隣町の事変
「知ってる?知ってる?もう知ってる?!」
サササッと俺の前に回り込んで行手をふさいだのは、こいつのことは幼なじみの腐れ縁と言ってもいささかの問題もない、西野茜。
情報通をきどってて、将来は雑誌記者かジャーナリストを目指すんだと、どうやら本気で決意しているらしい、行動派な女子だ。
「何をだよ」
バスケ部の朝練が終わって、数分だけでも机に突っ伏して惰眠を貪りたかった俺は、ぶっきらぼうに応じた。
「その様子じゃ知らないね?知らないね?」
「早く言わないなら、予鈴まで寝るからな」
俺は無視を決めこんで、机に突っ伏した。
茜の声は、俺の頭の上から降ってきた。
「隣の中学で女子がひとり行方不明になったそうなのだ。それも、もう一週間ほど経っていて、警察は公開捜査に切り替えるってさー」
俺は、ガバッと起き上がった。
「警察がらみの情報なんて、どこから仕入れて来たんだよ」
「ニュースソースは、ひみつ秘密♪」
茜は俺の前で人差しをチッチッチっと、横に振りながら、
「うちの学校でも保護者会が開かれるかもよ?開かれない場合でも、部活動自粛、下手したら集団下校になるかもよ」
と言った直後舌をペロリと出し、「さすがに集団下校はないかなー」
自分の頭をゲンコでコチンと打った。
ほどなくして朝のホームルームが始まり、
担任は、隣町の中学校で、俺たちと同学年の女生徒が、身の回りの物を一切持ち出さず行方不明になり、
ただスマホだけが女子と一緒に消えていること、
事件性のある無しはわかっていないが、もし何か心当たりがあったら、すぐに教えてほしい旨を、俺たちに伝えた。
それでいて、肝心の女生徒の名前は伏せられたまんまだった。
「しばらくは部活動は自粛、生徒にはすみやかな下校をうながすものとする」
ちなみにそのあと、集団下校で帰れというお達しだけはやっぱりなかった。
ふと前のほうの席に目をやると、茜がニッとわらって、俺に向かって、グッジョブを意味する親指を立て、こちらを見返してきた。
おまえは大したもんだよ、という意味を込めて、俺は肩をすくめて両手を開いてみせた。
その日一日中の休み時間はというと、やはりこの話題で持ちきりになった。
「家出じゃね?」
「彼氏と駆け落ちとか」
「金も持ってってなかったとか言ってなかった?」
「駆け落ち相手が金持ちなら問題なし!」
「中学生と駆け落ちするなんて、ロリコンだよ。ロリコンが金持ってるわけねーって」
当事者でなければ、みな好き勝手言えるものだ。
「あんたらあんたら、不謹慎!憶測でもの言ってないで、ちょっとは無事を祈ってやんなよ」
こう言ったのは、茜。
物事を多方面から見ずに、一方的になにかに、誰かに罪をなすりつけるのって、あたしキライなんだよね!
いつだったか彼女はそう言っていた。
音楽教室への移動中も、みんなざわざわ噂話を続けていた。
俺はそんな話題についてゆけず、ここのところ習慣になりつつある、喜多方みりなの姿を探すことに没頭した。
ひと目でも、一秒でも長く、彼女の姿を、目にとらえたい恋心。
ーーいた。
クラスの集団から、かなり遅れて、彼女は階段を上がって来るところだった。
俺は壁に貼ってある、町内のどこでも見かける、この町の小学生が図案したという防犯ポスターを見るフリをして、みりなが上がって来るのを待っていた。
最後の一段を登り終えたとき、みりなはふらっと体勢を崩した。
そのときの俺の素早さと言ったら、さすがバスケで鍛えた足運び?
サッと彼女にかけより、足を踏み外しそうだった、小さな身体をガッと、支えた!
みりなは、真っ青な顔をしていた。
「貧血?このまま保健室まで付き添うよ」
みりなは首を横に振った。
「違うの、ここの、ところ、変な夢、ばかり見て、あまり、眠れてないの。だから、大丈夫…」
「そういうのを大丈夫だとは言わない」
俺はきっぱり言った。
「保健室で休ませてもらおう。音楽の授業なんて、休んでも勉強が遅れるわけでもないし、無理して倒れたら、みんな心配するよ」
みりなが返事をするまで、数秒あった。
「誰も、心配、しないよ…」
みりなはくしゃっと、泣き出す寸前の顔をした。
俺は、慌てて言った。
「俺が、心配、するっ!」
みりなは、泣き顔を、ビックリ顔に変えて、俺を見た。
「みりなが心配だから、今もこうして、保健室に連れて行こうとしてる。そんな真っ青な顔で強がるな!俺がついてってやるし、具合が良くならなかったら、俺が家までおくってってやる!」
みりなは、ぼろぼろ涙をこぼした。
「なに、それ…。なに?…それ?」
あたりには誰も居なくなっていた。音楽室のあるこの別棟は、放課後になるまで音楽室以外が使われることは、ほぼない。
ひとしきり彼女が泣くのにまかせたあと、俺は彼女の背と手を支えて、二人分のテキストは小脇にかかえ、さっき登ってきたばかりの階段を、ゆっくりと降り始めた。
まだお互い夏服の薄いシャツとブラウスを着ているせいで、密着していると、じっとり汗ばんだ布地と布地ごしに、彼女の汗と体温が感じられた。
彼女は泣きやむと、鼻をすんすんして、黙って俺に体重を預けている。
だから、彼女の言葉は、不意打ちだった。
「さっき、名前呼び、された」
どきりとした。
「みりなって、呼んだ」
「つい…ごめん。気ィ悪くした?」
みりなは、俺の腕に支えられたまま、ぶんぶん首を振った。
「嬉し、かった」
「ホントに?」
「これからも、呼んで、くれたら、きっと、もっと、嬉しい…」
っしゃ〜!
両手がふさがっていなければ、多分俺はガッツポーズをとっていただろう。
「じゃあ、これからは、みりなって呼ぶよ。俺のことも健って呼んでくれる?」
みりなは小首をかしげ、少し考え込んでいたようだったが、
「健ちゃん、って、呼んじゃ、ダメ?」
上目遣いに俺をみて、言ったのだった。
「佐藤くん、みんなに、健ちゃん、健ちゃんって、呼ばれてた、でしょ?うらやまし、かったの…」
俺がみんなに健ちゃんってって…小学校低学年のころの話かいっ!て、心の中でツッコミながらも、『佐藤くん』にまた戻されては、なにもかもが水の泡!
「いーよ、健ちゃんで」
「ホント?」
「いーよ、俺もみりなって呼ぶんだし」
「ありが、とう」
みりなは、花がパァっと咲開いたかのような笑顔を見せた。
あいかわらず痩せすぎてて顔色も悪いままだったが、
俺は淡い色した薔薇の花が、まさに咲開いた瞬間を見た思いがした。
こののち、俺が彼女をみりなと、みりなが俺を健ちゃんと、呼びかわすのを目の当たりにしたとき、クラスメイトたちがどんな反応を見せるだろうか…俺は少しばかりの憂鬱…絶対に茶化されるに決まっているのだ…と、少しばかりの優越感さえも入り混じった、そんな複雑な感情をかかえたまま、みりなを保健室に送り届けた。
その日、俺が知ったことと言えば、どんなに痩せすぎている女の子でも、背中や肩や二の腕などは、男の俺よりはずっと柔らかいものだ、ということだった。






