おはぎ完成
土曜の午後。おはぎ作りを思い立って早五日。幾度材料を買い直したことか。料理に無縁だった私が、台所でこんなにも長い時間を過ごすことになるとは思ってもみなかった。
包丁を使わないので切り傷こそないが、手首周りに数か所火傷をしてしまった。ふつふつと煮えるあんこは危険物だ。水ぶくれはないので、痕は残らないと信じよう。そんな負傷と、小豆やもち米の多大な犠牲の甲斐あって、おはぎ作りはそれなりの成果を挙げた。大きさは揃っていないし、見た目も端正には程遠いものの、逐次味見をしてきた限りでは食べられるレベルに達したはずだ。
お皿にいっぱいのおはぎ。
量って、洗って、炊いて、潰して、丸めて。手を動かしている最中は必死だった。終わってみると、それなりの達成感と共に寂しさがやってくる。心は感傷に浸ったまま、ボウルやへらといった洗い物を手際よく片付けていく。失敗は成功の母と言うが、小豆が焦げ付いた鍋やべとべとの食器たちは確かに私を鍛えてくれた。ここ数日ですっかり向上した洗い物処理能力は我ながら見事だと思う。汚れが綺麗になるのが楽しい、なんて誰かに話したらおかしな目で見られるだろうか。いくら頭が他のことを考えていても、手さえ動かせば結果が伴うのは、わかりやすくてありがたい。
そんなとりとめのないことを考えているうちに、全ての器具をすすぎ終わっていた。辺りを見回す。あんこが跳ねたガスコンロも、砂糖をぶちまけた調理台も、さっき拭いた。台所は無事に、落ち着きを取り戻した。片付け完了だ。ここ数日の死闘を終え、鎧を脱ぐ武者のような気持ちでエプロンを外す。
私は食卓に鎮座する大皿に向かい合った。私が作ったおはぎ。その中で最も不格好な一つに狙いを定め、そっと指先で摘まみ上げた。ほんの少しの間その塊を眺める。そして、ゆっくりと口に運ぶ。
甘い。
和菓子特有のほっとする砂糖の甘味が、小豆の香りを纏って穏やかに佇んでいる。真心、あるいは執念、いずれにせよ気持ちを込めて料理をするということの意味が、心にそっと広がるような気がした。
「あら、できたのね。」
母の言葉にはっとする。声のトーンがどことなく明るい。一心不乱に台所に立ち続ける私にさっぱり関心がない様子の母だったが、口も手も出さないながらに何か思うところがあったのだろうか。
自意識過剰な気がするけれど、もしかして……見守っていてくれたのだろうか。
表情も表現も豊かとは言えない母の真意は、いつだって汲み取りづらい。でも、私たちは家族だ。少なくない年月を一緒に過ごしてきた。だから言葉にしなくてもわかる部分がある。多分。
今回、私がどれだけ失敗しても、母はもうやめろとは決して言わなかった。部屋が焦げ臭くなっても、皿を落としてヒビを入れても、何も言わなかった。そんな母の態度は、昔からずっと変わらない。私はそれをずっと無関心という単語で認識していた。いつだって私は邪魔者なんじゃないかって、本当は私なんていない方がよかったんじゃないかって、自分の存在を揺るがす不安は消えない。シャボン玉のように不意に弾けて、泣きたくて、でも、それを言葉にしたら何もかもが壊れてしまいそうで、いつも奥底に閉じ込めてきたはずだった。
でも。
私、強くなれるかな。
失敗してもいいのかな。
できるのかな。
ねえ、お母さん、いつか私と向き合ってくれる?
勇気を出せ、自分。
「お母さん、あのね、このおはぎ…私すごく頑張って作ったの。食べてみて」
目を見て訴える。有無を言わせない私の眼差しに、母は戸惑っているようだった。
母のために皿に取り分けるかたわら、最も見た目のいい一つをタッパーに詰めた。
「私、ちょっと出かけてくるっ。後で感想聞かせてね。」
靴を履くのも煩わしく、私はサンダルを引っかけて飛び出した。エレベーターを待つのがもどかしくて、階段を駆け下りた。届けたい。食べてほしい。カズキに。