13.殴り込み
無事に魔界の植物が駆逐された畑では夏野菜の苗がすっかり育ち、畑が日に日に賑やかになっていた。花が咲いていたと思ったら小さな実が付き始めて、そうなる頃にはすっかり辺りは夏の気配だ。
もう分厚い服は着られなくなり、半袖が基本になりつつある。暖炉で料理するのがつらい季節になって来た。
それでもトーリは毎日同じ様に料理を作り、掃除をし、洗濯をした。
「ぐあぁあっつ!」
トーリは鍋で薄切りにした芋と玉葱を炒めながら、うめき声を上げた。額から垂れる汗をタオルでぬぐった。
料理をするには火を起こさねばならず、火を起こせば勿論熱い。暖房の効果もあるから台所は暑くなる一方である。
ただこれは台所だけの話であって、居間と寝室は心地よい温度に保たれている。ユーフェミアの魔法らしい。ずるいなと思いつつも、そこにいれば勿論涼しいので、トーリも文句は言わない。
ただ、台所だけはその魔法の効果が及んでいない。
「くっそ、体中の水が流れそうだ……」
ぶつぶつ言いながら鍋にスープストックを少し入れて炒め煮状態にし、木べらで芋と玉葱を細かくする。芋が崩れるくらいになったら火からおろしてムーランで濾す。それを鍋に戻し、牛乳を加えじっくりと温め、塩と胡椒で味付けし、冷蔵魔法庫で冷やしておく。夕飯用の冷たいスープだ。
「ふー……小休止だな」
トーリは冷蔵魔法庫から先日仕込んでおいた桃のシロップ煮を出す。四角い型で焼いておいた卵のケーキに泡立てたクリームと桃を載せた。仕上げに庭で採れたミントを飾る。中々お洒落なおやつが出来上がった。
ひょいと台所から顔を出して言った。
「おい、おやつ食べるか?」
「食べる」
「食べる!」
「食べるー!」
「食べるわぁ」
四者四様に、いっぺんに返事が返って来た。
七尖塔の第四塔を攻略したユーフェミアと『蒼の懐剣』たちは、一旦休息の時間を取る事にしたらしい。
ジャンがプデモットへ出かけるという事もあるし、ユーフェミアも怠け欲がマシマシに増して、帰って来てからというもの、寝床とソファと食卓とを行き来するばかりである。
ユーフェミアはソファに腰かけて、分厚い本を広げて読んでいたが、ぽてぽてと食卓にやって来た。いつも読んだ本をあちこちに放置するので、見つける度にトーリが拾って片付けた。
「……お前、なんか羽織れよ」
「暑いもん」
薄手のブラウス一枚のユーフェミアは何でもない顔をして椅子に腰を下ろす。そうしてテーブルに置かれたケーキを見て目を輝かせた。
「おお、桃……」
「なんじゃ、肉じゃないんか」
「あれっ、シノ要らないの? じゃあボクがもーらおっと」
「誰が要らんと言うたか! 取るな阿呆鳥!」
「トーリちゃん、お茶ちょうだぁい」
「あいよ。紅茶とハーブティー、どっちがいい?」
「んー……ハーブティーかなぁ」
「はいはい」
「トーリ、これおかわりある?」
「ある事はあるが、食った奴は夜のデザートがなくなる」
「むむむ、究極の選択……!」
「桃が甘くて冷たくてうまいのう!」
ここでの生活に慣れて、台所の扱いに習熟したトーリは、三度の食事以外にも手を出す様になっていた。お菓子作りも楽しい。
お茶をすすって、トーリは口を開いた。
「庭に石窯作れないかな?」
「石窯? どうするの?」
「パンとかケーキとか、もっと大きなのが焼ける様になるし、肉のローストとかもやりやすくなるんだよな」
「それは作るべき。どういう風にすればいいの?」
「うーん、設計はまあ、考えるわ。最近買い物に行った時、パン屋とかの窯を見せてもらったりしてたんだよな。だから何となく造りはわかってる。材料は……火に強いレンガと土と石、かな」
「あら、それなら何とかなりそうねえ。レンガの耐火性が問題になりそうだけどねぇ」
「ボクの炎で燃えないレンガならOKって事?」
「そんなもん魔界にしかねえだろ」
「成る程、魔界で材料を集めるっちゅう事じゃな?」
「え?」
「うん。ドラゴンが踏んでも壊れない石窯を作る」
「おい?」
「そんな窯ができたら、きっと凄いものが焼けるよね!」
「おい」
「大きさはどうするんじゃ? ドラゴンが入るくらいのサイズにするか?」
「いいね。ドラゴンステーキ、食べたい」
「おい!」
そこへ手紙を咥えた鳥がぱたぱたと入って来た。ユーフェミアは手紙を開いて目を通し、顔をしかめる。立ち上がった。
「どうした、仕事か?」
「うん、緊急依頼。三人とも準備して」
ユーフェミアはローブを羽織って帽子をかぶる。シノヅキは残っていたケーキを一口で頬張った。
「ほぐほぐ……なんじゃ、モンスターか?」
「ううん。アンドレアたち」
「あら、それじゃあジャン君が帰って来たのねえ」
唐突に元仲間の名前が出て、トーリは困惑した。
「ジャンがどうしたって?」
「プデモットって所に魔法を完成させるんだって行ってたんだよ。その間、お休みする事にしてたんだよねー、ユーフェ」
「そう。でもそれも今日で終わり。これから大悪魔レーナルドの討伐戦。休んでる間に居場所は特定したし、後は攻め込むだけ」
「はっ? そ、それって……」
トーリがうろたえて言うと、シノヅキがからからと笑った。
「なぁに、心配要らんわい! 今のアンドレアなら大悪魔とも互角に戦えるわ! なんせわしが散々鍛えてやったからのう!」
「ま、マジか……」
フェンリル族の戦士に鍛えられたとなれば、アンドレアも腕を上げているだろう。元々才能はあるのだ。格上と戦い続ける機会があれば、めきめきと強くなるに違いない。
「スザンナおねーちゃんも強くなったもんね! 本気じゃないとはいえ、ボクの速度に追い付ける人間は中々いないよー」
「あら、それを言ったらジャン君だって、魔法がとっても上手になったわよぉ? 術式の無駄もなくなったし、詠唱破棄も習得したし、魔力量だってぐんと上がったんだからぁ」
スバルとシシリアがきゃっきゃと騒いでいる。元仲間が大幅に強化されているらしい事を知って、トーリは呆けた様に笑った。
「そっか……じゃあ、アンドレアはようやく敵討ちに行けるんだな?」
「うん。基本的には『蒼の懐剣』が戦って、だけど懸賞金は七対三。七がこっち。楽して儲ける賢い女はわたしです。お嫁さんにどう?」
「唐突な売り込みやめろ。でもまあ……ありがとな」
トーリはぽんとユーフェミアの肩に手を置いた。
ユーフェミアは目を閉じる。ちょっとした沈黙が挟まった。
「……何してんの?」
「……? 今のはキスの流れじゃないの?」
「全然違うわ! お前、段々遠慮なくなって来てるな!」
「遠慮のない関係って素敵だと思わない?」
「あっ、はい」
なんだか今日はぐいぐい来るなあ、とトーリは頬を掻く。
スザンナの弟は治った。ジャンの魔法も完成した。こうしてアンドレアの敵討ちも終われば、仲間たちのしがらみはすべてほどける事になる。
もしトーリがユーフェミアと出会っていなかったら、こうはなっていなかっただろう。
(……やっぱ俺は解雇されて正解だったって事かな)
しかし、初めのうちは切ない気分になっていたそれが、今になっては何とも思わず、むしろこれでよかったのだと思えた。
ユーフェミアは甘える様にトーリに抱きついた。
「背中さすさすして」
「はいはい。食い過ぎか?」
「違う。さすさす好き。なでなでも好き」
「あ、そう」
甘えて来るユーフェミアに腕を回しながら、トーリは嘆息した。
ここまでするのならば開き直って恋人面した方がいい様にも思われるが、どうにも煮え切らずにいた。そういう性格なのだ。
ユーフェミアの求める様な関係に至るには、まだ時間がかかりそうである。
〇
魔界から地上へやって来るには、現在は固く閉ざされている大門を通るか、人間との契約によって召喚アストラルゲートをくぐるしかない。前者は魔界の軍が厳しく管理しているし、後者は契約が必要である為、魔界の住人は簡単に地上に出る事はできないのだ。
しかし、時には罪を犯した魔族が地上へ逃げる事がある。
アストラルゲートはくぐる際に多量の魔力や力を吸い取られる。契約を行えばそれを抑える事ができるのだが、契約をしていない魔族の場合は力の大部分を失う。
大悪魔レーナルドはかつて現魔王に反逆した。
魔界は実力主義であって、魔王の座を力ずくで奪い取る事は認められている。ただし失敗すれば勿論反逆者として捕らえられ、容赦なく処断される。文字通りの勝てば官軍なのだ。
彼は一騎打ちでは魔王に勝てぬと判断し、自らの軍を率いて魔王に戦いを挑んだが、流石に魔王軍は強く、形勢は不利となり、禁呪を使って地上へと逃げ出したのである。
その力の大部分を失ったレーナルドであったが、それでも人間よりも強い力を持っている。彼は弱い村人などを狙って殺し、力を少しずつ蓄えた。
レーナルドは軍を上げて魔王に喧嘩を売るだけあって狡猾だった。魔界からの追手からも逃げ延び、力をある程度取り戻してからは辺境に身を潜めた。その周辺は時空に歪みがあり、魔界の魔力が漏れ出していたのだ。レーナルドはその魔力を少しずつ体に蓄え、大悪魔としての力を着々と取り戻した。
そうしてまずは地上を支配し、その後は大門を破って再び魔界へ侵攻しようと企んでいたのである。
「くく、これで我らの計画も進む」
レーナルドは大きな手をぐっと握って笑った。
城塞だった。分厚い石の壁に、松明がかかっている。城壁は高く、城門は重く作られていた。その門の外に、魔族の軍勢が装備を整えて待機していた。出発の下知を今か今かと待ち構えている。レーナルドはその軍勢を見て薄く笑った。
地上で力を取り戻したレーナルドは、独自にアストラルゲートを開いて、自らの部下を地上に呼び寄せていた。不完全なゲートゆえに、部下も力を抑えられてはいたが、人間相手であれば問題はない。地上を征服さえしてしまえばより力は高まる。
力はかなり戻った。人間を駆逐するには十分だ。
レーナルドは弱者をいたぶるのが好きだった。弱い人間たちを、まるで蟻でも潰す様にすると、背筋がぞくぞくした。必死に命乞いする者を、一度は許してやる様なそぶりを見せて安心した所でなぶり、絶望の表情を浮かべさせるのが好きだった。レーナルドにとっては、人間など簡単に壊せて替えの利くおもちゃの様なものだった。
「レーナルド様」
麾下の幹部たちが集まって来た。
「ご命令を」
「うむ」
自らの力も上がり、軍勢も整った。今こそ打って出る時だとレーナルドは下知を下した。
レーナルドの本拠地は辺境にあり、そこから最も近い国をまずは攻め落とす。そこを足掛かりに、次々と領土を広げて行く心づもりだった。
レーナルドは腰の剣を抜き、振り上げた。朗々と通る声で叫ぶ様に言う。
「これより、我々の時代が始まる。まずは愚かな人間どもを滅ぼし、地上を我がものとするのだ! そして今度こそ憎き魔王めの首を討ちとってくれる!」
「おおっ!」
こうして部隊が動き出した。とはいえ、統率が取れているという風ではない。銘々にぞろぞろと動いて行く。レーナルドを首魁として集まっている集団ではあるが、結局ならず者の集まりでしかない。
だが、ならず者であっても魔界の住人だ。人間相手には驚異的な力を携えている。基本的に独立志向の強い魔界の住人は、下手に統率を取ろうとするよりも好きに暴れさせた方がいいのだ。
あの連中が人間の集落を蹂躙する様を想像し、レーナルドはほくそ笑んだ。弱い者をなぶるのは実に楽しいものだ。
しかし進軍を開始してから少し経った頃、部下が慌てた様に駆け戻って来た。
「レーナルド様!」
「なんだ、騒々しい。侵略の準備は順調か?」
「そ、それが妙な連中とかち合って戦闘になりまして……」
「ほう、賞金稼ぎの冒険者か?」
レーナルドには高い懸賞金がかけられているから、時折冒険者が討伐にやって来る事がある。しかしそのすべてをレーナルドは返り討ちにして来た。自信満々にやって来た連中が、恐怖と絶望に顔を染めて命乞いをする無様さはレーナルドを幾度も楽しませたものだ。
「た、確かに冒険者らしいのですが、異様に強く……だ、第一部隊は半壊です!」
「なんだとっ!」
レーナルドは思わず立ち上がった。
確かに、人間の中にも強い者はいる。特に冒険者はモンスターとの戦いを生業にしているから、人間離れした力を持つ者もいないではない。
それでも、魔界の住人の一部隊を相手にして、それを跳ね除けるだけの力があるとは思えない。
魔族は強い。何かの間違いで一人二人魔族を倒したとしても、ここには数百を超える魔族や、彼らが使役する使い魔や幻獣がいるのだ。人間に攻め切れる筈がなかった。
別の部下が息を切らしてやって来る。
「せ、攻め返されております! 第二部隊、第三部隊も壊滅状態です」
「馬鹿なッ! 人間風情がその様な……ッ!」
レーナルドは憤怒の表情で立ち上がり、マントをはためかした。
「私自らが打って出る! 続け!」
命知らずの愚か者を血祭りに上げてくれる! とレーナルドは腰の剣の柄に手をやった。
城門の外に出た所で、向こうの方で火柱が立ち上るのが見えた。大魔法だ。吹き上がる炎に焼かれる影がいくつも見える。
「な、何という威力……」
傍らに立っていた部下が息を呑む。見る見るうちに眼前の兵士たちが蹴散らされるのがわかった。その向こうから武装した一団が物凄い勢いで向かって来る。レーナルドは歯ぎしりした。振り返った。
「グマテドス! ザウター! あの愚か者どもを殺せ!」
「ぐははは! お任せを!」
「ひひっ、楽勝、楽勝……」
牛頭人身のグマテドスはハルバードを振り上げ、四本の腕を持つ骸骨のザウターは、それぞれの手に持った剣を光らして、侵入者の方へと向かう。どちらも腕自慢で知られる魔族だ。
「ヒスライン! 魔法使いを狙って殺せ! 援護させるな!」
「はいはい、お任せー」
背に鳥の羽根を持つヒスラインは、滑る様に宙を飛んで行った。
三人ともレーナルドの部下の中では指折りの実力を持つ幹部だ。
奴らが相手ならば、人間どももひとたまりもあるまい、とレーナルドは腰に手を当てて、傲然と戦いの趨勢を見守った。