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悪魔の祝福




「さ、サタンですって!?」

「⋯⋯おい、様をつけろ」


 マリアンヌは教会に通う敬虔な信者であったため、神の敵としてあまりにも有名な彼の名前は当然知っていた。

 しかしまさか、聖書にも登場するような大悪魔が自分の前に現れるだなんて、一体誰が想像しただろうか。



「サタン⋯⋯様って、もっと醜い悪魔だと聞いていたのだけど、貴方が本当にあのサタンなの⋯⋯?」

「ふん⋯⋯あれは教会の人間が勝手に言っているだけに過ぎない。大方、神を信仰する人間の敵である俺たちをより忌むべき存在にするためだろう」

「そ、そうだったのね⋯⋯。まさかあのサタンがこんな美丈夫だなんて⋯⋯想像もしていなかったわ!」


 マリアンヌの言葉に気を良くしたサタンはフフンと得意げに胸を張った。



「美しき悪魔の王である俺と契約できたことを光栄に思え、愚かな人間よ」

「⋯⋯⋯⋯その事なんだけど、私は貴方と契約した覚えは無いわ⋯⋯。それよりも、止まった時間を戻して欲しいのだけれど」

「いいや、確かに俺とお前は契約したさ。だからお前には俺が見えているのだ。窓から落とされた時、お前はこのグリモワールに願っただろう? ⋯⋯復讐のためにもまだ死ぬわけにはいかない、と」


 サタンはそう言って、床に落ちている真っ黒な革の表紙の本を手に取った。そこには確かに彼の言う通り、血のような赤褐色で『Grimoire』と書いてある。

 マリアンヌは初めてまじまじと目にする悪魔の書物にビクリと肩を震わせた。


(な、何でそんなものがこの家に⋯⋯!?)


「驚くのも無理はない。お前は確か⋯⋯この国の出身ではなかったな。このウエスト国の有力な貴族家は皆、密かに祀っているのだ。天使と悪魔を————」

「⋯⋯!?」


 マリアンヌは、サタンが放った言葉に激しく動揺した。

 貧しいが敬虔な信者の多い平和な国で育ったマリアンヌの常識ではおよそ理解が及ばない事であった。



「そして、お前は森羅万象————全ての悪魔を従える偉大なる王である俺様に選ばれたのだ。これはまたとない非常に名誉な事である。つまりはこの俺がお前の願いを叶えてやろうという訳だ」

「な、ぜ私を⋯⋯⋯⋯?」

「お前たち人間の醜い争いこそが俺たち悪魔の娯楽であり糧なのだ。諍いの末、汚れた魂を喰らうことこそが我々にとっての至高である。————そして、その渦中にいるお前の魂は我々悪魔にとって非常に魅力的だ」


 マリアンヌはごくりと息を呑む。


「つまり、私の魂と引き換えに願いを叶えてくれるってこと⋯⋯?」

「そうだ。願いを叶える見返りはお前の魂。罪を重ねるほどにその魂は甘美になる。お前に俺と、俺の配下たちの知恵を貸そう」

「⋯⋯⋯⋯」


 怒涛の急展開にマリアンヌは思考が追いついかず、思わず黙り込んでしまう。



「どうした、今更怖気付いたのか? 自分の息子を殺した奴らが憎くはないか? 復讐したくはならないか? このまま何もしないというのなら止めはしないが⋯⋯。まあ、たとえ生き返ったとしても、無力なお前とその息子はまたあいつらに殺されてしまうだろうけどな」

「っ! ⋯⋯⋯⋯そんな、こと⋯⋯っ」



(前と同じように、ただ黙って不遇な扱いを受け入れるだけだったらまた⋯⋯あの子が殺されてしまうわ⋯⋯! もう絶対に、あんな思いはしたくない!!)


 覚悟を決めたマリアンヌは、強い意志を込めた深い碧の瞳でサタンを真っ直ぐに見据えて言った。



「貴方に言われるまでもなく、どんな手を使ってでも必ずあの人たちに復讐するわ。ウィンザー一族に復讐出来るなら、私の魂くらいいくらでもくれてやる!!」


 サタンはマリアンヌの気迫に一瞬目を丸くした後、心底可笑しそうに笑みを深め漆黒の瞳を細めた。


「フッ⋯⋯俺の見込んだ通りだな。⋯⋯では、勇気あるお前に敬意を表して悪魔の祝福を授けよう」


 そう言ってサタンはマリアンヌの右目に触れた。

 彼に触れられた瞬間、眼球の神経にジリジリと燃えるような感覚が走り、激しい痛みに襲われたマリアンヌは悶える。


(い、痛い! ⋯⋯一体私の目に何をしたの!?)





「っ⋯⋯うぅ⋯⋯!」


 床に膝を付き、瞳を押さえてうずくまる。

 永遠にも思えるほどの長い時間、マリアンヌの右目はジンジンと熱く痛み、血管はドクンドクンと激しく脈打っていた。


 しばらくの後、やっと右の瞳から痛みと熱が引いたマリアンヌは、姿見で己の姿を確認する。



(⋯⋯? 何も変わっていないわ⋯⋯⋯⋯)


 怪訝な顔をするマリアンヌを見たサタン。彼はそれまで痛みに悶えるマリアンヌの姿をただジッと見ているだけだったが、ついに口を開いた。



「お前に、近い未来を視る力を授けた」

「え⋯⋯? 私を揶揄っているの? 未来なんて、視えないわ⋯⋯⋯⋯」

「今は、な」


 マリアンヌの言葉に、サタンはクッと笑い声を洩らす。


「⋯⋯⋯⋯」


 マリアンヌにはサタンの言葉がどうにも信じられなかった。あんなにも激しい痛みに耐え抜いたというのに、己の瞳に映る景色はいつも通りで一切の変化も感じなかったからだ。


 しかし、先程までの痛みの余韻から涙を流すも左の瞳から流れ出るのみで、悪魔の祝福を受けた右の瞳から涙が零れ落ちることは無かった。






✳︎✳︎✳︎






「さて、そろそろ戻すか」


 不意に呟いたサタンは、親指と人差し指を合わせて指を鳴らす動作を取ろうとする。


「ああ、そうだ」


 サタンは何かを思い出したように手を下ろしてマリアンヌを見やり、一度は彼によって床に捨て置かれたグリモワールを指して言った。


「そのグリモワールは肌身離さず持っていろよ」

「な、なんですって!? ⋯⋯そんなの無理よ! こんなもの持っていたら今でさえ悪女と呼ばれているのに、悪魔信仰の魔女にされてしまうわ! もうこれ以上、オリヴァーに嫌な思いはさせたくないの!!」


 サタンのさも当然というような物言いに、マリアンヌは戸惑い、反論する。

 しかし、そんなマリアンヌを見たサタンはまたもや鼻で一笑した。


「ハッ! 普通の人間にはこれがグリモワールだとは認識出来ない。⋯⋯どうだ、安心したか?」


 サタンはマリアンヌの反応にひとしきり笑った後、満足げに息を吐きすらりと長く美しい指をパチンと鳴らした。



 その瞬間、今まで止まっていた時が動き出す。



 蝋人形のように微動だにしなかったオリヴァーは透き通った赤色の瞳をパチクリと瞬かせる。

 壁掛けの時計は再び忙しなく時を刻み、静寂に包まれていた室内に久方ぶりに規則正しい秒針が響いた。


「あれ? ⋯⋯お母様、いつの間にそんなところに?」

「っ⋯⋯!!」


 サタンが時間を止める前まで、マリアンヌとオリヴァーはしっかりと抱き合っていた。それが今は、オリヴァーを残してマリアンヌは少し離れた姿見の前に立っている。

 オリヴァーが不思議に思うのも仕方がないことだ。


(サタン様! いきなり戻さないでよ⋯⋯!)








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