体育館シューズ
「あれ?喜多方なんで体育館シューズ?」
それが、彼女と俺との、会話らしい会話のきっかけだった。
男女ひとりずつが、毎日日直となるが、クラスでは男子の数の方が少なくて、出席番号順が、途中でずれて行って、何巡目かに、俺たち2人は揃って日直になったのだった。
長い夏休みはもう終わっていたが、まだまだ残暑厳しい夏の日だった。
俺たちは、二人並んで日誌を職員室まで届けに行くところだった。
その日に限って、日直にはとくに日直らしい仕事も言いつけられず、黒板消しくらいしか俺たちのやることはなかった。
背の高い俺が、率先して黒板のほとんどを、消したから、彼女はやるべきことがなくなって、毎休み時間、教壇の脇に立ち尽くすのみの形になった。
そんななんでもない一日が終わり、放課後。
俺たちは人影まばらになりつつある廊下を並んで歩いていた。
(背、ちっちゃいな…何センチくらいだろ?)
俺は彼女を見下ろしながら、のんきにそんなことを考えていた。
その時、目に止まったのが、彼女の足元の体育館シューズだった。
体育館シューズとは、その名の通り体育館のみで履くものであって、校舎内の廊下で履くべきものじゃない。
「えっ?!」
彼女はびくんと肩を震わせた。
「あ、いや、ほらさ…」
と、俺は彼女の過敏な反応に少しびっくりしながら、
「履き替えるの、もしかして忘れた?でも、見つかると注意されるかも知れないから…」
喋ってる途中で、俺はアレ?と思った。今日、体育、なかったよな?
「…ごめんなさい」
彼女はか細い声で答えた。
答えになってない答え。
彼女はうつむいていた。
よく見ると、肩が震えていた。
「上履き、無くしちゃって…」
上履きが無くなる?
あれってストラップかなんかみたいに、どっかに行っちゃうものだっけ?
とんちんかんな思いを巡らして数秒、鈍い俺も、はたと思い当たった。
「誰かに、隠されたの?」
彼女は首を振った。
「わから、ない」
「家に持って帰ったりはしてないんだろ?」
彼女はうなずいた。
じゃあ、やっぱり誰かに隠されたに違いないよ!
…と言おうとして、言えなかった。
彼女の肩が、小さく震えていたから。
「…こういうこと、初めて?」
彼女はうなずいた。
「先生に、報告する?」
彼女は首を横に振った。
「探せば、出てくるかも、しれない、から」
なにかをこらえているからなのか、それが彼女独特の喋り方なのか、ひとこと一言、区切って彼女は発音した。
俺は言うべき言葉を探して、数秒頭をめぐらせたあと、
「探すなら、俺も手伝うよ」
我ながら情けなくなるほど、ぶっきらぼうな声が出た。本当は、もっと親切に言いたかったのに!
彼女は、俺の言葉に、ばっと顔を上げた。
どきりとした。
彼女は間違いなく、俺の知っていた小汚い女子ではなくなっていた。
とても、とても綺麗な女の子だった。
世の中に魔法なんてものがあるのなら、まさにそれにかかって、彼女はこれほど変貌したのではと思われるほどに、彼女の美しさは毎日際立ってきていた。
その顔の、その大きな目のまなじりに、涙の粒が、ぽつんとわいた。
俺は慌てて、
「その前に、日誌、出して来ちゃおうぜ。ほら急いでさ、下校時間までに見つけなくちゃだし!」
「…うん」
彼女は涙を引っ込めて、ちっちゃく、微笑んだ。
俺の胸が、ドキンと鳴った。
そうだまさにこの瞬間、彼女の涙と微笑みを見た瞬間、俺の、喜多方みりなへの初恋は始まったのだった。
俺は心拍数が上がるのを意識しながら、顔赤くなってねぇか?なんてことも意識しながら、
「行こう」
と、彼女にくるりと背を向けて、職員室に向かって早足で歩き出した。
コンパスの違う彼女が走ってついてくる足音を聞きながら、それでも俺は足早になる自分をおさえられなかった。
…結論から言ってしまえば、このイタズラ?それとも発覚したばかりのいじめ?問題?事件?…は、早々と決着した。
職員室を出て、俺たちが向かった先、、喜多方みりなの名前シールの貼ってある下駄箱の中に、果たして上履きは存在していた。
…ただし、中には砂がぎっしり詰められていた。
おそらくすぐそばの中庭に敷き詰められている砂だろう。もしかしたら、そこに、中庭の砂の中に、みりなの上履きは、日中隠されていたのかもしれない。
「よかった…」
あらかたの砂を払うと、みりなは上履きをギュッと胸に抱いた。
「…隠したやつらも、バツが悪くなったっていうか、大事になるのを避けたかったんだろうな、よかったな、出てきて」
俺は安堵しながらも、心の中の憤慨を抑えきれず、だが、正義感ぶってそれを表面に出して、怒ることもできず…
「まだ砂でよかった?いや、よくないけど、泥とか仕込まれてたら、たまったもんじゃなかったよな!」
怒り一歩手前くらいの、なんとも中途半端な感想を述べるにとどまった。
…だって俺はこのとき、みりなのただのクラスメイトでしかなかったから。幼なじみという表現も使うのをはばかられる、薄い薄い関係者でしかなかったのだから…。
みりなは、俺の言葉に、こくんとうなずき、ぎゅっと宝物のように汚れた上履きを抱きしめたまま、言った。
「これで、上履き、買ってって、お願い、しないで、すむ…」