第十話 四千年前の敗北
朝食が終わった後、俺はエリーの案内を受けて城の中を見て回っていた。城内は広く、数百人を一度に収容できる食堂に、食事を賄えるだけの広さの厨房。兵舎や練兵場はそれ自体が一つの宿場町かと見まごうほどの広さを誇っている。
「めちゃくちゃ広いな」
「はい。最大で二万人がこの城で働いておりました。ウラル王国は周辺の国々は次々と平定していったので、ご主人様が住まわれる城も威光を示すために自然と大きくなったのです」
自慢げに語るエリーに先導されて城内を歩く。だが、俺が驚いたのは城の広さよりも、城自体が四千年の時を経ても風化した様子がないことだった。魔獣の森の中にあるウラル王国の遺跡はどれもボロボロなのに、これはどういうことなのだろうか。
思い切ってエリーに訊いてみるが、帰ってきたのは案外あっさりした答えだった。
「はい。最初は私の使う『帳の加護』という防御結界で城を守っていたのですが、二百年ほどでマナが不足してしまいました。なので、それ以降はわたくしが城の補修を繰り返していたのです」
「まさか、四千年の間ずっと?」
「はい」
簡単にそう彼女は答えたが、俺は絶句した。彼女は途方もない年月の間、ずっとこの城を管理し続けていたのか。
「すごいじゃないか。たった一人でこんなに広い城を管理し続けるなんて並大抵のことじゃない」
「ご主人様のお留守を預かる者として当然の務めを果たしたにすぎません」
謙遜しつつも、俺に褒められたからかエリーは誇らしげに胸を張った。生真面目な人物なのかと思ったが、褒められると素直に喜ぶというかわいらしい一面もあるようだ。そして、彼女はその得意げな表情のまま言葉をつづけた。
「他の神獣たちは城を出ていきましたが、このエリプマヴ、最後までご主人様に付き従う覚悟でございます」
「そうか……あれ? 他の神獣たちはみんな出ていったのか?」
彼女は一人でこの城を守っていたと言っていた。しかし、ハーディン王と契約した神獣は十二体。なら、他の神獣はどこに行ったのか。
そんな俺の問いかけに対して、エリーは申し訳なさそうに顔を曇らせながら答えてくれた。
「残念ながら、神獣たちの多くはウラル王国ではなくご主人様に忠誠を誓っておりました。したがって、ご主人様が居なければここにとどまる理由もないと姿を消したのです」
「そうだったのか。でも、それならエリーはウラル王国じゃなくてハーディン王自身に忠誠を誓っていたんだな」
「その通りでございます。他の神獣たちの事情も理解はできますが、わたくしは何千年たとうともご主人様をお待ちする覚悟でおりました」
「す、すごいな。報われるかどうかもわからないのに待ち続けるなんて」
俺が感嘆するとエリーはますます得意げになった。褒められるのが好き、というよりは俺に褒められるのが好きなのだろう。
「はい! では次に謁見の間を案内して差し上げます。あそこは前世でご主人様が一番よくつかわれた場所。そこならば、何か思い出せるかもしれません」
ステップを踏みそうなほど浮かれているエリーの後をついていく。その間もエリーは俺の前世がどんなに素晴らしい王だったのかを熱弁していた。
しかし、その話を聞いても俺の中には何かを思い出すこともなければピンとくるものもない。次第に俺はエリーの話を聞きながら自分の身の振り方を考えていた。
(行く当てがないのは事実……でも、俺がハーディン王だって言われても何の実感もない……)
エリーが熱を上げるのと反対に、俺の頭は冷めていた。このままでいいのだろうか。そんなことを考えながら歩いていた時だった。
「あれ? なんだ、こんなところに通路だなんて」
ふと地下に続いている階段が目についた。階段の先は暗く、まるで大きな生き物が口を開けているかのようだが通路の先からはほのかに光が漏れている。
「エリー、この通路は……」
エリーに訊こうとしたが、いない。どうやら俺が通路を見ている間に先に行ってしまったようだ。
「まあ、いいか」
道はよくわからないが、中に入って迷いそうなら戻ってくればいい。エリーもそのうち俺が居ないことに気づいて戻ってくるだろう。そう考えた俺がとりあえず中に入ってみると、この通路がますます奇妙なことが分かった。
まず、光源がない。通路は明らかに地下なのに、たいまつをさしておくフックも、ろうそくをともしておく燭台もない。古い城だからかとも思ったが、それにしたって真っ暗な通路を作る意味はないように思える。
とはいうものの、俺が視界確保に困ることはなかった。なぜなら
「なんだ? 青い光……?」
この通路の中は、青色の光で満たされていたからだ。光の色は俺が使う魔力パスの色にも似ており、通路を進めば進むほど明るくなっていくようだ。さらに、通路の奥からはなんだか懐かしい気配がする。その気配に、俺は前世を思い出せるような何かがあるかもしれないと考え先へ進むことにした。
「ここは……広間か? なんだか薄気味悪いな……」
そうして進んだ一本道の先は、小部屋になっていた。中央には台座があり、そこには俺が夢で持っていたものと全く同じ真鍮の杖が刺さっていた。
他に何かないかと見回すが、小部屋には特に何もない。杖もただ台座に刺さっているだけですぐにでも触れそうである。しかし、俺は杖に手を伸ばすのをためらった。魔法の罠が仕掛けられているかもしれないからだ。
レヴィスのパーディーにいた頃は、よく魔物を操って遺跡に仕掛けられた罠をチェックさせられていた。その経験から部屋を怪しんだ俺が一度戻ってエリーを連れてこようかと思ったその時だった。
「ご主人様!」
「うわっ!?」
突然後ろから叫ばれて俺は体をこわばらせた。振り返るとそこには息を切らせてこちらに駆け寄ってくるエリーの姿があった。
「エ、エリー?」
「お姿が見えないので心配してお探ししたのです。まさか、この部屋にいらしたなんて!」
「な、何かまずかったか?」
「むしろ逆です! この部屋が開いたということは、やはり正真正銘のご主人様ということ……」
エリーが恍惚の表情でいう。訳が分からない俺はとりあえずこの部屋は何なのか、あの杖は何かを説明してほしいと頼んだ。
「ここはご主人様の杖を封印している場所でございます」
「俺の杖?」
「はい。その名を『号令の杖』。人語を解さない神獣と意思疎通をするために、ご主人様が女神アステナより授かった杖でございます。また、強力な力を持つ神獣に対して自在に命令することもできるので、悪人の手に渡らないようにこの場所で厳重に封印し、生まれ変わったご主人様でなければ開かない魔法をかけています」
それを聞いて俺はボルゲアと互角に争うエリーの姿を思い起こした。なるほど、神獣がみんなエリー並みの強さを持つのなら、その神獣を操れる杖を悪人に渡すわけにはいかないのだろう。
「なるほど……ところで、神獣は人間の言葉がわからないのか? 人間の姿をしているのに?」
「わたくしたちは最初からこの姿をしていたわけではございません。ご主人様が死の間際に、わたくしたちに変身魔法をかけて人の姿を与えたのです」
「なるほど。そういえば、夢の中のエリーはコウモリの羽を持つ大猿って感じだったな。でも、なんでわざわざ変身させたんだ? 跡継ぎ……自分の子供に任せるわけにはいかなかったのか」
これで、彼女がどうして人の姿をしているのか? という疑問が晴れた。しかし同時に、それ以外の手段はなかったのかという疑問が新たに湧き上がった。だが、その疑問をエリーにぶつけると、彼女は顔を曇らせると答えにくそうに言いよどんだ。
「エリー?」
「申し訳ございません。ご主人様にお世継ぎはなかったのです。お世継ぎを得る前に、亡くなられてしまったので」
「王様だったのに、子供が出来る前に死んだ? 戦死したとか、病気にかかったとか?」
子供ができるより前に死んだのなら、そのくらいしか理由が思いつかない。まさか正妻やめかけが一人もいなかったというのはありえないはずだからだ。
しかし、エリーが語ったのは戦争や病よりももっと恐ろしいものの存在だった。
「……ご主人様は、忌まわしい魔王から私たちを逃がして亡くなられたのです。だから跡継ぎはいなかったのです」
魔王。魔物の王と呼ばれるそれは、俺も父親から寝物語に聞かされたことがある。大昔にこのウラル地方に現れ、国を荒らし人々を虐殺して回った恐ろしい怪物であると。
しかし、エリーが語るのはそんなおとぎ話の怪物ではなく、四千年前に確かに存在した災厄の存在だった。
「ご主人様の治世の頃、魔物を率いてウラル王国に戦争を仕掛けた魔王が現れました。それでご主人様は軍隊を派遣したのですが全て返り討ちにされ、とうとうご主人様自ら十二神獣を率いて魔王討伐に向かわれることになったのです」
「でも、俺は死んだ。てことは、魔王に負けたのか?」
「いいえ、正確には相打ちです。負けそうになった魔王は、結界で私たちを閉じ込めると自爆して自分ごとご主人様と十二神獣を葬ろうとしたのです」
「自爆したのか!? でも、だとしたら時間なんかとても足りないんじゃ……」
話によれば、ハーディン王は死の間際にエリーたちを逃がして人間の姿に変身させ、さらに転生して帰ってくると遺言を残したことになる。魔王がいきなり自爆したとしたら、時間の猶予があったようにはとても思えない。
だが、エリーが語ったのは俺の予想を上回る衝撃的な理由だった。
「あらかじめ、そうなったときの準備は整えられていたのです。ご主人様は、ご自分の死をあらかじめ知っておられたのですから」
「自分が死ぬのを知っていた!? どういうことだ」
「十二神獣の中に、未来を予知できるイアリムという者がおります。そのものが、ご主人様の死を予知したのです」
当然、神獣イアリムからそれを教えられた家臣たちはハーディン王に、魔王討伐に行かないように引き止めた。しかしハーディン王は引き止める彼らにこういったという。
「『民草を守るのが自分の使命だ』そう言ってご主人様は魔王討伐へ赴かれました。ですが、事前に様々な準備を整えられたのです」
「準備っていうのは、君たちが人間に変身する準備か?」
「はい。それに加えて、死亡した際に発動する転生魔法を自分にかけた上で戦いに臨まれたのです」
魂をそのままの状態で保存し、違う新しい肉体に宿らせるのが転生魔法であるとエリーは語った。つまり、俺と彼女の契約が保たれていたのも、この隠し部屋の仕掛けを作動させることができたのも、俺がハーディン王の生まれ変わりだから。ひいては転生魔法のおかげだったというわけだ。
「ずいぶん周到だな……ところで、あの杖は俺がもらってもいいものなのか?」
「もちろんでございます! どうぞ、お手に取ってくださいませ」
興奮気味にエリーが答える。早速俺は杖を握ると台座から抜こうとした。しかし
「ッ!!」
「ご主人様?」
弾き飛ばされるように飛びのいた俺に、エリーが困惑した様子で尋ねた。しかし、俺は彼女に答えることが出来なかった。
あの杖を握った瞬間、頭の中に知らない記憶が洪水のように流れ込み、自分が自分でなくなる気がした。そのことに恐怖した俺は慌てて杖から手を放したのだが、嫌悪感は消えず、心を落ち着けるのにしばらくかかったのだ。
「その……杖はまた今度取りに来よう。またいつでも開くんだろ?」
「はい。この部屋はご主人様が望めばいつでも開くようになっております。では、城の案内を続けましょうか?」
「ああ。頼むよ」
俺の指示に従って、エリーは素直に部屋から出てくれた。しかし、俺は既に焦燥感に駆られていた。
ハーディン王の生まれ変わりなら抜けるはずの杖が抜けない。それは俺がハーディン王の生まれ変わりでないことを意味するのではないか。
もしエリーに城から追い出されれば俺は魔獣の森で野垂れ死ぬしかない。どうか彼女が俺を見限らないようにと祈りながら俺は小部屋を出ていった。




