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おにぎりの一粒の私  作者: anik
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お米屋さんのおはぎ

 帰り道。駅から家への道はただ真っすぐで、途中にはお寺やマンションが立ち並んでいる。寄り道したくなるような場所はさほど、いや、全くない。抗えない誘惑も悪魔の囁きもない環境は平和そのもので、閑静で落ち着いた土地柄と教育的な大人は喜ぶのかもしれないが、私にとってはただつまらないだけだ。お寺とお墓とお年寄りばかりを集めてこの地域は何を狙っているのか、なんてくだらない妄想もはかどらないほどに活気がない。たまに友達の家に招かれることがあると、環境格差を感じずにはいられない。小ぢんまりしたこだわりのカフェや、オーナーのセンスが光る雑貨店なんて雑誌やSNSの中にしかないと思っていたものが実在するなんて。これを衝撃と感じること自体もはやかなりのものだろう。どうにも静かすぎるこの辺りも、ごく限られた時期には季節の樹木を目当てに公園や神社を訪れる人で人通りがぐっと多くなる。商業的にはチャンスだろうと素人考えでも思うのだが、お寺とマンション以外にかろうじて点在するこの辺りのお店たちは媚びることもなくマイペースな営業を続けるのみで、なんなら日曜は店を閉めている。

 家へ向かう途中、いつも昼ごはんを買っていくコンビニの向かいには米屋がある。軒先には茶色の米袋がたくさん並べられ、それぞれの銘柄ごとに値札が添えられている。どれも米という作物で似たり寄ったりのはずなのに、名前も値段もバラバラだ。私がいつも食べているコンビニおにぎりに使われる品種も、この中のどれかだったりするのだろうか。例え説明されたところで、覚える気も覚えられる気もないのだが。この米屋は界隈では活気のある筆頭で、量り売りの店頭精米のお米だけでなく、できあがった餅や赤飯の小さいパックを目当てとするお客さんをちょくちょく見かける。特におはぎは人気のようで、私の下校時刻に残っていることは珍しい。おばあちゃんが張り切って作ってくれたような大きさと素朴な味は、確かにときどき恋しくなるのがわかる。早足のまま一旦お店の前を通り過ぎた私だったが、すぐに足を戻す。おはぎが今日はまだ二パック残っている。一パック二個入り二百六十円。前回食べたのはいつのことだっただろう。自家製だという粒あんを纏った姿が不器用な艶やかさで誘惑する。財布の中身に思いめぐらせ、残金が十分であると確証を得た私は店の奥に声を投げた。

「すみませーん。」

 ここの米屋は、そこそこ人が訪れているはずなのに、店先に誰もいないことが多いのが謎である。店主の老夫婦には立ち仕事が辛く、奥で休みながらこなしているのだろうか。考えてみれば、いつも朝早くから餅米を蒸したり小豆を炊くにおいが立ち上っている。暑い日も寒い日も朝早くからたくさんの手仕事をしていれば、客足の途絶えるときくらい休みながら応対したいだろう。今日のおはぎは失敗しちゃった、なんてことは家庭では許されても商売では許されまい。だからといって失敗したから売るものがないなどという状況も許されまい。毎日毎日同じものを同じように作るということが、とても厳しく尊いものに感じられた私はおはぎに向かって手を合わせたい気分に駆られた。なんともありがたい存在ではないか。心の中で拝んでおこう。後ほどありがたくおいしくいただきます。

 呼び声を発した後、口の中で十数えてみたけれど、返事はない。声が小さかっただろうか。なにかの雑音に紛れて聞こえなかったのかもしれない。私はもう一度、さっきより少し強めて声を掛けてみた。

「すみませーん、おはぎくださーい」

「はーい。」

 よかった、今度は届いたようだ。ぱたぱたと足音がして現れたのは、見たことのない少年だった。くたびれたTシャツを着ているが、身に着けている藍色のエプロンには紛れもなくこの米屋のロゴが印刷されている。店員ということで間違いないということか。この米屋はいつも老夫婦が仕切っていて、それ以外は配達専用の店員と思われる青年が一人出入りしているのしか知らない。外見的には私と同じくらいの年齢に思える。店主夫婦の孫だろうか。それともアルバイトを雇ったのだろうか。

「お待たせしました。どちらをいかほどご用意しましょうか。」

「え、あ、あのおはぎを二つください。」

「一パック二つ入りだけど、一パック?それとも二パック?」

「えっと…二パックで。」

 戸惑いが声に出てしまった。一人で大量に食べると思われていたら恥ずかしい。家族にお遣いを頼まれたとでも思ってくれないかな。テンポを乱されて居心地が悪い。店内にいくつも飾られた招き猫の置物はソーラー式で絶えず手を動かしている。ゆらゆらと動く猫の腕。福を招くはずのそれらの笑顔が、にやにやと私を小馬鹿にしているように感じられる。この場を去りたい。

 ぎこちなさを必死に隠しながら会計を済ませた私は小走りで家を目指した。心がざわつく。たかが米屋で買い物しただけで、どうしたというのだろう。気分が悪い。落ち着け、落ち着け。制服のままベッドに突っ伏して枕を抱えた私は、精神統一を図るはずがいつしか眠ってしまった。おはぎを食べたくて買ってきたのに、と意識がなくなる直前に頭をよぎったことだけは覚えている。

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