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退行少女  作者: 千羽稲穂
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後日

「その後、どうですか?」

 不愛想な医者は私と彼女の数日を一通り聞くと尋ねた。こうしてみるとこの医者はだいぶお年を召していた。白いひげは伸びきっていたし、これからの季節に赤い帽子をかぶれば人気になれるほどの愛嬌さがあった。そのひげをかいては、カルテに何かを書く。その文字はミミズのようで私からは何を書いているのか見えない。

「その後、ですか」

 私は空に上った煙を思い出した。次に静かに執り行われた葬儀を思い起こし、ひりひりと頬が痛み出した。寝室に行き、寝ているのか寝ていないのかわからないぐらいの彼女の穏やかな顔も、同時に思い浮かぶ。そのたびに頬や胸が炎症を起こす。炎は私の内面を燃やし尽くしてしまうのではないかと不安にもなるが、そのたびにいろいろな彼女を思い出し食いしばった。

「彼女がいなくてもなんとか元の生活に戻ろうとしてます。彼女は笑っていきましたから、私も頑張らないとって思って」

 粛々と執り行われた葬儀に参列したものは多かった。たいていは彼女の職場の者達も多かったが私を元気づけようと、私の職場の者や高校、大学からの知り合いも尋ねてきた。何回か呑みに誘われ、呑んでみたが頬の熱は晴れなかった。そこに添える冷たい手のひらがないと感じてしまうといけないようで、心の端から感情がこぼれだす。

「ええ、それが彼女にとって一番でしょう」

 ずんぐりとした体形の医者はやっと私の方を向いてくれた。すぐに私は医者と向き合い、じっと医者の瞳を覗き込んだ。

「先生に礼を言わなければなりません。彼女のことありがとうございました」

 医者は頭を振る。

「私は何もしていません」

「いえ、彼女のことを世間に公表しませんでしたよね。希少な病気なのに最後まで私と彼女を一緒にいさせてくださいました。普通なら施設へ彼女を預けては? というところをあなたは私に何も言わなかった」

 それがどれだけ苦しい選択だとしても、私は医者のことを感謝しきれなった。あの選択はきっと私にとっても彼女にとっても最良だった。医者はたんぱくでいて私のことや彼女のことを良く知っていたのかもしれない。

 医者は私に頭を下げないでくださいと言うと、口に笑みをほころばせた。やはり冬にやってくる赤い帽子の男に似ていた。大きな袋を持ってくる、トナカイづれのあの男だ。私は結局なれなかったが。

「私はただ、あなただったら大丈夫だと思っただけです。医者として、あまり良いことではないです。ただ私は彼女が学生であったころから知っていたので。あれだけ気が動転して常に自殺念慮を抱いていた彼女が、あなたに出会って素晴らしい笑顔を見せるようになった。それを見るとあなたなら大丈夫だと判断したんです」

 そういうと今度は医者が頭を下げた。

「話を聞いて、心を整理させるだけの私の仕事ではそんなこと決してできない……」医者は口をもごもごさせ、髭の中に口がもれた。小さな声で「そうですか、彼女は最後まで笑っていきましたか」と米粒みたいな小さな目に光を宿らせる。

「お礼をいうとしたら私の方です。彼女を幸せにしてくださりありがとうございます」

 医者が頭を下げると、私も同時に首をもたげた。


 マフラーを首に巻き、コートのポケットに手を突っ込む。病院前はよく茜と歩いた散歩道が広がっていた。紅葉は一気に覚め、裸の枝が方々に伸び切っている。寂れた廃墟を思わせるような光景にわびしさを覚える。口に広がる血の味を舌でなめとるとざらついていた。私はこつこつとわざとヒールのように音を鳴らしながら靴のかかとで地面をけりながら歩く。灰色の景色の中に一枚私の足元に赤い紅葉が降ってきた。思わずその紅葉を手に取り、青空にかざしてみた。と、風に吹かれて指の間からすり抜けた。青空に舞い上がる赤を見る。そこにある手には銀色の指輪がきらきらと輝いていた。その手をぼんやりと見つめた。それから頬にあててみる。ひりひりと痛んだ頬に冷たい体温が染み渡る。冷たい君の手がそこにあるような気がして、私はまた前を向き、歩き始めた。

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