11.鍛錬
アンドレアの鋭い剣筋がシノヅキへと向かう。木剣でありながら鉄さえも斬り裂きそうな勢いだ。
「ははっ、やるのう!」
しかしシノヅキは小さな動きで身をかわし、アンドレアの腕を取り、肩を押さえて、そのままぽんと空中に放り出した。アンドレアは自身の勢いも相まって、物凄い勢いで空中で回転し、落っこちた。何とか受け身は取ったが三半規管に甚大なるダメージを被ったと見え、ふらついている。
「うぐっ……」
「おお、平気か? 吐くのか?」
とシノヅキが背中をさすってやった。アンドレアは苦笑して顔を上げる。
「あんたには中々追い付けないな」
「そりゃそうじゃ、なんせわしはフェ――じゃなくて、めっちゃ強い戦士じゃからな! じゃが、おぬしもかなりよくなったぞ! なぁに、わしに勝てんのを恥じる事はない、そもそも勝てる奴なぞいないのじゃからな! わははは!」
アンドレアはどかっと地面に腰を下ろし、大きく息をついた。
「……トーリは、“白の魔女”の所にいるんだろう? 何をしているんだ?」
「掃除洗濯飯作り、じゃ。最近は畑や鳥の世話も始めておるな」
同じ事をしているのか、とアンドレアは小さく笑った。自分たちが不要だと判断したものを、“白の魔女”は重要視している。一流との違いはそこだったのだろうか、などと思う。
だが、その“白の魔女”が魔窟の管理云々と言っていた様な気がする。
「なあ、トーリは魔窟を管理しているとか聞いたが……」
「魔窟? ああ、確かにありゃ魔の巣窟じゃったなあ。わしらじゃ入るのも恐ろしゅうて嫌じゃったが、トーリはちっとも物怖じせんでな、すっかり片を付けてくれよったわ。今はすっかり心地よい空間になっておるわい。大した男じゃのう、あいつは」
わははと笑うシノヅキを見て、アンドレアは嘆息した。自分たちが役立たずと判断した男は、自分が敵わない相手がこうして褒め称えるほどの男だった。自分の見る目のなさが情けなくなる様だ。
だが、その縁故でこうして自分も鍛えてもらっている。自分たちはトーリにひどい仕打ちをしたのに、こうやって助けてもらっている。
敵討ちを成し遂げたら、トーリに会って一言謝りたい。アンドレアの目標がまた一つ増えた。
とにかく実戦形式のぶつかり稽古ばかりだったが、それでも二週間毎日、朝から晩までやっていればかなり違う。
“白の魔女”の前ゆえに霞んでしまう『蒼の懐剣』だが、その面子は誰もが白金級の実力者ばかりなのだ。格上の胸を借りて試行錯誤しつづければ、上達するのも早い。現に、その場で戦っている者たちの動きは格段によくなっていた。
座って訓練の様子を見ていた“白の魔女”が、ぐんと立ち上がった。
『それまで』
訓練場いっぱいに声が響いた。銘々に動いていた連中は一斉に動きを止める。何事かと緊張気味に“白の魔女”の方を見る。
『この二週間でうぬらも中々実力がついた。ついては仕上げの実戦として本日はこれより七尖塔の探索を行う』
『蒼の懐剣』のメンバーはギョッとした様に顔を見合わせた。
七尖塔は辺境の奥にあり、その名の通り七つの鋭い塔が立っている古代都市である。強力なモンスターの巣窟となっており、しかし古代都市であるがゆえに、希少なアーティファクトも多数眠っていると言われている。
ざわめくメンバーの中で、ジャンは真剣な表情をしていた。スザンナが歩み寄る。
「ジャン……七尖塔って……」
「……ええ。月輪の宝玉の眠るダンジョンです」
ジャンは師匠と作っていた魔法を完成させるため、月輪の宝玉を必要としていた。
しかし七尖塔は白金級のクランであってもおいそれとは手の出せないダンジョンだ。アズラクでも最高のクランである『蒼の懐剣』であっても、慎重にならざるを得ない。
しかし、“白の魔女”とその仲間が一緒ならば、攻略も現実味を帯びて来る。
(師匠……)
師と共に何度も危険な実験を繰り返して、魔法は完成に近づいていた。それゆえにジャンの体の成長も止まってしまったが、おかげで術式自体は構築し終え、最後に強力な触媒を使用すれば完成する予定であった。
その触媒が日輪の宝玉と月輪の宝玉である。日輪の宝玉はジャンの師が命と引き換えに手に入れて来たが、月輪の宝玉はまだ手に入っていない。
それが手に入りさえすれば、とジャンは杖を握る手に力を込めた。
「しかし、今からか? 七尖塔自体もそうだが、そこに行くまでも時間がかかる。相応の準備が必要だと思うが」
とアンドレアが言った。
『心配は要らぬ。諸々の準備は我が整えた。食料、魔法薬は十分にある。七尖塔までは転移魔法で飛ぶ。うぬらは探索に集中すればよい』
マジかよ、と『蒼の懐剣』のメンバーはざわめいて顔を見合わせた。“白の魔女”は腕組みして続ける。
『現在は十の刻。装備を整え、休息を取り、十三の刻にこの場に集合せよ。遅れた者は置いて行く。では一旦解散とする』
そう言って“白の魔女”は仲間の三人を連れて転移魔法で姿を消した。
一気に場が慌ただしくなった。銘々に装備を整えようと、家や拠点に駆け足で戻って行く。遅れて置いて行かれては事だ、と誰もが必死だ。
アンドレアはジャンの肩を叩いた。
「正念場だな」
「はい……不思議な巡り合わせですね」
とジャンは小さく笑った。
「馬鹿げた話ですが……なぜかトーリ君のおかげの様な気がするんです。根拠はないんですが」
「わかる! わたしもそんな感じするよ!」
とスザンナも首肯する。アンドレアはふっと笑った。
「全部片付いたら、あいつに会わせてもらおうな」
「ええ。必ず」
「ね。面と向かって謝って、お礼もちゃんと言いたいもん」
三人は笑い合って、手に持った武器をこつんと合わせた。
〇
一方その頃、すくすくと育っていく鶏やアヒルの雛を見て、トーリは満足していた。
最近は昼間に外に出し、雑草や虫を食わしている。そうして夜は襲われない様に小屋に戻すのだ。トーリが来ると餌がもらえると覚えたらしく、夕方にトーリが小屋に行くと、その後をついて来て餌の催促をする様にぴいぴいと鳴いて足元を走り回る。それがとても可愛い。
最初は外に出るのもおっかなびっくりという風だったヒヨコたちも、今では勝手知ったるとばかりに庭先で色々とついばんでいる。
太陽が次第に夏のものに近づいている。畑に植えた夏野菜もすっかり根付いて葉を伸ばしている。
今まで草むらだった分、虫も旺盛に野菜に食いつくので、トーリは毎日虫を取ったり水をまいたりしている。
そんな風に畑仕事をしながらヒヨコを見て和んでいた所に、急にユーフェミアたちが戻って来て「ご飯。早く」と言ったから、トーリは大慌てで家の中に駆け戻った。野菜を刻みながら肩越しに怒鳴る。
「お前らさあ、昼に戻るんなら朝にそう言っといてよ! 全然準備できてないっつーの!」
「トーリなら何とかできる。頑張って」
「トーリなら何とかなるじゃろ。頑張れ」
「トーリおにいちゃんなら平気! ふぁいと!」
「トーリちゃんなら大丈夫よぉ。頑張ってぇ」
「貴様らぁ……」
悪態をつきながらもトーリは刻んだ野菜を炒め、スープストックと肉団子を加えて煮込み、夜用にと思って準備していた生地を切って麺にして茹で上げる。茹で上がった大量の麺にとろみのついたソースをたっぷりかけて、上からチーズを削る。
「はいよ! 簡単だけど!」
「わーい」
簡単だろうが何だろうが、うまい事に変わりはないらしく、魔女と幻獣の四人はうまそうにぱくついている。無茶振りされても出来てしまうから、こいつらも無茶振りして来るんじゃなかろうか、と思ったが、出来てしまう以上止むを得まい。
これも因果か、とトーリはやれやれと頭を振った。
(……そういや、シノさんたち、魔界に帰らなくていいのかな)
シノヅキたちは、魔界でも実力者に数えられる連中らしく、何のかんのと魔界でも雑務があると聞いていた。現にそれで前に一度帰っている。しかし最近は毎日仕事に出っぱなしで、魔界に帰る気配がない。
「シノさんたち、魔界の方は平気なの? 雑務があるとかなんとか」
トーリが言うと、シノヅキが「むぐ」と言って、口の中のものをコップの水で飲み下した。
「ふはっ。おう、平気じゃ。前みたく用事もなしにここにいるのはちと体裁が悪いが、契約者であるユーフェと共に仕事をしている限り、地上を優先して構わんからのう」
そういう事らしい。召喚契約の条件だのが色々あるのだろう。
昼食を腹に収めた四人は、そそくさと出かける準備を始めた。
「妙に急いでるけど、また行くのか?」
「うん。ちょっとダンジョン探索。だから今日の夜は帰って来ないかも」
「あ、そう」
それならそれで構わない。夜の分の生地を使ってしまったのでどうしようかと思っていたが、ユーフェミアたちがいないならばわざわざ用意する必要もない。しかし予想外に現れる可能性もあるので、一応支度だけはしておこう、とトーリは思った。
最近は四人とも毎日出かけて行く。
何をしているのかは別に聞いていないが、忙しそうだから何か大きな仕事に取り掛かっているのかも知れない。それでもトーリはいつも通りに家を掃除し、薪を割って風呂を沸かし、大量の食事を準備するだけなのだが。
慌ただしく出て行った四人を見送って、トーリは手早く片づけをした。
いつもの事ながら料理がほとんど余らないので片づけは大変楽である。食器を洗い、調理器具を洗い、伏せて乾かしておく。
午前中に干しておいた洗濯物がもう乾いているから取り込んで畳む。家ではいつも薄着か裸なので実感がなかったが、ユーフェミアは意外に衣装持ちで、洗濯物は結構多い。仕事の時は“白の魔女”と化すのだが、出かけて行くのに着る服はいつも違う。
元が人間体のシシリアも、どの服も露出が多いというのを除けばバリエーション豊かな服を持っていたし、シノヅキやスバルも人間の姿に慣れるにつれ、服を着替えておしゃれするのが楽しくなり出したらしく、最近は二人の服も増えて来ていた。
一方のトーリはほぼ一張羅のシャツの袖をまくり、エプロンをつけ、頭にはタオルを巻く、というのがほぼユニフォームと化していた。おしゃれなぞ興味がない。
それよりも畑だ! とトーリは草取りを再開するべく外へ飛び出した。




