第五話 疑われない悪評と救いのないリンチ
俺が教会を出たころにはもう町の住民は目覚めており、朝市が活気づく時間帯になってしまっていた。急いでこの町を出なければならない俺は、見つからないように教会でもらった服についていたフードを目深にかぶった。
朝市には無数の人がごった返している。野菜を売りに来た者、衣服に使う布を見ている者、朝食を屋台飯で済ませる者……様々な人だかりができている朝市の中に、ひときわ大きな人ごみが出来ていた。あまりの人の集まりように周りの道までふさがってしまい、周囲の建物から人が身を乗り出して見ている。
何事かとつい興味をひかれた俺は、そこで信じられない言葉を耳にした。
「号外! 号外だよ! 勇者パーティーからあの悪名高い魔物使い、カインが脱走! この町に潜伏中との情報が入った! 詳しいいきさつが載った号外は残り二十部! 早い者勝ちだよ!」
「なっ!?」
俺の耳に飛び込んできたのはそんなとんでもない言葉だった。新聞売りが派手な売り文句を謳い、それに引き寄せられた人々が新聞売りの周りに集まっている。
「一部くれ!」
「うそでしょ、あのカインが勇者様の監視下から逃げ出したなんて……」
「あいつ魔物使いなんだろ。もし魔物の軍団か何かを作ってこの町を襲うつもりだったら……」
新聞売りに煽られて人々が不安げな声を上げる。俺は万に一つも誰かに見つからないように屋台の影へと身を隠して様子を伺った。
どうやら人々のうわさは新聞の記事を火種にどんどん尾ひれがついて言っているようだ。魔物の軍団を作っているのではないかという噂も、あっという間に俺が魔物を率いて王都を襲撃し、国家転覆をもくろんでいるのではないかというとんでもない話へと広がっていく。もはや俺が自分で出て行って無実を訴えても収拾がつくようには思えなかった。
(と、とにかく今のうちにここを離れないと……!)
「ん? なぁにしてんだ兄ちゃん、こんなところでこそこそと」
急いで離れようとした俺だったが、運悪く赤ら顔の酒臭い酔っ払いに絡まれてしまった。騒ぎになるため振り払う事もできず、大人しく酔っ払いが満足するのを待つしかない。
「いや、なんでもないです。すみませんけど急ぐので……」
「おうそうだ兄ちゃん、いいもん見せてやるよ、ほら」
「いや話を――」
なんとか酔っ払いを振り払おうとした俺だったが、酔っ払いが取り出した紙束を見て釘付けになった。なんとそれは、今まさに目の前の新聞売りが手にしている号外だったのだ。
「今日の号外だ。うらやましいだろ? 俺はもう読み終わったから200ウルバーで売ってやってもいいぜ」
「ふざけんな。もともとは75ウルバーだろ」
「あ、そう。じゃあ本当にいいんだなカインさん?」
「お前! この―――」
酔っ払いの顔がにやりと歪む。こいつ、酔っ払いの癖に俺がカインだと見抜いてすり寄ってきたのか。レヴィスのパーティーに入る前からこの町には住んでいたし、俺の顔を知っている奴がいてもおかしくはない。
目の前のにやけヅラに鉄拳を叩き込みたくなる衝動をこらえて俺はしぶしぶ200ウルバーを支払った。神父からもらったなけなしの金だったが、背に腹は代えられない。酔っぱらいは200ウルバーを受け取るとフラフラと路地へと消えていった。
「くそ……」
腹立たしくてならない。しかし今更酔っ払いを追いかけるわけにもいかない。観念した俺は酔っ払いに押し付けられた号外に目を通した。なけなしの金をむしり取られた分をせめて取り返したかったし、今レヴィスたちがどうしているかを知ることが出来るかもしれないと思ったからだ。
だが
「なんだよ……これ―――」
見出しを見て数秒で俺は号外を読もうと思った自分を呪った。悪名高い魔物使い、カインが勇者レヴィスから脱走した。ただ人々の耳目を集める為だけに大げさに言っているのだろう思っていたことが、そっくりそのまま真実として号外には記載されていたからだ。
悪辣な魔物使いのカインは勇者レヴィスの監視下にあったものの、以前から問題行動ばかりを起こして反省する様子はかけらもなかった。しかし昨日の夜とうとう同じパーティーメンバーの女魔術師リンカを強姦しようとしたところで勇者レヴィスが割り込んで阻止したもののレヴィスはそのまま逃亡した……というのが記事の内容。言うまでもないがデタラメだ。
しかし、人々は号外を手にしてこれに書いている記事をそのまま信じ込んでいるようだった。人々の喧騒の中から声が聞こえてくる。
「まったく、前々から勇者様が忠告してくださっていた通りじゃないか!」
「勇者様も大変だよ。魔物使いなんかに振り回されてかわいそうに……」
「今朝も勇者様がカインを探し回っていたぞ。俺たちも勇者様を手伝ったほうがいいんじゃないか?」
「……は?」
困惑に目の前がぐるぐると回るようだった。前々からレヴィスが人々に忠告していた? 今朝もレヴィスが俺を探していた? 一体、何が起きている? 俺の悪評を流していたのは、いったい誰なんだ?
だが、困惑する俺を置いていくかのように人々の喧騒は過熱していく。号外の記事と新聞売りの扇動。しかもなぜか以前から流れていたらしい無根拠な噂。それらが混然となっている。
「皆さん! 話を聞いてください!」
突然、広場に若い男の、それも俺にとっては忌々しい声が響き渡った。何事かと驚いた群衆が広場の一段高い場所に立っている男に視線を向けた。もはや言うまでもない。俺を追い出した勇者レヴィスだ。
「すでに号外が出回っているかと思いますが、魔物使いのカインが私のパーティーを脱走しました! すべて私の不徳の致すところであります。しかし! 一刻も早くあの危険人物を取り押さえなくてはなりません!」
舌鋒鋭くレヴィスが叫ぶ。その態度だけを見れば、悪人を取り逃したという自分のミスを告白して頭を下げ、自らの名誉は顧みず人々に警告を促す誇り高い勇者に見えた。
「このようなお願いをすることは大変申し訳ないのですが、どうかお願いします! 悪しき魔物使い、カインを捕縛するために皆様のお力を貸してください! 一刻も早い逮捕のために!」
拳を振り上げて力強くレヴィスが叫んだ。それに呼応するように群衆のボルテージが一気に上がり人々が次から次へとカインを捕まえようと走り出す。その光景に身の危険と集団の狂気を感じた俺は「あ、ああ……」と声にならない悲鳴じみたものをあげるのがやっとで、恐怖に動かなくなりそうな足腰に鞭打って、あの集団とレヴィスから離れようと必死で動くのがやっとだった。
だが、それがいけなかったのだと俺は後で後悔することになる。慌てて立ち上がったせいでまず体のバランスが崩れた。そのまま走り出したので今にも転びそうになっている。
「魔物使いのカインを捕らえろ!」
「捕まえて勇者様のもとへ引きずり出せ!」
「探せ! 匿うやつを許すな!」
そしてその最悪のタイミングで、レヴィスに煽られた人々が雄叫びのように俺への悪意を叫んだ。その剥き出しの敵意に俺は身がすくみ、たちまちバランスを失って派手に転倒した。そして運悪く、俺が転んだ先には割れやすい陶器を売っている屋台があったのだ。
屋台に俺の体が衝突する。所狭しと並べられた陶器がいくつも屋台から落下して派手な音を立てながら砕けた。
「テメェなんてことしやがる!」
「すみません! すみません!」
激怒した店主に平謝りするが今の俺には弁償する金も謝っている時間もない。一目散に逃げようとするが店主の太い腕にガッチリと掴まれてしまった。
「ごめんで済めば衛兵はいらねぇだろ!」
「後で弁償しますから離してください! お願いです!」
「ふざけてんのかテメェ!」
俺が何を言っても店主の耳には届かない。そして、店主と揉めている間にレヴィスに賛同した人々がこの騒ぎを聞きつけてしまった。
「見ろ! カインが屋台を襲っているぞ!」
「捕まえろ! どんなことをしてもいい!」
「武器になるものを持って来て! 近くに魔物を潜ませているかも!」
あっという間に俺は取り囲まれた。そして、人々が手にした麺棒やホウキ、刃物までが飛んできて滅多打ちにされる。
「やめて……頼むから、もうやめてくれ……」
か細い俺の頼みが聞こえるはずもなく、嵐のような激痛と暴力の中で俺は意識を失った。