二人の義弟
「ふう~⋯⋯やっと着いたぁ⋯⋯!」
「⋯⋯ノア、だらしないぞ。こんな時くらいシャキッとしろ」
「もうっ、セオは一々うるさいなぁ〜。いつも思ってたけど、セオは堅すぎるんだよ⋯⋯僕みたいにちょっとは息抜きしないといつか爆発しちゃうよ~?」
「俺の事はいい。⋯⋯それに、お前のだらしなさは度を超えているから言っているんだ」
「あ〜、はいはい。お兄ちゃんは僕には殊更厳しいんだから⋯⋯ホント、嫌になっちゃうよね」
マリアンヌは自室の窓際に座り込み、騒がしく言い合いをしながらウィンザー公爵家の紋章が刻まれた馬車から降りてきたスーツ姿の2人の若い男たちをぼんやりと眺めていた。
そして、彼らを見るなりマリアンヌは気怠げな仕草で頬杖をつき深く長いため息を吐く。
「はぁ⋯⋯憂鬱だわ⋯⋯⋯⋯」
マリアンヌの気分を沈ませる2人はウィンザー公爵家の末の弟たちで、普段は公爵邸には住んで居らず、首都郊外にある全寮制の大学に通っている。
しかし、この度長兄であるフレディの病状悪化と姉であるエミリーの訃報を聞いて駆けつけてきたようだ。
恐らく、暫くはこの屋敷に滞在することになるだろう。
(あの2人との面識はそれほど無いけれど、今になって帰ってくるなんて⋯⋯厭らしいほどに魂胆が見え見えね)
「そろそろ行かないと⋯⋯⋯⋯」
ウィンザー公爵家の当主であるフレディが臥せっている今、彼の妻であるマリアンヌが出迎えないわけにはいかない。
2人の義弟を出迎えるため、マリアンヌは渋々と椅子から重い腰を上げた。
✳︎✳︎✳︎
「セオ、ノア。お久しぶりですね。長旅、お疲れ様でした」
普段着の淡い藍色のドレスに、タータンチェックのショールを羽織ったマリアンヌはにっこりと他所行きの完璧な笑顔を作り、騒がしく言い合いを続ける2人を出迎えた。
春の訪れがまだ先のウエスト国はひんやりとした空気を纏っていて肌寒く、マリアンヌはぶるりと小さく身震いする。
「マリアンヌ義姉さん、久しぶりっ!!」
「⋯⋯⋯⋯義姉さん⋯⋯お久しぶり、です」
マリアンヌがセオとノアの前に姿を現した途端、彼らはマリアンヌの頭からつま先までを舐め回すような視線でジロジロと見てくる。
セオはおもむろに頬を赤らめてサッと目を逸らし、ノアはねっとりとした目でマリアンヌを見つめてニヤニヤと笑っていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(これで気付かれて無いとでも思っているのかしら⋯⋯?)
マリアンヌは2人のあからさまな態度に、作り笑顔が引きつるのを感じていた。
「⋯⋯おい、この下品な男どもは誰だ?」
そんな時、不意にくつくつと愉快そうに喉を鳴らして笑うサタンの声が耳に入った。
いつの間にか隣に立っていたサタンからの問いに、マリアンヌはうんざりしながらも心の中で答える。
(ああ、サタン様⋯⋯。この2人はフレディ公爵の弟よ。茶髪の背の高い方が次男のセオ、金髪で背の低い方が三男のノアよ。2人とも、私とそう年齢は変わらないわ)
「ほう⋯⋯。兄弟で女の趣味も似るってか? 随分な熱視線じゃあないか」
サタンはセオとノアの反応を見てニヤリと愉しげに口角を上げる。
(⋯⋯やめて頂戴。不快だわ)
マリアンヌはサタンをキッと睨みつけた。
しかし、そんなマリアンヌの視線にもサタンは臆すること無く、なおも挑発めいた発言を続ける。
「ふん、俺様は本当のことを言っただけだろ?」
(⋯⋯⋯⋯黙りなさい)
「お前、コイツらが来てからというものの、あからさまに機嫌が悪いのではないか? ⋯⋯仕方ない、優しい優しい俺様が今はご機嫌斜めでいつ癇癪を起こすとも分からないお前のことをそっとしておいてやろう」
マリアンヌの並々ならない気迫にピクリと微かに眉を動かしたサタンは最後にそう言い残すと、マリアンヌの厳しい視線から逃げるようにスルリと影へと戻っていった。
「マリアンヌ義姉さん、なんだかさっきからうわのそらだけど、どうかしたの⋯⋯?」
「義姉さん⋯⋯体調が優れないのですか?」
セオとノアの気遣わしげなその声と視線に、マリアンヌはハッと我にかえる。マリアンヌはサタンに気を取られるあまり、二人の存在をすっかり忘れ去っていた。
マリアンヌは自身の様子を心配そうに覗き込む2人に悟られまいと慌てて表情を取り繕い、再び笑顔を作る。
「⋯⋯いいえ。なんでもないわ。⋯⋯さあ、中へ入りましょう」
セオとノアを出迎えたマリアンヌは、屋敷へとニ人を誘った。キィィ⋯⋯と小さな悲鳴を上げながら、建国以来、貴族社会の頂点に立ってきたウィンザー公爵家の歴史を感じさせる古びた分厚い扉が開く。
これで、ウィンザー公爵邸には義母と義伯父以外の一族が集結した事になる。
「久しぶりの我が家っ! やっぱり落ち着く〜!! ねっ、セオ」
「ああ、それに関しては同意するが⋯⋯寮のような規則が無いからといって、くれぐれもハメを外すなよ、ノア」
晴れやかな表情で久方ぶりの我が家に足を踏み入れるセオとノア。その光景をマリアンヌは薄らと笑みを湛えながら見つめる。
————この時はまさか、再びウィンザー公爵邸で悲惨な事件が起こるなどという事は誰一人として想像もしていなかったのだった。