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前回までのあらすじ
『勇者の母』となるため現代日本から異世界に召喚された双子の咲と幸。
宰相のヨハンシュトラウスに連れられ、『勇者の父』候補として予言に記された同じ日に生まれた五人の王子にとりあえず会いに行くことになる。
威圧的な第一王子とやる気のない第二王子。勇者の父となった者が次期国王になると聞いて、当然のように二人を側妃に迎えようとする第一王子に咲は反発する。
第三王子はアルガイア王と異国の女性との混血で、何故か幽閉に近い生活を送っているが、本人は優しく親しみやすくて咲は心許していく。
幽閉生活の理由を聞くと、宰相のヨハンが途中で遮り・・・
「・・・それで、いつになったらトリシュの話をしてくれるの?」
館から出て、ただ黙々と歩いた。宰相の後をついて、誰も一言も話さず。
痺れを切らしたのはやはり咲だ。
「もう少し、人気のない所に行ってからと思いましたが・・・」
「もう充分、ひと気なんてないわよ。森の中じゃない」
周りを見渡すと木、木、木。森なのか林なのか厳密には分からないが、とにかくこんな所にそうそう人が来るとも思えない。
「もう少し先に東屋があるのですけれど。そこで話をしようかと思っていますが」
「もういいわよ。別に私は立ったままでも構わないから」
そんなことより早く聞かせろと、急かすのに重い息をつく。
「そんなに、あの方が気に入られましたか?」
「気に入った?・・・っていうのはちょっと違うけど。まぁ、優しいし」
この世界に来て立て続けに理不尽とぞんざいな扱いに晒されて荒んでいたところだったから、その優しさは沁みた。ただ話を聞いてもらうことが、ただ相槌を打ってもらうことがこんなにも嬉しいなんて。
妹は分身だから、全くの他人に聞いてもらうことに意味がある。
「さて、何からお話しましょうか・・・」
今日何度目になるか分からないため息をついて、ヨハンは口元を軽く手で覆う。
「第三王子の母君が異国の方であるというのは聞かれましたね?」
「ええ、海の向こうの南の国から来たと」
「その国はトリガルディアと言いますが、今から20数年前に我が国との戦争に敗れた敗戦国なのです」
この世界では敗戦国は戦勝国に隷属するのが習わし、全てを搾取され、民は奴隷のように扱われ、戦勝国の良いように使われる。それが慣例であり運命なのだと告げた。
「そんな・・・っ」
「幸い、今の王はお優しい方で、過剰な搾取や奴隷としての徴収などはしませんでした。代わりに、王の妻を人質として差し出させたのです」
当時南の国の王と血の連なる年頃の女はいなくて、仕方なく人妻ではあったがその女が選ばれたのだと語った。
「当初、王は手をおつけになるつもりはありませんでした。いかに美しかろうと他人の、王族の妻です。あくまで人質だけのおつもりでした。けれど、女は必死でした。この国で生き延びる為に、人として見てもらう為には子を宿さねばと思い詰めていたようです」
夫のある身でありながら本当に愛しているのは貴方だと甘く囁き、ふしだらなほどの誘いさえ厭わなかった。
二人の間にどんな遣り取りがあったのかは宰相である彼には分からない。しかし、日に日に妄執に狂っていく美しい女はひどく憐れに映った。
「王は、一度だけ情けをかけられました。それで彼女が落ち着くならと、そう期待したのです。ところが・・・」
そのたった一度でできてしまった。産まれてしまった。しかも、予言の5人の王子の一人として。
「本来、王位継承権のない方というのはそういう事情です」
異国の王族の血を引くものが、まして敗戦し隷属国の王族に連なる者が、この国の王になるなどと臣下どころか国民でさえも誰も認めはしないだろう。
「今も、臣下や国民たちの精神を逆撫でしない為に、ああして離宮に留まっていただいています」
「留まってるって・・・それって幽閉じゃないの!」
「悪く言えばそうかもしれませんが、これは第三王子やその母君らを守るためでもあるのです」
これは王の汚点だ、この国の恥だと言って憚らない者もいる。憂いは早めに除くべきと奏上する者も少なくない。だが、生まれた子が予言の第三王子となってしまったのだから、そう簡単にはいかない。
「勇者の父として選ばれるかどうかは分かりません。しかし、選ばれれば大変なことになります。国は乱れ、王制を倒すという話にもなるかもしれません。それは避けねばならない。でも、だからこそあちらは必死になって貴女様方に取り入ろうとするでしょう」
勇者の父になれれば王になれる。この国が手に入る。隷属された祖国も開放してやれる。
しかし、勇者の父になれなかった時に待つのは・・・ただ殺されるだけにあきない、見せしめの・・・
ぞくりと背が奮えた。想像するだに恐ろしい現実。
あんな花が綻ぶような笑顔の王子と重すぎる事情が結びつかなくて混乱する。
「とても事情の複雑な方で、貴女様方に会わせることすら危ういとされていました。けれど、貴女様方は勇者の母となる予言の者。公平に王子を紹介するのが私の仕事です」
だからあの場では何も申し上げず、会話にも混ざりませんでしたと告げる。それがせめてものヨハンの誠意だったのだ。
「そうですか。なるほど、この話は王子の側から先に聞いていたら印象が大きく違った話になっていたでしょうね」
どんな切り口で語るかは分からない。しかし、大したことのない会話だけであれほど咲を懐柔したのだ。涙ながらに身の上を話し、周りに不信感を与え、俺を信じて欲しいと言われれば、咲は一切他の話を聞かない風になっていたかもしれないと幸は零す。
「でも、そんなの・・・トリシュは何も悪くないじゃない」
なんでそんな風に扱われなきゃいけないのと、呟きは嫌悪と怒りに満ちている。
「『情けをかけた』って何よ。結局美人にスケベ心だしただけじゃない!それをトリシュのお母さんが誘惑したのが悪いみたいに言って」
「咲ちゃん!」
妹が諫めようとするが、咲の慟哭は収まらない。
「子供ができるのは親二人の責任でしょ!それを一方的にお母さんを悪者にして幽閉して、何をするか分からない奴だから気をつけろなんて疑って!王様だか何だか知らないけど、アンタ達の行動の方がよっぽど恥ずかしいわよ!」
一気に捲し立てて肩で息をする。宰相はただ黙って、その誹りを受けていた。
「私は男ですから、第三王子の母君の気持ちは分かりません。まして王の臣下ですから、王を非難することは許しません」
例え貴女様でもと鋭い眼差しで射貫く。
「やはり、会わせるのは止めておくべきでしたか・・・この短時間でそこまで肩入れされるとは思いませんでしたが」
情に厚いところが咲の良点であり、妄執的に入れ込む危うさが致命的な欠点でもある。
宰相のこれ見よがしのため息にいら立ちを湧かせる。
「少し冷静におなり下さい。この国にはこの国の、王族には王族の事情があるのです」
どれほど願っても、祈っても、どうしようもない事情というものがあるのだと。
「王様でしょ!そんなのぱぱっと命令すれば終わりじゃない」
「そのように簡単なものではないのです!」
王命とは絶対。臣下として必ずその言は果たさねばならぬこと。王のわがままや身勝手で下していいものではない。
それがどれほどの重さか分からぬ小娘に軽んじられては我慢がならない。
「な、何よ。怒鳴らなくても」
そもそもアンタたちがトリシュに酷いことしてるのが悪いんじゃない!とこっちも意固地になる。
「私、トリシュに話を聞いてくるわ!」
「咲ちゃん!」
駆け出そうとしたのを引き留めたのは妹の幸だ。存外強い力は振りほどけない。
「離して幸、私は・・・」
「話を聞きに行くなら私も一緒に行くわ。でも今日はダメ。冷静にならないと王子の話術に取り込まれてしまうわ」
「でも私は!トリシュを信じたいの!」
離して、行かせてと半狂乱に叫ぶその姿は常なる姿ではない。
「咲ちゃん、咲ちゃん!落ち着いて!なんだか変よ、あなた・・・」
「私がしなきゃ!私しかトリシュを救ってあげられないのよ!」
邪魔するなら例え幸でも・・・と言いかけてハッとする。見開いた目に今にも泣きだしそうな妹の顔が映る。
「ごめん、幸・・・違うの。今のはその、言葉のアヤみたいなもので・・・」
しどろもどろと呟く。焦る彼女の前で幸は頬を膨らませ、唇を噛んで小さく奮える。
「違うのよ!本心じゃなくてね、その・・・つい、勢いで・・・」
ごめん幸と頭を下げるが、知らないと呟いて彼女はそっぽを向く。
「・・・これが、王が第三王子の母君に手をお付けになった理由ですよ」
何やら急に荒唐無稽な事を言われて「は?」と頭を巡る。いや、今それどころじゃないんだが。
「何言ってんのよ、アンタ。大丈夫?」
「まぁ、信じる信じないは勝手なのですが」
私はいたって正気ですよと眉間の皺を深くする。
「第三王子の、その母君の王族には不思議な力があるそうです」
そのうちの一つに、『言葉で人を操る力』があると語る。
「先ほどサキ様が、本来ユキ様に対して言うはずもない事、心にもない事を口走ったり、おかしなくらい肩入れして、非難されると擁護して激昂するなど」
おかしいとは思われませんか?との言葉が刺さる。確かにあの時は『トリシュの為になんとかしてあげなきゃ』とその思いが強かった。それはもう世界一大切な幸を忘れるほどに。
そんなことありえない。ましてやそれがついさっき会ったばかりの男だというのだからますますおかしい。
「王も彼女との間に子ができればとんでもないことになると分かっていました。国の為にも、彼女らの為にも、あってはならない。それを誰よりも分かっていたはずなのに」
間違いは起きてしまいましたと唇を噛みしめる。長らく権力争いに揉まれてきた人だ。そんな悲劇を予測できないはずがない。いかに相手が美しかろうと、情にほだされようと本来過ちを犯す人ではないと語り口は強い。
しかし日頃の行いが災いし、誰も信じないのだと呟く。いや待って、今一瞬で王様の印象がバグったんですけど。
「でもさ、ここは魔法の使える世界なんだから、そのくらいできるんじゃないの?」
その軽い呟きは、大きなため息にかき消される。
「貴女様方が魔法をどう思われているのか分かりませんが、けして万能なものではないのです」
そのような超高等精神干渉魔法を使える者はもはや人間ではありませんと勢い込む。
「待って、その言い方だと人間じゃなかったら使えるように聞こえるわよ」
「もちろんです。人族でなければ使える者もいます」
「でもトリシュは人族よね?」
「そうです」
だからこそ不気味なんですと宰相の声色にただならぬ雰囲気を感じる。
「魔法とは違う力のようだと宮廷魔術師たちは申しておりました。残念ながら、第三王子やその母君には『そんな術はない』と一蹴されました。一応、王より術を使うことは禁止されているのですが・・・」
どのようにして発動しているのか分からないので、使っていないと言われればそれまでなのですと苦く零す。
「でも私、トリシュの話はちゃんと聞きたいと思う。
例え洗脳に近い術を使われるのだとしても、彼の事情をきちんと彼から聞きたいと思う。国の事情とか異世界の事情とかそんな重くて大きなものに首を突っ込む気はないけれど、友達として彼が悩みを抱えているなら聞きたいし、できることがあるならしてあげたい。
お節介だと、しかし宰相が笑うことはなかった。
「どんな事情があろうと、あの方も陛下の大切なお子なのです。貴女様方がお心配り下さるなら、また別の道も開けるかもしれません」
私たちにはできないことがと呟いて遠くを見つめる。
「お友達でいいの?咲ちゃん」
妹がこっそりと耳打ちしてくる。
「お友達でしょ?」
「そうね、まだ今はね」
人生初のカレシになるかもしれないよと意味深な笑いに頬を膨らませる。ああそうか、これはさっきの仕返しだなと気づく。
彼氏どころか子供を産むこと前提の旦那候補だが。
「お二人とも、次の王子の所に参りますよ」
「はい、ほら咲ちゃん早く!」
捕まえようとした腕をするりと抜けて妹は先に立って歩き始める。
先程までの焦って切羽詰まった様子が消えた姉にほっとしながら、幸は第三王子の得体のしれない力に恐れを抱いた。