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ぺんたがいる

 水族館に入場した俺とお嬢様を迎えたのは、水槽の中を優雅に泳ぐ魚たちだった。

 お嬢様はその光景に目を輝かせて、近くの水槽に張り付いた。


「おおー」


 お嬢様は興味深そうにじぃっと魚たちを視線で追っている。時折つんつんと控えめに指でガラスを触り、魚たちにアプローチを掛けていた。


「そうた、お魚たち寄ってくる」


 見ると、ガラス越しのお嬢様の指に数匹の魚が寄って来ていた。

 俺もお嬢様と同じ目線になるようにその場にしゃがみ込む。


「ほんとですね。きっとお嬢様のことが気になるんですよ」


「気になる?」


「はい。この子はどんな子なんだろうって、近づいて来てるんですよ」


「そうなんだ。……お魚さん、残念ながらエサはあげられませんが。ゆるしてください」


 そう言ってぺこりと頭を下げると、魚たちはどこか残念そうにお嬢様の指から離れて行った。

 その魚たちの様子に言葉が通じたのかと少々驚いていると、お嬢様が水槽から離れて俺の手をぐいぐいと引っ張った。


「そうたっ、行こ。時間はゆうげんなの」


「ど、どこから覚えて来たんですか、そんな言葉」


「ぺんたが言ってた」


「ぺっ……」


 お前かペンタ! お嬢様が時々難しい言葉を使っている原因は!

 というか、時間は有限なんて台詞が出て来るなんて、意外と哲学的な内容の絵本なんだろうか。なにそれちょっと気になるぞ……。


 そこから俺とお嬢様は、色んな水槽を見ながら水族館を進んだ。

 お嬢様は好奇心旺盛のようで、水槽を見ては興味を示して近づいて行った。

 巨大水槽や綺麗なクラゲの水槽には特に長い時間張り付いていたが、それには俺も見入ってしまった。


 思い返せば、水族館に来たのなんて何年振りだろうか。


 学生の頃は一度も来ていないし、何より行く相手も居なかった。子供の頃は良いが、大人になるにつれて水族館はデートスポットという印象に変わってしまったこともあり、なかなか行く機会が無くなるものなのだ。


 水族館自体は好きなので、こうしてお嬢様に来る機会を貰ったことは感謝しなければならないな。


 お嬢様の楽しそうな表情に感化され、すっかり俺も童心に帰って水族館を楽しんだ。

 久しぶりに心から楽しいと思える時間だった。


 そうして、目的地に着いた。

 直前のカワウソに見入っていたお嬢様だったが、それを見た瞬間、今まで見せたどの表情よりも、明らかに鮮明に、嬉しそうに顔を輝かせた。

 

「ペンギンだ!」


 目の前には、水槽の中をのびのびと泳ぎ回るペンギンたちが居る。

 飛べない鳥だというのに、その光景はペンギンたちが空を飛んでいるのではないかと錯覚させるほどだった。


 お嬢様は俺の手を離すと、たたたっと水槽に近づいてペンギンたちを見上げた。

 

「そうた、ぺんたが、ぺんたがいっぱいいる!」


 急いでトートバッグから取り出した絵本を俺に見せながら、水槽を指差して興奮気味に俺を見る。その様子に俺は思わず笑ってしまった。


「そうですね。ぺんたがいっぱいです」


「うん!」


 わあっと声を上げながら、お嬢様はペンギンたちを目で追いかけている。

 そこで水槽の隣に陸上に上がっているペンギンたちが居ることにも気づいたお嬢様は、ぐいぐいと俺の袖を引っ張った。


「そうた、あそこにもペンギンがいる!」


 ずんずんと歩き始めるお嬢様の後を追って、もう一つのペンギンエリアを見る。するとそこには、草原に佇むペンギンたちが居た。


「あ、目が合った! 見た? そうたっ」


 こちらを見るペンギンに嬉しそうにお嬢様が言う。

 ペンギンたちは他のお客さんにきょろきょろと視線を移しつつも、確かに時折こちらを見ていた。


「本当ですね。こっち見てますよ」


「すごいね!」


 無邪気な笑顔を向けて来るお嬢様。その笑顔を見れただけで、今日ここに来た甲斐があったというものだ。


 未だ分からないことは多い。初めて会った時、何故お嬢様は外でしゃがみ込んでいたのか。

 そして、あの夜どうして泣いていたのか。


 分からない。きっとどちらも解決していない問題だ。


 それは俺なんかが関わっていい問題なのかは分からないが、出しゃばりと言われようと執事になった以上、お嬢様の問題には力を尽くしたい。


 なにより、こんなに無邪気で可愛い子供があんな顔をすることが耐えられない……。


 ――なあ、ペンタ。お前ならどうするよ?


 草原に佇むペンギンを見て心の中で問いかける。

 てっきり目が合ったペンギンがペンタだと思っていたのだが、残念ながら俺の問いかけには答えず、ぷいっと顔を背けられてしまった。


 あれ? ペンタどれだっけ?

 

  ※ ※ ※

 

 ペンギンの観賞にたっぷり三十分ほど使った俺とお嬢様は、その後お土産ショップに来ていた。

 水族館の生き物を模したお菓子やストラップなど、定番のグッズが多数取り揃えられている中、お嬢様が興味を示したのはもちろんペンギンのグッズだ。


「ほえー……」


 お嬢様が見上げているのは大きなペンギンのぬいぐるみ。その周りには様々な種類のペンギンやらカワウソやらのぬいぐるみも置いてある。


「どれにしますか?」


 大きなペンギンのぬいぐるみに意識を持っていかれているお嬢様を呼び覚ます。


 俺の声で「はっ!」っと我に返ったお嬢様は、慌ててペンギンから視線を外すと、手が届くところにあった小さなペンギンのぬいぐるみをそっと俺に渡して来た。


「……これにする」


「え? これでいいんですか? あのおっきいのは?」


「うーん……」


 その後もちらちらと大きなペンギンのぬいぐるみを見るお嬢様。明らかに欲しがっている。


「遠慮しなくてもいいんですよ? せっかく水族館に来たんですし」


「でも、お金かかる……」


 見ると、大きなペンギンのぬいぐるみは五千円を超えていた。

 俺も子供の頃から遠慮する(たち)だったが、まさかお金持ちのお嬢様でも遠慮するなんて考えもしなかった。


 きっと今まで気を遣って生きて来たのだろう。そのいじらしさにきゅっと心が締め付けられる感覚を覚える。

 確かに決して安い買い物ではない。しかし、今のこの子には必要な買い物だと俺は思う。


「じゃあ、これは俺が買います」


「えっ……」


 俺の言葉に明らかに残念そうな声を上げる。

 どよーんとした表情でぬいぐるみを見つめるお嬢様の顔を見て思わず苦笑した。


「プレゼントですよ。これは俺からのプレゼント」


「プレゼント?」


「はい。今日は初めてのデート記念日だから、お嬢様に買いたいんです」


「じゃあ、わたしのために買ってくれるの?」


「はい」


「……」


 お嬢様はぽかんとして俺を見た。

 すると突然、お嬢様がうるうると目に涙を浮かべた。予想だにしないその反応に、俺はおろおろとしてしまう。


「どどどどうしました!? どこか痛いんですか!?」


「ううん」


 俺の言葉にお嬢様はふるふると首を振る。手の甲で目尻に溜まった涙を拭いながら、俺の方を見る。


「ほんとはね、ずっと欲しかったの。ぬいぐるみをぎゅってしたかったの。でもね、とうさまには言えなかったし、ねえさまにもなんだか言えなかったの。だから、そうたがおっきいペンギンのぬいぐるみ買ってくれるって言ってくれて嬉しかったの。そしたら泣いちゃった」


 えへへと泣き笑いの顔をお嬢様が向けて来た。今度こそ、その表情に俺の心臓は掴まれる。周りに人が居なければ抱きしめていたところだ。


 なんて良い子なんだろうか。こんなにも色んな思いを抱えてこの子は今までぬいぐるみに興味を示さないような振る舞いをして来たのだ。


 そんな子にこれ以上の我慢を強いてなるものか。

 そう思った俺は、大きなペンギンのぬいぐるみをがしっともう一体掴むと、お嬢様の前に勢いよく差し出して、


「ペンタ二号です!」


 と訳の分からないことを言った。いや、正確にはもう一体お付けします、という意味のことを言いたかったのだから、言葉足らずだったという訳だ。

 その様子に少しの間硬直するお嬢様だったが、やがて


「二号はかわいそうだよ、そうた」


 と笑いながら言うのであった。



 その後、水族館に併設されていたカフェで一度食事を取ってから、俺とお嬢様はお土産を買って水族館を出た。


 お嬢様は大きなペンギンのぬいぐるみの片方(ぺんたと名付けられた方)を嬉しそうに抱きしめていた。


 その様子に俺も満たされながら、二人で野島さんの車を待つ。


「楽しかったですか?」


「うん! また来ようね」


 満面の笑みで答えるお嬢様。その様子に俺も思わず微笑む。


「そうですね。また来ましょう」


「うんっ!」


 そう言って、二人で笑顔を交わした。


 数分後、野島さんが黒塗りの高級車で迎えに来た。

 水族館に来た時ほど、周りの目は気にならなかった。

 視線がぺんたに集まっていたからかも知れない。

お嬢様とのデート回でした。

蒼太が執事になったことで澪ちゃんも少しずつ変わってくれたら良いですね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] はぁ〜〜〜…… てえてえなぁ〜〜〜……(語彙喪失読者) 澪ちゃんめっちゃ良い子だし蒼太もいい奴だしこれは良い主従関係ですね! もういいこの幸せ空間ずっと見ていたい…ペンタ二号そこ代われ(…
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