 感謝する相手が違うだろ! おら、ユーフェ! お前が感謝されろ! 感謝されまくって、なんか、こう……いい感じに照れろ!」
「うにゃ」
ユーフェミアはもそもそとトーリに抱き付き直した。スザンナがくすくす笑う。
「なんか、凄く懐かれてるんだね、トーリ。もしかして付き合ってるの?」
「うん。そうだよ」
「違うわ! こういう時だけ即座に反応するんじゃない!」
と、トーリは間を置かずに返事をしたユーフェミアを小突いた。
アンドレアが頭を掻く。
「だが、随分仲がよさそうだな……本当は、またお前が戻ってくれないかと期待して来たんだが」
「はあ? 俺が『蒼の懐剣』にって事? ははは、ないない。俺相変わらずクッソ弱いからな。白金級のクランになんか行けるかっつーの」
「……? いや、そんな筈ないだろう? 魔窟の管理をしているんじゃないのか?」
「魔窟だあ? 何の話してんだよ」
「シノヅキが言っていたんだ。“白の魔女”の家は魔の巣窟で、彼女たちにも手が出せなかったのをトーリが一人で片付けてしまったと」
アンドレアは大まじめな顔をしている。トーリはかくんと脱力した。
「アンドレア……片付けるっては、そのままの意味だよ」
「ん? どういう事だ?」
「文字通りの大掃除をしたって事!」
トーリはここに来てからの顛末をかいつまんで説明した。その過程で、アンドレアたちが、“白の魔女”の家は高難易度ダンジョンの様なものだと思っていた事、それをトーリが一人で攻略し、安全を確保して管理していると思っていた事などが判明した。
シノヅキとスバルが腹を抱えて笑っている。
「わっはははははは! こりゃ傑作じゃ!」
「あはははははっ! ざこざこおにーちゃんが高難易度ダンジョンなんか攻略できるわけないじゃーん」
「……スバル、お前デザート抜きな」
「うえっ!? ちょちょ、いつもの軽口じゃん! ごめんなさい許してトーリおにいちゃん!」
「冗談だよ。そんな必死な形相すんな」
このやりとりにアンドレアも噴き出した。ジャンも肩を震わせている。スザンナは屈みこんでひいひい言っていた。
トーリは嘆息して、抱き付いたままのユーフェミアを引っぺがそうとした。しかし頑強に抱き付いたまま離れようとしない。
「いつまで引っ付いてんだよ、お前は」
「……だって」
「なんだよ」
「トーリ、『蒼の懐剣』に行っちゃうのやだ。出てかないって約束した」
ユーフェミアは子どもの様に拗ねて口を尖らしている。トーリはぶふっと笑って、ユーフェミアの頭をぽんと撫でた。
「行かねえって。大体俺なんか実力不足もいいとこだよ。ここで家事やってる方が性に合ってる」
「……うん」
ユーフェミアは嬉しそうに再び抱き付いた。トーリは嫌そうにその肩を引っ掴む。
「だから抱き付くなって! 飯の支度ができねえだろ!」
「ぶー」
「膨れるな。ほい、座って待ってろ。お前らも食ってくだろ?」
アンドレアたちは顔を見合わせた。
「いや、しかし、悪いだろう」
「あらぁ、そんな事ないわよぉ?」
シシリアがするっとやって来てアンドレアの肩を抱いた。
「折角の機会じゃない、一緒に食べましょうよぉ。もう訓練の時間もないし、あんまり会えなくなっちゃいそうだものねぇ」
「そ、そうか……いや、ち、近くはないか?」
「あら、照れてるのぉ? うふふ、人間の男の子って本当に可愛いわぁ」
「おら、シシリアさん、アンドレアをからかうんじゃねえ。大人しくしてないと飯の量減らすぞ」
「もー、トーリちゃんってば厳しいんだからぁ」
シシリアはすごすごと引き下がった。ジャンがフォローする様に口を開く。
「あ、あの、シシリアさん。よければ、今後も魔法の事に関して色々と相談に乗っていただけると嬉しいのですが」
シシリアはぱあっと顔を輝かした。
「ジャン君ってば、本当にいい子だわぁ……ねぇ、ユーフェ、わたしジャン君と結婚してもいいかしらぁ?」
「えっ、あ、あの」
「うふふ、わたしたち、相性いいと思うのよねぇ。ねえ、どうジャン君? あなたはわたしの事嫌い?」
とシシリアはジャンを抱き上げた。子どもが抱き上げられている様な光景だ。ジャンは真っ赤になって目を白黒させている。
ジャンも本気で嫌がってはいない様だし、もう放っておこうとトーリは諦めた。
「ま、お前らも食っていけよ。飯まだなんだろ?」
「……それなら、甘えようか。なあ、スザンナ?」
「うん。トーリと、ユーフェさんがいいって言うなら」
「いいよ。一緒に食べよ」
とユーフェミアは一も二もなく賛成した。
「うっし、決まりだな。じゃあ、支度するから座って待ってろ」
とトーリは台所に入る。
ジャンはシシリアに掴まって、猫でも撫でる様な手つきで可愛がられて真っ赤になっている。アンドレアとスザンナは、スバルが持ち出して来たカードゲームを、シノヅキも交えてやる事にしたらしい。
トーリは生地を伸ばしてソースと具材を載せ、キッチンストーブのオーブンに入れた。それから具のたっぷり入ったオムレツを焼いた。
「……どうした?」
さっきからずっとユーフェミアがうろちょろしているので、とうとう声をかけた。
ユーフェミアは何となくもじもじしていたけれど、やがて顔を上げて口を開く。
「何か手伝う事、ある?」
「マジで? 珍しいな」
「お、お客さん初めて、だから……わたしも何かした方がいいと思って……ほら、おもてなしって、言うし……ね?」
と何だか照れ臭そうに言う。可愛い。
トーリはニヤッと笑って、ぽんとユーフェミアの頭に手を置いた。
「よし、じゃあ手伝ってもらうかな。パスタ作るから、具を炒める。こっち来て」
「うん」
ユーフェミアは嬉しそうにキッチンストーブの前に立った。トーリはフライパンに油を引いて、野菜や肉を入れる。ユーフェミアに木べらを渡した。
「焦がさない様に混ぜる。あんまり強くするとこぼれるからな」
「うん」
「家族と暮らしてた時も客は来なかったのか?」
「いっぱい来てたけど、わたしはあんまり相手した事ない。大体父様か母様のお客さんで上位魔族ばっかりだったから」
「……ふーん」
(上位魔族の客がいっぱい……こいつの実家って……)
何だか妙なイメージが頭をよぎったが、トーリはそれを振り払った。考えない方がいい、と本能的に悟ったのである。
ユーフェミアは緊張気味に木べらを動かしている。真剣である。あまり見ない真面目な表情に、トーリは図らずも少し見とれてしまった。
「……トーリ、次はどうすればいいの?」
「はっ……お、おう、スープを注いでな……」
「夫婦の共同作業って感じで、楽しいね」
「まだそんなんじゃないでしょ!」
「……まだ?」
「あっ……」
トーリは口をもごもごさせた。今自分の顔の色、どうなってるだろう、と思った。
ユーフェミアはいたずら気に笑った。普段は表情に乏しく、滅多に変わらないというのに、ふわりと和らいだそれは、見るからに笑顔だとわかった。
「ふふ、次はどうするの?」
「お、おう。次はな……」
いいにおいが漂っている。あと少しで賑やかな食卓が始まるだろう。
暖炉でぱちんと薪がはぜる音が聞こえた。