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おにぎりの一粒の私  作者: anik
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コンビニへ向かう朝

 居場所があるようなないような家庭でも、たった一つ幸運だったと思える点がある。それはお金に困っていないことだ。お金がなくては今の高校にも通っていられない。お金がなくては毎日気ままに新商品をコンビニで買うこともできない。アルバイト禁止の古風な女子校では放課後にお小遣いを自分で稼ぐこともできない。両親共働きの世帯収入がどの程度のものかは知らないが、少なくとも我が家は貧しい方ではないだろう。母とショッピングに出掛けると、欲しいものは大抵買ってもらえる。そして母自身も少なくない戦利品を手にする。買い物をしているときの母は生き生きしていて、家で台所に立つ姿とは見違えて幸せそうだ。特別高価なブランドを愛用しているわけではないにしても、これだけ買えば相当な金額ではないかと子供心に懐事情が心配になったこともある。けれど母曰く、お金は使うために稼いでいるのだから誰にも文句は言わせない、とのこと。金銭的には問題ないとしても、収納場所的には問題があることには気づいてほしい。



 今朝は風が冷たい。ついこの間まで太陽を呪いたくなるほどの暑さだったのが嘘のようだ。これが季節の変わり目か。つんとした空気はまるでどこか異国の地に降り立ったかのように肌に馴染まず、見慣れた家の前の景色さえ表情が異なる。行き交う人々もまた異邦人のようだ。暑くても寒くても、晴れでも雨でも、やる気があってもなくても、学校に通わねばならぬ学生の悲しさよ。冬休みはまだまだ遠い。私は心の中で小さく気合を入れ直し、今日の昼食を調達すべく、いつものコンビニを目指した。

 通りがかった米屋からはいつも通りの優しいにおいが立ち上っている。ほぼ無意識に、がんばれ、と応援する気持ちに駆られてしまう。この米屋ではたまに出来合いの小さなパックを買うだけの私が語るのはおこがましいが、目当ての商品が売り切れでもまた今度でいっかと思えるのは毎日作り続けてくれる状況の上に成立する話だ。それは不変でも当然でもなくて、毎朝仕込む老夫婦にもいつか体力の限界が訪れ、餅やおはぎを作らなくなるかもしれないし、店を畳むことだって十分に考えられる。そう、あのおはぎを食べられなくなる日がいつか必ずやってくるのだ。あれが特別に好物というわけじゃないのに、今朝の私ははなんだか妙に感傷的だ。変なの。

「おーい。」

 コンビニに到着するというところでふいに後ろから呼び声が聞こえた。それが自分に対するものかわからず辺りを見回したが、足を止める人も耳を傾ける人も他にいない。私は振り返った。え、誰だっけ。そこにいたのは黒い学生服の少年だった。運動部らしい大きなサブバッグはなく、たった一つ肩に掛けた通学鞄がやけに軽そうに見える。地球の引力、酸素の密度、光の屈折、なんでもいいから理由をつけたくなるほど彼は身軽で、異質な存在に思えた。

「えっと、誰…でしたっけ。」

「ほら、俺、米屋の。昨日買いに来てくれたでしょ。」

 ぎこちないこちらの態度に気を悪くする様子もなく、彼は笑顔を見せた。脳内のエプロン姿と目の前にいる少年を比較する。言われてみれば確かに昨日の若い店員だ。やはり学生バイトだったのか。黒い学ランだけで学校名を判別できるほど他所の制服には詳しくないが、バッグのロゴは数駅先の男子校を示していた。

「おはぎ、食べてくれた? あれ、毎朝あんこから手作りなんだ。残ったら俺が食うって決めてたから売れちゃって悔しくて。」

 店の商品に自信たっぷりな様子。でも人柄なのか嫌味なところが全くない。なんだかこの人の周りはきらきらしている、そう頭をよぎって少女漫画かよと自分で突っ込む。会話を弾ませる余裕どころか、どんな反応をしたらいいのかよくわからない。言葉がすんなり出てこない。この人といるとなんか変だ。自分のペースがわからなくなる。私は必死に唇を動かした。

「あの、それは、なんかごめんなさい。ごちそうさま。美味しかった。お母さんも、美味しいって言ってました。」

「でしょ。よかった。」

 私の戸惑いなど知る由もなく、彼の笑顔は曇るところがない。この人すごく鈍感かもしれない。直感的にそんな疑いが湧いた。それはそうと、私にはよくわからないこの少年とコンビニの軒先で談笑するつもりはない。いわんや駅まで一緒に歩きながら親交を深めるなんて事態はありえない。距離を取るには今しかない。

「あの、私、コンビニ寄るから。」

「そう? じゃ俺も行くよ。どうせ駅おんなじでしょ。その方が楽しいじゃん」

 誤算。

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