仕立て上げられた悪女
「————ヘレネって⋯⋯あの神話の⋯⋯?」
「そう。ヘレネはギリシャ中の男性を魅了し、トロイアとの戦争の原因となった女性だよ。恋が分からないなら、彼女のように純真だけど奔放に、男性を惑わす悪女になりなさい」
「あく、じょ⋯⋯⋯⋯」
アスモデウスの言葉に、マリアンヌは思わず俯いた。
「どうしたの⋯⋯? ご主人さま」
「ハッ⋯⋯! これはとんだ皮肉だな。コイツはもう既にこの国のヤツらから公爵を誑かした悪女って言われてるんだよ」
無言のマリアンヌを見兼ねて、サタンがぶっきらぼうながらも口を挟む。
それを聞いたアスモデウスは「そうだったんだ⋯⋯」と申し訳なさそうな顔をしながら小さく呟いた。
「ねぇ、ご主人さま⋯⋯今からでも違う作戦を考えようか?」
アスモデウスの窺うような視線に、マリアンヌは俯いていた顔をゆっくりと上げる。
「ううん、アスモデウスの作戦で大丈夫よ。それに、もう慣れっこだもの。今更気にしてなんかないわ。⋯⋯でも、私のせいでオリヴァーまで悪く言われてしまうのはいつまで経っても慣れないわね⋯⋯⋯⋯」
「あっ⋯⋯そうだっ! ご主人さまとオリヴァーくんを悪く言うような奴は、僕が懲らしめてあげるよっ!!」
先ほどまでの妖しげな雰囲気から一転して、力強く拳を振り上げるアスモデウスを見たマリアンヌは、思わず吹き出した。
「ふふっ⋯⋯その気持ちだけで嬉しいわ。⋯⋯ごめんなさい、気を使わせてしまったわね。ありがとう、アスモデウス」
マリアンヌはこれ以上、アスモデウスに心配をかけまいとにっこりと彼に笑いかける。
そして、それに応えるようにアスモデウスも笑顔を見せた。
「それじゃあ⋯⋯アスモデウス。詳しい作戦内容を聞かせてくれる?」
「もちろんだよっ、ご主人さま!!」
✳︎✳︎✳︎
「明日からいよいよ本番ね⋯⋯。頑張らないと!」
マリアンヌは今後の作戦会議を兼ねたお茶会の終了後、ティーカップを片付けながら一人呟いた。
サタンは後片付けをするマリアンヌを横目に、相変わらず一番上等なソファを陣取ってなにやら分厚い本を読んでいる。
アスモデウスはといえば、作戦会議が終わるなり何処かへ行ってしまった。
(もう、サタン様もアスモデウスもマイペースなんだから⋯⋯! 悪魔ってみんなこうなのかしら?)
マリアンヌは自由奔放な悪魔たちに心の中でため息を吐くのだった。
✳︎✳︎✳︎
(アスモデウスはちょっと⋯⋯⋯⋯ううん、大分個性的な悪魔だけど、サタン様もこういった男女の色恋沙汰にはアスモデウスの右に出るものはいないとまで言っていたし、私さえ失敗しなければ上手くいくわよね⋯⋯?)
マリアンヌが一人でうんうんと唸りながら考え込んでいると、ガチャリと勢いよく部屋の扉が開く。
扉を開けたのは、家庭教師の授業が終わったオリヴァーであった。彼はマリアンヌの姿を見るなり軽い足取りで駆け寄り、小さな身体でギュッと腰に抱きつく。
「お母様、ただいまっ!!」
「オリヴァー、おかえりなさい。今日のお勉強はどうだった?」
「うんっ! とっても楽しかったよ! それにねっ昨日予習したところが出てきて、先生に褒められたんだ!!」
嬉しそうに今日の出来事を報告するオリヴァーに、思わずマリアンヌの顔が綻んだ。
「そう、それなら良かったわ。オリヴァー、あんなに頑張っていたものね」
「うんっ! ⋯⋯⋯⋯あれ? お母様、さっきまで誰か来ていたの?」
テーブルの上にある3人分のティーセットを見たオリヴァーの鋭い言葉に、マリアンヌはギクリと肩を揺らした。
「え、ええ。⋯⋯お母様のお友達が来ていたのよ」
「お母様の? それなら僕も会いたかったなぁ!」
オリヴァーはキラキラとした瞳でマリアンヌを見る。マリアンヌは、人を疑うことを知らない純粋なオリヴァーの視線に居た堪れない心地になった。
「お母様のお友達ならきっと素敵な人だよね! 次は僕にもご挨拶させてねっ」
「す、素敵な人⋯⋯⋯⋯そうね⋯⋯。また、今度機会があれば紹介するわ⋯⋯⋯⋯」
マリアンヌが意外にも前のめりなオリヴァーの態度に戸惑いを隠せず視線をウロウロと彷徨わせながら答えると、どこからか笑い声が聞こえる。
声の方を見ると、今まで静かに本を読んでいたサタンが腹を抱えて大笑いしていた。
「クククッ⋯⋯! お前に友達、なぁ? 言い訳するにしても、もっと別の言い方があるだろう。お前に友人が居ないことなど俺様にも解るぞ」
(何よ、失礼ね! 私にだって友達の1人や2人くらいいるのよ!?)
「クッ⋯⋯子どもの前だからって見栄を張らなくても良いんだぞ?」
(そういうサタン様も人のこと言えるのかしら? どうせ貴方にだって、友達なんていないくせに⋯⋯っ!!)
なおも笑い続けるサタンに腹を立てたマリアンヌは、彼の存在を無視することにし買ってきたケーキをオリヴァーと食べることにした。
マリアンヌははしゃぐオリヴァーの横顔を眺めつつ、サタンへのイライラをぶつけるかのように本日2個目のケーキを頬張るのだった。




