十四日と四千九百九十九日前の彼女
目覚めた彼女は首を幼げに傾げた。どこを見ているかわからない。計算上、今日の彼女は十三年前の彼女で、十二歳の彼女が目の前にいることになっている。ただ、想像以上に彼女の退行が速いため、それよりももっと昔の彼女になっている可能性があった。
今日で最後。
それだけの事実が浮き彫りになってくる。もう覚悟は決めた。最後の最後まで彼女という人物と向き合おうと。今日、どんな彼女でもどんなに幼くても私はきっともう崩れない。
「おじさん、だぁれ」
やはり退行は思ったよりも深刻そうだった。
「俺は……」私はあらゆる言葉を総動員してどう彼女を説得しようか考えた。だがふと思いとどまって、周囲に紅葉を散らせる。想像だけでここは彼女にとって最高の場所になるはずだ。
「私は白馬の王子さまの付き人です」
手を差し出すと、彼女はつぼみが開いたように顔を輝かせた。灯った花弁に私はひとまず安どし、周囲にありとあらゆる幻想を思い浮かばせた。ベッドはお姫様が寝るふかふかのベッド。ここは夢の中。彼女は夢を見ている。散るのは鮮やかな紅葉の葉っぱ。彩を添えて、私はお姫様をエスコートする。
「あなたに王子がお伺いしたいと聞きましたので先に様子を見に来たんです。王子が来るまで今日一日、私がエスコートします」
お姫様を私は丁寧に扱った。彼女は私の気取った振る舞いに疑問を抱かず、ついてきてくれた。買いだしたスコーンを添えて朝食に出すと彼女は眼を輝かせて食べ、散歩をすればなんだか知っている場所に似ていると懐かしんだ。
足が不自由なことに「ガラスの靴を今王子が取りに行ってます、はいたら治りますよ」と適当なことを言ってごまかしたら、彼女は落ち込むどころか顔を華やがせて不自由な足を私に自慢する。その光景は、私が知る彼女とは似ても似つかわず、しかし茜の姿であることに変わらず、半ば嬉しかった。
茜の足は美しいのだ。どれだけ周りがそれを鬱陶しがろうが、どれほど彼女がその足を忌々しがろうが、私はそれを見て彼女に近づいたのだから。
私がそっと差し出す手に彼女がぎゅっと手を握る。指には結婚指輪が光っていて、外の赤が指輪の中に吸い込まれていく。
「これは夢だよね」と彼女ははつらつと私に問いかける。
「ええ、夢ですよ」
唇の赤さが、私の周囲に吹き荒れる紅葉と重なる。風で舞い上がり、木を裸にしていく。裸になった衣は私達の周囲に渦を巻き、外界から隠してくれる。二人に衣を授け、この時間を止めてくれる。一分一秒と。刻々と迫るタイムリミットの小さな隙間が生まれる。
「夢なら、私が何してもいいよね」
彼女の手が離されて、私の頬へ。香ばしい秋ごろもの香りがする。彼女が私の頬に顔を寄せて頬を緩ませる。白紅の頬。細い唇。くっきりとした目元。そうして私の時が彼女の唇が奪う。
すぐに彼女は顔を背ける。照れているのか口を泳がせる。
「私さ、王子様よりもあなたが好きみたい」
今度は彼女が私の手を引く。ひょこひょこと小さな足取りで私の前を行き、先導する。ゆっくりでも連れだってくれる。私を先の未来へ。そっちへ。これまでのどんな彼女もそうしてきたように。
「一緒に逃げよう」
それはもう、彼女のプロポーズの他ならないだろう。
「ああ」と彼女とともに私も駆け出した。
「一緒に生きよう」
秋衣は消え去り、冷たい風が吹く中私たちは逃げた。




