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出会い

 黒塗りの高級車に乗るよう促された俺は、車を汚さないようにビビりつつシートに座った。

 ふかふかのそれはさすが高級車、座り心地抜群である。


 静かに発進した高級車は俺がタクシーで来た道を戻り始めた。言われるがまま乗車したが、一体どこに向かっているのだろうか、と今更不安になり始める。


 と、そこで隣に座っていた女性が不機嫌そうにこちらを見ていることに気付いた。じ~っとこちらを流し目で見ているかと思うと、しゅん……と落ち込んだように肩を落とす。


「あ、あの……?」


「……私は姉です」


「……はい?」


「私はこの子の姉です!」


「……えっ!?」


 あね? 姉? ……って、まさか……


「お姉さん!?」


「そんなに驚くことないじゃないですか……これでも傷ついてるんですよ? 私」


「す、すみません! まさかお姉さんとは……病院に迎えに来たところから勝手にお母様だと勘違いしてしまいました……」


「多分そうだろうとは思ってましたが……まあ、良くあることですから気にしないでください。分かれば良し、ですよ」


 ふふっと上品に笑う女性の顔には、どこか寂しさのようなものが滲み出ているような気がした。俺の心中を察したのか、女性は綺麗に整えられた笑顔でそれを覆い隠し、もたれかかって眠る妹の髪を優しく撫でる。


 そこでふと思い出したように女性は妹から手を放すと、膝の上へ上品に乗せて俺を見た。


「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は西之園亜希(にしのそのあき)と申します。亜鉛の亜に希望の希と書いて亜希です。妹も居て紛らわしいので、亜希と呼んで下さい。あなたは?」


「あ、俺は……い、いえ、私は杉原蒼太(すぎはらそうた)と申します。青の意味のある蒼に太郎の太で蒼太です……」


 こんなに綺麗な女性と話したことのなかった俺は、動揺しまくりのたどたどしい返事しか出来なかった。

 そんな様子が可笑しかったのか、ふふっと優しく笑いながら亜希さんは穏やかな声で話を続ける。


「そんなにかしこまらなくても良いんですよ? 普段通りの会話で大丈夫。肩の力を抜いてください。ね?」


 にこりと笑い、透き通るような声で言いながらほんの少し首を傾けて、絹のような明るい茶髪がさらりと揺れる。

 女神としか形容できないその佇まいに、何故だか俺は酷く恥ずかしくなってしまった。


「は、はい。分かりました……」


 俺の言葉を聞いてもう一度だけ微笑むと、先程とは打って変わって亜希さんは真面目な表情を作って口を開いた。


「半ば強引に車に乗せてしまってごめんなさい。今私たちが向かっているのはこの子と私が住んでいる家です」


 そう言って澪ちゃんの髪に触れる亜希さん。

 その眼差しは優しさで溢れている。妹想いのお姉さんなんだな。


「いえ、それは構わないんですけど……どうして俺をそこに?」


「お礼がしたいんです。あなたが居なければ今頃澪がどうなっていたかと思うと本当に怖くて。……澪は一体どこに居たんですか?」


「駅の近くです。パジャマ姿で辛そうにしゃがみ込んでいました。……その場に倒れ込んでしまったので病院に連れて来た、というのがここまでの経緯です」


「そうでしたか……。今まではこんなことなかったのに……やっぱり我慢させてしまっているのね」


 我慢させている、というのが何を指しているのかは分からないが、すやすやと眠る澪ちゃんの様子は、先程の熱にうなされているときと比べて幾分マシになっているような印象を受ける。

 病院に連れてきて正解だったと、改めて自分の行動の正しさに安堵した。


「それはそうと、お勤め先に連絡を差し上げた方が良いですよね。電話を掛けて頂けますか?」


「あ、そうでした。ちょっと待ってくださいね」


 その後、電話を掛けると上司からお叱りの言葉を受けたが、長い説教が始まる前に亜希さんが電話を代わって話し始めた。

 今日あったことと、俺が自分の妹を助けてくれたのだということ、そして俺を責めないで欲しいといった旨のことを話していた。


 途中で俺に聞こえないように口元を隠して小声で何か話していたようだが、あれは一体何だったのだろうか。

 話が終わって電話を受け取り、もう一度上司と話すと、何やら上機嫌で気味が悪かったので、何を話していたのか聞くのはやめた。


 そしてその数分後、目的地に着いたようで車が止まった。

 黒スーツの男にドアを開けてもらい車を降りると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「で、で……」


 デカっっっっ!!


 と心の中で叫ぶ。

 なんと亜希さんと澪ちゃんは、想像を軽く超える程の超お金持ちだったらしい。


 屋敷がデカい。とにかくデカい。庭もデカい。なんか玄関の方にはメイドさんたちが両側に整列してるし。

 漫画かよって思うほどに信じられない光景だが、これが現実なのだから驚きである。

 すると、ひとりのメイドがこちらに歩み寄って来て、頭を下げた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。澪様もご無事ということで、安心いたしました」


「ただいま、裕子(ゆうこ)。このお方が助けて下さったの」


 亜希さんが俺を見る。裕子と呼ばれたメイドさんも俺に視線を向けると、警戒しているのか、じっと見つめてきた。

 何者か分からない男が突然屋敷に来たのだ、当然の反応だろう。


「裕子、この方……杉原さんは、信頼できる人です。道端に倒れ込んでいた澪を病院まで連れて行ってくださったの。失礼の無いようにしなさい」


「……承知しました。失礼いたしました、杉原様」


「い、いえ……」


 裕子さんは表面上は謝罪している様子だったが、まだ俺への警戒心は解いてなさそうだ。

 メイドさんってふわふわ優しいイメージだったんだけど、実際はこんな人も居るんだな。


「お父様はいらっしゃるかしら?」


「いらっしゃいません。旦那様はご多忙で、しばらく帰らないと仰っておりました」


「そう……」


 旦那様、ということは、この屋敷の実質的な主が亜希さんと澪ちゃんの父親なのだろう。

 どんな仕事をすればこんな屋敷が建つのか見当もつかない。石油王だと言われても信じるぞ。


「それでは、裕子は杉原さんを客室にお連れして。私は澪を部屋に寝かせて来ます」


「かしこまりました」


「杉原さん、お礼をさせていただく、と言いましたが、もう少し澪のそばに居てあげたいので待っていただいても構いませんか?」


「出勤する必要が無くなって急ぐ理由もありませんから、大丈夫ですよ」


「ありがとうございます……。また後でお会いしましょう」


 そう言って、亜希さんは澪ちゃんを抱きかかえた黒スーツの男たちと共に歩いて行った。


「それでは杉原様、ご案内します」


 残された俺は裕子さんについて行く。少々警戒されているようだ。


  ※ ※ ※


 無言の圧力を背中から感じながら裕子さんに付いて行く。

 客室は玄関のすぐ近くにあるらしく、すぐに目的地に着いた。

 ドアの前でピタリと止まり、裕子さんは俺の方を見た。


「ソファもベッドもご自由にお使いください。恐らく亜希お嬢様は澪お嬢様のそばからしばらく離れませんので、眠っていただいても問題ないかと思います」


「ほ、本当ですか? 助かります、最近睡眠不足だったので」


「それではお休みになられた方が良いかと思います。どうぞ、お入りください」


 立派な木製の扉を開け、裕子さんは頭を下げた。俺も軽く会釈をしながらその前を通り過ぎて部屋に入ろうとした……のだが。

 がしっと腕を掴まれたので何事かとぎょっとする。

 見ると、裕子さんが俺の腕を掴んでいるらしい。

 先程まで隠していた敵意を剥き出しにして、一言俺の耳元で囁いた。


「お嬢様に何かしたら、あんた、殺すから」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。裕子さんは腕から手を離し、ぱたりとドアを閉めたが、しばらく俺は麻痺した頭でドアを見たまま硬直してしまった。


「……ん?」


 待って、さっきあの人『殺す』って言った!? ねえ言ったよね!? え、もしかして元殺し屋とかそういう!? 戦闘メイドだったのかあの人!?


 というような一見バカげた思考がぐるぐると俺の頭を駆け巡ったが、考えてもみろ、裕子さんは『お嬢様に何かしたら』殺すと言っただけで、無条件に殺される訳じゃない。

 それに本当に殺される訳が無いだろ、嫌だなーもう。


 ……いや、待て。超お金持ちの家の常識を一般人の俺の物差しで測っていいのか?

 生命的にも社会的にも俺を殺す方法なんていくらでもあるはず。あれはただの脅しじゃない……?


 そこまで考えて俺は思考を止めた。

 だめだ、考えたところで仕方がない。そもそも寝不足でろくに思考もまとまらない。こういう時は寝るの一択である。

 そう考えた俺はコートとジャケットを壁のハンガーに掛けてベッドに寝転がった。何だこれ柔らかいな……。

 その数秒後、俺は警戒心もなくあっという間に眠りに落ちるのだった。


  ※ ※ ※


「ええ、その人が……あ、こら澪」


 なんだ? 亜希さんの声か……? 澪……ってことはもう澪ちゃんは良くなったのか……


 徐々に覚醒し始める意識。重い瞼を持ち上げて行くと、光が目を刺すように視界を白くする。

 眩しい……そして体には何かの重みが。

 その重さの正体を探るべく腕を動かす。う、結構重い。何が乗ってるんだ……?


「ひゃっ」


「……え?」


 可愛らしい声と共に何やら柔らかい感触が手に伝わってくる。

 そこで俺の視界は鮮明になった。

 胸の上にちょこんと馬乗りになった澪ちゃん。その胸には俺の右手が……


「……えっち」


「えっち!?」


 その言葉に俺は慌てて上体を起こした。「ひゃんっ」っという愛らしい声を上げながら澪ちゃんが俺の胸から転げ落ちるが、今はそれ以上にヤバいことがある。


 ……居た。裕子さんだ。部屋の入り口付近に裕子さんが居る。俺を見る目がさっきのそれとは明らかに違った。あれはゴミを見る目だ。確実に殺意に満ちている。


 やばいやばいと目を泳がせていると黒スーツの男二人と目が合った。やっちまったな、やれやれと言いたげにひとりはこめかみに指を当て、ひとりは首を横に振った。


 もうそれいいから! 分かってるなら助けてくれ!

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