1.解雇通知
「ええと、こっちの道具はジャンが明日使う分で……アンドレアの剣の研磨の予約を取るのと、スザンナの持つ分の薬の買い足し……」
最上級である白金級の冒険者クラン、『泥濘の四本角』の詰め所にて、雑用に奔走する男が一人。前衛の装備を整え、後衛の道具を整理し、細々した道具を買い揃える。
詰め所の掃除から食事作り、会計にスケジュール管理と、あれもこれも両肩に乗せてひいひい言いながらも、何とかそれらをこなしているこの男、名をトーリという。
御年二十五歳。冒険者生活十年目と中堅どころに入ってもおかしくない経歴を持つにもかかわらず、一向に表舞台に出る事がない。
なにぶん、故郷に錦を飾ってやろうと田舎から出て来たはいいけれど、剣も魔法もからきし駄目で、できる事と言えば後方支援と準備や補佐ばかりである。その後方支援も、白金級に上がってからは出番がなく、今では専ら拠点の管理と物資の補充、食事作りが主な仕事になっていた。
昔はこんなんじゃなかったのにと、トーリは思う。まだ銅級だった頃から一緒に戦って来た筈なのだが、いつの間にかトーリは雑用係に収まっていた。
買い物に出たトーリは、やれやれと頭を振ってため息をついた。
「つらい」
ぽそりと口をついてこぼれた。
英雄と称されるだけの仲間の手助けをしている、というのは多少なりともトーリの誇りになってはいたが、それ以上に忙し過ぎる。昔はまだしも、白金級に昇格してからは仕事の量も増え、休む暇がない。
『泥濘の四本角』が拠点にしているアズラクという町は交易路が交差するところで、かなりの規模がある。開拓が済んでいない魔境に近く、周辺に様々な素材が採れる場所も点在しており、モンスターの数も多い。
交通路が南と東西に延びている為、人も集まりやすく、冒険者稼業が賑わっているせいで競争率も高い。実力のないトーリが裏方に回るのは至極自然な事ではあるのだが、やはり心情的には片付かない部分がある。
白金級クラン『泥濘の四本角』は、アズラクの冒険者ギルドでも有望株として期待されている。
リーダーで優秀な指揮官の剣士アンドレアに、素早い身のこなしでモンスターを寄せ付けない双剣士のスザンナ、大魔法を習得して攻守ともに隙のない魔法使いジャン、この三人を要にして、前衛と後衛がバランスよく配置されている。
戦いに出るメンバーは、休日も体を休める為にのんびり過ごしているが、トーリは食事作り、掃除、洗濯、買い物、会計と、いつもの仕事をこなさねばならない。
(俺戦えないからなあ……)
せめて剣でも魔法でも才能があればよかったのだが、意気込みだけでは何もできない。低位の銅級や、銀級の初期などであれば通用する剣技も、金級になる頃には怪しくなり、白金級では最早足手まといにしかならない。
このままでいいのか俺の人生、と悩む時間が増えた。しかし十年も同じ世界にいると、他に何をすればいいのか、考えようとしても難しかった。考えられない、というよりも未練が多くて思考を阻害するのである。
荷物を抱えたまま歩いていると、急に目の前にずんと影が差した。驚いて顔を上げると、巨大な人影がトーリを見下ろしていた。
トーリの倍以上の背丈と肩幅に、ばさばさの白い髪の毛、それを押さえつける様な三角帽子と、種々の宝石や装飾品で飾られたローブ。片手に持ったねじ曲がった杖。鋭い目つきと皺だらけの顔に鷲鼻。人違いのしようもないその老婆は、“白の魔女”と呼ばれる冒険者だった。帽子の影から鋭い視線がトーリを射抜いている。
トーリは大慌てで道を空けた。
「す、すみません」
『……』
“白の魔女”は黙ったまま、ずんずんと歩いて行った。
「……すげえ威圧感」
白金級のほぼすべてがクランで認定されている中、“白の魔女”は、たった一人で白金級になった冒険者だ。その実力たるや、実力者が溢れているアズラクの町で最強と噂されており、冒険者ギルドから直々に依頼される高難易度の依頼しか受けない。それでいて依頼を常に完遂するから、アズラクの最終兵器とまで言われている。
しかしその異様な風体と得体の知れなさで、尊敬よりも畏怖を集めている。誰も彼女と言葉を交わした事はなく、住んでいる場所を知る者もない。依頼を受けた時にしか町に姿を現さないからだ。
確かに、あれは人間というか化け物だな、とトーリは思った。
拠点に戻ると、何だか雰囲気がおかしかった。トーリは首を傾げる。
「ただいま……どうした?」
「ああ……」
クランのリーダーであるアンドレアがトーリを見た。
買い物に行く前に、入れ違いに入って来た男がにこにこしてこちらを見ている。冒険者という風体ではない。クランメンバーたちも、むっつりとした表情や、すまなそうな表情でトーリを見ている。
「なんだよ、この雰囲気は」
「彼はギルドから来たマネージャーのアルパン氏だ」
とアンドレアが傍らに立つ男を紹介した。男は相変わらずにこにこしながら会釈した。
「どうも、トーリさん。アルパンと申します」
「どうも……マネージャー?」
「はい。アズラクの冒険者ギルドとしてはですね、貴重な戦力である白金級の冒険者の皆さんには、もっと効率を上げていただきたいと思いまして、色々とご相談に乗らせていただいているのですよ。そこで、現在実力のあるクランをいくつか統合させていただき、ギルドが全面的にそのバックアップをさせていただく事にしようと決まりまして」
嫌な予感がした。
俯いていたアンドレアが顔を上げて、真面目な顔をしてトーリを見た。
「トーリ。『泥濘の四本角』は本日を以て解散とする」
「……どうしてだ?」
トーリが言うと、魔法使いのジャンが口を開いた。魔法の影響故に体の成長が止まっており、年長者ながら見た目は十代前半の少年だ。
「アルパンさんが今言った通りで……いくつかのクランを統合する話になったんです」
「あの……あのね、他に『天壌無窮』とか、『赤き明星』とか……一流のクランの人たちと一緒にやる事になったの……」
と双剣士のスザンナがおずおずと言う。トーリは嘆息した。
「……俺はお払い箱って事か」
アルパンが口を開いた。
「申し訳ないですが、トーリさん。あなた個人は実績を鑑みても白金級の実力とは言い難い。聞く所に寄れば、ここ数年は戦闘に出る事もなかったとか。此度の統合で結成されるクランは、一流どころばかりを集めております。まことに残念なのですが、あなたの実力では参加は難しいですねえ」
トーリはぐっと唇を噛んで、アンドレアを見た。
「……なんの相談もなかったな」
アンドレアは目を伏せた。
「悪かったと思ってる……だが、相談しても、結果は変わらなかった」
「……そうかも知れねえ。でも、仲間だと思ってた」
「ああ。だが、お前が一緒に戦わない様になってから……俺は溝を感じたよ」
「だけど、俺は俺のやれる事をやってたじゃないか。クランの中で割り当てられた役割をしていただけだ」
未練がましい事を言っているとわかっていても、口が止まらない。
アンドレアは目を開けてトーリを見た。
「それが、もう必要なくなるんだ」
「だからって……ずっと一緒にやって来た、仲間、じゃないかよ……」
「……俺たちは命を懸けてる。お前は、違うだろう?」
トーリはどきりとしてアンドレアを見た。アンドレアは真っ直ぐにトーリを見ていた。
トーリは嘆息して、持っていた荷物を床に置いた。
「……わかったよ」
「……すまん、言い過ぎた」
「いや、どのみち、低級のモンスターしか倒せない俺が白金級のクランにいるなんて変だったんだ。さっさと辞めればよかったのにな」
「そんな事……ねえ、ホントにこれでいいの?」
スザンナが言う。アンドレアはスザンナを見た。
「俺たちには、上に行かなきゃいけない理由があるだろう」
「……うう」
スザンナは押し黙った。
トーリは自分の荷物を担いだ。最近はあまり振る事もない剣と着替えだけ。あまりにも少なく、軽い。
「……退職金です。トーリ君、僕は君に感謝しています。こんな形になって、すみません」
とジャンが硬貨の入った小袋を差し出した。トーリは一瞬ためらったが受け取る。
「……ジャン。お師匠さんの遺言果たせるといいな」
「トーリ君……」
トーリはアンドレアとスザンナを見た。
「アンドレア、敵討ちに協力できなくてすまん」
「……」
「スザンナ、弟さん、治る様に祈ってるぜ」
「うう……ごめんね、トーリ……」
申し訳なさそうなメンバーたちを一瞥し、トーリは無理に笑って手を振った。
「じゃあ、な」
それで拠点を出た。
なんだかぽっかりと胸に穴でも空いた様な気分だった。つらい仕事で、辞めようかとまで思った事もあったのに、いざ解雇されてしまうとひどく悲しかった。実感はしていたのに、自分が役立たずだと突き付けられると、事実はどうあれやはり傷つく。
明日からどうするかな。
トーリは涙をこらえながら、道を辿って行った。行く当てはない。
歩くのも億劫になって、トーリは道端に並んでいた木箱に腰かけた。
人々は忙しく行き交っている。
(俺の事情なんか関係なしだよな)
当たり前である。しかし、俺というのはなんてちっぽけなんだろう、と思う。
思考は下向きになる一方だ。それを通り越すと、次第に自棄になって来る。なんだ、冒険者なんて。くだらない。
何もする気が起こらず、ただぼんやりと行き交う人々を眺める。
その時、トーリの前を影が遮った。驚いて顔を上げると、“白の魔女”がトーリを見下ろしていた。思わず凍り付くが、少し自棄になっているので、つい物おじせずに睨み返す。
「……なにか用ですか?」
ぶっきらぼうに言うと、“白の魔女”は口をもごもごさせた。
『うぬがトーリ……『泥濘の四本角』の者か』
声も低く恐ろし気に響くのでひるみかけたが、クラン名を出されて腹が立った。
「もう辞めましたよ。ついさっきね。辞めた、というか『泥濘の四本角』自体がなくなるんですが」
ははっ、と自嘲する笑いが出る。なんだ、どいつもこいつも。
『聞き及んでいる』
「は?」
どうやら『泥濘の四本角』が他の有力クランと統合され、それをバックアップするという話はギルドで噂になっているらしく、職員が話していたのを聞いたという。その過程で、役に立たないメンバーは解雇されるだろう、という事も。
トーリは歯を食いしばり、それからへらへらと笑う。
「ええ、ええ、そうですよ。それで、何なんですか? 俺を馬鹿にしにでも来たんですか? 白金級の冒険者様は時間があっていいですねえ」
『否……トーリよ、行く当ては?』
「あるわけないでしょ。万年雑用係で……一緒に戦わないから仲間じゃないって……ちくしょおぉぉおおおおぉぉッ!」
思わず感情が爆発した。自分勝手な言い分だとわかっていても口が止まらない。そのまま誰に言うとでもなくまくし立てる。
「俺が片付けるからって何でも出しっぱなしやりっぱなしにしやがって! 飯だっていつも温かいのを出せる様に気を遣ってたんだぞ! 買い出しだって何軒も回って少しでも安く上げようとしてたのに! 夜も眠いのに遅くまで愚痴に付き合ってやったしよお! 朝なんか何時から起きてたと思ってんだ! 誰がお前らの生活の面倒を見てやってたと思ってるんだよ!」
『それだ』
「は?」
『面倒を見てもらおう。そう思い、我は来た』
「面倒……誰の? あんたの?」
“白の魔女”はこくりと頷いた。トーリはふんと鼻を鳴らす。荒唐無稽だ。単身で白金級に上り詰める冒険者の面倒を見ろだって? 解雇された雑用係の俺に? 馬鹿にされてるとしか思えない。だとすれば、こっちだって考えがある。
「あー、そうですねえ。そんならまあ、雇ってもらってもいいですけど、俺高いですよ? 日当で十万はいただかないと……」
『よかろう。構わぬ』
「え? なっ」
“白の魔女”はトーリの頭に手をかざした。ぼう、と魔法の光が灯る。次の瞬間に、トーリは魔女と一緒に宙に浮かび上がっていた。
「ななななっ!?」
『行くぞ。しっかり掴まっておれ』
ぐん、と引っ張られる様な感覚があったと思うや、空を飛んでいた。眼下の景色がぐんぐんと後ろへ滑って行く。どこへ向かっているんだかわからない。
「うわっ、うわわわっ!」
荒野を越え、黒く染まった森が広がり出した。次第に高度が下がり、森の中へと降り立つ。そこにはぽっかりと開けた所があって、小ぢんまりとした屋敷があった。
庭先にボロボロの木の柵があり、ポンプのついた井戸がある。菜園らしきスペースもあったが、雑草だらけになっていて見る影もない。鶏小屋らしきものもあったが、中には何も入っていない様だ。
『到着だ』
呆気にとられたトーリは、思わず尻もちを突いた。
「こ、ここは……」
『我の家だ。そしてうぬの新しい職場でもある』
トーリはうろたえて“白の魔女”を見上げた。
「い、いや、俺はまだ雇われるなんて……」
『言っていたではないか。十万でよいか?』
と魔女は泰然と言い返す。出鱈目に吹っ掛けた値を大真面目に返されて、トーリは言葉に詰まった。こんな化け物みたいな女の世話をするだと? そもそも一人で何でもできそうじゃないか。
トーリは焦りながら、地面に手をついて魔女に向かって頭を下げた。
「すすす、すみません! さっきのは冗談で……高名な“白の魔女”さんに雇われるだなんて、俺にはとてもとても」
「ユーフェミア」
澄んだ声が聞こえた。トーリはびっくりして顔を上げる。
巨大な魔女の姿が霧の様にぼやけて消えて行く所だった。
それが吹き払われた後に、滑らかに輝く白髪と、白磁の様な肌をした美少女が立っていた。十八歳くらいに見える。整った顔立ちの中、少しとろんとした目が妙に可愛らしい。
トーリは口をぱくぱくさせた。
「え、あ、あなた、は……?」
「ユーフェミア。あなたの雇い主。皆は“白の魔女”って呼ぶけど」
少女はそう言って、ふあ、と欠伸をした。