変貌
ひとりごとです
あぁ猫になりたい。
そう思い始めたのはいつからだっただろうか。特別、猫が好きなわけではない。
どちらかというと苦手な部類である。あの目で見られると、どうも自分が見透かされているようで恐ろしいのである。
「わたしはしっているのよ、」とでも言われるようである。勝手な被害妄想であるが。知られたくないことなんて、誰にでもあると思うけど自分の【知られたくないこと】が特別な気がしてしまうのである。なんていう自尊心の高さだろうか。自分が特別な人であるように想っているのである、思春期なんてとっくの昔に終わったのに。これだから嫌になる。猫はそんな自己嫌悪までさせるのだから、苦手というか怖い存在なのだ。ではなぜその猫になりたいのか。そんなの簡単である。今の自分から逃げられたらなんでもいいのだ。
極論でいうと生物でなくてもいい。雲や木、瓦など窓からみえる何でもいいのである。私の窓からみえる世界は、広いようで狭い。木や田んぼ、民家やスーパー、遠くに見える線路。遮るものがない青空。いつだってどこにでも行けるように思えて、意外にみえないものが閉じ込めるのである。みえないもので遮られる青空に私は苦しめられるのである。しかしだ。きっと違うものになっても私になるのだろう。きっと猫になっても、浮いている存在だろうし、自分がなぜ猫になったのかを呪うだろう。野生のイルカになったとしても、のびのび泳ごうともしないで、イルカの仲間に入れず一人で考えてばかりいるだろう。木になっても自分のところには鳥がとまってくれない、葉っぱもなぜほかの木より汚いのか、そう思うだろう。きっと何になってもこう思う。なぜ自分はこうなのかと。
私には姉がいる。自分で言うのも変なことだが、彼女の存在がいい意味でも悪い意味でも私の暮らしに影響を及ぼすのである。例えば、中学校の時の部活の選択や高校での先生からの評判、彼氏の有無や結婚相手まで。自分でもおかしいと思うほど、影響されている。姉は私から見れば完璧なひとである。容姿はもちろん、家族親戚への配慮、仕事場での振る舞い、友人との付き合い方、結婚相手、何十年も続けている習い事、すべて私が欲しかったものである。それを努力して手に入れてきた。容姿ならダイエットやエステ、仕事なら怒られて嫌がらせをされても逃げずに対処し、見返す。友人や結婚相手には広い心をもって適切な距離で付き合う。それをみてきたからこそ、私にはできないと思うし手に入れられないものたちなのだと実感する。
私はどうだろうか。嫌なことは逃げ出して、続けていることはなにもない。昔から人が苦手だという理由を作って積極的に付き合おうとしなかった。家族や親せき付き合いも苦手で【変わっている子】とよく言われた。【わたしは他の子と違う】という謎の自己防衛をもって生きてきた。そんなものすぐに崩されることを知っているのに。
容姿も特に気にせずここまできた。周りがストレートアイロンに夢中なときは、なぜそんなにまっすぐにしたいのかわからず自分で髪を切っていたし、周りがジャニーズに夢中な時はどうして雑誌のペラペラな人のことをそこまで熱く語れるのか謎であった。とにかく集団が苦手だったし、周りと一緒なことが出来ない自分を反吐が出るほど嫌いだった。そんなカタマリに違和感もなくすんなり入っていく姉をみてうらやましかった。とにかくうらやましかったのである。
そんなときは空想の世界に逃げていた。私には私が一番の遊び相手だったし、理解者だった。昔から独り言が多い子供だった。随分と気味悪がられたし、成長して仕事場でも【頭がおかしい】と笑いながらいわれたものである。そんなときは決まって「私、変なんですよね。」と笑えば、相手もそれ以上詮索してこなかった。
でも私にとっては独り言ではないのだ。きまって相手がいるし、反論も同意もしてくる。周りからみえない相手だけども、私には【いる】存在なのだ。そんな私を精神病だというひとも多くいたし、病院につれていかれたこともあった。でも私にとっては周りが変にみえる。そういうとまたいろいろな検査を受けさせられるので言わないが、どうしてそんなに変わったことを恐れるのだろうか。
私が小学生の時、文集である話を書いた。自分では、とても面白いと思ったし、最高傑作だとさえ思っていた。きっといろいろな人が読んで、ワクワクするだろうとドキドキしながら書いた。しかし、予想に反して親と一緒に放課後、先生から呼び出された。【このような内容で・・・。】と言って文集を見せる恐々した先生の顔と、驚きどんどん顔がゆがんでいく母親の様子は今でも忘れられない。どんよりと沈んだなかで、私だけがふわふわと浮いているような、変な空間であった。
結局、その文集は書き直された。母親監修のもと、素晴らしい家族旅行の話に変貌したのである。まるで、召使いだった女の子が誰もが憧れるお姫様になったように。跡形もなく消えた私の文集は、私と先生、母親にしか見られることがなかった。私しかワクワクしなかったし、あとの二人に関しては不安しかあたえなかった。かなしいというより、どうすればいいのかがわからなくなった。自分のやることは相手にあんな顔をさせるのか、と。思春期真っ盛りの私にとっては自分が自分へ大きな不安と恐ろしさをあたえたのである。そこからは、周りをよく観察して気にするようになった。こうすればいいのか、こうすればふつうか、と。するとどうしようもない虚無感におそわれる。自分が自分ではないのだ。何かに夢中になることもなく、当たり障りのない人付き合いをして、逃げるために大学を選ぶ。働くという選択肢は私にはなかった。奨学金をかりる、ということが当たり前だと思っていたし(のちにあるバンドが的確すぎる奨学金の歌を唄っているのをきいて、歌詞の内容にその当時気づかなかった自分を恨んだ)、なによりも自分が社会にでる、ということが想像できなかった。
だれかと協力して、時間通り言葉通り相手のためにお金をもらえるようなことが出来ると思わなかったし、今でも思っていない。かといって、何か特別な才能もなければ努力もしない。ぼんやりと、しかしはっきりと自分は20歳で死ぬ、と信じていた。本当に20歳の時に急性アルコール中毒をおこし死にかけた。(幸か不幸か助かったが)こうみてみると、死にたいのか。と思うかもしれないがそうでもないのだ。ただ、死というものが身近にあるだけであり、これをいうとほかの人は変な顔をするが自殺願望もなければ、そのような行為をしたこともない。自分でもわからないのだが、20歳で自分は人生を終える。そう確信していたのである。だから今は余白を歩いている気分である。そういう価値観なので自分でもこればかりはどうしようもない。だから何かに誰かに夢中になることもなく、なんとなく日々をすごしている。贅沢だ、と言われればそこまでだが人はそれぞれの価値観をもっているのだからしょうがないと思う惰性っぷりである。結局は努力をしていないのである。あぁ猫になりたい。
さあ話を変えよう。そう姉についてである。姉は私にとって生きるというものを体現化したものである。悩み喜び努力し時に諦めてほしいものを得る。悩みながらも生きていく、というよく聞くドラマの主人公のようである。仕事や恋人に悩んでいた主人公が試行錯誤をしながら周りの人に支えられて幸せをさがす、という現代を生きる女性といったところだろうか。
私はそれに憧れるが、うまくいかない。私は嫌いなものはきらいだし好きなものは好きだ。日常生活においてよく悩むが、それは自分自身の言動と周りとのギャップについてが多い。
例えば、私は一切SNSをやらない。自分が発信することはないし、それに興味がある人もいないと思っている。何よりも知らない人に個人情報を流すことが恐ろしくてたまらない。しかし、職場でSNSをやらないのは私だけである。60歳近くの人だってフェイスブックやインスタグラムをやる。そこで話が盛り上がれば、もちろんついていけない。私にとってはどうでもいいことなのだが、相手にとっては大問題らしい。「○○さんもやればいいのに!」とよく言われるし、そのことでなぜか嫌味まで言われる。やらないものを強制してくる思考がわからないし、自分たちと違う人のことだけでなぜそんなに盛り上がれるかも理解不能である。
ほかの人の言葉を使えば【みんなやっているから、やろうよ。】である。その言葉は他の人にとっては魔法の言葉らしいが、私にとってはただの文字の羅列である。
他にもよく【ずれている】ことがあるらしく、私には【天然】という言葉を使い、私がいないと【変人】という言葉に変換する。日本語とは便利で恐ろしいものである。私にとって何かが何かに変貌することは多くあり、理解されないことも理解できないことも多い。
姉もそうである。憧れの存在であり、私の人生をみじめに感じさせる怪物でもある。
あぁ、猫になりたい。
気分を害した方、本当にすみません。読んでくださってありがとうございました。