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未来視の瞳




「そ、そうだったかしら? ⋯⋯きっと、オリヴァーの気のせいよ」


 マリアンヌは、キョトンと不思議そうな顔で自分を見つめるオリヴァーの顔を真っ直ぐに見ていられなくて、そっと目を逸らす。

 しかし、母を疑うことを知らないオリヴァーは、不審な様子のマリアンヌの言葉にも納得したようであった。



「そっかあ! お母様が言うなら僕の勘違いだったのかも! 変なこと言ってごめんなさい」

「⋯⋯オリヴァーは悪くないわ。そ、それよりも、そろそろ晩餐会に向かわなくっちゃ。急いで準備をして向かいましょう」

「はいっ、お母様!」


(オリヴァーは何も悪くないのに⋯⋯。これも全てはサタン様のせいなのよ!)


 何も知らないオリヴァーの無垢な笑顔を見たマリアンヌは、罪悪感に押し潰されそうになった。心の中でこの原因を作ったサタンへの恨み言を連ねる。


 後ろめたい気持ちのまま、晩餐会用のイブニングドレスに着替えたマリアンヌはオリヴァーと並んで屋敷の長い廊下を歩く。

 すると、オリヴァーはマリアンヌが大切そうに抱えているグリモワールを見て、再び不思議そうに首を傾げた。



「⋯⋯お母様、その本はなぁに?」

「えっ⋯⋯!?」


(そうよね、食事の場にわざわざ本を持っていくのは不自然だもの。オリヴァーが不思議に思うのも無理ないわ⋯⋯)


 マリアンヌは額に冷や汗を浮かべながらも咄嗟に思い付いた言い訳を並べる。


「ええっと⋯⋯こ、これはお母様の御守りみたいなものよ⋯⋯! 肌身離さず持つことで効果があるものなの!」

「御守り⋯⋯⋯⋯?」

「ええ、そうよ!」


(どうやら本当に私以外にはグリモワールと認識出来ないようね⋯⋯。良かった⋯⋯!)


 マリアンヌの苦しい言い訳にも純粋なオリヴァーは納得したようで、そのことにホッと息を吐く。



「僕も、お母様のこと守ってあげる!」


 オリヴァーは暫し考え込んだ後、不意に立ち止まり笑顔でそう言った。そしてその小さな手でマリアンヌの手をギュッと握り締める。

 健気なオリヴァーの言葉に、マリアンヌは胸がキュッと締め付けられる心地だった。


「オリヴァー、ありがとう。⋯⋯お母様も、絶対に貴方のことを守るからね」


 マリアンヌは喉元まで出かかった『次こそは』という言葉を飲み込んだ。


(このような殺伐とした環境でも、天真爛漫で優しい子に育ってくれて嬉しいわ⋯⋯)


 マリアンヌは感極まって溢れそうになる涙をオリヴァーに悟られまいと、愛しい息子の身体を優しく抱きしめた。




✳︎✳︎✳︎




 マリアンヌがオリヴァーを連れ立って晩餐会の行われる大広間へ到着すると、そこにはすでにエミリーの姿があった。


(私たちが死ぬ前と全く一緒だわ⋯⋯)


 マリアンヌは見覚えのある光景に静かに驚き、瞳だけを動かして部屋のようすを窺う。

 リフェクトリーテーブルの上の皿やカトラリーをはじめ、花瓶に飾られた造花やテーブルクロスでさえも、マリアンヌの記憶と寸分も違わない。


「あ、あら⋯⋯早いじゃない」


 入室したマリアンヌとオリヴァーに気が付いたエミリーは、不自然に部屋の中を歩き回りウロウロと視線を彷徨わせながら言った。


「⋯⋯エミリーこそ、いつも遅刻ギリギリなのに珍しいじゃない。どういう風の吹き回しかしら?」

「べ、別になんとなく早くついてしまっただけよ」

「⋯⋯⋯⋯そう」


(エミリーはきっと、このタイミングで毒を盛ったのね。知っていても、はらわたが煮え繰り返るようだわ)


 マリアンヌはふつふつと際限無く湧いてくる怒りを鎮めるために胸を押さえて大きく深呼吸し、密かにギュッと拳を握りしめる。

 そうしている間にも、晩餐会の時間は刻々と近付き、義姉やその息子たち、それから少し遅れてエミリーの息子もやって来た。


 フレディ公爵は病で臥せっているため、これで今屋敷に住んでいるウィンザー一族全員が集合したことになる。




✳︎✳︎✳︎




 テーブルを囲むのは、マリアンヌとオリヴァーを始め、義姉イザベラとその息子トーマスとジェームズ、義妹エミリーとその息子アイザックの計7人であった。


 月に一度開催される親族のみの和やかな晩餐会のはずだったが、そこに会話や笑顔は無く、ただ黙々と食べ進めるだけである。

 皆、義務としてこの場にいるだけで、誰一人として進んでこのような場に出席する者はいないのだ。


 冷え切った空気の中、カチャカチャとカトラリーと皿が触れ合う音だけが部屋に響く。



(息が詰まりそうだわ⋯⋯)


 マリアンヌがちらりと隣に座るオリヴァーを見ると、彼に先程までの笑顔はなく、料理にも全く手を付けていなかった。



(そうだわ⋯⋯。オリヴァーはこの日、ほとんど料理に手を付けていなかった。それにも関わらず、毒を口にしてしまった。一体、エミリーは何に毒を盛ったの⋯⋯? それに、いつになったら未来が視えるのかしら⋯⋯)


 このままでは、また同じ悲劇を繰り返してしまうとマリアンヌの表情には焦りが滲む。焦燥感から膝の上に置いてあるグリモワールを強く握りしめた。


 マリアンヌが目を伏せて考えて込んでいると、横目でオリヴァーが水の入ったグラスに手を伸ばすところが目に入る。


「っ————!!」


 その瞬間、マリアンヌの右目にかつて無いほどの激痛が走る。身体中の血液が沸騰しそうなほどの鮮烈な痛みだった。


 そして、マリアンヌの瞳には走馬灯のようにこれから起こる出来事が映し出される。

 次々と切り替わる映像を痛みの中、マリアンヌは1秒たりとも逃すまいと細部に至るまで必死に記憶した。


 (これは⋯⋯⋯⋯オリヴァーが水を口にする光景と、倒れて⋯⋯青白い顔でベッドに横たわる姿⋯⋯)



「水、だったのね⋯⋯⋯⋯」


 マリアンヌは人知れずポツリと呟く。


 そしてすぐさま立ち上がり、今にもグラスを傾けて水に口をつけてしまいそうなオリヴァーの手を掴んで、彼の持っていたグラスを弾き飛ばした。


 パリンと鋭い音が静寂の中に響き渡り、部屋中の視線がマリアンヌとオリヴァーに集中する。


「お⋯⋯お母様?」


 オリヴァーは母親の突拍子もない行動に驚き、目を見開いてマリアンヌを見た。


「オリヴァー、貴方のグラスの中に埃が入っていたわ。⋯⋯いきなりごめんなさいね」


 未だ状況を飲み込めず、ぱちくりと瞬きを繰り返すオリヴァーに、「お水ならこれを飲みなさい」とマリアンヌは自らのグラスを差し出す。


「あ、ありがとう⋯⋯お母様」


 笑顔のマリアンヌから、オリヴァーはおずおずとグラスを受け取った。

 彼はコクコクと勢いよく水を飲み、緊張で渇いた喉を潤す。



(サタン様の言ったことは本当だったんだわ⋯⋯。本当に、未来が視えた)


 マリアンヌは今度はオリヴァーを助けられたことにホッと胸を撫で下ろした。

 とりあえず、これでしばらくの間はオリヴァーが危険に晒されることは無いはずだ。


 そっとエミリーの方を盗み見ると、彼女は悔しそうに唇を噛んでこちらを見ている。

 イザベラは、そんなエミリーの失態を責めるように彼女を睨みつけていた。


(今度こそは、絶対に貴女たちの思い通りにはさせないわ。⋯⋯次は、私の番よ)








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