いつもの昼休み
いつもの日常。たぶん明日も来週も来年もずっとこんな感じに違いない、当たり前すぎる昼休み。私はいつものコンビニで朝買ったおにぎりを齧りつつ、級友たちと他愛もない話に笑いあっていた。いけすかない教師のマネをわざとらしく誇張して再現しようとする人。昨夜のドラマの女優の可愛さを力説しながら悶える人。午後の授業の宿題を慌てて埋めている人。それぞれにそれぞれの生活があって楽しみや悩みがあって生きているはずなのに、教室というひとくくりにするとなんだかすごく眩しい。女子高生とはなんと輝かしい生き物なのか。箸が転がっても笑う年頃というたとえがあったが、ここにいる生徒たちはまさにそれを体現している。はじけるような笑い声。廊下から聞こえる遠い声もまた、どこの教室も同じなことを感じさせる。
「まっきー、そのおにぎり新商品?」
声を掛けられ一瞬慌てる。まっきーは私、マキコの呼び名だ。
「うん、今朝初めて見たやつ。絶対不味いと思って買ってみた。」
開封時に真っ二つになったパッケージをくっつける。匠のおにぎりキムチチーズマグロわさび風味。匠がどこの誰なのか知らないが、マトモな厨房から決して生み出されることのないであろう文字の羅列は逆に私の心をくすぐり、本日の昼食に採用された。結局落ち着くのは定番のツナマヨだとしても、コンビニに並ぶ彩り豊かな新商品は見かける度につい試してしまう。通常巡り合うはずのない素材の組み合わせに、企画する人々の苦労が滲んでいるような気がして、それさえも楽しい。なんて、いくら楽しいと言ったところで買うのは大抵一度きりなんだけど。
今回のネーミングはなかなかインパクトがあったようで、昼食の場を囲む私以外の四人は目にした後ワンテンポ遅れて崩れ落ちた。爆笑。その味はないわ、そんなん買うのまっきーしかいないって、唐辛子なのワサビなのどっちよ、むしろ意味わかんなすぎて美味しそうな気がする。彼女たちのこの反応だけで買ってよかった。おにぎり自体は正直カオスだが、作り出されたこの空気はくすぐったいような温かさに満ちていた。
毎日同じグループで食べる昼食の時間を重く感じる時がないと言うと嘘になる。彼女たちの昼食はいつもお母さんの手作りのお弁当。彩りや味のバランスを考えて少しずつ色々なおかずを詰め込んだ可愛らしい小さな箱。かたや私の昼食は毎日コンビニ。カサカサと音を立てるレジ袋の中身に温度はない。女の子らしい手作りのお弁当というものに憧れがないといえば嘘になるだろうか。ううん、私はこれでいい。恨んだり妬んだりするほど昼食に執着はない。みんなで過ごすこの時間はもう十分に温かく朗らかで、それ以上余計なものはいらない。
「ついでにこれも新商品だった。」
私はおにぎりと共に買ったチョコ菓子を示した。パティシエの贈り物ビターオレンジピールが囁くショコララングドシャ。宝石箱のような装飾がプリントされたパッケージはシックでありながらも、目にした者を魅惑する艶めかしさをにじませる。謎の呪文のような商品名から概要を一瞬で理解した女子たちは、目を輝かせ僅かなティータイムに興じる。有能なコンビニさまにはお世話になりっぱなしだ。
皆の満足気な様子を感じ、ようやく私も口を付ける。甘さとほろ苦さが広がり、どこか人工的な香りが抜けていった。
いつもの下校時刻を迎え、いつもの通学路で駅へ向かう。太陽はまだ高い。寄り道禁止の校則を守ろうとしているわけでもないが、部活もなく、塾もなく、当然のように級友と出歩くこともなく、私は真っすぐ家に向かう。早足で進む私は何に突き動かされているのだろう。いつもの電車が来るまであと三分。その次は十八分後。ふう、今日も間に合った。帰宅ラッシュとは無縁なこんな時間の電車でもそれなりに乗客はいつもいて、ふとした瞬間に不思議な気持ちになる。だらけたスーツ姿のおじさん、会社とか仕事は終わったの? ファンデーションが少し白すぎるおばさん、何をお買い物してきたの? 乗客はそのときどきで違うはずなのに車両の空気はいつも同じで、気だるげな重さと包み込むような温かさが同居していて、私はこの電車で過ごせるひと時が好きだ。オフィス街に通う路線や地下鉄ならばきっとまた違った空間なのだろうが、私にとっての電車はこれ以外の何物でもない。足を踏み入れる瞬間、温かい家庭に迎え入れられているような気持になる。まばらに空いた席を見つけ、スカートの広がりを片方ずつ留意して座る。一人静かに過ごす電車内は最高の勉強時間となる。要領よく今日の学習範囲を振り返り、記憶が薄れないうちに家で宿題を終わらせる。中高一貫女子校になんとなく中学受験して入った私は現在高校一年生。勉学よりも情操教育を重視する我が校はお世辞にも進学校ではなく、大学受験のイメージがしづらい。日々の課題はそれなりにこなしているが、自分がどの程度のレベルにいて、どれくらい勉強すればどんな大学に行けるのかさっぱりわからない。そもそも特別にやりたいことや行きたい大学があるわけでもない。いつか卒業の時が来て、あの昼休みがなくなるということは頭では理解している。でも今はまだ考えられないし考えたくない。毎日繰り返しているこの時間がずっと続く方が自然なことのように思う。
今乗っているこの電車の線路にも端っこがあって、終わりがあるなんて、当たり前のことに実感を持って考えられないのと同じだろうか。ずっとずっと続いていて、繰り返されるのが普通という幻想。環状線だってきっと同じ車両が同じ数で永遠にぐるぐる回り続けるわけじゃないんだって、わかっていてもわかろうとしないわかりたくない。きっとそれは何らかの自己防衛なのだろう。