思わぬ形で技が出ることもある
「いつの間にこんな部屋を作っていらしたんですか、お姉さま……」
部屋の様子を見た玲花さんが呆然と呟いた。
途中だった朝食を済ませた俺たちは、亜希さんが密かに楽しんでいるというゲーム部屋に案内されたのだ。
部屋にはいくつも棚があり、ボードゲームからテレビゲームまでゲームと名の付くものが大量に収納されていた。しかもレトロから最新のゲーム機器まで完備されているのだから驚きである。
「孤児院の子供たちと遊んでいると興味が出てしまって、自分で集めるようになったのよ……うっ」
亜希さんが口元を抑えながら答える。
結局あの後、亜希さんは焦げた卵焼きを半分ほどはひとりで食べきった。裕子さんと、それとその圧力に屈した俺も結局食べることになってしまったわけだが、食べられないわけではないが決して美味しくない卵焼き(もちろん口には出さないが)を食べるのは大変だった。卵の殻はもちろん入っていた。
卵焼きを食べて亜希さんは少し辛そうな表情だが、裕子さんは全く表情に出さない。食べるときも眉ひとつ動かさなかった彼女は、メイドの鑑だと思う。
「お嬢様、こちらを」
「ありがとう、裕子。それで、今からやるソフトは……」
ハンカチを差し出す裕子さんに礼を言うと、亜希さんはひとつの棚に近づいて行った。その中から平たいケースに入ったPH4ソフトを一本取り出す。
「これ! 『BLUEFIST』! 可愛らしいキャラクターも出て来る格闘ゲームなのよ」
パッケージの表をこちらに向けながら、楽しそうに亜希さんが言った。
『BLUEFIST』。2D対戦格闘ゲームで、アニメ調のキャラクターが特徴の人気タイトルだ。俺もやったことがある。
しかし格ゲーは練習してキャラの使い方がある程度分かるようになってから対人戦に臨むのがセオリーだ。俗に言うガチャガチャプレイでも技が出るには出るが、それでは大技はなかなか出せないだろう。
これで本当に玲花さんと勝負になるのだろうか? 恐らく彼女は格ゲー未経験者、それではあまりにもこちらに分があり過ぎる。
……まあ、玲花さんは得意の剣道で勝負を挑んで来たわけだが。
ちらりと玲花さんの方を見る。顔を近づけてまじまじとパッケージを見ていたお嬢様と玲花さんだったが、玲花さんはソフトから顔を離すと楽しそうに腕を組んだ。
「わかりました、これで勝負をしましょう。剣使いもいるようですしね。いいですか? 杉原さん」
玲花さんはこちらに視線を送って俺の意思を確認した。その眼差しにはどこから湧いて来たのか分からない自信がみなぎっていた。
もうそれがフラグにしか思えなくてなんだか心配だ。
「いいですけど、俺このゲームやったことありますよ? これじゃ俺に有利過ぎると思いますが……」
「問題ありません。私も剣道での勝負を持ちかけたわけですし。この程度の試練乗り越えて見せます」
「ならいいんですけど……」
もはや何を言っても聞きそうにない。
自分が不利であることは玲花さんも理解しているようだが、逆境に立たされる方が燃える質なのだろう、さっきよりも明らかに闘争心が増したように見える。
まあ、もしかしたら天才的な吸収力で俺が負ける可能性だってあるもんな。剣道で全国レベルになっている人だ、油断せずに本気で臨んだ方が良いな。
素人ほど何をして来るか分からないものだ。こと格ゲーに関しては俺のようなプレイヤーなら偶然出た大技とかハメ技でやられるかも知れない。
そんなことを考えていると、ハードとテレビを起動させた亜希さんがこちらに来た。その手にはコントローラーが握られている。
「それでは、まず私がお手本をお見せしますね。杉原さんはご経験があるみたいなので大丈夫かと思いますが、玲花は良く見ててね」
そう言って亜希さんは座椅子に座りゲームを起動した。少ししてタイトル画面が表示される。メインメニューに移りトレーニングモードを選択。
そこから、動かない相手を攻撃しながら亜希さんは玲花さんに説明を始めた。
各ボタンの役割からガード方法、技の出し方まで丁寧に伝授している。俺もそれを見ながら自分のプレイスタイルを思い出す。
一通り説明が終わると、動く相手に亜希さんがお手本を見せてくれた。
結論から言おう。亜希さんめっちゃ上手い。
次々と華麗に技を叩き込んでいく。無駄な動作が一切無い。
予想以上の上手さに唖然とする俺であったが、対照的に玲花さんはどこかわくわくとしていた。勝負するのが待ちきれないといった様子だ。
「それでは、やってみてください。玲花はこれを使って。杉原さんはこちらのコントローラーをお使いくださいね」
「ありがとうございます」
もう一つのコントローラーを受け取ると、裕子さんが座椅子を持って来てくれたのでお礼を言って座った。
「負けませんよ」
隣に座る玲花さんが自信満々の笑みを浮かべながら俺に言った。その様子に苦笑しながら頷く。
ゲーム画面に向き直る。対戦モードを選択してキャラクター選択画面へ。
俺は俊敏な動きが持ち味の忍者風短剣使い、玲花さんはセーラー服を着た女剣士を選択した。
そして数秒後、派手なエフェクトと共に対戦が始まった。
「ふふふ……どこからでも掛かって来て構いませんよ?」
弱攻撃をジャブ代わりに連発しながら玲花さんが前後に動く。
恐らく牽制をしているのだろうが、俺の使っているキャラには全くもって意味がない。
何故ならば、この忍者キャラは飛び道具が使えるからだ。そのことを玲花さんが知らないのは無理もないが。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「ええ、いいですよ……って、ちょっ、ちょっと! 飛び道具なんて卑怯ですよ!」
ピュンピュンと飛んでくる飛び道具を弱攻撃で迎え撃とうとする玲花さん。
しかしその行動は残念ながらシステムに組み込まれておらず、ただ単にもろに攻撃を食らっているだけだ。
「こ、これくらい打ち落としなさい! 何のための剣ですか!」
「お嬢、ガードですよ、ガード」
「が、ガード!? そ、そうでしたっ」
執事さんの助言でガード方法を思い出したのか、玲花さんはレバーを進行方向の反対に倒した。俺の攻撃はガードの前になす術なく弾かれていく。
「ふ、ふぅ。危ないですね。なかなかの攻撃でしたが、もう通用しませんよ!」
嬉々として見切った感を出しながら玲花さんが言った。
口が裂けてもさっきのはただの牽制技だなんて言えない。
常時ガード状態になった玲花さんに遠距離攻撃が通用しなくなったので、仕方なく俺は女剣士に近づいて行った。
「さあ、私の鉄壁の防御を崩せるかしら? ……って、わぁ!?」
俺が仕掛けたガード無効の投げ技を受けて玲花さんが驚きの声を上げる。次いでそこからコンボを開始した。
「お、女の子を投げ飛ばすなんて、なんて卑劣な……! あ、ちょ、やめてください!」
見る見るうちに玲花さんのキャラの体力ゲージが減っていく。
「す、すみません……」
「あー!」
少し申し訳ない気持ちになりながらも、俺はフィニッシュを決めた。
ぐたりと倒れた女剣士の前で、忍者キャラが勝利のポーズ見せる。
「……な、なかなかやりますね。で、でも、もう次はありませんよ?」
なおも自信ありげに答えると、玲花さんは画面に向き直った。
第二ラウンドが始まっても、玲花さんはろくに反撃も出来ないまま防戦一方の展開となった。「わぁー!」とか「あぁー!」とかいろいろと声を上げるたびに申し訳なくなってやりづらかった。
そして第二ラウンドも難なく勝利し、俺の勝ちが決まった。
玲花さんは呆然と画面を見て固まっている。
「も……もう一回……」
そう呟くと、玲花さんはキッと睨むようにして俺を見た。先程まで漂っていた自信は明らかに無くなっている。
「もう一回です!」
そうして再試合が始まった。
※ ※ ※
その後再試合どころかたっぷり五戦もやることになってしまったのだが、結果は俺の全勝。玲花さんは少しも善戦することなく、呆気なく敗北した。
「あ、あの、玲花さん……」
ぐったりとうつむく様子が心配になって声を掛ける。
すると、玲花さんがゆっくりと顔を上げて唇を尖らせた。
「……もういいもん……もうやらないもん……」
「……え?」
――ええええ!?
玲花さんは涙目になりながらぐすんと膝を抱えた。
これは俺が泣かしてしまったということなのだろうか? というか、さっきまでの勢いはどこに行ったんだよ……。
助けを求めて周りを見てみる。亜希さんたちは別段驚く様子もなく、「困った子ね」と呟いて苦笑いしていた。
……ということは、これが普通……? 実は泣き虫の女の子だったの……?
「あ! ペンギンさんいる!」
俺が言葉を失っていると、突然お嬢様が声を上げた。見ると、キャラクター選択画面の方を指差していた。
「ああ、そうでした。このゲーム、ペンギンのキャラクターがいるんですよ」
お嬢様に言われて思い出したが、確かにこのゲームにはペンギンのファイターがいる。地面を滑ったりくちばしでつついたりと、とにかくトリッキーでテクニカルな操作が求められる難しいキャラだ。
「わたしもやっていい?」
「え、ええと……」
首を傾けながらお嬢様が聞いて来る。亜希さんの方を見ると、「いいですよ」と笑って言ってくれた。
「わかりました。どうぞ」
「わーい!」
コントローラーを譲ると、お嬢様は俺の膝の上にちょこんと座った。
「ちょ、ちょっと、お嬢様!?」
「ぺんぎん、ぺんぎん」
俺の言葉を意に介さず、お嬢様は嬉しそうに体を左右に揺らしながらペンギンを選択した。次いで、玲花さんの方を見る。
「れーかちゃん、いっしょにやろ!」
ご機嫌な様子でお嬢様が言う。その様子を見た玲花さんは、お嬢様が俺の膝の上に居ることに目くじらを立てることなく、しおらしく「うん」と頷いた。
もしかすると、お嬢様は玲花さんを元気づけるために行動してくれたのかもしれない。
お嬢様はそういう所が見えているんだよな。実は玲花さんよりもお嬢様の方がしっかりしているのかもしれない。
※ ※ ※
結論から言おう。
お嬢様めっちゃセンスありました。
玲花さんは相変わらずボコボコにされて増々落ち込んでしまった。
「六歳の妹に負けるなんて……」と沈んでしまった様子にオロオロとしていたお嬢様だったが、「ごめんね?」という上目遣いの一言であら不思議。玲花さんは元気になりましたとさ。
そして今は亜希さんと裕子さんが熱戦を繰り広げていた。亜希さんがペンギンを使っているということでお嬢様は興味津々で見入っている。
「あ、あの、玲花さん、大丈夫ですか……?」
先程までの子供のような落ち込みようからは回復していたが、さっきまで泣いていたということもあって玲花さんの目元は赤くなっていた。
それを俺に見られないようにするためか、ぷいと顔を背ける。
「お見苦しいところをお見せしました。……もう大丈夫です」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。玲花さんはお嬢様の方に視線をやると、落ち着いた様子で静かに話し始めた。
「あの子、あんな風に笑うんですね。今まで見た笑顔が嘘だったんじゃないかって思うくらい、きらきらしてる……」
どこか遠くを見ているようにも思えるその視線に、俺は慎重に言葉を選んだ。
「……前は、あんまり笑わなかったんですか?」
「いいえ。……でも、どこか無理して笑っているような雰囲気はありました」
「そう……だったんですか」
お嬢様の方を見る。その笑顔は、どこからどう見ても無邪気な子供の笑顔で、年相応のものに見えた。
「だから……少しは認めてあげます」
「え……?」
予想外の言葉に思わず聞き返してしまう。玲花さんはなおも顔を背けたままだ。
「……あなたが澪の執事であること。……きっと、あの子の笑顔はあなたのおかげですから」
その言葉に、なんだか温かいものを感じた。胸の中に流れ込んで来たそれは、俺の心を優しく包み込んだ。
こんな俺でもお嬢様の役に立てている。それが素直に嬉しかったのだ。
「そ、そうなん……ですね……」
むずがゆい思いに駆られながら、どうにかそれだけ口にする。
「そうたー! 一緒にやろ!」
「あ、はい!」
どうやら亜希さんと裕子さんの戦いが終わったらしい。結果は亜希さんの勝利のようだ。
お嬢様を笑顔に出来ている。そんな執事としての小さな自信を抱きながら、俺はお嬢様の元へと歩み寄った。
これで無事、蒼太は執事を続けられそうですね。
泣き虫のお姉さんとしっかり者の妹、というはっきりとした構図とまではいきませんけれども、お互いがどこかで支え合っている姉妹のようです。




