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おにぎりの一粒の私  作者: anik
6/8

小豆から作る

 おはぎって、どうやって作るのだろう。

 食べるという行為は無責任だ。正直なところ家庭科の調理実習以外の知識も経験もない私には、料理は謎の熟練の技のように馴染みがない。ましてお菓子作りなど材料も製法もさっぱりわからない。おそらく、ではあるが、おはぎの外側はあんこと呼んでいいだろう。あれは、ゆであずき缶とは味も粘度も違うような気がするが、冷やせばいい感じに固くなってくれたりするのだろうか。中身は、おにぎりにしてはもちもちしているが、何をどうすればああなるのか。特別な炊き方があるのだろうか。あるいは、米に銘柄が色々あるように、もしかしたらおはぎ専用米があるのか。それとも、秘密の粉と一緒に炊く可能性も捨てきれない。

 退屈な午後の授業中に眠気と戦いながら延々とそんなことを考えていた私は、終礼後、足早に図書室へ向かった。和菓子の作り方の書かれた本を探そう。スマホで材料やレシピを検索することは容易だが、そんな気分にはなれなかった。

 

 これまでまったく興味がなかったジャンルだが、謎の多い我が校の図書室は料理本コーナーもさすがの充実ぶりで、宮廷料理の分厚い辞典から現代的な時短クッキング本まで、ターゲット層不明の重厚な品揃えであった。おはぎという題材の性質上、ちょっと古いくらいのレシピがいいような気がして、私は角が少し傷んだ本を数冊書架から取り出し、ゆっくりとページをめくった。

 ぼたもちとおはぎの違いは理解した。そして、材料が思っていたよりもずっとシンプルなことにほっとした。隠し味やスパイスも必要ないようだ。小豆やもち米は乾物だし、スーパーできっと一年中手に入るだろう。特別高価なものでもないはずだ。ただ作り方はいくら読んでも理解できなかった。渋切りとは一体。半殺しとは一体。頭の中がクエスチョンマークで混乱する。工程のひとつひとつが雲をつかむような作業に思える。おはぎの作り方のページを何冊も並べて見比べてはみたが、より深い闇に落ちるのみで、疑問が解消するには至らない。

 ならば実践あるのみ。

 決意した私は一番簡単そうな一冊を借り出し、家路を急いだ。途中でスーパーに寄り、材料の調達を試みた。何種類もある砂糖の色や粒の大きさに悩み、国産と中国産の小豆の値段の違いに悩み、もち米に無洗米があるのか悩む羽目になった。ああ、世界は謎に満ちている。おはぎの黒さは闇の滲む色だったのか。闇は深い。その時の私は、この先に広がる闇もまた果てしないことをまだ知らなかった。

 あんこ、いわゆる小豆あんというものは、小豆と砂糖と塩と水からできているそうだ。しかしながら、私がそれらを調合したところで簡単にあんこにはなってくれないようだ。レシピ本に書かれたとおりに作業しているつもりでも、鍋は焦げ付き、小豆はガチガチのままでふっくらと炊きあがりはしなかった。原材料と工程が確立された作業のはずなのに、何が起きているのか…。どこが悪いのかさっぱりわからないが、少なくとも出来上がったこの暗黒物質は食べられたものではない。やり直そう。

 スーパーに再度足を運んだ私は、小豆を買い直すついでに、レジ手前のお惣菜コーナーで二人分のお弁当を手にした。数多の電球に照らされたお弁当は、作り立ての表示に違わず温かかった。お母さん、冷める前に帰ってくるといいな、と一瞬頭をよぎって振り払う。冷めてたって電子レンジでチンすればいい。

 母には母の仕事があり、ペースがあり、都合がある。そう、ずっとわかっている。


 その日の母の帰りは特に遅くも早くもなかった。私が台所を占拠していること、晩御飯のためにお弁当を買ってきたことを告げたが、取り立てて興味はない様子だった。表情は見えなかったけれど、ふうんという声のトーンからすると少なくとも不機嫌ではなさそうなので良しとする。お弁当はぎりぎり温もりの余韻を感じさせていた。食べ終えたら、あんこ作りを再開しよう。今度こそちゃんとした普通のあんこを作ってみせる。

「使った物は全部片づけてよね。」

 台所に向かう私の背中に、新聞の夕刊に目を落としたまま母は言葉を投げた。

「うん。わかってる。」

 私の返事が母に届いたかどうかわからない。でもそれで十分だ。台所に立つ私。ダイニングテーブルに向かう母。背中合わせのその距離は、不思議と普段よりも近いような気がした。

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