蝕む毒
「ふむふむゥ、ゆっくりと人体を蝕む毒ですかァ⋯⋯」
「ええ。⋯⋯やっぱり、そんなものは無いかしら?」
「イエイエ! それでしたらいくつか心当たりがありますよォ! ボクにお任せくださいィ!」
「! ⋯⋯頼もしいのね。ありがとう、ストラス」
「そうですよォ! ボクって意外と頼りになっちゃうんですゥ!!」
マリアンヌの賛辞にストラスは嬉しそうに表情を緩め、胸を張る仕草をする。
会話の内容は兎も角、彼の無邪気さを見ているとやはり何処からどう見ても普通の男の子にしか見えないとマリアンヌは思った。
「それではァ、確実に獲物を仕留めるため⋯⋯まずはターゲットの視察に行って来ますのでしばしお待ちをォ」
「いってらっしゃい。⋯⋯よろしくね」
やる気に満ち溢れるストラスをマリアンヌは小さく手を振って送り出した。
✳︎✳︎✳︎
「マリアンヌさん、お待たせしましたァ!」
しばらくの後、相変わらずフワフワと宙に浮かんだストラスが勢い良くマリアンヌの部屋の扉を開け放った。
「おかえりなさい、ストラス。それで⋯⋯どうだった?」
「バッチリですよォ! あのふくよかな貴婦人を暗殺するための完璧な作戦を思い付きましたァ!」
「さすがストラスだわ! どこかの自称悪魔の王と違って頼もしいわね!!」
先程の仕返しにと、マリアンヌは態とらしくサタンの方を見ながら言った。
「貴様⋯⋯それはもしや、俺様の事を言ってるのではないだろうな?」
「何のことかしら? 私は一言もサタン様の事だなんて言ってないわよ?」
マリアンヌは意味深な笑みを浮かべる。
その挑発的な視線に気が付いたサタンは、怒りで口元をヒクヒクと引き攣らせ応戦した。
「悪魔の王など、俺以外に居ないだろうが! それに、自称などではなく正真正銘紛れもなく真に悪魔の王だっ!!」
「そうかしら⋯⋯? 人の心を勝手に読むだけじゃ飽き足らず、場を引っ掻き回して面白がる王様なんていないわ!」
「人間のくせに生意気な⋯⋯!!」
「ま、まあまァ⋯⋯。お二人とも、落ち着いてくださいよォ!」
マリアンヌとサタンの一触即発の空気を破るように、ストラスが間に入る。
「マリアンヌさん、今はそんな事よりもボクの素晴らしい暗殺計画を聞きたくありませんかァ? ⋯⋯サタン様も、人間相手にムキになるなんてらしくないですよォ。ボクの尊敬するクールで知的なサタン様はどこにいっちゃったんですかァ!」
「「ふんっ!!」」
ストラスの言葉にマリアンヌとサタンは渋々ながらもいがみ合いを止めるが、和解する気配は無く互いにそっぽを向いたままだ。
そんな主人と契約者のようすを目の当たりにしたストラスは「ケンカの仲裁なんてボクの仕事じゃないのになァ⋯⋯」と小さくボヤく。
ストラスは暫しの勘案の後、何かを思い付いたようにポンっと軽く手を叩いた。かと思えばふわふわと宙を器用に移動してマリアンヌの耳元までやって来る。
そして、こしょこしょと内緒話をするように小さく愛らしい口をマリアンヌの形の整った耳に寄せた。
「⋯⋯マリアンヌさん、マリアンヌさん。知っていましたかァ? 時間を巻き戻すというのは、とても大掛かりな魔法なんですよォ」
「⋯⋯⋯⋯知らなかったわ。でも、それがどうしたって言うの?」
「大きな魔法にはそれなりのリスクが伴うのですゥ。にも関わらず、永い眠りから覚めたばかりのサタン様は貴女を助けるためにその魔法を使われたのですッ! ⋯⋯それに、マリアンヌさんといらっしゃるサタン様はとても楽しそうで、あんなにも活き活きとしているサタン様はボク、初めて見ましたァ。⋯⋯もしかすると、貴女には大分気を許されているのかもしれませんねェ」
ストラスは最後に「だから、多少の悪戯は許してあげてくださいねェ」と付け加える。
ストラスの説得にマリアンヌは小さく息を吐き、今回ばかりは仕方無く折れることにした。きっと、この場で一番大人なのは見目の一番幼いストラスだろう。
(私も少しだけ⋯⋯ほんの少しだけ、大人気なかったわ⋯⋯。それにしてもストラスってば、サタン様にはもったいないほどの良く出来た臣下じゃない⋯⋯)
「ふん、全ては俺様の教育の賜物だ! しかし当然、王である俺の方が何倍も⋯⋯いや、何十倍も優秀だがな!!」
反省の色もなく高らかに笑い、またもや無遠慮に人の心を読むサタン。そんな我が道を行く悪魔の王にマリアンヌは諦めのため息を吐く。
(もうこの際、心を読まれることに関しては諦めましょう⋯⋯。どのみち悪魔に隠し事なんて出来っこないもの⋯⋯)
「それではァ、そろそろ本題に入りましょうかァ!」
「ええ、お願い」
「今回はァ————」
もったいぶるように引き伸ばすストラスに、マリアンヌは緊張からごくりと唾を呑む。
「————ナツメグとジャガイモでいきましょうかァ!!」
「⋯⋯⋯⋯!?」
予想外の食材の名前を耳にしたマリアンヌは唖然とした表情になる。
(なっナツメグって⋯⋯あのスパイスの? それにジャガイモも、野菜の⋯⋯あの、ジャガイモ!?)
マリアンヌの反応を見たストラスは予想通りとでも言うようにニヤリと口角を上げた。
「おやおやァ、その顔は⋯⋯驚いてるようですねェ! ボクが毒草を持って来ると思ってましたかァ」
「え⋯⋯ええ。そんな簡単に手に入るもので本当に大丈夫なの⋯⋯?」
「モチロンですゥ! ボクは薬学に精通する悪魔ですよォ? 信じてくださいィ!」
「も、勿論ストラスの事を疑ってるわけではないけれど⋯⋯」
「ボクに任せてくれれば万事問題無しですよゥ! ではではァ⋯⋯早速、今回の作戦の詳細をお話ししますねェ」
「⋯⋯ええ」
こうして、マリアンヌと一人の悪魔による世にも恐ろしい作戦会議が始まった。
それまで暇そうに壁に寄り掛かりうとうととしていたサタンは、ストラスとマリアンヌの話が気になったのだろう、2人の座るソファまで歩いて来たかと思えばドスンと勢い良く腰掛ける。
「俺様もその作戦とやらを聞いてやろう」
「⋯⋯はいはい」
(サタン様ってば、自分が蚊帳の外になるのは寂しいのね。⋯⋯ツンツンした態度に反して意外と可愛らしいところもあるじゃない)
「⋯⋯おい、人間。口だけでなく思考にも気をつけろよ」
「っ⋯⋯!!」
サタンの無茶苦茶な物言いに、マリアンヌは開いた口が塞がらなかった。
(は、はあ⋯⋯!? そんなの無理に決まってるじゃないっ!!)
マリアンヌは心の中で抗議し、それを読み取ったサタンはギロリと眼光鋭く睨みつける。2人の間にはバチバチと激しい火花が散っていた。
「あのォ⋯⋯一応ボクの見せ場なんでェ、そろそろ話を進めてもいいでしょうかァ?」
先程は仲裁に回ったストラスだったが、今度はいい加減うんざりだという顔を隠すことなくジッと恨めしげな視線でサタンとマリアンヌを見ていた。
「⋯⋯え、ええ、話を中断してしまってごめんなさい、ストラス」
「ではではァ、気を取り直してェ⋯⋯。まず、ナツメグとジャガイモを使った料理————グラタンを醜く肥え太ったターゲットの貴婦人に食べさせますゥ。すると、数時間後には、めまいや嘔吐症状を起こして倒れるでしょうゥ!」
ストラスは人差し指を立てて得意げに話し始める。
一方、マリアンヌは身近な食材に潜む危険に驚きを隠せなかった。
「! ⋯⋯知らなかったわ。ナツメグとジャガイモには毒があったのね⋯⋯。ジャガイモを食べて体調を崩したという話は聞いたことあったけれど、死に至る毒があるなんて⋯⋯でも、この2つとも私も普段から食べているのだけど、今のところなんともないわよ?」
「ナツメグとジャガイモは適量かつ、正しい調理法であれば問題ないのですゥ。まァ、本当はナツメグだけでも十分なのですが、ターゲットにより苦痛を与える為のボクからの細やかなサービスですよォ! それに、ナツメグとジャガイモの相性ってバツグンに良いじゃないですかァ!!」
「そうなのね⋯⋯! ふふっ⋯⋯ありがとう、ストラス」
(もしかして、ストラスってナツメグとジャガイモが好きなのかしら⋯⋯?)
得意気に語るストラスを微笑ましく見ていたマリアンヌは、ストラスにも協力のお礼としてナツメグとジャガイモを使ったグラタンを作ろうと心に決めた。
「倒れたターゲットをマリアンヌさんが看病するフリをして、更に追加で死なない程度のナツメグとジャガイモの入ったスープを定期的に摂取させますゥ。⋯⋯こうして、徐々に弱らせていき、最終的には死に至る⋯⋯という作戦になりますがいかがでしょうかァ?」
「ええ、ええっ! 最高よ、ストラス!!」
マリアンヌは感動のあまり、思わずストラスを抱きしめる。
しかしそこにマリアンヌの想像した温もりは無く、流石は悪魔というだけあってモフモフの暖かそうな外見に反して彼の身体はひんやりと冷たかった。
「もがっ⋯⋯お気に召していただけたようで、何よりですゥ⋯⋯!」
マリアンヌの豊満な胸に埋もれたストラスは苦しそうに言った。
「あら、ごめんなさい」
「だッ、大丈夫ですよォ⋯⋯。しかし、先程の作戦には一つ問題があるのですゥ」
「⋯⋯どこかしら?」
「それは⋯⋯どのようにしてターゲットに自然に食べさせるか、というところですゥ!!」
さも大問題だというように深刻な顔をしたストラスに、拍子抜けのマリアンヌは大きな瞳をパチクリと瞬かせた。
「なんだ、そんなこと⋯⋯! それなら簡単よ。エミリーはとても食い意地が張ってて、本人は隠したがっているのだけれど夕食だけじゃ足りないみたいなの。それで、いつも食料を求めて真夜中の厨房に忍び込んでいるのよ。だから⋯⋯今回の作戦はそれを利用しましょう」
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早速、当日の夜に作戦を決行したマリアンヌ達は見事エミリーにナツメグとジャガイモのチーズがたっぷりと乗ったグラタンを食べさせることに成功する。
————そして、彼女が倒れたという知らせを聞いたのは、その翌朝のことだった。
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「さてさて、マリアンヌさんの行く末は⋯⋯あの方の魂はどんな色に染まるのか⋯⋯楽しみですねェ、サタン様」
「フッ⋯⋯高潔な人間が堕ちていく様は何度見ても飽きないな」
2つの黒い影の瞳は、ニィッと暗闇の中でひっそりと妖しく弧を描く。
マリアンヌは、悪魔に魅入られるということを分かったつもりでいて、十分には理解していなかった。
一度彼らの世界に足を踏み入れたらもう、戻れない。
悪魔の毒はマリアンヌ自身も気付かぬうちに、気高く清廉なるその身をゆっくりと蝕んでいく————。