第八話 再契約と魔猪退治
俺に魔物を操る能力があると知ったのは、魔物狩りを始めてすぐの頃の事だった。弱い魔物に襲われて死にそうになった時、思わず手を突き出すと体の中のマナが俺と魔物の魂を結びつけた。それで、俺は魔物を操れることに気づいたのだ。そのあと、神父さんの紹介で学者を紹介してもらい、俺には自分と魔物の魂を魔力パスでつないで魔物を操ることができることが判明した。操れる魔物が近くにいるとき、心臓が熱くなって動悸が起こることも、その時にわかった。
(まさか、俺はあのボルゲアをテイムできるのか?)
もしボルゲアをテイムできるとしたら、いつもそうしてしまうように、ボルゲアに大量のマナを流し込んで殺せるかもしれない。
「俺が、ボルゲアを討伐する……」
モークア王国からは追放されてしまったが、この魔獣の森は別の国にも接している。ボルゲアが悩みの種になっている国にとっては、ボルゲアの首は是が非でも欲しいはずだ。
それなら、ボルゲアを殺し、魔獣の森を抜けてまだ俺に罪状をかけていない国にボルゲアの首を持っていけば、俺は自分の人生をやり直せるかもしれない。報酬や賞賛を受けて、英雄のように扱ってもらえるかもだ。
その考えに至った時、俺の体はもう動いていた。未だ激しい戦闘を繰り広げるボルゲアと少女の間に躍り出て、右手をボルゲアに差し向ける。
「何を考えているのです! 下がりなさい!」
「俺に任せろ! テイム!!」
夜の闇を貫くように、右手から青い光線が飛び出した。魔物と自分の間にマナを通す回路を設ける橋渡しの光だ。これが魔物に命中し、そのまま魔物が青く発光すれば俺と魔物の間に主従の契約が成立したことになる。
果たして、青い光は命中した。ボルゲアが怯んだように動きを止め、赤い光が巨体を包み込んでいく。
「やった!」
俺は思わずそう叫び、ボルゲアの半分を光が包んだことで勝利を確信した。そうして魂をつなぐ魔力パスからマナを大量に流し込まれれば後は動けなくなって体が壊死していくのを待つだけ。そう判断した俺は次にボルゲアの首をどうやって切り落とすかに意識を向けた。
向けて、しまった。
「危ない!」
少女の絶叫。突き飛ばされる体。視線を向けると、凄まじい巨体が少女を無慈悲に跳ね飛ばしていた。
俺の期待と油断をあざ笑うかのように青い光はとっくに消え去っていた。そして少女の体が乱暴に地面に叩きつけられると、ボルゲアは追い打ちをかけるように少女を無慈悲に踏みつぶしていた。
「うわあああああ!!!」
夢中で叫んだ俺はもう一度テイムを放った。ボルゲアが怯む。俺は辛うじて抱き上げられるだけの体が残っていた少女を抱き上げるとそのまま走った。
「ああ!!」
その瞬間、足元から地面の感覚が消える。崖だ。真っ暗な森の中を闇雲に走ったせいで目の前の崖に気付けなかった。そうしてそのまま俺は自分の身長の五倍はありそうな高さの崖から転がり落ちていく。
幸いにも女の子はうまい具合に俺の体をクッションにすることができた。だが
「き、君! 大丈夫か!? 怪我は───」
少女の体を見た俺は、あまりの様相に言葉を失った。月明かりのように白く滑らかだった肌は血と泥汚れに染まり、ボルゲアの巨体に内臓を踏みつぶされ、砕かれた白い骨が皮フを突き破ってしまっている。
助からない。そう直感してしまうほどに致命的な大けがだった。
「あ、あああ」
俺のせいだ。罪悪感と後悔で体の震えが止まらない。俺がボルゲアをテイムできると思い込んで先走ったりしたから。功名心に駆られたりしたから、この少女にこんな大けがをさせることになった。
死んでしまう。俺のせいで人が、女の子が死んでしまう。
「お、おい君! しっかりしろ!」
それなのに、俺にできることといえば、そう言って励ますのがせいぜいだった。俺には人の傷を治すような手段などなく、レヴィスに持ち物を取られたせいで治療薬すらも持っていない。結局、今の俺には目の前の少女が死んでいくのを見ているほかなかった。
「かはっ……申し訳……申し訳ありません……ご主人、さま……」
無力な俺の腕の中で、呼吸しているだけで苦しいはずの少女がうわごとのように繰り返していた。ご主人様。誰なのだろうか。何をそんなに謝っているのだろう。
「何か……何か手は……」
心臓が早鐘のように脈打つ。自分を落ち着かせようと胸に手を置いた時、おれはようやく心臓がまた熱くなっていることに気が付いた。
心臓が熱いのは近くにテイムできる魔物がいる証拠。しかしあたりを見渡してみても魔物を含めそれらしい生き物は見つからない……目の前の少女を除いて。
「ご主人様……ご主人、様?」
少女が目を覚ます。だがかなり消耗しているらしく、俺をご主人様であるらしい誰かと間違えているようだ。
「あ、あなた。ま、まだ逃げていなかったの、ですか? 早く逃げて……」
「……失敗したら済まない。一か八かなんだ」
一つ、頭の悪い無謀な賭けとしか言えない思い付きが俺の頭をよぎった。それは、彼女を魔物としてテイムすることだ。
魔物が死ぬと俺も動けなくなるのは、魔物の状態が契約した俺にも反映されるのが理由だ。だから、魔物が死ぬと俺も死ぬほど苦しくなる。
ということは、その逆もあり得るのではないか。つまり、俺の状態が彼女に反映され、彼女が回復する可能性もあるのではないか。
だがこれは、苦し紛れの思いつきもいいところだ。彼女を助けるどころか、彼女の死に引っ張られて俺まで死ぬ可能性は十分にある。しかし、しかしだ。
「このまま、何もしないで見ていられるかよ……!」
それでも俺を突き動かすのは、もっと根源的な衝動だった。自分の生き死にすら、それの前にはどうでもよくなる。同時に、俺はその衝動に覚えがあったはずだったが、今はそれを思い出せない。
だが、悠長に思い出す暇もなかった。ボルゲアの唸り声が大気と木々を揺らしてここまで響いてきたからだ。少女もただでさえ白い肌が蒼白になるほど血の気が失せていき、顔からは生気が失われていく。もう迷っている時間などない。
「テイム!」
右手を差し伸べてテイムを発動させる。ボルゲアの時とは違い、見る間に青い光が少女を包み込んでいく。そして次の瞬間、いつも感じるマナを抜き取られる感覚がやってきた。
すると、奇跡が起きた。なんと見る間に少女の身体が修復されていき、体はおろか服までもが元通りに戻っていくのだ。そしてすぐに意識を取り戻した少女も、これには目を見張って驚いた。
「んっ、はぁ、すごい。お礼を申し上げます。これで十分……え?」
「なんだ!? と、止まらない!!」
少女の身体はもう完全に元通りだった。しかし、俺の意思に反してマナの放出が止まらない。調整が出来ないとはいえ出すか出さないかは操れるはずだったが、今はとめどなくマナがあふれ、それが全て少女へと注ぎ込まれていくのだ。
「このマナ……この感覚……まさか、あなた様は───」
少女が目を丸くして俺を見た。俺が何なのか聞こうとした瞬間、地響きが鳴り、地面をへこませるほどの重量でボルゲアががけから飛び降りてきてそれどころではなくなった。
だが、少女のほうも既に万全にまで回復していた。機敏な動作で立ち上がり、「隠れてください!」と一言いい残すと、少女はボルゲアに向かっていった。
「す、すごい。さっきよりも善戦していないか?」
驚くことに、彼女に起こった奇跡は肉体や服装、武器の修復だけではなかった。先ほどまではボルゲアと互角だった少女が今度はボルゲアを上回る挙動と破壊力で圧倒しているように見える。明らかに彼女の身体能力が強化されているのだ。
だが。なぜだろうか、俺にはあと一歩足りないという確信があった。このまま時間をかければ夜明けまでにボルゲアを仕留められるだろう。しかし、それでは時間がかかりすぎる。何より、彼女の力はこんなものではない。無根拠だが、俺にはなぜか確信があった。
右手を開き、宙を自在に舞う少女へと向ける。俺の目ではその挙動を捉えるのも難しいのだが、今は不思議と彼女が近くにいるような気がした。どれだけ激しく動いても、どれだけの距離を隔てていても、彼女たちとの繋がりは絶たれていない。なぜだか、そんな感覚がしたのだ。
(って、何を考えているんだ俺は?)
頭の中の妙な考えを振り払い、少女との魔力パスに集中する。今なお俺の体からは彼女へと魔力が流れ続けており、それが彼女の力を支えている。流れる魔力量を増やし、それに彼女が耐えられれば彼女の力はもっと上がるはず。
「んっ……く、はぁ!」
喘ぐように少女が叫んだ。動きを止め、あろうことかボルゲアの目の前で無防備になってしまう。
「しまった!」
また判断を間違えた! そう思ったその瞬間だった。
「遠慮はいりません! もっと注いでくださいませご主人様! 我らがハーディン王!!」
ハーディン。彼女が叫ぶその名前を聞いた瞬間、俺の中で何か今まで閉じていたものが開いた気がした。そしてその直後、先ほど契約した時よりもさらに多くの魔力が一斉に少女へと流れ込んでいった。
「ああ、この力! この魔力!! 見ていてくださいませご主人様! あなたに勝利を!!」
ハイになった少女が爆発的な魔力を放ちながら夜空高く舞い上がる。深紅のメイスを月に掲げると、鮮血のような赤いオーラが少女の全身を覆った。速度を上げてボルゲアへ突撃するその姿は、まるで赤い牙のようにも見える。
「紅牙の鉄槌!!」
一撃。そこから放たれた衝撃波が枯れた木々がなぎ倒していく。その中で、不思議と俺だけは静かにたたずんだまますべてを見届けることが出来ていた。
少女が立ち上がる。その姿は夜空をバックに初めて見た時よりも大きく見えた。
「ご主人様! やりました!」
「ああ。そうみたいだな───」
喜色満面にはしゃぐ彼女に答えようとした俺だったが、俺自身の脳はすでに限界を迎えていた。加えてマナをごっそり持って行かれたせいか視界がぐにゃぐにゃと歪んでいるように見える。
「ご主人様!!」
遠く、こちらへ駆け寄る少女が俺にそう叫んだ気がした。