いないサンタ
その後格ゲー交流会は数時間に及び、亜希さんはご満悦の様子だった。
そして玲花さんはと言うと、後半はプレイ観戦に回っていた。執事さん――若宮明仁さんというらしい――との勝負に勝つことが出来たので少し上機嫌で観戦していたのだが、ゲームでも若宮さんは攻撃を受けるたびに喜ぶだけで反撃はしなかった。
まあ、玲花さんが嬉しいならそれでいいんだが。
そして今日は翌日の日曜日。俺は久々にひとりで出掛けようと思っている。
お嬢様との外出ももちろん楽しいのだが、せっかく羽を伸ばせる休みが貰える環境になったのだ、たまにはひとりの時間も楽しみたい。
そういう訳で朝食を済ませた後、俺は準備を終えて玄関に向かっていたのだが。
「そうた、どこかいくの?」
玄関ホールの上、二階の廊下から声がかかった。振り返ると、とてとてと階段を下りて来るお嬢様が見えた。
「はい。少し外をぶらぶらして来ようかと思いまして」
「ひとりでいくの?」
「ええ、まあ」
「そうなの……」
お嬢様は口をつぐんで視線を落とした。その小さな手はペンギンルームウェアの裾をキュッっと握っている。
「そ、それじゃ俺行きますね」
玄関のドアに手を掛ける。そーっと振り返ると、お嬢様は歩いていたのかピタリと足を止めた。もう一度ドアに向き直ってさっと振り返る。お嬢様はまたピタリと静止した。
それを何度か繰り返す。
やはり少しずつ近づいて来ているようだ。
「あ、あの……お嬢様?」
恐る恐る声を掛ける。お嬢様はルームウェアを握り唇を尖らせてうつむいたまま、ちらちらとこちらに視線を送って来ていた。
「そうた、あのね」
「は、はい」
「わたしもいっしょにいっちゃだめ?」
両手の人差し指をつんつんと合わせながら、お嬢様は控えめに言った。
この可愛らしいお願いを無視できる人なんているのだろうか?
正直に言えばひとりで街を散策したいという気持ちはまだある。その方が気楽に、気の向くままに歩き回れるからだ。
しかし、こうして断られる可能性を恐れながらもお願いをして来たお嬢様の思いを無下には出来ない。
何より、水族館デートで分かったのだがお嬢様との外出は楽しい。
「いいですよ。一緒に行きましょう」
「いいのっ?」
お願いを聞き入れると、お嬢様はきらきらと顔を輝かせながら俺を見上げた。その様子に苦笑しつつもう一度頷く。
「はい」
「~~っ! ありがとうそうた!」
ご機嫌そうにルンルンと歩き出すお嬢様。そのまま外に出ようとドアに向かって来たので、俺はお嬢様の両肩にそっと手を置いて引き留めた。
「お着替えがまだですよお嬢様」
「はっ、そうだった。ペンギンさんおそとにはいけないんだった」
そう言ってくるりと体を反転させると、お嬢様はとことこと歩き出した。
少し遠慮するところはあるけど、こうしてみるとやっぱり普通の女の子なんだよな。
※ ※ ※
お嬢様が着替えた後、亜希さんに二人で出かけることを伝えた俺はお嬢様と街を歩いていた。どこにいるのかは分からないが、今日の護衛は及川さんらしい。
「そうた、あれなに?」
お嬢様が指差す方向に目をやると、そこには街路樹があった。大きな木にはぐるぐる巻きに電飾が取り付けられている。
「あれはイルミネーションって言うんですよ」
「いるみねーしょん?」
「はい。夜になると、あの小さな電球が光るんです」
「くりすますつりー? みたいなの?」
「そんな感じですね」
「ほえー……ちっちゃいのにすごいんですな」
お嬢様は木々を見上げながら、感嘆の声を上げた。
十二月も半ばに差し掛かってきたということで、街にはクリスマスムードが漂い始めていた。イルミネーションはもちろん巨大なクリスマスツリーや街に流れる音楽までクリスマス一色である。
「ああ、あった、ここですよ」
目的地に着いたことを告げる。すると、お嬢様は興奮したように声を上げた。
「あっ! 本屋さんだ!」
店内から漂う紙の香り。それは絵本に親しんでいるお嬢様にとって分からないはずも無いのだろう。
ずんずんと店内に入っていき、きょろきょろと辺りを見回す。軽い足取りで俺に向き直ると、待ちきれないといった様子で頬を紅潮させていた。
「そうた、はやくいこうっ」
「あ、お嬢様、あんまり離れないでください」
お嬢様がひとりで歩き始めてしまったので、慌てて後を追う。
目的地とは言ったが、別段何か本を買いに来たわけではない。新刊の漫画とか小説とか、そのうち買おうと思っているものはあるが、ブラック企業勤めだったせいもあり、長らく本を読む時間もあまりなかった。
そういう期間が長くなればなるほど、本を買う足は遠のいてしまうものだ。
ただ、本屋というのはただ歩き回るだけでも楽しいので、目的の無い散歩にはうってつけの場所でもある。
それに、絵本コーナーもあってお嬢様が退屈することも無いからな。
予想通り絵本コーナーを見ながら俺の前を歩いていたお嬢様だったのだが、突然足を止めた。
ある一点を見上げながら、その場に佇む。
「あの、お嬢様? どうかしましたか?」
「……そうた……たいへんなことがはんめいしたの」
「は、判明?」
お嬢様の視線を辿る。
すると、そこには『ペンギンのペンタ・トニック2』というタイトルの絵本が置かれていた。
間違いない。お嬢様が持っている絵本の続編だ。
「続編があったんですね……欲しいんですか?」
「……んー……」
そわそわと体を動かすお嬢様。
質問しておいて何だが、欲しいに決まっている。
しかし、果たしてここで買ってよいものだろうか?
お嬢様は純粋でとても良い子だ。ここでまたプレゼントとして買ってあげても、特に問題は無いのかもしれない。
ただ、それが本当にお嬢様にとって良いことなのか今の俺には判断が付かない。
教育の知識もろくに持ち合わせていないし、何より俺はお嬢様の執事だ。なんでもかんでも買い与えるのではなく、時には我慢してもらうことも必要なのではないだろうか。
そう考えた俺は、鋼の決意を持ってお嬢様を見た。
めっちゃ欲しがってる! なんかちらちら何度も絵本見てるし! やばい、買ってあげたい!
いやだめだっ。今決めたばかりだろう。ここは心を鬼にして、我慢するように説得しなければ……。
「お、お嬢様っ、今日は買いませんよ? 水族館でぬいぐるみを買ったばかりですからね」
「うん、わかってる……。そうたにばっかりあまえてちゃだめなの。せけんはそんなにあまくないってぺんたも言ってたから」
「うっ!」
世間とか難しい言葉を使っていることにもツッコミたいが、今はそれどころじゃない。
デカい。とにかくダメージがデカい。
しゅんと肩を落として「行こうそうた……」とトボトボ歩き始めるお嬢様を直視できない。
もうね、なんか口から血が出そう。世の親御さんたちってこんな辛い思いをしながら躾をしてるの!?
歯を食い縛りながらお嬢様の後ろ姿を追う。その背中はいつにも増して小さかった。
だめだ、これは俺の身が持たない。なにか、なにか良い方法は……。
と、そこでふと店内を飾っているサンタクロースの人形が目に入った。
「……お嬢様。良い子にしてたら、きっとサンタさんがお嬢様にプレゼントしてくれますよ」
我ながら名案だと思った。
何かのキャラクターに例えて「○○ならこういうとき頑張るよ」とか、「○○ちゃんはそういうの好きだと思うなー」とか、とにかく他人に頼る。
子供に限ったことではないが、そういう方が話を受け取りやすかったりするものだ。
お嬢様はゆっくりと振り返ると、疑っているような顔でおずおずと俺を見上げた。
「……ほんと? サンタさん来たことないわたしにもサンタさん来る?」
「……え」
予想外の返答に、俺は絶句した。
そろそろ大きな物語が動き始めることになります。
日常パートも織り交ぜながら、出来るだけ暗くなり過ぎないように書けたらと思っています。
それにしても、クリスマスってベタですが、物語のシーンを彩る上ではすごく良いですよね。




