10.協力
大悪魔レーナルドは、魔界から逃げ出した犯罪魔族である。
本来魔界の住人は、地上の人間と契約を交わして呼び出される事でしか召喚アストラルゲートをくぐる事はできないのだが、魔界で罪を犯したレーナルドは、禁術を行使して無理やりに地上へと逃げ出した。
禁術の代償によって大悪魔としての力は衰えたが、それでも地上においてはかなりの力を誇る。レーナルドはその力を好き勝手に振るい、人間たちに害を与えた。
『蒼の懐剣』のアンドレアは、その被害を受けた一人だ。彼の故郷の村はレーナルドが面白半分に襲って壊滅した。両親も友人も一人残らず死んでしまった。
以来、アンドレアはレーナルドを仇として追い続けている。
しかし、アンドレアは冷静な男だから、自分がレーナルドの力に追い付いていない事を理解している。だからこそ、より強いモンスターと戦って経験を積み、難しいダンジョンでアーティファクトを得る事に血道を上げていた。そうする事で、いつかレーナルドの首を取る事が出来ると信じたのである。
遠回りかも知れない。しかし、自分まで死ぬ事になっては、仇を討つ事ができない。アンドレアは逸る心を抑えながら、日々の仕事と鍛錬に邁進した。
その日も『蒼の懐剣』は、アズラク近くの荒れ地で武装したオークの一団と戦っていた。
「崖の上に気を付けろ!」
「右から回れ! 連中、思ったより足が速いぞ!」
オークは屈強なモンスターだ。戦略までは無理だが、戦術を整えて襲って来る事もある。集団になると白金級の冒険者でも苦戦は免れない相手である。
慎重に戦うメンバーを尻目に、スザンナが一人、活き活きした動きで縦横無尽に跳び回り、硬いオークの鎧の継ぎ目を次々に斬り裂いて、どんどん無力化していた。
メンバーたちが感嘆の声を漏らす。
「すげえ……スザンナ、何か最近調子よくないか?」
「ああ。何でも弟の病気が治ったんだってよ」
「ずっと治療費稼いでたっていうあれか? そりゃ解放されもするわな」
スザンナの活躍で、オークの群れは無事に討伐された。メンバーたちはオークの武器防具を拾い集めて戦利品とする。質は悪いが、金属としては使えるし、時には冒険者から奪ったらしい質のいいものもあるのだ。報奨金以外の臨時収入である。
アンドレアはスザンナに歩み寄った。
「いい調子だな」
「うん! シリルも治ったし、絶好調だよ! えへへ、“白の魔女”さんって、すっごく良い人なんだね。今まで見た目で判断してて本当に申し訳ないよ……」
とスザンナは頭を掻いた。
“白の魔女”が死蟲の特効薬を持って来てくれた、というのはにわかには信じがたい話だったが、あの日療養院に現れた巨大な白い老婆を見た者は多く、また実際にシリルは完治しているので、今となっては疑う者はいない。
かつては神秘のベールで包まれ、恐れられていた“白の魔女”が、実は非常に優しいのではないか、という噂は、ギルドじゅうに広まった。
あれから中々依頼にも出て来ないので話しかける人間はいないけれど、今までの評判とのギャップで却って“白の魔女”善性説は盛り上がりを見せ、下手をするとアイドル扱いする様な者までいた。
アンドレアは荷物を担いだ。
「……トーリから聞いたと、確かにそう言ったんだな?」
「そうそう。それで薬まで作ってくれたんだよ。お医者さんがね、成分を分析してみたらしいんだけど、八割が魔界の希少な素材でできてたんだって。だから大量生産はおろか、もう一度作るのもかなり難しいだろうって」
「やっぱり、規格外ですね“白の魔女”は」
とジャンが苦笑いを浮かべた。同じ魔法使いだから、感じるものもあるのだろう。スザンナはにこにこしながら自分の荷物を担ぎ直した。オークの武具が触れ合ってがちゃがちゃ鳴る。
「わたしね、トーリに感謝してる。もし実力を隠してたんだとしても、“白の魔女”と繋がりを作って、こうやって助けてくれたんだもん」
「そうなのかも知れませんね……彼がいくら強くても、魔界に自由に行き来するなんてできないでしょうし」
「……やっぱり、俺は言い過ぎたな」
とアンドレアは俯いた。仲間ではない、などという様なニュアンスの事は言うべきではなかった。現に、トーリは今でもスザンナの事を考えていて、助けを寄越してくれたのだ。
そうしてアズラクのギルドにまで戻ると、中が騒然としていた。
何だろうと入ってみると、ロビーに“白の魔女”がいた。冒険者たちは遠巻きにそれを見ながら、緊張気味に囁き交わしている。善性説が流布しているけれども、やはり実物は尋常ではない威圧感があって、話しかけようという猛者はいないらしい。
しかし、スザンナが足早に駆け寄って、ぺこりと頭を下げた。
「“白の魔女”さん! この前は本当にありがとうございました! おかげでシリル――弟もすっかり治って」
『そうか。ならばあの試作品は成功したと言えるな』
声は恐ろし気に響いた。周囲の冒険者たちは凍り付くが、スザンナはにこにこしながら続ける。
「はい! でもすごいです! 魔界の素材ばっかりだったって、お医者さんも言ってて……わざわざありがとうございました! それで、その……トーリにもありがとうって伝えてもらえませんか?」
『よかろう。うぬが喜んで礼を言っていたと伝える』
少し緊張気味に強張っていたスザンナは、ホッとした様に表情を緩めた。“白の魔女”は目を細めた。
『して、アンドレアはどこだ?』
その場にいた冒険者たちの目が一斉にアンドレアに注がれた。アンドレアは急な指名に頭が追い付かず、凍り付いたまま目を白黒させた。
周囲の視線でわかったらしい“白の魔女”は立ち上がり、アンドレアへと歩み寄った。人垣がざあっと割れて、アンドレアへの道ができる。
(や、やはりすさまじい……)
アンドレアは冷や汗を搔きながらも、気丈に“白の魔女”を見返した。
「……俺に、何か?」
“白の魔女”は、懐から何かを取り出してずいとアンドレアに突き付けた。そこには長年追い続けた仇敵の似顔絵があった。部屋に貼り、毎日睨んで恨みを忘れぬ様にしていた相手だ。
「レーナルド……?」
『我はこやつを討伐しに行く』
アンドレアは表情をこわばらせた。長く追い続けた仇だ。自分の手でとどめを刺したい。しかし、今は実力が足りない。だから上を目指して足掻いて来た。
だが、“白の魔女”であれば大悪魔レーナルドも倒してしまうだろう。
アンドレアはくっと唇を噛んで俯き、嘆息した。
「そうか……あんたがそうすると決めたなら、そうすればいい。俺には関係ない」
『うぬの両親の仇だとトーリから聞いた』
アンドレアは驚いた様に顔を上げる。
「……代わりに、あんたが仇を討つとでも?」
『違う。我はうぬらに共闘を申し出る』
アンドレアは息を呑んだ。後ろで『蒼の懐剣』のメンバーたちも顔を見合わせてざわめく。
「共闘……“白の魔女”と?」
「マジかよ……この前の蜘蛛退治の時と違って、ガチで一緒に戦うって事?」
「す、すげえ……そんな申し出されるなんて、夢にも思わなかった」
騒ぐギャラリーを一顧だにせず、“白の魔女”はアンドレアをジッと見ながら続ける。
『しかし、レーナルドは現在辺境の奥にて息を潜めている。その麾下には彼奴が召喚した魔界の幻獣も多数いる事が確認されている。我に敗北はあり得ぬが、取り逃がす事は避けたい』
「……だから、俺たちと共闘を?」
『そうだ。しかしうぬらはまだ実力不足。単に我の後ろで見ているだけでは、到底共闘などとは呼べぬ』
「ああ、そうだな……だが」
ならばなぜ共闘などと? とアンドレアが問いかけると、“白の魔女”は鼻を鳴らした。
『うぬらを鍛える。我と並ぶほど、とまでは言わぬが、せめて手が出せるくらいにはなってもらおう。その上で、我はこやつの討伐にうぬらと共に赴きたいと思う』
わあっ、と歓声が上がった。『蒼の懐剣』のメンバーはおおはしゃぎである。
「マジかよ! 最強の冒険者に鍛えてもらえるのか!?」
「やべえ! 最高じゃん! 今まで行けなかったダンジョンに行けるんじゃねーか!?」
騒ぐメンバーたちと対照的に、アンドレアは警戒した様な顔をしていた。
「……なぜ、そこまでしてくれるんだ? 同情か?」
『違う。しかしトーリに頼まれた事でもある』
それを聞いてアンドレアは目を剥いた。
「トーリが……?」
『我はレーナルドを討伐する事にしていた。しかしトーリが、これはうぬの仇だから待って欲しいと頼んで来たのだ。だが、それではうぬがいつ彼奴を討てるかわからぬ。ゆえに我の判断でうぬらを鍛える事に決めた』
「……そうか」
何となく煮え切らない様子のアンドレアを見て、“白の魔女”はふんと鼻を鳴らした。
『無理強いはせぬ。しかし親の仇よりも自尊心を選ぶのか、うぬは?』
アンドレアはぐっと唇を噛んだ。
そうだ。自分は親の仇を討ちたいのだ。誰の助けも借りずにそれを達したいなどと思ってはいなかった筈だ。それなのに、生半可に実力を得た事で自尊心が膨らんでいた。自らの屈辱も呑み込めずに、親の仇だなどとよく言えたものだ。
「アンドレア、大丈夫ですか?」
ジャンが労わる様に背中をさする。アンドレアは顔を上げた。
「あんたの言う通りだ。俺は仇を討つ為に多くの人に協力してもらわなければならない……“白の魔女”、あんたの申し出を是非受けさせてはくれないか?」
『無論だ』
再び歓声が上がった。『蒼の懐剣』と“白の魔女”という、アズラクの二大巨頭が手を取ったのである。
さて、そうしていよいよ鍛錬の時がやって来た。しかし、“白の魔女”は鍛錬場の壁際で腕を組んでいるばかりだ。そうして、代わりに三人の美女が『蒼の懐剣』の前に立った。
「おうおう、気合は入っとるか? わしは厳しいぞ。覚悟を決めてかかって来るのじゃ」
と腕を回しながら豪快に笑っているのは銀の長髪を束ねた長身の美女、シノヅキである。
「えへへー、ボクに勝てる人いるのかなー? ま、勝てなくても悲しまないでいいよー、スバルちゃん、めっちゃ強いからね」
と頭の後ろで手を組んでいたずら気な顔をしているのは、赤髪で小柄な少女スバル。
「うふふ、可愛い子がいっぱいねぇ。お姉さん、張り切っちゃうわぁ」
と妖艶な笑みを浮かべる女魔法使いシシリア。この三人が鍛錬の講師役を務めるらしい。
冒険者たちはひそひそと囁き交わした。
「な、仲間がいたのか」
「けど、すげえな。美人ばっかしじゃねえか……」
「し、シノヅキさん、めちゃ綺麗……足長いし、胸でっかい」
「スバルちゃん可愛い……おにいちゃんって呼んでくれないかなあ」
「馬鹿野郎、シシリアさん一択だろ! 見ろあのボリューミーなおっぱいと尻を!」
阿呆どもが騒いでいる中、アンドレアは剣を構えて大きく深呼吸した。相対するシノヅキを見据えて、一礼する。
「よろしく頼む」
「おう! 怪我させん様に気を付けるが、まあ、そうなったら勘弁じゃ」
とシノヅキはぱんと手の平に拳を打ち付けた。アンドレアは眉をひそめた。
「舐めるな……! 行くぞ!」
とんと地面を蹴ってシノヅキに近づく。アンドレアは大柄だが、足腰をしっかり鍛えているから瞬発力に秀でている。クランでは専らタンク役を務める事が多いが、フットワークの軽さゆえに、縦横に味方の盾になる事が出来るのが強みだ。
その俊敏性を攻撃に活かす。恵まれた体躯と瞬発力から繰り出される斬撃は強力だ。
普段はタンク役だが、攻撃に転じればメインの火力を張れるほどである。木剣とはいえ、まともに食らえばただでは済むまい。
しかし、シノヅキは素早く身をひねってアンドレアの一撃をかわすと、手刀でアンドレアの手首を打った。物凄い衝撃が指の先まで響いて、アンドレアは思わず剣を取り落とす。
「うぐあっ!?」
「おっ、強すぎたか? すまんすまん」
とシノヅキは笑っている。アンドレアは痺れた右手を見て、信じられないという様にシノヅキを見た。
(今の動き……到底人間技とは思えない……)
シノヅキは手足をぷらぷらさせて顔をしかめている。
「いやはや、このおててにはあまり慣れておらんでな。わしの鍛錬も兼ねとるんじゃ、勘弁してくれ」
何を言っているのかわからないが、シノヅキは本気ではないらしい。
格が違う。
そう思ったが、アンドレアはにやりと笑っていた。本気で食らい付けば、上が見える。レーナルドの首に斬撃が届く。そういう確信めいたものがあった。
何度も手を握って開き、痺れが取れた所で木剣を握り直した。
「もう一本!」
「ええぞええぞ。何本でもやったるわい!」
アンドレアとシノヅキがやり合っている所から少し離れた所で、スバルが「はーい」と手を上げた。
「ボクとやりたい人、だーれだ!」
はいはいはい! と集まった男どもが手を上げる。
「んじゃ、そこの金髪のおにーさん!」
「おっ、御指名だな。スバルちゃん、よろしく頼むぜ」
そう言って出て来たのは、金髪を短めに整えた剣士である。
彼は元『天壌無窮』のエースで、『蒼の懐剣』においても前衛の要を担っている剣士、ジェフリーである。
「なんか、子供をいじめるみたいで気が引けるけどな……ま、油断はしないで行きましょうかねっと……!」
とジェフリーは剣を構えて、ジッとスバルを見据えた。
スバルは頭の後ろで手を組んで、ジェフリーを見返している。
「……あれー? 来ないの?」
「俺は大人なんでね。先手は譲ってやるよ」
とは言うものの、ジェフリーは相手に攻め込ませてカウンターを打ち込むのを得意とするタイプの剣士だ。スバルが先に動いた方が、ジェフリーも動きやすいのである。
スバルは「ふーん」と言うと、かかとで地面をとんとんと蹴った。
「んじゃ、行っくよー」
まるで足の下で火が燃えた様だった。実際に燃えたのかも知れない。
ともかく、それだけ素早い動きでスバルはジェフリーに肉薄した。そうしてジェフリーが防御の為に剣を動かす前に、かこっと顎を蹴り飛ばした。
脳が揺れ、ジェフリーは白目を剥いてひっくり返る。見ていた連中がざわついた。
「え……な、なにが起きたんだ?」
「ジェフリー? マジかよ……」
困惑しているメンバーを前に、スバルはにやにや笑った。
「へー、大人の癖によっわーい。ボクみたいな子供に負けちゃうんだー。やーい、よわよわ、ざこざーこ♪ にししっ♪」
「お、おのれえいっ! 皆! ジェフリーの仇を討つぞ!」
「大人の怖さをわからしてやる!」
いきり立った馬鹿の集団が次々とかかるが、スバルはけらけら笑いながら返り討ちにしてしまう。
やがてスザンナが前に立った。
「次はわたしだね! スバルちゃん、お手柔らかに!」
「はーい。誰が来ても一緒だけどねー」
と笑うスバルに、スザンナは一気に肉薄した。両手に持った木剣を素早く振り抜く。スバルは飛ぶ様な動きでそれをかいくぐった。
「……おねえさん、やるね! 今までで一番すごかった!」
「えへへ、速さには自信があるんだよ! まだまだ!」
と言って打ちかかる。スバルは感心した様な顔でそれをかわしていく。スザンナの顔に焦りが出て来た。
「くっ……全然当たんない……!」
「よいしょっと」
ぱっと足を払われた。スザンナは慌てて体勢を整えようとするが、その前にスバルの蹴りが腕を打ち、剣を取り落とす。
「おねえさん、凄いよ! もっと練習したらボクに追い付けるかもよ!」
「スバルちゃん、速過ぎ……うー、もっと頑張らないと……! もう一回!」
とスザンナは発奮して立ち上がった。
一方その頃、また少し離れた所では魔法職の者たちが集められていた。
「はぁい、魔法使いや後衛のみんなはこっちに集まってねぇ。お姉さんが手取り足取り訓練してあげるわぁ」
とシシリアが嬉しそうに手招きする。後衛たちと、一部前衛の者とが集まった。その多くは鼻の下を伸ばしている。
「それじゃあねぇ、お姉さんに一番強い魔法を撃ってみてくれるかしらぁ?」
「えっ、でも、それは危険ではありませんか?」
と真面目な顔をしたジャンが言う。シシリアは微笑みながらジャンの肩に手を置いた。手つきが怪しく、ジャンは思わず身震いし、頬を赤らめた。
「ふふっ、かーわいい。心配してくれるのねぇ……お名前は?」
「ジャンと申します。魔法のせいで成長が止まっておりますが、歳は重ねておりますのでご安心を」
「ジャン君ねえ。お姉さん、優しい子はとっても好きよぉ。だけど、大丈夫だから、やってみてねぇ。お姉さんの服の端でも傷がつけられた子には、とっておきのごほうび、あげちゃおっかなー」
と言って、シシリアは胸を強調する様に腕で挟み、前かがみになる。うおおお、と男どもから歓声が上がった。女たちは何となく呆れた顔をしている。
ジャンは真面目な顔をしたまま前に出た。
「では、本当に手加減なしで行かせてもらいます」
「どうぞぉ」
ジャンは杖を構え、詠唱した。魔力が渦を巻き、杖を通して現象へと変換される。
「煉獄炎!」
巨大な火球が飛び、シシリアを包み込んだ。メンバーたちがざわめく。
「シシリアさーん!」
「お、おい、流石にやり過ぎなんじゃ……」
「ジャン、お前、いくらなんでもひどいぞ!」
「……“白の魔女”の仲間ですよ? 大魔法とはいえ、僕程度の魔法では……」
果たして炎が止むと、そこにはシシリアが立っている。相変わらずにこにこしていて、髪の先、服の端すら焦げていない。
「うふふ、とっても熱いわぁ。でも、まだ足りないわねえ」
ジャンは苦笑いを浮かべた。
「流石です。あれで無傷では、僕も立つ瀬がない……」
「ううん、とってもいい素質よジャン君。でもね、もっと魔力の練り方を工夫した方がいいの。ほら、こうやって……」
「ちょ!」
そっと後ろから抱きかかえる様なポーズで腕を取るシシリアに、ジャンは身じろぎして抵抗した。顔は真っ赤である。初心な男なのだ。しかし、見た目は色気のある年上の女が幼い少年をたぶらかしている様にしか見えない。ちょっと危ない。
他の魔法使いたちが騒ぎ出した。
「ジャンだけずりぃぞコラ!」
「合法おねショタは後にしろや! 次は俺の番!」
「シシリアさん! 服の端、焦がして見せますから!」
「うふふ、いいわよぉ。あつーいの、ちょうだぁい?」
〇
一方その頃、トーリは完成した鶏小屋で駆け回るヒヨコを見て、表情を緩ましていた。ユーフェミアが仕事に行く前に町に連れて行ってもらい、食材と合わせて鶏やアヒルの雛を買って来たのである。
「ほーれほれ、ちちち。あー、可愛い……」
黄色くて小さくてふわふわしたヒヨコが、土の上を行ったり来たりしている。いずれ大きくなったら卵を採り、最後は肉になる運命だが、この頃はとても可愛いので、そんな事は考えないでおく。
トーリは野菜くずや屑麦をまいてやり、水入れに綺麗な水をたっぷり注いでおいた。鶏の雛は水をついばむだけだが、アヒルの雛はそこに入ってぷかぷか浮いている。
「卵と肉が採れる様になったら、毎食楽になるなあ」
畑の野菜の苗もすくすく育っている。魔界の植物が異様に元気なのが嫌な予感をひしひしとさせるが、薬の原料になるそうで、勝手に抜くのも悪いからそのままにしている。
大悪魔レーナルドは、アンドレアの親の仇だから、彼に倒させてやってくれ、などと変なお願いをユーフェミアにしてしまった。
何の力もない自分がそんな事を頼むのはお門違いの様に思われたが、『泥濘の四本角』の頃、アンドレアがそれを目指して日々鍛錬を重ねていた事を知っていたので、それを無下にしたくはなかったのだ。
ユーフェミアはそれを受け入れてくれて、珍しく従魔を三人とも引き連れて出かけて行った。
他の賞金首を狙うのか、それとも全然違う仕事を受けるつもりなのか、それはわからないが、どのみちトーリが手助けできる事も口出しできる事もない。ただいつも通り、家を綺麗にして、食事の支度をして待つばかりだ。
シノヅキが肉肉うるさいから、大きな肉の塊をローストして、大鍋のソースでことこと煮込む。
肉屋で切れ端も安く沢山買って来たから、全部ミンチにして、同じく刻んだレバーと混ぜて型に入れてパテにする。パテは冷やして食えるので、冷蔵魔法庫に入れておけば何日か食べられる。尤も、ほぼ一日でなくなるのが常なのだが。
大食いが四人もいると量も多い。相対的にトーリの食べる量が少なく見えるが、味見などで食べているので、結果的に食事の時間には割と腹が膨れているのである。
暖炉とキッチンストーブを行き来しながら、鍋をかき混ぜたり米をバターで炒めたりしていると、扉が開いてユーフェミアたちが帰って来た。
「ただいま」
「おっ、うまそうなにおい!」
「お腹すいたー」
「はー、疲れちゃったぁ」
「おう、お帰り。お疲れさん」
ユーフェミアがトーリの手元を覗き込む。
「あ、お米炒めてる。あのチーズの味のお米?」
「リゾットな。まだ炊き上がらんから先に風呂入っちまえ」
「トーリ、一緒に入ろ」
「やだよ。そしたら誰が晩飯を作るんだよ。おい、あんたら、誰かユーフェと風呂入れ」
「えー、お腹すいたよー!」
「そうじゃそうじゃ! 行水よりもまず飯じゃ!」
「駄目だって、あんたらめちゃくちゃ汗かいてるじゃねーか」
シノヅキもスバルも汗を沢山かいて、服が濡れて色が変わっている。夏が近いとはいえ珍しい事もある。本来の姿であれば汗なぞほとんどかかない筈なのだが。
(人間の姿でずっと何かしてたんかな?)
まあ、どっちでもいいや、とトーリは木べらで米を混ぜた。
スバルは肌に引っ付いていた服を引っ張って、目をぱちくりさせた。
「そっか、なんかべたべたするのそのせいだ」
「妙に気持ち悪いと思うとったが。やれやれ、人間の体は面倒じゃな」
「でしょ? ほら、入って来いって。ユーフェ、お前もだよ」
三人を風呂場に追い込んで、トーリはやれやれと頭を振った。
食卓に一人腰かけたシシリアが、にこにこしながらトーリを見ている。
「……シシリアさん、入らなくていいの?」
「あら、流石に四人入れるくらい広くないでしょぉ? 後でゆーっくり入るわぁ。トーリちゃん、まだ入ってないんでしょ? 後で一緒に入るぅ?」
「ははは、嫌に決まってんだろ寝言抜かすな」
「もー、段々対応が雑になってるわよぉ。お姉さん悲しいわぁ」
とシシリアはわざとらしく拗ねて体をくねらせた。
トーリは相手にせず、肩をすくめて調理台に向き直る。シシリアに真面目に対応すると隙に付け込まれるので、雑に突っぱねるくらいが丁度いいと、これまでの生活でトーリは悟っていた。
入る時は渋る癖に、いざ入ると風呂場の中からはきゃあきゃあと楽し気な声が響いている。シシリアが香り付きの石鹸やシャンプーを調合したから、いいにおいがする。
いつも素直に入ってくれりゃいいのに、とトーリは嘆息しながら、リゾットの鍋にスープを注いだ。
それを眺めながら、思い出した様にシシリアが口を開く。
「ジャン君、ってトーリちゃんの昔の仲間よねえ?」
「え? なんで知ってんの?」
「ちょっと会ったのよぉ。あの子、いいセンスしてるわねえ。目標があるとか言ってたけど、何を目指してるのぉ? 可愛いお嫁さんが欲しいんだったら、お姉さん立候補しちゃおっかなぁ」
「ははは、ないない」
「トーリちゃん、それどっちの意味なのぉ?」
「どっちもだよ。というかジャンは真面目だからなあ。シシリアさんの毒牙にかけられるのは可哀想過ぎるわ」
「ひどいわぁ、毒牙なんて」
「わかってやってる癖に白々しいな。ジャンをあんましからかわないでよ? あいつはお師匠さんとの約束を守って頑張ってるんだから」
「約束ぅ?」
とシシリアが首を傾げる。トーリはリゾットを炊き上げてバターとチーズをふりかけた。
「そう。お師匠さんと二人で、何か難しい魔法を開発してたんだと。何だっけな、日輪の宝玉っていうのを手に入れる時に、モンスターにお師匠さんが殺されて……あと月輪の宝玉っていうのがどうしても必要なんだってさ。だからそれが眠ってるダンジョンに行きたがってるんだよ。ただ超難易度が高いらしくて、だから強いクランから離れられないんだろうなあ」
「ふぅん……」
シシリアは目を細めた。面白がっている様な顔である。
その時、風呂場からユーフェミアたちが出て来た。いいにおいの湯気をほこほこと漂わせている。
「ご飯」
「はー、さっぱりしたぞ! 飯じゃ、飯!」
「あったまったらもっとお腹すいたよー!」
「おう、丁度できたトコだ。でもまず服を着ような、君たち」