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前回までのあらすじ
『勇者の母』となるため現代日本から異世界に召喚された双子の咲と幸。
宰相のヨハンシュトラウスに現状の説明を受け、『勇者の父』候補として予言に記された同じ日に生まれた五人の王子にとりあえず会いに行くことになる。
威圧的な第一王子とやる気のない第二王子。勇者の父となった者が次期国王になると聞いて、当然のように二人を側妃に迎えようとする第一王子と反発した咲は。
「咲ちゃん、もう止めて」
「止めないでよ幸!ああもうあの高飛車王子、ムカつくったら!」
叫んで木の幹に拳を叩きこむ。また一本、樹齢数十年の木がご臨終になった。
「止めて咲ちゃん、これ以上は・・・」
損害賠償を請求されるかもしれないわとの妹の言葉にピタリと拳が止まる。
「私たちこの世界のお金なんて持ってないのよ」
この木なんて一本幾らするのかとの現実的な発言に咲の闘気が萎んでいくのを感じる。さすがは妹。この状態の姉ですら扱う術を心得ている。そんな現実的な所が妹の長所であり、短所でもある。
「だ、大丈夫よ。私たち勇者の母っていう大切にしなきゃいけない存在なんだだから」
さっきから一つ覚えのそれを繰り返すのは、他に寄る辺がないからだ。先ほど第一王子に論破されたようにそんなものいかほどにも思わない輩も少なくないことだろう。しかしそれしか身を守る方法がないと自分でも分かっているから、繰り返す。
それはまるで自分に言い聞かせるように。
それに、まだ勇者の母になると覚悟を決めたわけでもないのにいい訳に使うのは憐れにすら見えた。
「サキ様、ユキ様」
「はいぃ!ごめんなさい!」
そんな遣り取りをしていたせいか、名を呼ばれただけで思わず謝ってしまう。宰相の姿を確認して咲が漏らしたため息は、安堵に彩られていた。
「お怪我はありませんか?」
また随分と見晴らしが良くなりましたねと遠くを見通すしぐさをするのに言葉を詰める。
「ご、ごめん、なさい・・・」
お金は払えませんと紡ぐと宰相はお金?と首を傾げる。
「まぁ、そもそもモノリス様の言い方が悪かったのですし」
「そう、よね・・・」
言い方が悪かっただけで内容には言及していないのだが、咲はどこか安心した風だ。
「けれど、第二王子様も特に何も仰いませんでしたね」
幸の言葉に宰相は笑みを貼り付ける。ぶっちゃけアレだけ騒いで寝てられるとしたらその神経は大したものだが、第二王子が起きていたことに気づいていたとしたら、起きているのに会話を止めるでもなく続けさせていたのだと知っていたとしたら。そして、それが分かっていて自身も二人の間に入ることをしなかったのだとしたら。
物理では姉が脅威だが、妹の方は精神的な脅威になりそうだと息をつく。
「少しお休みされますか、それとも?」
次の王子への面会を暗に促すのに、目を剥く。
「まだ続けるの?」
「勿論です」
あんなことがあっても、今日中に会わせるという予定は揺るがないらしい。というかこの宰相には予測済みだったのかもしれない。
しばらくにらめっこを続けていたが、やがて咲が吐き捨てるような息をつく。
「・・・ほかの王子はマシなんでしょうね?」
「主観の問題ですね」
「どういうこと?」
何と比較してマシなのかはあえてつっこまないでそう返すが真意は咲には通じていないようだ。妹はその隣で困った様に眉を寄せる。
「次は第三王子の所に参りましょう」
王宮への道へ取って返す彼は、唐突に何かを思い出したように振り返る。
「ところで一つお伺いしたいのですが」
「何?」
「貴女様方の世界では、一夫一妻制なのですか?」
その言葉に目を瞬かせる。答えたのは幸の方だ。
「世界で言うと色々ありますが、私たちの育った国ではそうです」
「・・・なるほど」
宰相はそこからだったかと小さく呟く。この感覚のズレは割と致命的だ。まして日本の様に貞淑を良しとする文化なら複数妻は耐え難い苦痛となる。
また一つ難儀が増えて、宰相の眉間の皺も増える。
「第三王子様は、本来なら王位継承権など持てない方なのですが、偶然にもこの状況になり息巻いてらっしゃる方です」
先程の王子様方とは違うベクトルで大変になるかもしれませんというのにげんなりとした顔を見せる。
「そういうの憂鬱」
「お察し致します」
絶対そんなこと思ってないだろと付き合いの短い二人にも分かるようなことをしれっと言ってのけるところが恐ろしい。けれど二人にとって今のところまだ信用できるのもまたこの人なのである。
「『本来なら王位継承権がない』というのは何故なのですか?」
「ああ、それは・・・」
言いかけて口ごもる。
「いえ、やはり私の口から言うべきではありませんね」
お会いになってみれば分かりますと浮かべた笑顔がうさん臭く見える。
「貴女様方に先入観を与えてはいけませんから」
5人の王子は公平にご紹介せねばとそんな殊勝なことを言うが時すでに遅し。既にここまでの情報で要注意域に上ったのは間違いない。
これもこの宰相の手口なのだろうと幸はひっそり息をつく。
「まだ着かないの?」
「もう少しですよ」
何度この会話を繰り返しただろうか?この宰相の『もう少し』は一体何kmなのかと胸倉掴んで問いただしたくなる。
中庭を抜けて歩くこと十数分。まさかこんなに歩くことになろうとは思いもしなかった。
宮殿は王族の私室、生活空間だけでなく、執務室や会議室、謁見室、牢屋、宝物庫、騎士の修練所や詰め所、食事処も何もかもあるのだから当然広いに決まっているのだが、つまるところ「王族の家」というざっくりとした概念が咲の感覚を狂わせる。
「こちらです」
「随分、歩いたわね」
建物を抜けて行った先、ぽつんと小さな館があった。小さいとは言っても彼女らの家と道場を足したくらいは裕にある。
「こちらに第三王子はお住まいです」
「こんな離れた所に?」
咲はなんで?と疑問符を回しているが、幸は「あ」と小さく呟いて口を噤む。
「第三王子とその母君は我々とは違う生活をしていらっしゃいますので」
これはかの方々の為なのですというのを幸がじとりと睨むように見つめている。
「失礼致します。第三王子は御在室でいらっしゃいますか?」
お目通りを願いたいとの言葉に門番はお待ちしておりましたと恭しく敬礼する。
「ねぇ、咲ちゃん。この人・・・」
「うん。そうだね」
その門番の肌の色は浅黒く、顔立ちも宰相たちとは異なっていた。彫りが深く、エラが張って厳つい。加えて豊かな髭が更にその貌を強面に引き上げている。
明らかに今まで見てきた、会ってきたこの世界の・・・いや、この国の人々とは顔の造りが違うと感じる。
門番だけじゃない。その館の中の人は誰も、男も女も老いも若きも、一様に肌の浅黒さと顔立ちの彫りの深さが目立った。
この世界で、この国で出会った人たちは咲たちの世界で言うところのアングロサクソン系、白人系の顔だ。対してここの人たちは咲たちのような東洋系の顔立ちでもない。所謂自分たちの世界のアラブ系の顔というのが一番しっくりきた。
「つまり、第三王子って・・・」
「ハーフってこと?」
異世界にも自分たちの世界と同じように幾つもの国があると聞いた。ここはそのうちの国の一つ、アルガイア王国なのだと。
この世界には他にも国があって、そこには自分たちの世界と同じように肌の色や目の色や顔立ちが違う、つまり人種が違う人たちが住んでいるのだろう。
第三王子の母はその他国から来た人なのかもしれない。
「でもなんでこんな隔離されたところに住んでいるのかしら?」
「咲ちゃん、しっ」
恐らく咲に悪気はこれっぽっちもないのだろう。だが幸にはそれは口にしてはならない発言に感じられた。
「よろしいのですよ、お嬢さん」
「しかし・・・」
「むしろお気遣いいただきましてありがとうございます」
その遣り取りを見られていたことに恥ずかしさと気まずさを感じたが、今更取り繕えるものでもない。
「姉が失礼を申し上げました。代わりましてお詫びいたします」
「え?私?」
「どうぞお顔を上げてください。気にしておりませんから」
言われて幸が深々と下げていた頭を上げると、その双眸にエキゾチックな美貌が飛び込んできた。肌の色はここの人たちと同じように褐色をしているのに、その顔は綺麗に整っていて、適度な彫りの深さが目鼻立ちをすっきりと見せている。明るい色の髪がその褐色の肌を艶めかしく見せている。
「こちらが第三王子でいらっしゃいます」
「こんにちは、異世界の麗しいお嬢様方。俺はトリニーダ・サー・アルガイアです」
貴女様方のご訪問を歓迎しますと綺麗な微笑みを浮かべる。
「こんな遠くまで来てくださってありがとうございます。お疲れでしょう?ささやかですが茶や菓子を用意いたしております」
立ち話もなんですからどうぞと促される。席まで手を引かれ、座る時には椅子を引いてくれる。スマートなそのエスコートは正に理想の王子像。
「お心配り、ありがとうございます」
「いえ、私など兄上様方に比べたら大したこともできませんので」
お楽しみいただけていれば幸いですと爽やかな笑顔がとにかく眩しい。
「そんなことないわ。むしろあのお兄様たちに見習わせてやりたいくらいよ」
苦々しく言うのに幸は内心で深くため息をついて、横目で宰相を見る。宰相はまるで聞いていない風に静かに茶を口に運んでいる。咲が何を言おうと、第三王子が何を聞き出そうと、口を挟む気がないらしい。
「兄上様方と、何かあったのですか?」
「それがさぁ、ひっどいのよ」
咲はついさっきあったことを怒りのままに第三王子にぶちまけている。第三王子は話術に長けでおり、驚きや相槌を混ぜて、自然に咲から話を引き出している。
「はぁ、ありがと。もやもやしてたのがすっきりしたわ」
聞き上手ねとの言葉に綺麗な笑顔を返す。
「そんなことありませんよ。サキ様のお話し方が良かったのです。私が聞くことでご気分が晴れやかになられたのなら嬉しいです」
第三王子が聞き上手というより、咲が乗せられやすいだけというべきか。途中で何度か制止しようかとも思ったのだが、斜め向かいの宰相がその度に射るような視線を送ってくるので断念せざるを得なかった。
「アナタ、いい人ね。気に入ったわ」
「ありがとうございます。俺もほっとしました。勇者の母君になられる方が話しやすい方で良かったです」
私たちいい友達になれそうねと咲が手を差し出すと、第三王子は少し困ったような顔を見せて「そうですね」と力なく笑った。
「そういえばアナタも、この館の人は皆、肌の色が濃いのね。顔の造形も少し違うみたいだし」
「ああ、それは私の母がこの国の人ではないからですよ」
海を挟んだ南の暑い国から来たんですと言うのにへぇと返す。
「じゃあやっぱりハーフなのね?」
「いえ、違いますよ。俺は人族ですから」
「ん?でも異国の方同士の間に産まれたのよね?」
それをハーフって言うんじゃないの?と聞くと目を瞬かせる。
「ああ、この世界では『ハーフ』とは異種族間の混血のことを言うんですよ」
「異種族?!」
そうだったここはゲームやアニメやお話にあるような、ファンタジーの世界だったと改めて思いだす。
「異種族ってどんな人がいるの?」
「異種族をご覧になったことはまだありませんか?そうですね、色々います」
獣人族とか妖精族とかエルフ族とか、とこれまたゲームの世界で馴染み深い呼称がつらつらと上げられるのに目を輝かせる。
「そういう種族を越えた混血がハーフになるので、俺は人族と人族の間の人族です」
国が違う程度の混血に特に名などありませんと次ぐ。
「じゃあ、第三王子は・・・」
「あの、サキ様・・・失礼なことだとは存じますが」
言いかけたのを遮られる。眉を寄せて困った様に目尻を垂れさせる表情が罪作りだ。
「なぁに?」
「その呼び方を、止めていただけませんか?」
できれば名前でお願いしますと恥ずかしそうに目を泳がせる。
「じゃあ、トリニーダ・・・様?」
「様はいりません。それに貴女様方の方が立場は上なので。トリニーダなのでトリシュと呼んで下さい」
瞬間、宰相のティーカップがカシャンと軋む音を立てる。失礼と小さく咳払いをして、会話を続けるように促した。
「じゃあ私のことはサキと呼んで」
「分かりました。サキ様」
「同じよ、様はいらないわ。それに敬語も必要ない」
「分かりました。でもこの丁寧口調は王族としての癖なので、これはご容赦下さい」
「そぉ?」
王子って大変ねと息をついたその傍らで、宰相もまた大きな息をつく。
いきなり王族が初対面の相手に愛称で呼ばせるとは。幾ら相手が結婚相手候補の異世界の娘だからといって迂闊すぎるとヨハンは内心で零す。けれど、あえて忠告はしない。
「それでは、我々はそろそろお暇しますよ」
会話の区切りでようやく宰相が言葉を発したのに、幸は小さく肩を跳ね上げる。
「もう、行ってしまわれるのですか?」
寂しいですと捨てられる子犬のような目をする。ぎゅんっと咲の胸の辺りが軋んだ。
体格は上の二王子より良いのだが、甘いマスクとこういう表情に庇護欲を駆り立てられるようだ。
「大丈夫よ、またすぐ来るから」
「来て、下さいますか?」
「もちろんよ」
むしろ私の方がアナタと話したいのと咲は息巻いている。
「ありがとうございます。嬉しいです」
大柄の男なのに小さな花が飛ぶような笑顔を見せる。
「俺はこの館から出られないので、ぜひまた来てください」
その言葉に違和を覚える。
「アナタ、この館から出られないの?」
三番目と言えど王子なのに?と訝しむのに、悲し気に目を伏せる。
「どうしてそんなことに?」
今度は私が聞く番だから話してちょうだいと優しい言葉をかけると、第三王子は上目遣いに咲を見つめる。
「気にかけて下さるのですか。サキはお優しいです」
「友達だもん、当たり前よ。なんでも話して」
アナタの力になりたいのというその笑顔はこの世界に来て一番輝いていた。
「実は・・・」
「それは、後で私からお話しましょう」
躊躇うように何度か口を開いたり閉じたりした後、意を決したように語りだした第三王子の言葉に被せるように宰相が声を発する。ここにきてほとんど喋らなかった宰相が、不自然に声を上げた事に若干の驚きがあった。
それは「余計なことを言うな」という牽制に聞こえる。
「私は王子の口から聞きたいのよ」
アンタには望んでいないわと喧嘩ごしの咲を妹が諫める。
「聞くな、とは申しておりません。だがまずは私の方から説明する義務があるのです。これは王命です」
珍しく強く言って、一つ息をつく。
「まずは私の話を聞いてから、それからトリニーダ様のお話をおうかがい下さい」
でなければ貴女はきっと、私の話など聞く耳も持って下さらなくなりますからと言った言葉は珍しく沈んで聞こえる。
「・・・さっきアンタは私たちに『先入観を与えたくない』と言ったわよね?」
「そうですね」
「なのに今度は王子の話を前に先入観を擦りこむ気なの?」
その言葉に宰相の身体が一瞬目に見えて強張って、ついで大きなため息とともに弛緩する。
「・・・そんなこと、致しませんよ」
声には疲れなのか、明らかに低く沈んだ様子が伺える。
「私はあくまで王の命で王の代わりに王子様方を紹介する役を担っただけです。事実しか申し上げませんよ」
また一つ大きな息をつく。
「それでも私が信じられなくて、トリニーダ様の話をどうしても先に聞きたいと言うのなら、お好きになさいませ」
諦めか、突き放すような冷たい物言いに聞こえた。咲が言葉を発するより前に、それまでとにかく静かだった幸が言葉を挟む。
「私は、宰相さんのお話を先に聞くわ」
「ユキ様・・・」
「え?なんで幸?一緒にトリシュの話聞こうよ」
当然一緒に行動すると思っていた咲は酷く驚いたようだ。
「咲ちゃんは第三王子様と先にお話すればいいよ。私は宰相さんに先に聞くから」
だってここまで案内してきてくださったのは宰相さんだからとその言葉を受けて、咲は唸って頭を掻く。
「あー・・・じゃあ私も、幸と行く」
ごめんねトリシュ、またすぐ来るからとそう謝った時、一瞬王子の紫の目に陰りが見えたような気がしたのだけれど。
「分かりました。またお越しになって下さるのを心よりお待ち申しております」
輝くような笑顔に陰りは照らし潰された。